さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

【読書録】風雲児たち~幕末編(16)

2011-07-14 23:48:33 | 読書録
「風雲児たち~幕末編(16)」SPコミックス

みなもと太郎/リイド社

今日、7月14日って、ペリー上陸記念日なんだって。

1853年のこの日(旧暦嘉永6年6月9日)、アメリカの4隻の黒船艦隊が江戸湾の浦賀沖に現れ、ペリー提督が久里浜に上陸して将軍への親書を渡したんだと。将軍家慶はショックのあまり、ほどなくして亡くなってしまったというが、暑気当たりだという説もわかるなぁ。おりしも今日は猛暑猛暑! 群馬で37.8度を記録したほか、35度以上の猛暑日となる所が全国43地点に上ったという。そりゃぁ、1853年当時はこんなに暑くないだろうけど、クーラーもないわけだし。。

ということで時代は下って、主役はハリス君。ついに勅許未済のまま、日米修好通商条約が結ばれてしまった。

で、本巻にも開港後の一気に外国化した横浜を書いた浮世絵(横浜絵というのかな?)の写しなどがいくつか紹介されている。外国人がホルン吹いてるぞ~と思ったら、バルブのないナチュラルホルンだ。バルブつきホルンは1814年に登場しているらしいが、まだ幕末~明治初期に横浜で見られたホルンはナチュラルほるんだったのかなぁ~など、つまらぬことに目を留めてはイマジネーションを膨らませられる今の自分が嬉しい。

日米修好通商条約が結ばれるや否や、幕府はイギリス・フランス・ロシア・オランダとも次々と修好通商条約を結んでしまった。いずれも不平等条約であったが、ロシアだけが最恵国待遇を双務的(「日本人も露国に対し全く同じ権利を持つ」と明記)にしてくれていて、ここのくだりで交わされるプチャーチンと川路聖謨の間の会話がじつにしみじみとしていてよい感じである。

また佐久間象山が「「やってくる船やってくる船とホイホイ通商条約を結ぶなど愚の骨頂であるっ。まずは『開国を前提としたおつき合い』の形で使節を送りじっくり他国を研究すればいいのだっ。」と主張しているところはさすがだと思った。この人の能力と先見性が、幕末に十分生かされなかったのは残念なことであるなぁ。

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ハーブの恵み(養命酒製造)

2011-07-14 23:23:55 | ふしぎ・お酒発見
連日暑くてバテてます。

あ~このバテを治してくれるなら、何でも口にしたい・・・とか思ってたら、コンビニのお酒コーナーでこんなのを見つけた。



一口飲んで、これは素晴らしい!

ナツメ、シナモン、クコの実、桑の実、甜杏仁、クロモジ、高麗人参、サンザシ、ネムノキ、リュウガン、クローブ、カルダモン、山椒の13種類のハーブが入っているとっても爽やかなリキュール。

私は社会人なりたての頃、毎日とても疲れるので、夕刊などによく広告が載ってた養命酒に惹かれ、毎晩養命酒を飲んでたら、途端に太り出したという過去を持っている。だから食欲がなくて太れない人には、必ず養命酒を薦める一方、自分は口にすることはなくなってしまった。

でも、そんな養命酒の会社が作ったこの新しいお酒は、そんなことは忘れてしまうほど美味しい。そりゃ、飲みすぎると太るかもしれないけど、養命酒よりエキゾチックでスマートな感じがするのは、おそらくクローブとカルダモンのおかげだろう。

こんなのを、バーのカウンターで、イケメンのマスターが、「今日はお疲れのようですね」なんて言いながら、もっとオシャレなグラスで上品に出してくれたら・・・私はコロッと行ってしまうかもしれないな。

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【読書録】風雲児たち~幕末編(15)

2011-07-14 00:12:05 | 読書録
「風雲児たち~幕末編(15)」SPコミックス

みなもと太郎/リイド社

本号で見送ったのは島津斉彬である。近年大河ドラマで篤姫をやったとき、久しぶりに大河ドラマの評判が良く、周囲に見ている人もちらほらいたが、私は見なかった。どうも私は一年で一シリーズという大河ドラマのペースが生活に合わず、3ヶ月で集中してやってくれるか、25分番組にしてくれれば見るのに・・・などと思ってしまう。そんな私でも、島津斉彬と言われると、高橋英樹の顔が思い浮かんでしまうほど大河ドラマ「篤姫」はヒットしていた。

「風雲児たち」に出てくる島津斉彬は妙に童顔である。思えば保科正之も妙に童顔だった。べつに責めるわけじゃない。こんだけ登場人物の多い漫画は、キャラを描き分けるのは相当大変だろうから。実際に島津斉彬の肖像画を見てみると、妙に眉目秀麗である。パッチリと輝く目と、細くピンとした眉毛。最近の若い男性は眉毛を剃っている人が多いから、島津斉彬は妙に今風に見える。ひょっとして剃ってたんじゃ?・・・もしそうだとすると、時代を超えてこの人は開明的だったことになる。

この人は、カメラ好きで、自身の写ったの写真も残っている。大名身分をもつ者の中では最も早く写真に撮影された人物だとか。残念ながらあまりはっきり写っていないので、写真より肖像画の方が美しい。

但しこの方は大変残念な亡くなり方をした。外国に対抗するために、いち早く日本に産業革命をもたらそうと、まずはプロトタイプとしての藩の富国強兵を行った。阿部正弘と親しく、幕閣での発言力を強め、養女である篤姫も13代将軍徳川家定と婚姻させた。だが家定亡き後の将軍継嗣問題で敗れ、藩兵を率いて抗議のため上洛することを計画した。天皇家を始め勤皇志士が待ち望んだこの上洛は斉彬の急死で実現しなかった。コレラでもチフスでもなく、みなもと太郎氏は父・斉興やお由羅派による陰謀ではなかったかと暗に臭わせている。

あと数年生きていれば日本近代史を完全に塗り替えたはずだ・・とみなもと太郎氏が力説する斉彬とも本巻でお別れ。ますます混迷の色が濃くなっていく。

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