いつか書こうと思っていたことです。
昨日、承認欲求のことを書いていて、うっかりこれの原因が劣等感等と書いてしまって、しまったと思っています。
ここには飛躍があるかもしれません。多分に私の中の解釈であることを申し上げておきます。
先日訪問した西日本の某神社の梅。満開でした。
ところで劣等感、という厄介な問題について、私はかなり深刻に受け止めています。
それは内閣府の調査結果(平成26年(2014年))を観て以来です。この日本の子どもたちの自己肯定感の低さ! 衝撃的です。
ただ、これは感覚的にはとても納得のいくものではありました。自分が世間で感じていたことがそのまま数値となって表れているものであったからです。
「自分自身に満足している。」ということに「そう思う。」「どちらかといえばそう思う。」と感じた子どもがアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスでは80%以上。スウェーデンで74.4%、韓国で71.5%。日本は何とたったの45.8%。
調査のその他の項目も含めて言えることは、日本の子どもたちはトータルな自分の人生をイメージできず、不安ばかりを募らせている、ということ。例えば家族を早く持ちたい、と考える人が多いのに、40歳になったときの自分の家族のイメージが具体的に持てなかったりしている。
それもこれも、全ては大人のあり方、社会のあり方がそうであるからでしょう。
自分自身の価値を他との比較の中で確定する社会であること。 これを変えなくてはなりません。人生のあり方の選択肢の狭さも子どもたちの感じる「不自由さ」の一つの要因かもしれません。
大人の責任としては、人生にはいろいろな可能性があることを示し続けていくこと。人生を謳歌すること。でしょうか。
そして力強く生きて行くためには、自分を肯定すること。「これでいいのだ〜!」とすること。
自分なり、でやって行くのが正しい、ということ。
直接他人に対してできることは余りないと思っています。私は淡々と生きて行くだけです。
そうして、生きていることはなかなか面白いぞ、ということを伝えられればいいですね。