いやあ、地域通貨について考えるのはとっても楽しいですな。
関心の無い人には全く退屈なんでしょうがね。
昨日は『地方に富をとどめる』という観点について考えたんですな。その地方でしか使えないってことにすれば、お金は地方の中で循環する。都会になんかに流出しない。
水道が壊れた。どこの業者に頼むか。町内で探すわけですな。地域通貨を使おうと思うと町内でしか使えないんで。都会の業者の方が安心だったりするような気がしてフツーなら遠くの大手を頼んだかも知れないけど、とりあえず町内であたってみる。
経済圏を作ってそこを繁栄させる、という機能が貨幣にはあるんですな。地方政府に地域通貨を発行させるってハナシもしましたが、これは別のところで。
で、もう一つ、昨日の番組でくみ取れること。
○失業対策としての地域通貨
旧東ドイツのハレの青年は失業してましたが、近所のお手伝いをしながら食いつないでいる。地域通貨は失業対策にもなるかも知れないんですね。
たとえばこんなケースはどうかな。
失業して、にっちもさっちも行かない。親のすねをかじるしかない。親にはやっかいもの扱いされていて、我慢できずにけんかして追い出される。そうすると、もう路上しかないのがこの日本社会。あるいは誰でも雇ってくれるブラック系企業に勤めるか。しかし、ブラックはフツーの人には長続きしないのがブラックたる所以で、不条理な世界が待ってて、やがてやめることになって、行くところがなくなる。
一旦失業しちゃうと、再びきちんと就職してきちんと給料をもらって生活するというのは、ハードルが高い。
で、勤め人じゃなきゃ生きていけない、という状況を地域通貨で緩和する。
高齢者の買い物を代行する、クルマで病院まで送ってゆく、夜中に具合が悪くなった時に連絡したらとんでゆく約束をする。この対価を地域通貨で受けとる。
業者に就職してこういう仕事をするのではなく、失業者がかるーく、ご近所のためにお手伝いをする。就職しちゃうと時間がどうこう、出勤がどうこう、報告がなにかれ、面倒がおおい。ノルマがあったり、高いサービスをセールスさせられたりする。こういうお手伝い的な仕事をして地域通貨をちょいちょい受け取っていれば、おにぎり食いテー、と言って飢え死にすることはない。ハレの青年のように。
頼む側から言っても、確かにこういう仕事は業者にも頼めるが、もっと高いサービスを勧められたり、前もってきちんと予約してないとダメとか、結構うっとうしい。近くにブラブラしているお兄ちゃんが居れば、彼をなんとか使いたい。地域通貨は地元で使わねばならないので、なんとかそいつの使い道を考えて地域通貨をそいつに使おうとする人も出てくる。
ってな具合で。タダでは頼みにくい。かといってお金を払うのもいやらしい。地域通貨なら、まさにそういうことのためにあるので、ってかそうやって使うという風に定着させて、失業中のおにいちゃんやおっちゃん、おばちゃんを引っ張り出してくる。
お兄ちゃんにしても、居候しているんじゃなくて、きちんと地域通貨をもらって仕事しているんだから、個人事業主みたいなもんで、それなりにディグニティが保てる。お手伝いビジネスのオーナーって感じ。これブッシュのオーナーシップソサエティに通じる(ホンマか)。
『地域通貨』は『地域』で使う、ということによって、通貨の持っている抽象性が薄まり、良く知ってるあの子ならこのくらいできるから、これをやらせよう、みたいな具合に信頼関係が最初から前提になっている。このくらいの値段だから、このくらいのサービスが、みたいな風に始まらない。普通の通貨を使ったビジネスにもそうした強い信頼関係的な面はあるが、マーケットの水準があくまでベースになっている。地域通貨は徹頭徹尾、信頼関係がはじめになければならず、信頼関係が最初からあることが前提(なんだろう)。
信頼関係が前提になっているから、取引の敷居が低い。業者としては使えない水準でも、取引が成立しやすい。お手伝いにそんなに効率は求められない。業者として儲けようとするから効率がどうこう言うんであって、自分一人がその辺のおばちゃん相手に仕事して食っていくだけなら、ゆっくりやれば良い。頼む方もテキトーで良いんで、お互いラクだ、ということ。
こうやって、得体の知れない独り者のお兄ちゃんを取引の輪の中にとりこんで役に立たせる。困っていそうならテキトーに仕事を頼んで地域通貨を受け取らせる。
地域通貨なら、パチンコやフーゾクやクスリに使えないんで、渡しても大丈夫(ひどい偏見)。
メシを食うだけなら、社会にとってそれほどコストはかからない。地方なら住居コストも高くない。失業中で困っている人を、自然に支えてゆく、こういう、ラクで、肩のコらない仕組みがあっても良いかもですな。
