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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

Art Of Noise / Ambiemt Collection

2006年12月13日 21時46分22秒 | ROCK-POP
アート・オブ・ノイズの作品をいくつか聴いたところで、長年の宿題のようになっていたコンピレーションを作ってみました。コンセプトとしては彼らの「モーメンツ・イン・ラブ」路線の夜っぽい曲ばかり集めたベスト盤というものです。実はこの種の作品としてはユースがリミックスしたその名も「アンビエント・コレクション」という代物があったりもする訳ですが、選曲、構成、SEの入れ方といい、個人的には納得できない仕上がりだったので、自分の好みのヤツを作ってみたいと思っていたのです。ただ、選曲するに当たって「In No Sense? Nonsense!」の曲はほぼつながっているため部分的に抜いてもどうかなという気がしましたし、単に「モーメンツ・イン・ラブ」みたいな曲をダラダラ並べても退屈になるだけなんじゃないか、とも思ったので二の足を踏んでいたのですが、実際作ってみると、けっこうすんなりできました。

 一応、アルバムの頭と真ん中、そして結尾に「モーメンツ・イン・ラブ」をいれて、その間、アンビエント風な作品とビートボックス的な作品をまぜてメリハリつけるというパターンです。曲目は以下のとおり。


01. Moments In Love - Beaten (Single `83)

02. Eye Of A Needle (In Visible Silence `86)
03. Legs (In Visible Silence `86)
04. Slip Of The Tongue (In Visible Silence `86)
05. Ode To Don Jose (In No Sense? Nonsense! `87)

06. Moments In Love - original ver (Into Battle `83)

07. Catwalk (Below the Waste `89)
08. Opus For Four (In No Sense? Nonsense! `87)
09. Camilla (In Visible Silence `86)
10. Somethinm Always Happens(Single)
11. Robinson Crusoe (Below the Waste `89)

12. Love Beat (Single `83)
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アート・オブ・ノイズ/イン・ノー・センス?ナンセンス

2006年12月08日 21時22分45秒 | ROCK-POP
 先日取り上げた「インヴィジブル・サイレンス」翌年登場した新生アート・オブ・ノイズの2作目。前作にもわりとそういうところはありましたが、本作はアルバム全編短い音楽的な断片とコラージュのようなSEをモザイクのように組み合わせて複雑な迷路のような構成でもってアルバムを仕上げているのが特徴です。また、それぞれの曲もビートボックス路線、モーメンツ・イン・ラブ路線、キャバレー路線とはっきりと分かれておらず、ストリングやブラス、合唱など生音もふんだん使用して、とにかく1曲の中にいろいろ要素が浸食しあっているのもまた特徴のひとつとなっています。

 ちなみに、あえて路線付けしてしまうと、モーメンツ・イン・ラブ路線としては「オーパス・フォー・4」、「ドン・フォセ」「クルーソー」、ビートボックス路線としては「アデイ・イン・ア・レース」、「フィン・ドュ・テンプス」、キャバレー路線としては「ドラグネット」、「ローラー1」ということになるんでしょうが、「ドラグネット」には途中、モーメンツ・イン・ラブ風な静謐なムードに変わったりしますから、なかなか一筋縄ではいきません。個人的にはやや凝りすぎじゃないの....と思ったりもしているのですが、好き者の間ではこのアルバムどの程度受けているんしょうかね。
 あと、ついでにいうとこのアルバム制作を外部に人脈にまかせたようなところもあって、やや音の感触がいつもと違うような感じがするのもちょいと気になるところであります。
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アート・オブ・ノイズ/インヴィジブル・サイレンス

2006年12月06日 21時16分15秒 | ROCK-POP
 87年に出た新生アート・オブ・ノイズの第1作。新生というのは、それまでこのプロジェクトのコンセプトやポリシーを決めていたと思われるトレバー・ホーンとポール・モーリーがいなくなり、それまでもっぱら裏方的に徹していた音楽職人3人だけで再出発したからです。新生AoNは初期の頃にあった毒気やシニカルさ、ひきつるような音響だとかキリキリするような肌触りは後退したものの、当時最新の飛び道具だったサンプリングでもって、精緻に組み立てられた非常に構築的なテクノ・サウンドに、ややジャジーなキャバレー音楽(今でいえばクラブ風?)を加味したよう趣のサウンドに特徴がありましたが、それがもっとも良く現れているのがこのアルバムということになると思います。

