昨年末、片付けをしていたときにいろいろな懐かしいものを発見しました。子供が小さかったときに買ったものなどです。
その中の一つに「ろうせき」がありました。チョークのように綺麗に切られたろうせき。今でも建設現場などお仕事で使われているようですが、昔、自分が子供の頃は、遊びに使ったのです。今だって、使っているお子さんもいるとおもいます。
私は子供の頃、お小遣いなどもらっていませんでしたし、うちの近くにはいわゆる駄菓子屋などもなく「ろうせき」を自分のものとして持ったことがなかったのです。道路に遊びのための線を引いたり、絵を書いたりする時は友達のろうせきを借りたり、その辺りの石ころから書けそうな石を選別して使っていました。
そんなわけで、友達の「ろうせき」をいつもいいなぁ、と思っているばかりで、とても手に入れるのは難しい「貴重な」ものでした。「ろうせき」にはとても特別な思い入れがあったのです。
それが子供が小さいとき、どこかで袋入りのろうせきが売られているのを見かけました。綺麗に切られたものが20本くらい入っていました。私としては大興奮。即買いしました。子供も当然喜ぶもの、と信じていたわけですが、
あに図らんや、、、
まったく興味を示さなかったのです。
そしてそれがずっと残っていたのでした。
職場に小さいお子さんのいる方もいらっしゃるので、ひょっとして差し上げようか、と思い、職場に持っていきました。が、こういう時期ですし、ものを差し上げるのにもちょっと気が引けます。今、まだ机の引き出しに入っています。
根津美術館にあったキンカチャ(椿の仲間)葉脈がはっきりした葉が面白いです。
しかし、この「ろうせき」みたいなこと、結構あるあるかもしれない、と思っています。ある時期にはとても素晴らしく見えて、手に入り難かったものが、いつの間にかなんの苦もなく手に入るようになった。でももうその魅力がなくなってしまって、結局手に入れても使わずにそのまま、なんてね。
なんとなく面白く、哀しい思いです。そうなった今を嬉しく思う一方、必死で書ける石を探していたあの頃の情熱も懐かしい。