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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

イリアーヌ・エリアス/夢そよぐ風

2006年08月11日 23時31分05秒 | Jobim+Bossa
昨日も書いたとおり、ごぶさたしていたイリアーヌ・エリアス作品ですが、昨年、久々に購入してみたのがこの作品です。従来の彼女の作品は音楽至上主義的なきまじめさというか、やや秀才的に考えすぎなところがなきにもあらずだったですが、この作品では一気に突き抜けたというか、商業主義もここまでやれば脱帽ものというか、おそらく彼女の盤歴でもエポック・メイキングな作品となるに違いないと思いました。

 音楽的にはバックにストリングスを配したゴージャズなサウンドをベースに、あまりこねくり回さない素直なアレンジで、ボサノバ・スタンダードを歌うというものですが、おそらくこれを作るにあたって、制作サイドの念頭には、ダイアナ・クラールとクラウス・オガーマンのコラボによる大傑作「ルック・オブ・ラブ」があったことは、ほぼ間違いなく、あれをもう少しボサノバ寄りにした作品といえば大体間違いないところだと思います。ちなみに、このアルバムでの彼女はピアニストではなく、ほぼヴォーカリストに終始しています。もちろんピアノも随所に出てくる訳ですが、はっきりいって彩りを添えているという感じですね。このあたりもクラールの「ルック・オブ・ラブ」と同じようなバランスといえます。


 ちなみに「ルック・オブ・ラブ」では御大オガーマンのアレンジだったのですが、ここではロブ・マティスがかなりオガーマン風に洗練されたストリングスのアレンジやっていて、これまたなかなかです(オガーマンよりちょっと温度感が高いかな)という訳で、いろいろな意味で、きわめて「ルック・オブ・ラブ」的な作品です。もちろん、本家を超えたとまではいかないけれど、なかなか迫ってます。夏向きの極上の作品で、個人的には夏のエバー・グリーン・アルバムです。

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イリアーヌ・エリアス/キスド・バイ・ネイチャー

2006年08月10日 23時28分19秒 | Jobim+Bossa
 昨日とりあげた「海風とジョビンの午後」から5年後の作品。たしか両作品の間にもうひとつピアノ・トリオ・ベースの作品(「Everything I Love」)があったはずですが、あれは確か聴いていません。おそらく、「海風とジョビンの午後」があんまりおもしろくなかったので、彼女に対する興味を失ってしまったんでしょうね。実際、あの作品以降、再び彼女の作品を購入するのは、昨年の「ドリーマー」ですから、長いことご無沙汰だった訳です。ともあれ、この作品は「ドリーマー」仕上がりがとも良かったもので、同じ頃購入しておいたものです。今日やっと聴きました。

 この作品から彼女はBMGに移籍していますが、それが関係しているのかどうか、全体としては非常にコンテンポラリーな出来となっています。基本的にはジョーイ・バロン、マーク・ジョンソンを擁したピアノ・トリオがベースになっていますが、冒頭はハウス風な8ビートから始まりますし、大半の曲に入っているボーカルも時にマルチ録音してひとりコーラス隊に挑戦してみたりと、随所にモダンなタッチが聴かれます。ただ、このアルバムでのボーカルは、歌物なのか、ボーカルを楽器に見立てたインストなのか、アレンジ面で彼女も思いあぐねているところもあるようで、ちょっと中途半端になってしまったところが散見するのが、残念です。また、後半には何故か新主流派風な管楽器をフィーチャーした王道ジャズ風もあり、多彩といえば多彩なのですが、やはりとっちらかった印象はぬぐい去れないといったところでしょう。

 結局、このアルバムで一番良かったのは、スキャット・ボーカルがフィーチャーされものや、品の良い4ビートでもってやや物憂げに演奏される従来路線の曲ばかりというは、とち寂しいところではありますね。思うにいろいろ試行錯誤している時期だったのかもしれませんが。
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イリアーヌ・エリアス/海風とジョビンの午後