 AoNには、ファンキー・リズムを全面に押し出したダンサンブルな方向、つまりビートボックス路線と、ヴォイス系のサンプリングを多用した静謐でロマンティックなアンビエント系な音、これもあえていえばモーメンツ・イン・ラブ路線を両極にして、アルバムを構成していった訳ですが、このアルバムには、ビートボックス路線としては「レッグス」、モーメンツ・イン・ラブ路線としては「カミラ」が入っています。前者は当時の大ヒット作品ですから、ファンには有名な作品ですが、後者はあまりに話題にならないものの、この路線の傑作中の傑作でしょう。雰囲気的には「モーメンツ・イン・ラブ」そのものなのですが、パーカス+アコスティック・ベース+ヴォイス系サウンドで繰り返されるシンプルなリズムの繰り返しの中、燦めくようなアコピの響き、静謐なストリング系シンセの音、立体的に交錯する各種ヴォイスなど、とにかく精緻極まりないサウンドの中、得も言われぬロマンティックが香気を立ち上る様は、すばらしいの一語につきます。

 ちなみに、このアルバム中のもうひとつの大ヒット作は、マンシーニに「ピーター・ガン」でこれは、アナクロを逆手にとったキャバレー路線の代表作ですかね。AoNはどちらかといえば日本ではこの路線で受けた訳ですが、個人的には最後までなじめなかったなぁ。この路線。
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LED ZEPPELIN 3

2006年08月29日 23時55分51秒 | ROCK-POP
 私がレッド・ツェッペリンをリアルタイムで聴き始めたのは、確か74年の「フィジカル・グラフティ」が出た頃だったと思う。もちろん、有名どころはいろいろな機会で聴いてはいたから、初めて聴いたアルバムではもちろんないのだけれど、とにかくこれを購入し、改めてそれ以前のアルバムを遡って聴いていったという感じだったはずだ。当時の僕は「ハード・ロックといえばディープ・パープル」という人だったので、ツェッペリン流のエキゾチックなリフの繰り返しでもってぐいぐい盛り上げていくタイプのハード・ロックはあまりピンとこなかったのだが、おそらく当時のロック少年に絶大な信望を得ていた渋谷陽一氏によるラジオでの薫陶の賜か、ツェッペリンも聴くようになったのだった。

 で、当時、渋谷陽一でツェッペリンといえば、これは当然「天国への階段」ということになった。「天国への階段」という曲は4枚目の旧A面の最後に収められた大作で、アコスティックでトラッドな導入からエレクトリックでハードな後半部まで、ドラマチックに盛り上がる名曲として現在でも、ロック・スタンダードのひとつとなっているが、70年代中盤の渋谷氏のこの曲対する愛情は尋常ではなく、彼のおかげでいったいどのくらいのロック少年がこの曲を特別視、神聖視するようになったか、数知れずといったところだったと思う。もちろん私もそのひとりである。「この世の中に確かなものはない....だから私はロックをやるのだ」みたいなことを歌詞も含め、当時の私はこの曲にとても魅了されていた。

 さて、なかなかサード・アルバムのことが出てこないのだが、このアルバムには旧B面2曲目に「タンジェリン」というごくごく地味で、いってしまえばとりとめのない曲が入っている。この曲はチューニング風なSEに始まり、トラッド風なアコスティック・ギターに始まり、叙情的なメロディーを経て、サビとコーラスではエレクトリックなサウンドへと変化するのだが、ある日私はこれを聴いてハタと思いついたのだった。「この曲は「天国への階段」のプロトタイプだ」と....。果たして、それが正解だったのか、勘違いだったのは今でもわからないが、そのことをひらめいた私は有頂天になった。まさに世界で私だけが知っている....ってな気分だったんじゃないかと思う。そうなると歌っている内容も、「天国への階段」のように深淵なものに違いないと思うようになった。しかし、このアルバムの曲の訳詞は当時のライナー・ノーツには掲載されておらず、私は一念発起して、単語辞書を片手にこの曲の歌詞を訳しはじめたのだった。

 確か、夏の暑い日だったと思う、当時はエアコンなどある訳もない、自分の部屋で汗をたらたら長しながら、必死に単語を引きまくっていった。しかし、おぼろげながら分かできあがってきた私流の訳詞は(おそらく間違いと勘違いだらけだったと思うが)、別に深淵な内容でもなんでもなく、ただ振られた女に思いをはせる普通のブルースとしかいいようがないものであった、1974年の夏のことであった。
 ちなみに、私はひどく落胆し、これは英語がわからない自分が悪い、本当はもっと深淵な意味がある歌詞なのだと思いこむようになったが、その数年後、プロが訳した歌詞を観たとき、そま内容が以前に自分が訳したものと大して違わないこと知ったのだった。

 そんな訳で、私は夏に自分の部屋で、暑くて汗をたらたら流すような状況になると、きまってこの曲が流れ出し、辞書を片手に訳している必死な自分と、その後の落胆ぶりが脳裏を横切るのである。
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ベスト・オブ・ベンチャーズ Vol. 1 + 2

