さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

【読書録】JIN-仁- 第15巻~第16巻

2011-10-02 23:39:24 | 読書録
こっちも読書録をサクサク書いていかないとなかなか終わらない。

15~16巻は手術のシーンが少なく、コメントを書きづらいが、見どころとしては足の切断手術がある。鉛中毒で足の壊疽が膝まで達している役者の足を切断するのだが、「筋固定術」ではなく「筋骨形成術」で行こうと決断する部分、両方の術式の違いをもう少し解説して欲しかったな。漫画から推察するに、「筋骨形成術」の方が緻密な手術で、術後に動きやすいようなのだが。

まるで裁縫でぬいぐるみでも作るように、綺麗に縫い合わされる足の切断面・・・。実際はこんなに綺麗に行くのかどうかはわからないが、「手術で足を切ったらそのあとどうするのだろう」と、子供の頃から疑問に思っていて、まさか切断面がずっと見えてるんじゃ・・・などと思っていたが、骨の切断面を包み込むように筋肉も皮膚も細かくきれいに縫い合わせられている図を見て、ちょっと感動した。近年は極力切断しないでもよいように、血をめぐらせる技術も進んでいるようであるが。

さて、ストーリー自体の方は、幕末オールスターに飽き足らず、ナポレオン3世まで登場する始末で・・・、ちょっとついていけない気がしてきた。

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【CD鑑賞録】ベッリーニ/歌劇《カプレーティとモンテッキ》

2011-10-02 11:29:17 | CDをじっくり聴く
気に沿わぬ結婚をさせられようとしているジュリエッタ。婚礼の衣装を着せられて「どこにいらっしゃるの? ロメーオ様?」と悲痛に叫ぶ・・・そのロメーオは実は女だった! が~ん!

というのは半分ウソで半分本当である。ロメーオはれっきとした男性だが、ベッリーニのオペラでは女性が演じるのだ。

今年の頭ごろ、オペラの知識がない私は、発表会やコンクールでどんな歌を歌ったらよいか分からず、先生に相談したところ、推薦曲の一つとして提案いただいたのが、このオペラに出てくるジュリエッタのアリア「ああ、幾たびか(“Oh! quante volte, oh quante”)」だった。その後、8月のサントリーでの発表会や9月のコンクール一次などを乗り越えて、今コンクール二次を控えているわけであるが、今ごろになってCDで対訳を見ながら全曲を聴いて、ロメーオ役が女性であったことを知って、愕然としているというのはバカ丸出しな話である。ただこのオペラは何故か現時点ではDVDが手に入らず、対訳を見ながらCDを全部聴いている心の余裕が今まで無かったんだから仕方がない。(どっかでDVD出してくれないかな。)

さて今回聴いたCDの配役は以下の通り。

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カペッリオ役・・・・・ティツィアーノ・ブラッチ(バス・バリトン)
(カプレーティ家当主)
ジュリエッタ役・・・・アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
(カペッリオの娘、ロメーオの恋人)
ロメーオ役・・・・・・エリーナ・ガランチャ(メッゾソプラノ)
(モンテッキ家当主)
テバルト役・・・・・・ジョセフ・カレヤ(テノール)
(カプレーティ支持者、ジュリエッタの婚約者)
ロレンツォ役・・・・・ロバート・グリアドゥ(バス・バリトン)
(医師、カペッリオの郎党)

指揮:ファビオ・ルイージ
ウィーン交響楽団/ウィーン・ジングアカデミー
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Webなどで調べていくと、ネトレプコとガランチャのコンビは当代最高の誉れ高い絶妙なコンビらしいね。CDジャケットの写真の手前左側がネトレプコで、後ろ右側がガランチャなんだが、どっちも目鼻立ちの整った顔立ちをしているので、写真だけ見ればどっちがロメーオをやっても行けそうだな。

初めから全曲を対訳片手に聴いていくと、最初の方は若干違和感があった。舞台で見ればロメーオは男装しているから違和感はないのだろうが、CDで聴いていると、大勢の男性に丸腰で向かっていく非力なメゾソプラノにしか聴こえないのだ。しかも、ロメーオの和平提案が崩れたあとの怒りの歌「恐ろしい復習の剣を振りかざす用意がロメーオにはできている。なれば死を呼ぶ雷光の如く、彼は無数の屍をもたらそう。・・・」は猛烈にノー天気で明るいいかにもイタリアという歌。なかなか感情移入できずにいるうちにジュリエッタが登場。