2006年08月09日 00時37分11秒 | Jobim+Bossa
イリアーヌ・エリアスの97年の作品。これまでピアノ・トリオにせよフュージョンしたところで、かなり音楽主義的な作品を出してきた彼女ですが、ここで彼女自身が日和ったのか、日本から要請に負けたのかは定かでないものの、この作品ではかなりの路線変更をしています。ひとくちにいえば、これまでほとんど遊び程度だったヴォーカルを本格的にフィチャーしたアルバムということなんですが、しかも素材となるのがジョビンのボサノバ・スタンダードとくれば、ここで一気に「美人ヴォーカリスト」として売りだしにかかったな....みたいな印象を誰だって受けるでしょう。元々彼女のファンだった私はさすがにこれには、少々あざとさみたいなものを感じないでもなかった訳ですが、一般的にはどうだったんでしょうね。

 ともあれ、内容的にはかなり本格的なボサノバ・アルバムです。予想されたような甘口なフュージョン・サウンドにのっかったポップなアルバムではなく、どっちかといえばアナ・カランとかああいった路線に近い、ジャズっぽさはあまりない、ちょっとシリアスですかすかなアコスティック・サウンドをベースにした今風のボサノバ・サウンドといった感じでしょうか。まぁ、こうしたサウンドでもってボーカル・アルバムを作ったところに、逆に彼女の音楽的誠意のような感じたりするもする訳ですが、やはり音楽的には「ただのボーカル・アルバムにはすまい」と、ちょっとアレンジなど考え過ぎたんでしょうか。音を刈り込み過ぎて、ちょいとストイックでやや息苦しいところがなきにしもあらずです。時折入るマイケル・ブレッカーのサックスとオスカー・カストロ・ネヴィスのギターの組み合わせからして、現代の「ゲッツ・ジルベルト」的な雰囲気をねらっていたのは明らかなんですが、ちょいと華がなかったというところでしょうか。
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ジョアン・ドナート/ニュー・サウンド・オブ・ブラジル

2006年08月08日 23時01分32秒 | Jobim+Bossa
ジョビン名義の「イパネマの娘」というアルバムは、実質的にクラウス・オガーマンの作品といえますが、その続編的にみられることの多い「波」もオガーマンの作品かといえば、こちらはジョビンの意向がかなり濃厚に現れていますから、「イパネマの娘」ほどにはオガーマンらしい感じはしません。じゃぁ、「イパネマの娘」みたいに、あくまでもオガーマンの仕切ったBGM風なオーケストラ・サウンドのボサノバは他にないのかといえば、あるんですねぃ。もちろんコレです。

 名義はジョアン・ドナートで、もちろん彼がピアノで参加している訳ですが、音楽を聴けばかわるとおり、ひんやりした感触のストリングスをベースに、メロディックなピアノを洗練された形で、組み合わさるというあのサウンドになっていますから、実質アルバムを仕切ったのがオガーマンであることは歴然です。とにかく「もっと「イパネマの娘」みたいな音楽を聴きたい」という人にはおすすめで、私も「イパネマの娘」ほどではないけれど、愛聴盤です。

 もっとも、ドナートのピアノはジョビンよりもう少し職人的にうまいですかね。「イパネマの娘」でもやっていた「ハウ・インセンシティブ」を比べるれば歴然ですが、フレージングの饒舌さなどはいかにも本職という感じしょうか。また、多数収録されたドナートのオリジナル作品は、リズミックなブラジル風味もそこはかとなく濃かったりしますから、なにからなにまで「イパネマの娘」と同じという訳ではありませんが(「イパネマの娘」と「波」の中間くらいといった意見もあるでしょう)、それにしてもオガーマンのセンス全開の作品であることは間違いないところでしょう。
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DEODATO / The Bossa Nova Sessions, Vol. 2

