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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

Mr.Jobim / various artists

2007年08月16日 23時17分22秒 | Jobim+Bossa
ロベルト・メネスカルはボサノヴァ創生期の頃から活躍しているギタリストで、コンザーとしても名曲「二人と海」などを残しているし、近年ではレイラ・ピニェイロや小野リサなどプロデューサーとして活動の方もつとに有名....という訳で、この人、「ボサ・ノバの大物」である。このアルバムは昨年レビュウした彼のソロ・アルバム「ボッサ・エヴァ・グリーン」の併せて購入したアルバムで、タイトルから分かるとおり彼が企画したブラジルの新旧ブラジル・アーティストによるジョビンへのトリビュート・アルバムになっている。参加アーティスト自体は私の知らない人ばかりなのだが、過渡にモダンさや奇をてらうことない、オーソドックスなセンスでまとめた作品集になっているのは、メネスカルのプロデュース・センスの賜物といったところだろう。

 ともあれ、そういうアルバムであるので、メネスカルがそれぞれの曲にどの程度関与したのかはわからないが、ムードが総体的に統一されている反面、個々の参加アーティストについては、残念ながらこれだといった個性が感じられないのもまた事実である。6曲目で「ジンジ」を歌うクラウディア・テレスや9曲目のアストリッドが、なんだかやけにレイラ・ピニェイロを似ているなと思ったくらいか。なお、8曲目の「ウェイブ」は前述の「ボッサ・エヴァ・グリーン」に収録されていたような、メネスカルのクリーンで艶やかなギターがフィチャーされたインストとなっている。
 という訳で、BGMとしてさらっと流している分には、とても気持ちよいアルバムなのだが、いささか私には匿名性が強すぎで、ちとすーすー流れ過ぎて印象も薄手になってしまったとアルバムになってしまった。
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イリアーヌ/アラウンド・ザ・シティ

2007年08月06日 23時40分16秒 | Jobim+Bossa
確か昨年の今頃出た目下の彼女の新作。前作は「Dreamer」はダイアナ・クラールを意識したようなオーケストラを帯同させた実にゴージャスなたたずまいのボーカル・アルバムだったが、本作でもボーカル・アルバムというスタンスは同じなものの、音楽はうってかわってといいたいほどに変身していて、非常にコンテンポラリーな仕上がりになっている。どちらかといえば、前々作「Kissed by Nature」に近いコンテンポラリーさだが、かの作品にあったような、ジャズ的ごたわり、ボーカルの配分、ある種のポップさがどっちつかずに混在しているようなところが、本作ではきれいに吹っ切れて、ジャズ的なフィールドから出たコンテンポラリーなポップ作として、非常に良くできた作品になっているのは注目すべき点といえる。

 とにかくこのアルバム、聴こえてくる音が今までと明らかに違っていて、パーカスこそ生のようだが、ほとんどドラムは打ち込み、シンセによるシーケンス・パターンもふんだんに登場、しかもトレード・マークともいえる彼女の生ピアノのジャジーなソロが全編を通じて数えるほどしか出てこないので、ハウス風なリズムにのって彼女のボーカルが全面的にフィーチャーされるという趣向なのだ。収録曲もいわゆる古典的なスタンダートはほとんどなく、オリジナルと比較的新しいロック・スタンダードを料理しているのもそうした印象を倍加している。まぁ、そういう仕上がりなので、一歩間違えると、日和ったとしか思えない迎合趣味丸出しの音になりかねないのだが、そのあたりは彼女のプロデューサー、アレンジャーの才能なのだろう、非常にコンテンポラリーなサウンドにしつつも、しっかりと彼女の世界を堅持しているように聴こえるのはさすがだ。

 これまでの彼女はやはりピアニストというイメージを自分自身で捨て切れないようなところがあったと思うが、おそらくそれは前作の成功でそのあたりを吹っ切ってしまったのだろうと思う。本作は、自身のボーカルやピアノ、各種キーボード、打ち込みなど全てをプロデューサー的な視点で突き放してみて、更に再構成したみたいな趣があるが、それがひとりよがりとならずに、ある意味「モダンなフュージョン」として、実に心地よく、快適な音楽に仕上げたところは、彼女の才能の大きさを物語っていると思う。ルックスで売れてるみたいなイメージがある人だが、なかなかどうして看過できないミュージシャンに化けてきているのではないか?。
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ANTONIO CARLOS JOBIM / A Certain Mr.Jobim