関心の無い人には全く退屈なんでしょうがね。
昨日は『地方に富をとどめる』という観点について考えたんですな。その地方でしか使えないってことにすれば、お金は地方の中で循環する。都会になんかに流出しない。
水道が壊れた。どこの業者に頼むか。町内で探すわけですな。地域通貨を使おうと思うと町内でしか使えないんで。都会の業者の方が安心だったりするような気がしてフツーなら遠くの大手を頼んだかも知れないけど、とりあえず町内であたってみる。
経済圏を作ってそこを繁栄させる、という機能が貨幣にはあるんですな。地方政府に地域通貨を発行させるってハナシもしましたが、これは別のところで。
で、もう一つ、昨日の番組でくみ取れること。
○失業対策としての地域通貨
旧東ドイツのハレの青年は失業してましたが、近所のお手伝いをしながら食いつないでいる。地域通貨は失業対策にもなるかも知れないんですね。
たとえばこんなケースはどうかな。
失業して、にっちもさっちも行かない。親のすねをかじるしかない。親にはやっかいもの扱いされていて、我慢できずにけんかして追い出される。そうすると、もう路上しかないのがこの日本社会。あるいは誰でも雇ってくれるブラック系企業に勤めるか。しかし、ブラックはフツーの人には長続きしないのがブラックたる所以で、不条理な世界が待ってて、やがてやめることになって、行くところがなくなる。
ブラック企業、世にはばかる (光文社新書) | |
蟹沢 孝夫 | |
光文社 |
一旦失業しちゃうと、再びきちんと就職してきちんと給料をもらって生活するというのは、ハードルが高い。
で、勤め人じゃなきゃ生きていけない、という状況を地域通貨で緩和する。
高齢者の買い物を代行する、クルマで病院まで送ってゆく、夜中に具合が悪くなった時に連絡したらとんでゆく約束をする。この対価を地域通貨で受けとる。
業者に就職してこういう仕事をするのではなく、失業者がかるーく、ご近所のためにお手伝いをする。就職しちゃうと時間がどうこう、出勤がどうこう、報告がなにかれ、面倒がおおい。ノルマがあったり、高いサービスをセールスさせられたりする。こういうお手伝い的な仕事をして地域通貨をちょいちょい受け取っていれば、おにぎり食いテー、と言って飢え死にすることはない。ハレの青年のように。
頼む側から言っても、確かにこういう仕事は業者にも頼めるが、もっと高いサービスを勧められたり、前もってきちんと予約してないとダメとか、結構うっとうしい。近くにブラブラしているお兄ちゃんが居れば、彼をなんとか使いたい。地域通貨は地元で使わねばならないので、なんとかそいつの使い道を考えて地域通貨をそいつに使おうとする人も出てくる。
ってな具合で。タダでは頼みにくい。かといってお金を払うのもいやらしい。地域通貨なら、まさにそういうことのためにあるので、ってかそうやって使うという風に定着させて、失業中のおにいちゃんやおっちゃん、おばちゃんを引っ張り出してくる。
お兄ちゃんにしても、居候しているんじゃなくて、きちんと地域通貨をもらって仕事しているんだから、個人事業主みたいなもんで、それなりにディグニティが保てる。お手伝いビジネスのオーナーって感じ。これブッシュのオーナーシップソサエティに通じる(ホンマか)。
『地域通貨』は『地域』で使う、ということによって、通貨の持っている抽象性が薄まり、良く知ってるあの子ならこのくらいできるから、これをやらせよう、みたいな具合に信頼関係が最初から前提になっている。このくらいの値段だから、このくらいのサービスが、みたいな風に始まらない。普通の通貨を使ったビジネスにもそうした強い信頼関係的な面はあるが、マーケットの水準があくまでベースになっている。地域通貨は徹頭徹尾、信頼関係がはじめになければならず、信頼関係が最初からあることが前提(なんだろう)。
信頼関係が前提になっているから、取引の敷居が低い。業者としては使えない水準でも、取引が成立しやすい。お手伝いにそんなに効率は求められない。業者として儲けようとするから効率がどうこう言うんであって、自分一人がその辺のおばちゃん相手に仕事して食っていくだけなら、ゆっくりやれば良い。頼む方もテキトーで良いんで、お互いラクだ、ということ。
こうやって、得体の知れない独り者のお兄ちゃんを取引の輪の中にとりこんで役に立たせる。困っていそうならテキトーに仕事を頼んで地域通貨を受け取らせる。
地域通貨なら、パチンコやフーゾクやクスリに使えないんで、渡しても大丈夫(ひどい偏見)。
メシを食うだけなら、社会にとってそれほどコストはかからない。地方なら住居コストも高くない。失業中で困っている人を、自然に支えてゆく、こういう、ラクで、肩のコらない仕組みがあっても良いかもですな。