2006年08月04日 23時27分43秒 | Jobim+Bossa
こちらは第2巻、前巻と同じく2枚のアルバムの2in1らしいんですが、64年と65年と収録時期が特定され以外はクレジットがなくアルバム名は不明です、24曲収録。しかしこの時期のデオダートはこのアルバムだけみても、64年だけて3枚のアルバムを出していることなり、当時の仕事ぶりがわかります。おそらくこのアルバムもBGM的な消耗品として企画され、あまり深く考えることなくやっつけ的にやったに違いなく、そんな刹那性が満ち満ちています。そのあたりがまた今という時代に共振するのかもしれませんが、確かにこの手の音楽、昔だったらサイコーにダサイ音楽だったハズなのに、今聴くと、けっこうオシャレにきこえたりするから不思議です。

 ちなみこちらは、前半、後半共に前巻の後半と同様なオルガンをフィチャーした疑似ワルター・ワンダレー・スタイルです。前半はそれこそ前の続編という感じですが、後半になると、そろそろアラ・ワンダレーにも飽きてきたのか、他のスタイルにも色気を見せ始めていることを感じさせ、その分アレンジも多彩になってきて楽しめます(管の編曲が色彩的で短期間にとても上手になったことを伺わせ、ある意味アメリカン・スタンダード的アレンジに急接近したりするのはとてもおもしろいところ)。また、スタンダードやボサノバ有名曲も多く、全巻中もっても聴きやすい仕上がりという感じですか。
 とかし、この時期のデオダートって、おそらくこの2枚の他にも膨大な音源があるんじゃないですかね。しかも、どれもそつのないクウォリティを保っていて、センスもいい....と、まぁ、そのあたりの仕事ぶりが認められて、渡米してCTIのハウスアレンジャーになったんじゃないかな。
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DEODATO / The Bossa Nova Sessions, Vol. 1

2006年08月03日 23時27分19秒 | Jobim+Bossa
デオダートというと一般にはCTIで出した「ツァラトゥストラ」のメガトン・ヒットで有名になったことと、ロック・ミュージシャンのような風貌なせいで、割と70年代に出た人みたいなイメージがありますが、実は「ツァラトゥストラ」の前にも同じCTIでジョビンのアルバムの編曲を担当したりしていますし、いろいろなブラジル音楽のコンピレーションには彼がブラジル時代に担当した音楽がちらほら収録されていましたから、実はボサノバ創生期直後から活躍していた人だったんですよね。

 で.このアルバムはそんな彼がプラジル時代に録音したボサノバ関連の楽曲を2枚に集めたものらしいです。第一巻の方は1964年の「Samba Nova Concept」と「Impulso」の2作から収録されているらしいですが、おそらく2in1ということで全部入っているんでしょうね。全23曲ヴォりームたっぷりです。
 ちなみには前者は、タイトル通り華やいだサンバにちょいとボサノバの風味を加味したような音づくりで、ビッグ・バンド一歩手前くらいの規模のコンボで演奏され、ブラスがフィーチャーされています。このイナタさみたいなところが、今のクラブ系のDJさんはけっこう新鮮なのだろうと想像に難くない音というか....。
 後者も基本的には同じような音ですが、こちらはデオダートがワンダレーそっくりのオルガンを弾いているのがミソですかね。なにしろ「ツァラトゥストラ」のアレンジをやらかす人ですから、器用であることは間違いなく、パーカッシブなコード弾きといい、ころころした音色といい、伸縮自在のフレージングといい、本家に迫っています。おまけに「サマー・サンバ」までやっちゃったりしてますから、もう「こんなんオレでもできるんだよ」といっているように聴こえなくもないですね。
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クラウス・オガーマン/ラテン・ロック