2007年08月02日 22時36分42秒 | Jobim+Bossa
 60年代ジョビンがワーナーに残した三部作?の掉尾を飾る67年作品。最初の「The Wonderful World of -」はボーカル・アルバム、真ん中の「Love Strings And Jobim」がインスト・アルバムだったとすると、こちらはその中間といいたいようなボーカルとインストがチャンポンになったアルバムになっているのが特徴だろうが、このアルバムの場合、やはりセールス・ポイントは、アレンジにクラウス・オガーマンが起用されていることに尽きるだろう。ジョビンとオガーマンのコラボレーションは64年の「イパネマの娘」に続いて、多分2回目にあたり、その次の大傑作「波」がインスト・アルバムだったことを考えれば、オガーマンがジョビンのボーカルを料理した作品という意味では、後の名作「テラ・ブラジリス」を予見した作品という意味でもおもしろいかもしれない。

 アルバムは、概ねジョビン作の「大」が付きそうなボサ・ノバ・スタンダードはジョビン自ら喉を披露し、比較的地味な作品はインストで仕上げているという感じだが、ボーカル作品は前述の通り、例えばオガーマンらしいストリングスとジョビンのボーカルの絡みなど「テラ・ブラジリス」を思わせるところを節々に伺わせるものの、あのアルバムのようなボサ・ノバを超えたスケール感のようなものはこの時点では未だなく、「イパネマの娘」でオガーマンが開発?した、「オーケストラによるボサノバ」を割と忠実に踏襲しているという感じである。また、インスト作品はほとんど「イパネマの娘」の未発表トラックのような仕上がりだが、ワルター・ワンダレーがその後再演することになる「サーフボード」のエレクトリックなサウンド、ワールド・ミュージック的な隠し味がチャーミングな「ワンス・アゲイン」などは、「波」で展開することになる、コンポを構成するひとつの要素としてストリングスを組み込む....みたいなアイデアを早くも披露しているのは興味深いところである。

 それにしても、このアルバムときたら全長26分といかにも短い。ボーカルとインストをほぼ交互に楽しみながら、オガーマンのエレガント極まりない弦と管のアレンジに耽溺していると、あっという間に至福の時は終わってしまう。せめて後2曲くらい入っていたら良かったに....と思う。とはいえ、「イパネマの娘」と「波」というマスターピースの狭間で、比較的地味な作品だが、これもジョビンはもちろんこと、オガーマンの傑作である。
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The Wonderful World of Antonio Carlos Jobim

2007年07月29日 23時11分49秒 | Jobim+Bossa
ジョビンはワーナーに3枚のアルバムを残している。「The Wonderful World of Antonio Carlos Jobim(`65)」、「Love, Strings and Jobim(`66)」、「A Certain Mr Jobim(`67)」がそれだが、掲載した写真は「Composer」というアルバムは、前者からの抜粋と後二者の全曲が収録されたこの時期のワーナー時代の総集編といえるアルバムだ。この3つのアルバムはそれぞれ特徴があるが、昨年レビュウした「Love, Strings -」がインスト・アルバムだったのに対し、とりあえず今回レビュウする「The Wonderful World of -」はほぼヴォーカル・アルバムといえる。アレンジはネルソン・リドル、ワーナーでネルソン・リドルというと、当然フランク・シナトラということになり、ひょっとするとこのアルバム、その線で受けを狙って企画されたのかもしれない。

 収録曲は12曲で、ほぼどれもスタンダード化した名曲ばかりだ。前述のとおりアレンジはネルソン・リドルだから、シナトラやキング・コールばりのハリウッド・スタイルかと思うと、案外そうでもなく、ボサノバのリズムとオーケストレーションを洗練された形でブレンドするクラウス・オガーマンやドン・セベスキーのやり口をそつなく再現、例えば細身のストリングスのひんやり流れるしなやかな流れの中で木管がエレガントに絡むとか、あたりなど、典型的な「アメリカで開発されたボサノバ・アレンジ」になっているあたり、さすが巨匠というべきか。2曲ほどインストはあるが、おおむねジョビンはこうしたゴージャスなバック・サウンドにのって、実に気持ち良そうにうたっている、そういう仕上がりである(そういえば、シナトラとの共演盤もこういう仕上がりなのだろうか・)。