さすがに知っている歌が入るとグッと中に入れるね。妙に前奏が長いと思っていたらそこで場面転換が入っていたからなのだな。テバルトと婚約させられていたとはいえ、急に結婚を早められ、いきなり今日結婚させられることになってしまったジュリエッタは心の準備ができずに、それこそ「ロメーオ、どこどこ?」と悲痛に叫ばざるを得なかっただろう。もっとこのCDを早く聴くべきだったなと思った。

はてさて、何て向こうみずで短略的なロメーオなんだろう。女性が演じているから大げさにやっているのか、オペラだからストーリー展開を速くしているのか、それともイタリアだからなのか、私が歳をとったからなのか・・・だが、最後はしっかり泣かせてくれた。冒頭がやたらノー天気だった理由が分かったぞ。きっと最後の悲しさを際立たせるためだ。

聴いているうちに、ロメーオの女性の声もだんだんしっくり来るようになってきた。メゾソプラノとはいえ、最高音はHigh-Dだ。メゾソプラノというとおかあさんや年配女性の暖かく柔らかい声を表現するのに用いられることが多いが、この場合は若い男性を表現しなければならないから、中音域でも凛とした声を出せる歌手でないとダメだろうし、たまには高音の鋭い声を使って感情の高ぶりを表現しなければならないし、ロメーオ役はなかなか演じられる人が少ないだろうな・・・と思った。

そしてエンディングはよく知られたシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」とはちょっと違う。このオペラはシェイクスピアを原典としているわけではないのだ。

そもそも「ロミオとジュリエット」の源流はギリシャ神話の『ピュラモスとティスベ』にあるといわれる。これに西欧の民間伝承などが加わり、ナポリにて1476年に出版されたマスチオ・サレルニターノ作の小説集には、『ロミオとジュリエット』に近いモチーフが含まれている。ただし物語の舞台はシエーナで、恋人達の名前はマリオットとジアノッツァだった。

その後、ルイジ・ダ・ポルトの「新たに再発見された高貴な2人の恋人たちの物語(1530年、イタリア)では、舞台はヴェローナに、主人公二人の名もロメオとジウリエッタになっている。これが新たな源流となって、シェイクスピアやベッリーニの作品があるのだ。

ルイジ・ダ・ボルトの作品の特徴は、ロメオが毒を仰いで死ぬ直前にジウリエッタが目を覚ましてしまう、という点。ロメオは自分が早まったことを知り、ジウリエッタは死んでいくロメオを途方もない無力感の中でなすすべもなく見送り、後を追うことになる。ベッリーニのオペラはそのエンディングに忠実に従っているのだ。

一方シェイクスピアの方は、直接の種本は、ルイジ・ダ・ボルトのものよりも新しい、アーサー・ブルックの物語詩「ロミウスとジュリエットの悲しい物語(1562年、イギリス)」である。ルイジ・ダ・ボルトとアーサー・ブルックがどう異なっているかどうかはよく知らないが、シェイクスピアのエンディングはご存知の通り、ロミオが死んでからジュリエットが目を覚ます。

さてどちらのエンディングがより悲劇的かどうかは分からないが、大人になった今の私の目から見ると、ロメーオが生きているうちにジュリエッタが目を覚ます、このオペラのエンディングの方が悲劇的だなぁと思う。若い頃、シェイクスピアのロミオとジュリエットのエンディングに何度も涙したが、2人の死後のモンタギュー家とキャピュレット家のやりとりは余計だと思っていた。だがベッリーニのオペラのエンディングはスッキリしている。2人が死んでいるのを見て、カペッリオが「誰に殺された!」と叫ぶと、ロレンツォとモンテッキ家の人々が「あなたにです」と答え、あっと言う間に幕が閉じる。つまりみんなが和平を望んでいるのにロメーオの和平提案を受け入れなかった、あんたが悪い!ということになるのだ。う~ん、イタリアらしい明快さだ。

ここまでストーリーを明らかにしても、泣けることは間違いない。私はバイオリンレッスンを待つほんのちょっとした間にこのエンディングを聴いたが、文字を目で追い、どんなエンディングかわかった上で、ジュリエッタの前で死んでいくロメーオの歌声を聴いたら、思わず涙があふれてきてしまったのだ。レッスン前に大泣きするわけにも行かず、こらえてもこらえても涙があふれてくる・・・そんな素晴らしいエンディングだった。さすがに人気の誉れ高いネトレプコとガランチャのコンビである。是非是非近い将来DVD化されて欲しいと願うばかりである。
コメント (4)
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