2006年08月02日 23時28分10秒 | Jobim+Bossa
昨年の秋頃に購入してずっと寝かしてあったものです。クラウス・オガーマン名義のこんなアルバムがあったとは驚きで、確実に「珍盤」の部類でしょう。内容的には1967年に制作されたオガーマン編曲による8ビートをベースにしたラテン音楽....だから、タイトルは「ラテン・ロック」か、分かり易す過ぎる(笑)。おそらく「イパネマの娘」の大成功で、オガーマンには「ラテン音楽をイージー・リスニング的に編曲する名人」みたいな定評ができてしまい、この種の依頼がかなり舞い込んだんでしょうね。これなどもそういうオファーによる「やっつけ仕事」という感じがします。

 音楽的には、ラテン・パーカッションがメイン、コーラスなども取り入れて、いかにも「あの時代のラテンBGM」という感じ。ただし、オガーマンのメルクマールであるストリングスがこのアルバムには入っていないので、時折冴えた響きで物憂げになる木管楽器がヨーロッパ的なオガーマンズ・オーケストレーションの片鱗を味あわさせてくれるくらいで、私のようなオガーマン目当てで購入してきた人間には、ちと食い足りない感じもなくはないですが、むしろこのアルバムはクラブ関係者が血眼で発掘している、60年代中盤~後半の「誰も知らないイナタいジャズ・ロック」という文脈での発売でしょうから、そういう意味では、このアルバムの通俗味と泥臭さはうってつけなのかもしれません。

 ちなみに収録曲について少々書いておくと、冒頭の「テキーラ」が同じオガーマンの編曲でウェス・モンゴメリーがやっている曲ですから、これはほぼあの演奏のヴァリエーションという感じで楽しめます。「サン・ファン」はミディアム・テンポのちょっと物憂げな作品で、一番オガーマンらしいセンスを感じさせる編曲。ラストは超有名曲「マシャケナダ」ですが、そういえば、このアルバム、ハープ・アルバートあたりセンスをオガーマンが拝借したブラスのアレンジが頻出しまして、この曲などその好例といえるかも。
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アントニオ・カルロス・ジョビン/イパネマの娘(SACD)

2006年08月01日 23時22分25秒 | Jobim+Bossa
昨年は7月1日に取り上げた私の夏の超定盤。クラウス・オガーマン編曲によるストリングスと、ジョビンがシングルトーンで弾いたピアノがフィーチャーされ、本場ブラジルのボサノバとは違うものの、ボサノバをイージー・リスニング・オーケストラ風に翻案するというアイデアがあまりにもうまくいってしまったので、私のような「ボサノバとはこのCDのような音楽」と勘違いする輩が続出したというアルバムでもあります。

 それにしても、このアルバムで施したオガーマンのオーケスレーションの巧緻は素晴らしさ一言に尽きますね。実態としては、クリードテイラーが受けた「お仕事」のひとつとして、淡々と作業しただけだったのかもしれませんが、ジョビンの作るロマンティックな憂いを含んだちょいと温度の低い音楽と、絶妙に共振したんでしょう。左チャンネルで聴こえるストリングスと右チャンネルの木管楽器群の絶妙な絡み合う中、センターに定位されたジョビンの弾くピアノがこれに組み合わさると、なんともいえず洗練され、極上の響きが部屋に充満してくるから不思議です(ついでにいえば、これもジョビンが弾いているらしいアコギのカッティッングも、このアルバムがボサノバであることを終始、忘れさせないための良い隠し味なってます)。

 ちなみに今回聴いたのは、しばらく前に出たSACD盤です。日本のオノセイゲンがリマスターを担当したらしく、各楽器の輪郭がまるで楷書体のように力強くきっちりと隈取られた音になっているのは、彼らしいセンスというべきなんでしょう。こういう処理はコンボ・スタイルのジャズにはぴったりでしょうが、オーケストラがフィーチャーされたこのアルバムのような音楽の場合、賛否両論かもしれません。ともあれ、これまで聴いてきた「イパネマの娘」の音とは、かなり異質な音がすることだけはたしかです。さながら「ハードボイルドなイパネマの娘」といったところでしょう。
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ELDISSA / What a Difference...