2006年08月13日 23時37分29秒 | ROCK-POP
 昨年夏に取り上げた「ベンチャーズ・イン・ジャパン」の2in1アルバムを購入した時に一緒に購入したものです。私は子供の頃、この2枚のベスト盤を自宅で聴いた記憶はありませんが、当時はLP盤を買うというのは、今でいえば数万円出費するのと同等の価値があったハズですから、レギュラー・アルバムを買えなくて、このベスト盤を聴いていたという人も多かったはずです。アルバムというのは収録曲と同時にどういう順番で並んでいるかという構成も重要で、おそらく「あの時の構成でもう一度ベンチャーズを聴きたい」というノスタルジックな需要に応えての発売だったんでしょうね。旧AB面のトップに「急がば回れ」のヴァージョン違いを配置するあたりいかにもベスト盤という感じで楽しい。

 ベスト盤といえば、現在の視点から見ればベスト盤落選するような曲、例えば「愛さずいられない」とか「ロコモーション」といった、ベンチャーズというより曲の知名度でもって選曲されような作品が入っているのも時代を感じさせます。いや、今聴くと、妙にチープなカントリーBGM的なムードが楽しかったりすんですが(笑)。
 それにしても、このベスト盤を聴きながら思ったのですが、「ベンチャーズのスタジオ録音の曲を一曲だけ選べ」といわれたら、私の場合、なんといっても「10番街の殺人」だなぁ。この曲昔、自分でフュージョン風なリズムでアレンジした曲をしこしことMIDIで打ち込んだこともあって、曲の隅々まで頭に入っているということもありますが、もともは優雅なスタンダード作品を、なぜだか非常に高揚するメロディーにアレンジしてしまったベンチャーズのセンスにはいつも感心してしまうんですよね。
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ディープ・パープル/ライブ・イン・ジャパンの研究<4>

2006年07月10日 19時57分43秒 | ROCK-POP
 8月16日、つまり日本公演3日目、武道館の演奏。昨日の演奏で勢いが更に増した凄まじいパフォーマンス。冒頭のチューニング更に早めの手数の多いフレーズが連打、もう我慢できないといった風情で、イントロから怒濤の如く進んでいく。中間に配置されたロードとブラックモアのソロは前2日より、おそらく16小節くらい長目に演奏されていて、「オヤっ」と思わせると同時にこの日のハイテンション振りを否応なく感じさせる。
 ただ、この演奏、テンションや勢いという点からすれば、確かに前日を上回る凄まじい演奏には違いないのだが、全体的にやや暴走しすぎて荒れ気味なところがも散見する。ギランのヴォーカルはやや荒れ気味だし、最後のテーマの部分など、勢い余ってブレイクのところで、バンドメンがそろわずリズムの裏をとっているみたいにひっくりかえってしまっているのは惜しい。

 とはいえ、ディープ・パーパルは何しろハード・ロック・バンドだった訳で、こうしたオーパー・テンションの演奏というのは、かえって彼らには相応しいものだったかもしれない。まぁ、当方は15日の演奏が血肉化してしまっているので、他の日の演奏は何かと批判的にながめがちだけれど、前述のリズムのとちりさえなければ、この演奏がオリジナルに収録されても決しておかしくなかったとさえ思うほどだ。
 ついでに書けば、日本の武道館は音響が悪いのでライブ・アルバムには使えないとか、昔からもことしやかにいわれていたけれど、ややデッドな響きがするような気もするものの、音質的に他の2日間のものと比べて特に劣っているとも思えない。マルチトラックで収録されているだから、あたり前といえば当たり前なのだが、いったいこうしたことは誰がいいはじめたのだろう?....確かメンバーだったような気もするが(笑)。
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ディープ・パープル/ライブ・イン・ジャパンの研究<3>

2006年07月05日 23時30分07秒 | ROCK-POP
 こちらはオリジナルの「ライブ・イン・ジャパン」に収録された8月15日のおなじみの演奏。どうでもいいことだか、このディスクにはオリジナルにはスタートより数秒早く始まり、これまで聴いたことがないチューニング風景が数秒間とはいえ収録されているのはファンとしてはうれしいところだ。