 ただ、問題なのは、個人的にだがどうもジョビンの歌をあまり好きになれない点か。ジョアン・ジルベルトのような極限まで洗練されたストイックな軽妙洒脱がある訳でもないし、声質自体もダミ声気味だし、歌のテクニックはおそらくアストラッド・ジルベルト以下、なので、どうも稚拙な印象を受けてしまうのだ。最近はさすがに慣れてきたというか、詩人が自分の作品をたどたどしく朗読する良さみたいなものの感じないでもなくなってきたが、やはり「これがジョアン・ジルベルトの声だったらなぁ」などと思ってしまう....などといったら怒られるか(笑)。
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ANA CARAM / The Other Side of Jobim

2007年07月07日 00時34分00秒 | Jobim+Bossa
 一昨年取り上げたアナ・カランの「アヴィオン(2nd-`91)」と「BOSSA NOVA(5th-`95)」の間に出た第3作。私はてっきりこの作品「the Other Side Of Jobim」というタイトルからして、「BOSSA NOVA」以降に出した、有名作品の落ち穂拾い的なアルバムなのでは?なとと思っていたのだが、どうも勘違いしていたようだ。それにしても、こういう比較的地味でマニアックな作品集を歌ってから、有名曲を歌うという順序は普通とは逆になる訳だが、こうしたアーティスティックさのようなものは、ともあれ、さすがはアナ・カランという感じがする。もっとも、ボサノバ路線でもってアルバムが売れてしまったので、最初期のオリジナルを中心したシンガー・ソングライター路線は放棄せざるを得なかったという、商売上の理由があったのかもしれないが....。

 音楽的には、ドラムやパーカスを後方に追いやり、シンセ類を極力排除して、アコスティック・ギターを中心に、時にチェロ、オーボエ、サックスなどを配し、その中から彼女のボーカルがぽっかりと浮かび上がってくるという、アナ・カラン初期の独特のスタイルだ。物憂さと一種意志の強さを感じさせるボーカルが、シンプルなアコスティック楽器のとり囲まれ、ぽっかりとオーディオ空間に浮かび上がる様は、チェスキー独特のリアルな空間描写と相まって独特のハイファイ感がある。曲としては、「アナ・ルイーザ」のしっとりとした情感、「オラ・マリア」のそこはかとないドラマチックさといったあたりが気に入ったが、「Falando de Amor」や「Caminhos Cruzados」といった曲での、アンニュイな雰囲気を表現するボーカルとアコースティック楽器との絡みからは、独特の感触があってとてもユニークだ。

 ちなみに録音だが、前述の通りデビッド・チェスキー独特のアコスティックな空間をすっぽりとCDにパックしたようなハイファイ録音で、聴いている感触としてはまるでクラシックの室内楽のような感触がある。逆にいうと、数少ない楽器とボーカルで構成された音楽を空間性豊かに収録されいるため、最近のマルチトラックを埋め尽くした音の洪水に慣れた耳には、この音スカスカな音はちと寂しいというか、寒々しいような感触を感じることもあるが、まるでパフォーマンスが眼前で繰り広げられているようなハイファイ感は凄いものには違いない。
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ワルター・ワンダレー・トリオ/シェガンサ

2007年07月05日 23時08分01秒 | Jobim+Bossa
「サマー・サンバ」に続くヴァーブにおけるワンダレー67年の第2作です。クレジットではワルター・ワンダレー・トリオとなっていることからも分かるとおり、前作で賑々しく登場したブラス隊がほぼ一掃され、シンプルな編成でワンダレーのオルガンを全面的にフィーチャーしたアルバムになっていています(ただし、名義上トリオとはなっているものの、どう聴いてもドラムの同時にパーカスが鳴っていますから、多分トリオ+1という編成で録音したんでしょうね)。ワンダレーはこの後、やや場当たり的に音楽のフォーマットやヴァリエーションを拡大してくことになりますから、全体に華やかさという点で今一歩な感はありますが、こと「ワンダレーらしさ」という点では彼のカタログ中、随一の仕上がりということになるんじゃないでしょうか。

 収録曲は「おいしい水」「ガンソ」「ポセ・イ・エウ」といったジョビンの作品の他、なんとフランシス・レイの「男と女」などもとりあげていますが、どれもほぼ完全なるワンダレー節にしてしまっているあたりはさすがですが、やはり冒頭に収録された「シェガンサ」の緩急自在のドライブするノリとスピード感だとか、一作目のブラスのかわりをピアノで補った感のある「明日」のカラフルさといったあたりはワンダレーの面目躍如たるところがあります。あと後半(旧B面)では「ガンソ」から3曲は徐々にスピード感が上がっていくように配置された構成もなかなかユニークで印象に残ります。
 あと、ピアノをフィーチャーした「レイン」路線の曲もけっこう入っていて、スタンダードの「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」はスロウ・ボッサとしてムーディーに演奏していて大好きな演奏です。「ステイ・マイ・ラヴ」もこの路線でなかなかドラマチック。「テイク・ケア・マイ・ハート」ではピアノをフィーチャーし、バッキングにオルガンが合いの手を入れるパターンなのがおもしろい味を出しています。
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ワルター・ワンダレー/サマー・サンバ