2006年07月13日 23時35分46秒 | Jobim+Bossa
  去年は7月に入ると、すぐさま当ブログ上で「サマー・ミュージック特集」みたいなことを始めた訳だけれど、今年ももちろんその続きをやるつもりで、あれこれ考えていた。ただ、なんとなく7月に入ってもなんとなく夏とかいう感じがせず、そういうしているうちにこっちが風邪をひいたりしたりで、なんとなく時期を逸してしまい。こうなったら、梅雨明けと同時に始めようなどと思ってたりもしていたんだけど、さっき部屋を出たらあまりに暑いので、なんとなはなしに温度計をみたら30度近い!、これはなにげに熱帯夜ではないか。そういえば、今日の昼など私は県内をほとんど縦断するいきおいで、講演のかけもちみたいなことをしていたのだが、どのくらい汗をかき、その都度、最寄りのドトールでアイス・コーヒーを飲んだことか。いゃ、梅雨明けなんぞという儀式は関係なく、既に夏本番だったのだ。

 という訳でサマー・ミュージックの予告編として、こんなを聴いている。エルディッサと読むのかな。70年代後半~80年代前半の懐メロ・ポップスをボサ・ノバ風なアレンジで演奏しているバンドである。なんかCMにも使われたりしているらしいし、曲目がいかにもいかにもなので、ひょっとすると「日本発の洋楽」として作られたプロジェクトなのかもしれない。そのいかにもいかにもな曲目を拾ってみると、Stayin' Alive(ピージーズ) 、Fame(例の映画)、Gimme! Gimme! Gimme!(アバ) 、Fantasy (もちEW&F)なんてところだ。音楽はアコギ2本+薄い打ち込みリズム+ソウル系女性ヴォーカルといったところで、一応、ありがちフュージョン系のボッサではなくて、本場系のサウンドを踏襲しているあたり、嫌いな言葉だが「癒し」を求めるリスナーの需要を見越した、いかにも今風な音というべきにのかもしれない。個人的にはヴォーカルがもうこういう歌い上げ系じゃなくて、羽毛のように軽いアンニュイな女性ヴォーカルだったら、もう少しよかったと思った。ついでにいえば、こういうさりげなさは、私のようなオッサンには低カロリー過ぎ、薄味過ぎて、ちょいと歯ごたえがないと感じでしまう。
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DEODATO / Deodato 2

2005年09月23日 23時23分17秒 | Jobim+Bossa
 「ツァラトゥストラはかく語りき」の大ヒットを受けて、間髪なくリリースされたデオダートの第2弾。なにしろ、あれに匹敵するアイデア賞モノなクラシックな素材などそうそうあるワケないのだが、この第2作ではムーディー・ブルースの「サテンの夜」やラベルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」といった素材を扱いつつ序盤~中盤は割と地味目に進行、オーラスでガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」で一気にハイライトに上りつめるという感じである。よくも悪しくも、この曲が登場するまで、リスナーは発散するのを待たされているというアルバムだったと思う。

 その分、「ラプソディー・イン・ブルー」の爽快感は格別だ。基本的にはかの曲の後半のモチーフを引用し、ファンキーなリズムにのって各種ソロを鏤めたデオダート節というか、CTI調なんだけど、やはり「ラプソディー・イン・ブルー」という素材のメインのところでなく、後半の印象的なモチーフをあえてメインにもってきた意外性はさすがであった。まぁ、今聴くとデオダートのエレピのソロは、手癖でだけで引き延ばしているようなところもあるし、繰り返しがちとしつこいような気もするが、今聴いた場合、けっこうそのあたりの「濃い」部分が新鮮かもしれない。思うにこの種のCTIサウンドってのは、80年代前半からの10年くらいが一番、古びて聴こえた時期だったように思う。90年代序盤くらいからは、フレーズ・サンプリング等を使用したヒップ・ホップ系音楽の素材源として注目されたのをきっかけに、不思議なくらい音楽的鮮度を甦らせてしまったのは、時代の妙と呼ぶべきか。

