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経済学再々入門 自給自足経済その6

2011-07-04 01:27:51 | マクロ経済

さて、前回は需要曲線について見たわけですね。

需要曲線は、煎じつめれば、コメを手に入れるために、いくらまでなら労働を負担してもよい、という主観的な尺度であって、この尺度は労働観や、身体の調子や、将来への不安や、経済的な余裕の有無にも依存する、と書きました。

さて、今回は、寺島さんが8間働くと決めた=一日4合分を生産すると決めた過程を見てゆくことにしたいと思います。

ってか、もう十分に見てきたような気もしますが、念のため、おさらい。

1.需要曲線について

需要曲線は、寺島さんの主観的な尺度なのであって、これは既に与えられています。寺島さんはどうしても必要なら一日15時間までなら働くし、一日6合生産できるなら、どんなに短い時間でそれが成し遂げられたとしても、それ以上は働きたいとは思っていません。これは、固定しています。与えられているとは固定している、という意味ですね。


2.供給曲線について

実は、供給曲線も与えられています。供給曲線は、1時間働くと、何合のコメが採れて、2時間働くとどんだけ増えるか、というモノでしたが、基本的に簡単な農機具以外は使わない手造り農業を行うと島では決めていますので、労働投入によって、いくら供給が伸びるかは固定的に決まってしまっています。

3.結論:GDPはどう決まる

ってことは、どういうことなのか。結論から言えば、GDPは最初から決まってしまっています。需要も供給も最初から決まっていれば、その交点が生産量として決まります。

もう少し一般論として言えば、メンバーがどの程度働きものかによって、GDPの量が決まると言っても良いかも知れませんね。供給曲線は動きません。しかし、もし寺島さんが貯蓄は一切不要だ、という認識の持ち主ならば、生産量はかなりの程度限定されてしまいます。

しかし、メンバーが固定していて、考え方にも変動がなければ、需要曲線は固定的です。一般論として、メンバーの働きもの度合いによって、GDPの量が左右されることはあるってかんじです。


島のメンバーは100人でメンツも決まっています。だから、小林(COO)も安心して予想が立てられるんですな。

島全体の生産は、寺島さんのような各メンバー100人の需要と供給を合計した総需要曲線と、総供給曲線の交点で決まります。

寺島さんは8時間労働を選択しましたが、人によっては7時間の人も居るし、9時間働く人もいるでしょうが、全部足せばいいわけですね。

まあ、大体、各人が労働時間を寺島さんと同じ8時間を平均的に選択したとすると、4合×365日×100人分が、島全体の一年間のコメ生産ということになりますね(供給曲線は島全体でどこでも同じだと仮定しています)。


さて、これまで自給自足経済を見てきましたが、ここには、貨幣もなく、交換も想定されていません。市場が存在しない。あるのは、どんだけ働いてどんだけ得るか、という問題だけなんでした。どんだけ働かないと食べてゆけないかは、耕作技術も固定しているので決まってしまっている。

極めて単純で、経済学の成立する余地もありません。これまで見てきたとおり、そこには、個人単体としての需要と供給らしきものはあって、ただしそれは固定的なので、問題にならないし、意識もされない、という感じです。

働かないと食べてゆけないが、食べてゆくためにどれだけ働かねばならないか、は決まっている。手段もコメ作しかない。あるべき姿が決まっていて、つまり、ほとんど選択の余地がないので、インセンティブやトレードオフを分析してゆく経済学の入り込む余地がない、という風にも言えるかもですね。


経済学が、ある程度発達した経済を対象なり前提としている、ということでもあります。



さて、退屈な理論のハナシはこれくらいにして、もうちょっと島経済を展開させてゆきたいと思います。



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