2007年07月04日 23時14分27秒 | Jobim+Bossa
 そういえば、この手の「サマー・ミュージック」として定番であるにもかかわらず、去年はおろかけっこう網羅的にチョイスした一昨年も何故だこの人はとりあげていませんでした。ワルター・ワンダレーはボサノバ・ブームに涌くアメリカに、ジョビン、ゲッツ、ジルベルトに続くボサノバのスターとしてクリード・テイラーが仕掛けたブラジルのオルガニストです。ジョビンはもともと作曲家、ゲッツはサックス、ジルベルトはボーカルですから、それとは違うスタイルということで、おそらくオルガンをもってきたんでしょうが(ひょっとすると「ボサノバのジミー・スミス」みたいな発想だったのもかもしれませんが)、やはりこういうところでオルガンを持って来るクリード・テイラーのセンスは冴えていたという他はありません。

 ともあれ、ワルター・ワンダレーといってもなんだか分からない人でも、1曲目の「サマー・サンバ」を聴けば、だれでも「あぁ、あの曲か」と思うくらいこの曲の知名度は高いじゃないですかね。海の向こうは分かりませんが、単に日本での知名度という点だけなら、この曲「イパネマの娘」、「マシュケナダ」と並ぶボサノバのピック3という気もします。このアルバムはその大ヒット曲をトップにほぼ全編に渡ってワンダレー独特のシンコペがリズミカルに躍動するオルガンがフィーチャーされています。私のようなロック・ファン上がりの人間だと「オルガン=ハモンド・オルガン」というイメージがありますが、ワンダレーのオルガンは、レズリー・スピーカーを通さない、ツルっとした音色に特徴があり、これが前述のリズミカルさと相まって独特の清涼感を感じさせるサウンドになっていると思います。ついでに書くと、バックにブラス隊をつけている曲が多いですが、ワンダレーはボサノバというより、どちらかというとサンバ系の人なので、賑やかさはワンダレーの音楽にぴったりとマッチしているのもこのアルバムの特徴かもしれません。

 あと、個人的に好きな曲はワンダレーのピアノをフィーチャーした「レイン」でしょうか。ワンダレーは元々ピアニストですから、こういう曲もたまにやる訳ですが、ヨーロッパ映画を思わせる洗練されたロマンティックさはなかなかですし(この亜流みたいな音楽を時たま坂本龍一がやったりしますね)、途中、トロンボーンがフィーチャーされるあたりヴァーブ一連のBGM路線にもしっかりクロスしていることを感じさせ、ワンダレーの職人のセンスの良さを感じさせるところでもあります。
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アストラッド・ジルベルト/おいしい水

2007年07月03日 00時18分07秒 | Jobim+Bossa
実質的なアストラッドのデビュウ作。もちろん、これまで彼女は「アストラッド/ジルベルト」を始めとしたヒット作で、絶妙な刺身のつまとして登場していた訳だけれど、一本立ち作品としてはこの65年の作品が最初のものとなると思う。一昨年に「いそしぎ」をレビュウした時も書いたけれど、デビュウ作ということを意識したのだろう、この作品ではボサノバ最強のアイドルを確立すべく(?)、ジョビンのボサノバ・スタンダードをメインにしたアルバムになっている。このアルバムにはダンナのジョアンやスタン・ゲッツは参加していないが、御大ジョビンはかけつけているし、編曲はマーティ・ペイチだしと、強力な布陣となっていて(もっとも参加したバック・ミュージシャンはよくわからないのだが)、ヴァーブ(クリード・テイラー)の意気込みもわかろうというものである。