 あと、このアルバムで特筆すべきは「亡き王女のためのパヴァーヌ」だ。薄く流れるストリングスとエレピの絡みだけで全編が構成された正攻法でラベルの名曲の料理したものだけど、この曲の退廃感のようなものをブルース的な情感に翻訳した部分など秀逸、ロマンティックなムードと共に素晴らしい仕上がりだ。
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DEODATO / Prelude

2005年09月22日 11時22分04秒 | Jobim+Bossa
 これがヒットしたのは確か73年頃だったと思う。この手のフュージョンとしてはまさに「走り」の音楽だったハズだけど、とにかく「ツァラトゥストラはかく語りきという曲のおかげで本作は大ヒットしのだ。なにしろ、ジャズとしては異例なシングル盤が発売、そのヴァージョンは、パチンコ店のBGMやその他有線などでもオンエアされまくっていたらしいから、そのメガトン・ヒットぶりがわかろうというものだ。

 この曲が大ヒットした理由は、まず「ツァラトゥストラはかく語りき」という素材の良さがあったと思う。もちろん、あの長大の交響詩の有名な冒頭部分のみをデオダートはアレンジしているワケだけど、その前段階としてこの部分が1970年公開のスタンリー・キューブリック作品「2001年宇宙の旅」の冒頭で、あまりに印象的に引用されていたため一躍有名にやなり、多分、それの影響を受けて70年代前半のエルヴィス・プレスリーのライブ・ステージのオープニングにいつもこれを使用したことも、ポピュラー・ミュージック界でこれをとみに有名した。。

 とにかく、本作はその後塵を拝する形でこの曲は発売されたのだった。このアイデアはデオダートというより、クリード・テイラーのものであろう。ブラジル出身のアレンジャーで60年代中盤からブラジルの大物のボサ・ノヴァ系の作品を非常に器用にこなしていたという印象ではあったが、この手のことはほとんどやっていなかったと思う。要するに腕を買われたのだと思う。「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭はマイルスの「ビッチズ・ブリュウ」風な仮想アフリカ的世界に始まり、もやもやが晴れるように例のテーマが8ビートにのって現れるカッコ良さは今聴いてもアイデア賞ものであった。さすが商売人、クリード・テイラーの目に狂いはなかったのだ。もちろん、この作品でデオダートは一躍大スターとなったのであった。
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アントニオ・カルロス・ジョビン/波

2005年08月30日 18時02分38秒 | Jobim+Bossa
 67年にジョビンが再びオガーマンと組んだ作られた問答無用のボサ・ノヴァの名盤です。音楽的には「イパネマの娘」と同様、オガーマンの編曲したストリングスとコンボにジョビンのシングル・トーンなピアノ乗るというスタイルですが、「イパネマの娘」の方が、ほとんどオガーマンの作品といいたいくらいにオガーマン的なセンスによる洗練されたアレンジでまとめ上げられたいたのに比べると、こちらは、一見にほとんど似たようなつくりではあるものの、オケがやや後方に回り、コンポとピアノが全面に出ているのが特徴といえましょう。

 もちろん、オガーマンの巧緻なアレンジはこのアルバムでも健在ではあるのですが、例えばアップ・テンポの中、めまぐるしく変わるリズム・パターンとピアノの早いパッセージをフィーチャーした「赤いブラウス」や浮遊感と催眠的ムードが印象的な「ディアローゴ」、珍しくヴォーカルをフィーチャーした「モハーベ」、土着的なリズムとエキゾチックなメロディーが印象な「キャプテン・バカルディ」などはそうした変化を物語っている曲といえますが、要するにジャズ的な躍動感とボサ・ノヴァというより土着的なブラジリアン・テイストが強まったというところなんでしょう。これは当時のジョビン自身の変化を反映してともいえます。
 総体的には「濃い作品」という印象でしょうか。おそらくボサ・ノヴァという枠からジョビンがはみ出ようとしているプロセスであるが故にこうなったんでしょうが、こうした傾向はアレンジャーがデオダードにチェンジした後の2作でよりはっきりしてきますから、やはりその後のジョビンの音楽性を予見した音楽ではあったんでしょうね。

