今回のコロナ禍のようなことは、これまでの人類史で何度も繰り返してきたことです。
生きた生物(ヒトもその一部)が大量に移動する、ということはそれに伴った大量の微生物も移動するということです。共生関係にある宿主には無害に近くても、他の生物には破滅的な微生物があります。
もっと狭くヒトに限っても、ある地域のヒトには特定の微生物に対して免疫があって、大したことのないものでも、他の地域のヒトには壊滅的な被害をもたらすことがあります。
今回の新型コロナウイルスは、おそらくは武漢の古い銅山があった洞窟に住むコウモリたちが持っていたウイルスが起源だろう、ということで、最近やっとWHOの調査団が中国に入ることができて、調査中です。
生きた生物の移動は本当に危険なことなのです。だからこそ「検疫」があり、植物や動物の移動に関しては、非常に厳しい監視が行われています。
本来はヒトにも、検疫がなされなくてはいけないのです。ただ、社会的、人道的、経済的な理由から行わないことになっています。
しかし、今のヒトの移動量は大変に危険な水準に達していると思います。
こんなことを言うと、後出しじゃんけんなので良くないのですが、これまでにたくさんの外国人が行き交う東京の街を歩きながら、「これはかなり危険なことだな」と思うことがよくありました。
ある方が地球の裏側からきて、今ここにいる。それは感動的なことなのですが、ロマンに浸っている場合ではない側面もあるのです。生きた人間は微生物を外にも内にも持っています。
危険と背中合わせの事象なのです。
グローバリゼーションのネガティブな一面です。ヒト界が微生物学的にも均一になるのは、地球上の地域的な特性もあるので、ありえないことかもしれません。そうなると、やはり、ある程度の検疫が必要になるのではないか、と思います。
今後は、ヒトの移動に何らかの制限をかける。あるいは検疫期間を設ける。などの措置がとられるようになるかもしれません。物流は衰えないと思いますが、人の移動は以前のようには回復させられないのでは、と思います。
幸いオンラインでのコミュニケーションが発達しましたので、そういう中でも我々はこれまで以上にグローバルに仕事をすることができるのではないか、とは思います。
これからの仕事の仕方、海外の方とのコミュニケーションの取り方、海外旅行のあり方、何か大きく変容していかざるを得ないと思います。
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