 さて、このアルバム、次の「いそしぎ」が渋い夜っぽいムードで統一していたのと比べると、こちらは全体に「降り注ぐ夏の陽光」みたいなムードで統一されていると思う。編曲がウェストコーストのマーティ・ペイチというのもその意味ではうってつけの人選だが、ここではジョビンのセンスというのも大きかったと思う。ややマーティ・ペイチにしては泥臭いブラジル風味がジョビンのブラジル時代の感触をおもい思い起こさせたりもするからだ。ともあれ、ここでのアストラッド・ジルベルトは例の柔らかく、そこはかとなく物憂げなボーカルを既に披露していて実に魅力だ。1曲目から9曲目までは、問答無用のスタンダードだし、どれも素敵だが、特に好きなのはやはり「ジンジ」である。この曲は作品自体、ジョビンでも特にひいき目の曲だが、アストラッドのおっとりしたスローな感じに実にあっていて最高にチャーミングだと思う。あえていえば、このアルバム、編曲がオガーマン、いや百歩譲ってドン・セベスキーだった、もうほとんど100点のアルバムになっていたと思うのだが、それは高望みというものだろうか。
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GETZ/GILBERTO #2

2007年07月02日 22時07分46秒 | Jobim+Bossa
ジョアン・ジルベルトとスタン・ゲッツの共演による名盤の続編である。今回は正編の翌年に行った64年にカーネギー・ホールでのライブという趣向だが、正確にいえば共演盤というのとは少々違っていて、旧A面にはスタン・ゲッツ・カルテット、同じくB面にはジョアン・ジルベルトのパフォーマンスが収められていた。おまけにこの両者はメンバー的にも一切だぶっていないため、同じステージには確かに立ったかもしれないけれど、共演とは決していえず、当時のファンはけっこう肩すかしを食ったのではないだろうか。ところが、CD時代になって、恒例の未発表トラックが追加となり、なんとその5曲は二人が共演しているだけでなく、アストラッド・ジルベルトまで参加しているトラックまで含まれて、ようやくタイトルの「ゲッツ/ジルベルト#2」というタイトルに相応しいた内容になったといういわくつきのアルバムでもある。

 さて、内容をざっとみていこう前述の通り、前半の4曲はスタン・ゲッツ・カルテットによる演奏。同時期の「ゲッツ・オー・ゴー・ゴー」と同じくピアノの替わりにゲイリー・バートンのヴァイブを入れているのが特徴で、バートンのひんやりしたヴァイブの音色とモダンなフレージングがイメージを固めているようなところもある。音楽的にはボサノバとかラテンというよりは、ごくごくまっとうなジャズという感じで、64年のスタン・ゲッツとはいっても、どちらかといえばボサノバに染まる前のクール・ジャズの頃の音楽に近い感じがする。比較的ホットに盛り上がるのは「スタンズ・ブルース」くらいのもので、これも盛り上がっているのは、むしろゲイリー・バートンの方といってもいいくらいであり、ゲッツの方は意外にもおとなしい。ゲッツのパートを締めるのは「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」で、この曲は個人的にウェス・モンゴメリーがボサノバにアレンジして演奏しているのが印象深いので、同じヴァーブということもあり、ボサノバ風味でやるのかと思ったら、ジョー・ハントのブラッシュワークを決める渋いバラード風な演奏なのであった。
 中盤はジョアン・ジルベルト・トリオ(ギター、ベース、パーカス)による演奏で、「ゲッツ/ジルベルト」にあったようなゲッツに尻を叩かれているようなところがない、いつもジルベルトらしい粋なくらい淡々とした例の音楽になっている。後半は「ビン・ボン」「メディテーション」「鵞鳥のサンバ」といったお馴染みの曲が登場するが、どれも素晴らしいパフォーマンスで(ギターのグルーブ感も最高だ)、こういうのを聴くと、私は無性に「夏が来たなぁ」とか思ったりしてしまう。

 CDになって追加された5曲は前述のとおり、まさに「ゲッツ/ジルベルト#2」的な内容で、アストラッド・ジルベルトが「ゲッツ・オー・ゴー・ゴー」でも歌った「春の如く」からスタート、ジョアン・ジルベルトももちろんいいのだが、やはり彼女の声が出てくるとふっと空気がかわる。「オンリー・トラスト・ユア・ハート」、「コルコヴァード」と出て、いよいよ「イパネマの娘」も登場するという趣向だ(アストラッドのボーカルが少々走り気味なのはカーネギー・ホールで緊張しているせいか?)。ゲッツのサックスはそれほどあばれずに軽くバックで流しているくらいのバランスもいいし、ヒット曲連打なのも楽しめる。という訳で、まさにこの5曲があるからこそ、前半、中盤の断絶が生きるのだと思う。それにしても、どうしてこんな貴重なパフォーマンスを当時カットしたのだろう?。私は知る由もないが、やはりアナログ時代の構成は画龍点睛に欠くとしかいいようがないものだったと思う。
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ANTONIO CARLOS JOBIM / Stone Flower

