さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

【読書録】風雲児たち~幕末編(14)

2011-07-12 23:23:12 | 読書録
「風雲児たち~幕末編(14)」SPコミックス

みなもと太郎/リイド社

ハリスとの日米修好通商条約の調印を前に音を立てて崩れていく徳川幕府。阿部正弘の後任、堀田正睦はこの難局を乗り切るにはあまりに普通の人でありすぎた、と私は思う。普通だからこそ、これに類したことは規模・時代を問わず、誰にでも起こりうる・・・本巻を心に一点も無く読める人がいたら、随分幸せな人なのではないか・・・などと、色々勘ぐってみたりする。

堀田正睦の後半生は本当に報われなかった。それに井伊直弼が大老に就任したいきさつが、将軍継嗣問題であったとは。一橋慶喜に決まりかけた十四代将軍徳川慶福(家茂)にひっくり返すために、慶喜で決めようとした老中堀田正睦の上にいきなり慶福を推す井伊直弼が据えられたのだ。井伊直弼はのちに強権を発動した政治家とはいえ、これでは井伊も堀田もまるで将棋の駒ではないか・・・。

幕府の思い通りにまっすぐ政治が進まなくなったのは、岩倉具視が京でしかけた「廷臣八十八卿列参事件」の影響も大きい。今の若い人は、岩倉具視が載ってる500円札なんて触ったことないんだろうな。私が子供の時は、500円札が岩倉具視、千円札が伊藤博文、五千円札と一万円札が聖徳太子だった。岩倉具視という人物のことは一番覚えるのが遅かったから、物心ついてからもしばらく、500円札を見ながら「この人誰?」と思っていた記憶がある。

若い時に私が岩倉具視に抱いていたイメージはどちらかといえばマイナス。大人になってからはプラスのイメージで捉えている。そのプラスイメージほとんどは岩倉使節団から来るもので、幕末の岩倉の動きについては、私の勉強不足もあり、不可解なイメージがぬぐいきれずにきた。

この14巻目で、いよいよ岩倉の計算高さが発揮されるが、要は「チキンレースをやっているんだ」の一言で、少しはこの人の輪郭がつかめた気がする。今後どのように描かれていくのか楽しみではあるが、作者がこの人を本人の似顔絵とは似ても似つかぬ狡賢い顔で描いているところを見ると、あまりよいキャラとしては扱われないのかなぁ。

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清少納言の娘と紫式部の関係は?

2011-07-12 00:43:40 | 読書録
(【読書録】そーなんだ!歴史編77)

久しぶりの「そーなんだ!」なんだが、今日はあまりにビックリしてしまったんで、ちょろっと書いておこう。

清少納言は中宮・定子、紫式部は中宮・彰子に仕えたというのは有名な話だが、清少納言の娘(小馬命婦)は実は紫式部同様、彰子に仕えてたのだと知ってびっくり。(ていうか、出家して僧と間違えられたという逸話のある清少納言に娘がいたことだけでもビックリなんだけど。)

ただ仕えていた時期は重なってないかもね。小馬命婦は彰子が一条天皇崩御後、上東門院と呼ばれるようになった頃に仕えていた人らしいので、同名の命婦と区別する意味で、上東門院小馬命婦と呼ばれている。

彰子はつねに40人ほどの女房をかかえていて、紫式部の同僚としては、赤染衛門や和泉式部、さらに和泉式部の娘の小式部内侍もいた。そういえばそんな話、30年くらい前に聞いたかな・・・忘れてた。

ちなみに彰子は当時にしては驚くほど長生きだった。没したのは87歳で、白河天皇の代だったとか。摂関政治の最盛期から院政のちょっと前まで生きてたんだネェ。
コメント (2)
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