 という訳で、正統派ボサ・ノヴァ・アルバムとして非常に有名な作品ではあるんではあるし、一度聞き始めると気持ち良いことこのうえないアルバムではあるんですが、正直申して「イパネマの娘」ほど聴く頻度が高くないのは、前述の過渡期な感じがひっかかるのではないか?と思ってます。また、収録された曲はどれもそれなり有名な作品ではあるものの、やはり超A級な作品ばかりが目白押しな「イパネマの娘」に比べるとやや地味なのも、私みたいなミーハーにはちょいと減点要素かも....なんていったら怒られるも(笑)。
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ゲッツ&マクファーランド/黒いオルフェ

2005年08月24日 20時22分21秒 | Jobim+Bossa
 ビッグ・バンドによるボサ・ノヴァをもう一枚。ゲイリー・マクファーランドという編曲にビッグ・バンドを擁したスタン・ゲッツ名義の作品ですが、奇遇にもこれも62年の制作。レーベルはヴァーブだし、メインはスタン・ゲッツですから、恐らくは「ジャズ・サンバ」のヒットを受けて企画された作品なんでしょう。昨日とりあげた、クインシー・ジョーンズのアルバムは、音楽的な良否はともかくとして、あまりボサ・ノヴァに聴こえないのが難点といえば難点でしたが、こちらは紛れもなく正統派のジャズ系ボサ・ノヴァです。なにしろボサ・ノヴァでなかったとしても、それ風なリズムにスタン・ゲッツのサックスが絡むと、ともあれ「役者が揃った」感じがするのはやはり、一連のボサ・ノヴァ・アルバムを残したスタン・ゲッツのオーラみたいなもの故ですかね。

 スタン・ゲッツという人は、クール・ジャズ出身ということで、文字通り割と温度感の低い、あまり熱くならないサックスというイメージがあって、割とそういう部分とボサ・ノヴァがマッチしたみたいな云われ方がするんですが、いまひとつ、この人のフレージングは時に非常にメランコリックな哀愁を色濃く漂わすところもボサ・ノヴァと相性のいいところだと思います。このアルバムは冒頭から「カーニバルの朝」から始まりますし、「ノー・モア・ブルース」もミディアム・テンポでどっちかという物憂げなアレンジをしているせいか、このアルバムは「メランコリックなスタン・ゲッツ」のムードが強い。

 また、ゲイリー・マクファーランド編曲によるビッグ・バンドは、昨夜聴いたクインシー・ジョーンズ的なイケイケ的な賑々しさはなく、ギル・エヴァンス的を少し分かりやすくしたような理知的な響きというか、渋い色彩感のような印象的なので前述のメランコリックさを倍加させているのもかもしれません。なお、ピアノはハンク・ジョーンズでこういうところに登場するのは意外ですが、例によって格調高いカクテル風ピアノ、ついでにもっと意外なのはアコギがジム・ホールという点、冒頭の「カーニバルの朝」からサンバ風なギターを神妙に弾いているのを聴くのはなかなか楽しいものがありますね。
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QUNCY JONES / Big Band Bossa Nova

2005年08月23日 20時41分14秒 | Jobim+Bossa
数年前、都内の某ショップでこのアルバムを発見し、「へぇ、クインシー・ジョーンズもボサ・ノヴァ・アルバムだしてんたんだぁ!」となんか掘り出し物をめっけた気分で購入してきた作品です。制作は62年、この時期はボサ・ノヴァがアメリカに輸入された直後にあたり、スタン・ゲッツとチャーリー・バードによる「ジャズ・サンバ」とほぼ同時期になり、この種のアルバムとしてはかなり先物買い的な企画だったはずです。商売人クインシー・ジョーンズの片鱗がこの頃からあったということでしょうか(雇われ仕事だった可能性もありますが-笑)。