2007年07月01日 20時39分26秒 | Jobim+Bossa
去年の夏はオンラインゲームにうつつを抜かして、あまりサマー・ミュージック関連の作品をレビュウできなかったけれど、今年はくだんのゲームも一段落しているところでもあり、「自分の持っている夏向きの音楽の総ざらえ」シリーズをじっくりと進めてみることにしたい。で、初っぱなといえば、やはりアントニオ・カルロス・ジョビン。このアルバムはCTI期の最後の頃に出したアルバムだ、私はてっきりこれが最後のアルバムだと思っていたのだが、クロノジカルにみると「潮流」が最後でこれはその前作ということになるらしい。まぁ、いずれにせよ、70年前半の録音で、アレンジがデオダートとくれば、素性としてはほとんど双子の兄弟のようなアルバムだと思っていたのだが、実際聴いてみると、その色合いは微妙に違う。

 まぁ、一口でいって、「潮流」というアルバムがCTI的なイージー・リスニング路線を全面に出したアルバムだとすると、この「ストーン・フラワー」はもう少し、ジョビンのブラジル臭さのようなものが表に出てきていると思う。それは2曲目の「チルドレンズ・ゲーム」のCTIにしては、やや異色ともいえる遠近感のあるサウンドに後半の雄大なシンフォニックさだとか、3曲目「ショーロ」のスカスカな音、5曲目「ブラジル」(ジョビンの作ではない)の熱気、名曲「ストーン・フラワー」「太陽の国の神と悪魔」の野趣といたあたりには、CTI流に必ずしもソフィスティケーションされていない割と素に近いブラジル・サウンドが聴かれのだ。初期のアルバムで例えれば、「潮流」が「イパネマの娘」の続編だとすると(文字通り「イパネマの娘」を再演している)、こちらは「波」のパート2に相当するポジションになるのかもしれない(「潮流」という曲も「ウェイブ」のヴァリエーションだけど)。そういえば1曲目の「テレーザ・マイ・ラブ」は、まるで「ウェイブ」のヴァリエーションのような曲である。

 アルバムの名曲の性格付けはともかくとして、とりあえず名曲揃いという点で、このアルバムは「潮流」より印象深いかもしれない。前述の4曲など問答無用の名曲だろうし、フランス映画のサントラのようなロマンティックさがある「アンパロ」なんて個人的に大好きな曲だし、ラストの「サビア」の好きな曲のひとつだ。デオダートの編曲はブラジリアン・サウンドから雄大なストリングスまで、まさにCTIとジョビンの意図をぎりぎりでバランスさせたような巧みさがあってなかなか素晴らしい。個人的にはクリード・テイラーの趣味で押し切った「潮流」のゴージャズなイージー・リスニング・サウンドも捨てがたいものがあるのだが、これはこれでジョビンらしい傑作だと思う。
 ちなみに音質はリマスタリングが効いているのか、ヴァン・ゲルダーの音にありがちなマスターの歪みまで、子細に聴き録れるの音圧と鮮度感がある。
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アントニオ・カルロス・ジョビン/潮流

2006年08月31日 23時03分53秒 | Jobim+Bossa
 こちらは、「Love, Strings and Jobim」を知るまでジョビンとデオダートと初共演盤だとばかり思っていた70年リリースのCTI作品。ただし、こちらは「Love, Strings and Jobim」にあったような、泥臭さやブラジル的野趣は一掃され、極上ジャズBGMといった感じのほぼ完全なCTI作品となっていて、このあたりは相手がジョビンであれ、デオダートであれ、自分のレーベルでの作品は全てCTI流のロジックでがアルバムを作らせてしまうクリード・テイラーのご威光というものだろう。例えばCTIのアルバムには、かなりの頻度でセンスのいいフルートが出てくるんだけど、このあたりはジョー・ファレルでもヒューバート・ローズでもほとんど似たような感じなっちゃうあたりに如実に表れている。ちなみにこのアルバムでのフルートは当時またRTFにいたジョー・ファレルである。

