「風雲児たち~幕末編(9)」SPコミックス
みなもと太郎/リイド社
最初の方は前巻に引き続き福沢諭吉先生の冗長なる自己紹介(自慢話)が続くが、途中、この時代忘れかけられていた前野良沢の名を不朽のものにしたのが福沢諭吉である・・という解説が出てくるにいたり、諭吉にあまり魅力を感じていなさそうなのに採り上げざるを得なかった作者の気持ちが分かるような気がした。
この巻で希望が持てるのは、底力を発揮しだした日本人の技術力の話。以前も大黒屋光太夫のところで、難破した船二隻を使って、船を作っちゃった日本人乗組員達の技術力にロシア人たちが舌を巻くシーンが出てくるが、鎖国や大型船建造禁止などのせいで、素質を生かす機会のなかった技術者達が、外国文化に触れた途端、俄然力を発揮し出すのである。
まずはロシアのプチャーチンの船、ディアナ号が津波と嵐で沈没してしまったので、日本の船大工達がロシアに技術を学びつつ、代わりの洋式帆船ヘダ号を作ってあげるのだ。ちっちゃいけど、しっかりした船で、プチャーチンを無事にロシアに帰すことが出来た。プチャーチンは命の危険を冒しながらもロシアに帰り、皇帝アレクサンドル二世から表彰され、爵位をさずけられているが、何故か途中で帰っちゃったはずのウンコスキー・・じゃなくてウンコフスキー君まで表彰され、昇進していた。
という話はともかく、ヘダ号はヨーロッパでは「スクーナー」と呼ばれる帆船で、今でも使われているもの。日本の船大工達はヘダ号を作ることでこのタイプの洋式帆船が作れるようになり、以後同タイプの帆船が日本でどんどん作られる(「君沢形」と呼ばれる)ようになった。
オランダからも蒸気船スンピン丸が寄贈され、「観光丸」と名づけられ、長崎海軍伝習所でこの船で勝海舟らが操舵の練習をすることになる。
観光丸は今復元されてハウステンボスにある。何回か引用しまくってるけど、私の描いた絵もあるので、またリンクを貼っておこう。
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/702b4a994b9e320478a6630edd4ea81b
期を同じくして、薩摩藩や宇和島藩、佐賀藩などが国産蒸気船を作り始める。第一号は薩摩で、一本マストで15馬力というバイク並みのエンジンで、よたよた走る「運行丸」を作り上げた。
宇和島藩は藩主の命を受け、村田蔵六(大村益次郎)と提灯屋の嘉蔵のコンビが定員2名の蒸気船雛型を完成させた。嘉蔵というのは身分は低いがすごく優秀な男で、何でも作ってしまう器用な細工師。村田蔵六が作った設計図で、一番自信のなかったところを一目で看破し、蔵六は彼の才能に惚れ込んだのだ。人間関係に不器用で無愛想な村田蔵六の嘉蔵への接し方、シーボルト・イネへの接し方は極めて美しく描かれており、読んでてかなり目頭が熱くなる。