 さて、この時期のジョーンズは若手のアレンジャーとして、非常にカラフルでモダンなオーケストレーションのピック・バンド・アレンジで売り出し中の頃だったと思いますが、このアルバムでもそうした色彩的でビッグ・バンド・サウンドで全編が覆われていて、また、これは良い意味で書くんですが、このアルバムの60年代的な通俗性というか刹那っぽい感覚が横溢しているので、そのあたりが今時の夏に妙に合うような気もします。このアルバムがいわゆるシブカジ系なオシャレなショップに、まずは輸入盤として並んだのもわかろうというものですね。

 ただ、このアルバムの賑々しさやカラフルさは聴いていて楽しいは楽しいし、多彩なソロを絶妙に配置した巧緻なアレンジに感心したりもしますが、少なくともボサ・ノヴァには聴こえませんね。どちらかというサンバとかああいったもう少し古いブラジルの音楽をベースにしているようで、ジョビンの曲なども数多くとりあげてはいるものの、せいぜい「ビッグ・バンド・サンバ」止まりという感じがします。まぁ、こういう感触はスタン・ゲッツの「ジャズ・サンバ」にもありましたし、実際「ディサフィナード」ではどっちも全く同じリズム・パターン使ってたりしますが、こういうのってボサ・ノヴァ初期特有の現象なのかもしれませんが....。
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小野リサ/Dream

2005年08月14日 13時54分37秒 | Jobim+Bossa
1~2年前、ケーブルTVで一日中ニュースを流しているASAHI NEWSTARというチャンネルで、番組のつなぎのBGVみたいな画面でこのアルバムから2曲目の「ムーンライト・ラレナーデ」と3曲目の「アンティサイデット」が流れていて、最初は何も気にとめてなかったんですが、あまりにもワンパターンでこれを流すもので、そのうち妙に気に入ってしまったんですが、私は誰がやっているんだろうなどとあまり考えもせずに、ナラ・レオンだろうと決めてかかっていて、「確か彼女にはスタンダードを歌ったアルバムがあったはず、それに違いない」と思いこんでしまい。おまけに流れる度に、「こういう軽やかでふんわりしたノリは、やっぱブラジル人以外には出せねぇんだよな」とか思っていたんですね。

 そんな訳で、これらの曲を小野リサが歌っているコトが判明した時は驚きました。小野リサというと10年前くらいですか、ボサ・ノヴァ・ブームでブレイクしていたのは知っていましたが、「邦人のボサ・ノヴァなんて....」とバカにしていたというか、正直眼中になかったです。我々の世代を丁度まんなかくらいにして、国産音楽というと、なにか判を押したように見下すみたいな傾向が日本の洋楽愛好家には多いですが(私のことです)、こうした一種のブラインド・テストみたいな状況で間違いをすると、結局、音楽そのものを聴いて判断しているというより、アーティスト名を聴いた段階で、思いこみが「国産ダメ観念」が発動してしまい、もうきちんと聴けなくなってしまっていることが、わかったります。

 という訳で、このアルバム、小野リサがスタンダードを歌った1999年のアルバムです。プロデュースは巨匠オスカー・カストロ・ネヴィスで、バックを固めるミュージシャンはアメリカの西海岸フュージョンの面々です、本場物というにはちょいとスクウェアなノリですが、なかなか快適なサウンドで楽しめるアルバムです。
 しかし、ASAHI NEWSTARと小野リサという組み合わせは、自宅でヒマもてあましているCATVみている自称「賢い主婦」向けの選曲だったんですね。なるほど、いかにもいかに....などといったら怒られるか(笑)。
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