 そういう訳で音楽的には、CTIのレーベル・カラー+ジョビンの音楽性+デオダートのアレンジ・センスが5:3:2くらい割合で感じで出ているアルバムだと思う。具体的には今回はオガーマンのひんやりしたストリングスが入らず(前述のとおり木管アンサンブルがメイン)、よりブラジル的なデオダートがアレンジということで、ブラジル的なリズムやアンサンブルが濃厚に出てしまいがちなところを、ぎりぎりな線でクリード・テイラーがソフィスティケーションしているといったところだろうか。そのあたりのバランスが絶妙なので、耳障りの良さというか、BGMとしてのセンス良さはおそらく「波」を上回るものがあると思う。ただし、聴いていて、あんましジョビンという感じがしないのがたまにキズだが。
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ANTONIO CARLOS JOBIM / Love, Strings and Jobim

2006年08月30日 01時39分50秒 | Jobim+Bossa
ジョビンのカタログはとても分かりにくい。一体何枚だしているのか、そもそもどんなアルバムがあるのか、全貌がさっぱり分からないのだ。あまり頻繁ではないが、共演作も含めれば、もう何年もなにがしかの年に一枚や二枚は必ず発掘され続けている。おそらく60年代中盤からしばらくの間、時代の寵児だった彼は大量のジョビン名義の作品をつくったに違いなく、これからもしばらくはそうしたベースが続くものと思われる。2,3年前に発掘された作品で、66年にワーナーからアルバムである。

 内容はタイトルからも分かる通り、ストリングスをメインにした軽いBGM風なインスト風なボサノバで、明らかに「イパネマ娘」に二番煎じを狙ったことがみえみえの仕上がりだが、良くも悪しくもアレンジがオガーマンではなく、エミール・デオダートというところがミソだ。私はジョビンとデオダートの組み合わせといえば、70年の「潮流」が初顔合わせだとばかり思っていたので、それをさかのぼること数年前に既にこの組み合わせが実現していたとは少々驚きだった(とはいえ、このアルバムにはジョビンの演奏はほとんど入っていないものと思われるが)。

 音楽的にはストリングスを主体といっても、オガーマンのようなクラシカルで格調高いものではなく、もう少し下世話で通俗的なもので、ある意味本場物的な野趣を感じさせる部分も目立つある仕上がりといえる。全くの想像だが、このアルバム、ひょっとすると本国で制作されたものを、ワーナーがOEMかなにかして発売したものではないだろうか。どうもアメリカ資本で作ったにしては、今月の頭でレビュウしたデオダート名義の「The Bossa Nova Sessions」と共通する「ブラジルで作ったアメリカンナイズされたボサノバ」みたいな色合いが強すぎるような気がするのだが....。
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ELIANE ELIAS / Everything I Love

2006年08月25日 22時52分59秒 | Jobim+Bossa
「キスド・バイ・ネイチャー」「海風とジョビンの午後」の間に発表された2000年の作品。「キスド・バイ・ネイチャー」のところでも書いたとおり、彼女はこの作品を最後にブルーノートを離れてBMGに移籍して、音楽的にもかなり変貌することになるし、「海風とジョビンの午後」は一種の企画物みたいなヴォーカル・アルバムだったので、このアルバムは実質的にブルーノート時代の総決算ということになるのもしれない。メンツ的にはエディ・ゴメスとピーター・アースキンが消え、これまでの2つのトリオがエリアス、ジョンソン、デジョネットという布陣のトリオに統合され、エリアス、カール・アレン、クリスチャン・マクブライドによるトリオが新たに加わったという格好だ。

 音楽的には従来通りのピアノ・トリオ路線だが、今回は何故か非常にジャズ色が強いのが特徴だろう。それまではジャズのピアノ・トリオをベースにしつつもボサノバやジョビンがかなり濃厚に見え隠れしていたが、こちらはアメリカン・大スタンダードをメインに据え、いわばキース・ジャレットのスタンダーズばりの音楽に挑戦しているといったところなのである。「If I Should Lose You」「Alone Together」「Autumn Leaves」は、いずれもスタンダーズが取り上げた作品ということもさることながら、トリオによるインプロビゼーションからかの曲になだれ込んでいく構成をとっていて、このあたりも実にスタンダーズ的....というか明らかに意識している感じである。もっとも彼女はエヴァンス~ジャレットの系列にあるとはいっても、もう少しラテン的な明るさとしっとりとしさフレージング、そしてある種の上品な軽さようなものがあるので、別の物まねになっている訳ではないが、やはりそれまでのブラジルによりかかった音楽を考えればかなりジャズ度ではあると思う(ステップスなどではいつもこんなだったんだろうが....)。とはいえ、彼女がその後、この方向にぐっとシフトしたといえは、そうでないのは冒頭に書いたとおりであり、やはりこれは一種の卒業アルバムみたいなもんだったんだろうと思うのだが、どうだろうか。
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レイラ・ピニェイロ/ヴォセー

