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戦争認識と人命の軽さ

NHKスペシャルの海軍400時間の証言はちと重い。海軍軍令部への批判とその具体的な表現はいたたまれない。大本の「反省会」という会合も参加者が自衛のために言いたくない事を言っていない可能性が高いので割り引く必要もあるであろうが、それでも戦争という事象を考えるに良い資料であると思う。

軍令部の戦略の見通しの甘さと、政治への介入を批判した第1回であったが、第2回は人命兵器である、回天・特攻であった。この回(番組)では特攻を初めとした人命軽視を批判していたがそれは日露戦争に端を発するのではないかと思う。第1回の軍令部の暴走は宮様を抱いて暴走したと論じていたが、日露戦争で乃木が非難されなかったというか、作戦の検証を行わず結果オーライで過ごしてしまったことが発端ではないかと思うのだ。乃木は人格者で明治帝の信頼も篤かったようのなので、「皇室に近い」と事実を検証しないというか批判対象にならないという問題があるのであろう。

乃木が批判されないので伊地知大将もいわんやおやだ。国家を認識し始めた徴兵がロシア軍に殺された事実も、乃木が殺した事実をも軽く扱った。というより乃木は神になり伊地知は大将になった。批判対象と言うよりは尊敬対象なのだ。乃木は皇国兵士をたくさん殺したが自分の子息の血をも提供したことで神となった。

日本は人命を軽視した上での立案が伝統的に残っていたのであろう。勝っているうちはそれもごまかせていたが負けて初めて戦争の悲惨さに、というより人の血を浪費する戦争スタイルに「戦争は悲惨」という認識を得たのではないか。

というのは欧米では自軍の戦闘員をむやみに殺さないとう歴史を有し、非戦闘員を殺さない方法を模索し続けた。日本人みたいに「全否定」はしなかったので考え方が発展した。逆に言えば日本人は戦争が起これば戦闘員の多数は死ぬと思っているのだ。死なないように戦略・戦術をたてるのが戦争なのに。負けるのがというよりも軍人は多くが死ぬという前提が狂ってる。その狂ってる前提が日帝の戦争スタイルへの拒否感と言うことであろう。

なので日本人は冷静に戦争を語れない。TBSドキュメンタリでうじきつよし氏がB級戦犯である父に戦争が悲惨であるという言葉を引き出そうとするのであるが、彼の父はそれに応えない。うじき氏は「戦争絶対反対主義者」なのであるが彼の父は「(うじき氏の)戦争が悪いという結論が決まっていて俺に何を聞きたいのか」と憤るシーンが印象的であった。うじき氏は彼の主張(戦争絶対反対)をベースに父の悪行を反省してもらいたいという意思があるようであるが、戦争はそんなに単純ではない。それを彼の父は分かっているのでまともに議論に応じない。

NHKの記者が番組の最後に「『軍令部では意見に流された』という意見が多い、これを私は否定できない、なぜなら現在でも流れに逆らうのは難しいからだ」という趣旨を述べていたがここが本質だと思う。

このような議論は行われるべきだ。

簡単に「戦争反対」というのは軽いよね。そして戦争は国民の人命を軽視したからNGというのであれば、人命に配慮すれば受け入れられるのかという疑問もある。というか「戦争」そのものへの議論を拒否する理由にしかならず、結局戦争に興味が無いわけだ。

この両番組は「戦争絶対反対」の無意味さに疑問を呈している。NHKは番組構成上論理的にどうでもいいことは省くであろうし、TBSはうじき氏の非現実さというか、議論にも足りない事をスタッフが説得する場面を放映する有様だし。

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