2006年08月16日 00時05分27秒 | Jobim+Bossa
 レイラ・ピニェイロといえば、バブル末期の頃、つまり80年代の終わり頃、「アルマ」というアルバムで知った。おそらく六本木のWaveとか、まさしくバブリーなで場所で知ったんたんじゃないかと思うのだが、記憶はあまり定かではない。とにかく、試聴した1曲目の「ベサメ・ムーチョ」という曲の、情緒綿々たるまるで歌謡曲のようなメランコリックな旋律に魅了されたのだった。おそらくそういう日本人、けっこういたんではないのかと思う。ただ、そうした日本人好みのものはこの曲のみで、他の曲は割とモダンなブラジル・サウンドがベースになっていたし、彼女の声もどちらかといえば、アンニュイで物憂げな、ボサノバによくあるタイプではなく、もう少し意志の強さを感じさせる、ややクセのある声が特徴だったから、その後、日本で彼女が大ヒットしたという話は聞いたことがない。

 このアルバムはそんな彼女が「アルマ」に続いて発表したアルバムで、確か第三作にあたる。それまでのコンテンポラリーなブラジリアン・ボーカリストとはうって変わって、ブラジリアン・スタンダードばかりを集めて歌っているが、曲ごとにカルロス・リラ、ジョビン、エドゥ・ロボ、ジョルジュ・ベン、ジョアン・ドナートなどにメドレーなっているのが特徴だ。おそらく取り上げられた楽曲は30曲以上になるだろう、音楽的な情報量は相当なものであり、先達たちへのオマージュという意味だったのか、単なる商業的要請だったのかはこのアルバムの制作意図は定かでないが、こういう形でアルバムをつくるあたり彼女のアーティストとしてしての自負心みたいなものを当時ひしひしと感じたものだった。ちなみに昨日も書いたとおり、アレンジはロベルト・メネスカルで、基本を押さえつつ、モダンでカラフルなサウンドを展開しているあたりはさすがだ。彼女の野性味と知性が入り交じったような声ともよくあっている。多用されるストリング・シンセの響きも美しい。
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ロベルト・メネスカル/ボッサ・エヴァ・グリーン

2006年08月15日 23時03分34秒 | Jobim+Bossa
 ロベルト・メネスカルといえぱ、ボサノバ創生期から活躍するアレンジャー&ギタリストですが、自分的に彼の名前がはっきり印象に残ったのは、レイラ・ピニェイロのボサノバ・スタンダードばかり集めたアルバムのアレンジに感心した時が最初でしょう。彼のアレンジといえば、まずはリズムに心地よい弾力があること、洗練されカラフルなサウンドを作ることあたりにあると思いますが、このアルバムはそんな彼がギターとアレンジを担当して作った自己名義のソロ・アルバムです。

 内容的にはほぼ予想通りだったのは、弾力的なリズムの心地よさをベースに、非常にカラフルでセンスのよいサウンドが聴こえてきたこと、反面、ちょっと予想外だったのは意外にもギターはアコギではなく、ジャズ風な暖かい音色のエレクトリック・ギターがフィーチャーされいたことと、そしてリズム(パーカス系)に打ち込みのリズムが多用されていることでしょうか。まぁ、そんなこともあって、音楽的にはボサノバがかったスムース・ジャズといったところで、個人的にブラジル系の音楽といったも、ドメスティックなものより、こうしたサウンドの方が好みなので、これは一聴して気に入りました。

 それにしても、ロベルト・メネスカルの作り出すリズムの気持ち良さって、彼のアレンジのそこかしこに出てくるベースとバスドラムのユニゾンによる、リズムの太さから来るんでしょうね。このアルバムでは打楽器はほぼ全面的に打ち込みのようですが、それを手弾きのベースとあわせることによって、いつもの彼らしいノリを損なうことな再現しているのはさすがです。曲はボサノバ・スタンダードばかりで、しかも聴有名曲ばかり集めてある点からして、どうも日本の政策サイドが手動しての制作ようで、ちょいと彼の手に荷が軽すぎるようなところがないでもないですが。夏のBGMとしては凡百の類似サウンドを上回る内容であることだけは間違いありません。
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