 「なんでぇ、結局日本だろうが、どこだろうが、オレ達いけるじゃん」みたいな感じ、前日ですっかり感じをつかんだのか、前日とはうってかわってパワー全開、ドライブ感あふれる演奏になっている。なにしろ、冒頭のチューニングも早めの手数の多いフレーズが繰り出しているあたりでもわかる。イントロのペイスも一音一音の音がデカイし、ブラックモアもいきなり音をぶっちぎっているという感じでレッドゾーンぶりである。ロードのオルガンもよく歌いよどみないフレージングを展開、途中転調あするあたりでもテンションを下げずに一気に弾ききっている感じなのがいい。ロードのオルガン・ソロもそうだが、続くブラックモアのソロはもはやロックのスタンダード・ヴォキャブリーとでもなっているようなもので、後半のギラギラ・フレーズなどはジェフ・ベックなどとは違った意味で、ロックの見本のようなものになっている。ちなみにこの部分でペイスが気を敏に反応しているのも、このパフォーマンスの桁外れなドライブ感の絶妙な隠し味となっている。ちなみに好不調の激しいギランだが、ここでは終始絶好調。随所で聞ける「雄叫び」もばっちりと決まっている。

 という訳で、やはりこの演奏はサイコーではある。なにしろもう35年もこれになじんでしまっているのだから、この演奏がスタンダートとしてすり込まれてしまったということも無視できないが、翌日の演奏はこれよりさらにすさまじいテンションに達しているものの、いささか雑なところが散見してしまっているため、やはり全体のバランスとしてはこの演奏がベストだったことが分かるのである。
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ディープ・パープル/ライブ・イン・ジャパンの研究<2>

2006年07月03日 23時28分52秒 | ROCK-POP
んな訳で「ライブ・イン・ジャパンの研究」の本編。研究....などとはいっても、基本的には三日間の演奏をざっくりと聴きくらべるって程度のものなので、そのあたりはあらかじめご了承を....。まずは、当然といえば当然のごとく「ハイウェイ・スター」、今夜は初日の演奏である8月15日のはパフォーマンスから。

 日本初日の演奏せいなのか、なんとなく日本という異郷の地のオーディエンスを目の前にして、どこなく手探りというか、パワー全開というよりは八分の力でさらりと演奏しているという感じ。メンバー達も「日本の連中はオレ達の曲をどのくらいわかってんのかな?」という猜疑心でもあったのかもしれない(笑)、とりとめないチューニングから、ペイスのイントロなど後日の演奏と比べると、明らかにおずおずと開始しているのがよく分かるし、イントロの最後でジャーンといくところも、心底炸裂していない感じである。ソロもほとんど手癖でのみに終始してるロードなども、そうした様子見感がよく出ていると思う。また、ギランもコーダでは例の雄叫びがないのはちょいと寂しいところ。それに比べれると、ブラックモアのギターは前半はアーミングで音をこねくり回しているだけだが、後半ではかなり高潮して、大きく盛り上がるのはさすがというぺきだろう。

 とはいえ、この時期といえば、メンバー間のテンションがバンド史上最高潮に達していた時期ではあるので、客観的にみれぱ、これはこれで非常に優秀な演奏ではあるのは間違いない。少なくとも「マシンヘッド」直後のライブなどに比べれば、数段優れているだろう。問題なのは、我々がこの翌日に演奏したのもっと凄いパフォーマンスを既に知ってしまっている....ということなのかもしれない。
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ディープ・パープル/ライブ・イン・ジャパンの研究<1>

2006年06月19日 23時27分39秒 | ROCK-POP
 5月27日に「ライブ・イン・ジャパン」をちょこっと取り上げ直後、思い出して最近とみに良く聴いているのが、1993年に突如発表された3枚組のデラックス版の「ライブ・イン・ジャパン」である。1972年の行われたディープ・パープルの日本公演は8月15,16,17日の計3ステージで、その後出た「ライブ・イン・ジャパン」はこの3ステージからベスト・バフォーマンスが収録された訳だけれど、こちらのデラックス版はその3ステージが各一枚づつに収録され、72年の日本公演のほぼ全容といってもいいようなものが再現されたものだ。これが一体どのような経緯で発表になったのか、私は全く知らないのだが、最初にこのアルバムを観た時、あまりに「出来過ぎな話」に加え、ジャケのチープさが相まってほとんど海賊盤だと思ったほどだ。

 ともあれ、90年代ともなれば既にほぼ完璧なロック伝説と化していた日本公演の全貌がく聴けるとなれば、ほとんど「これを買わずに何を買うのか」という感じで購入してきたのだけれど、一聴した印象としては、「今さらこんなの聴かされてもなぁ」というものだった。70年代....いや、せめて80年代に聴いていたのなら、大興奮だったのかもしれないが、いかんせん、ロックそのものが古典芸能化し、「ライブ・イン・ジャパン」そのものが完全なヴィンテージ化してしまった90年代の半ばという時期が悪かったのかもしれない。オリジナルは15,16,17日の3ステージから主として16日のものが収録され、15と17日は1曲づつということは、70年代に既に明らかになっていたから、残りの2日にいったんどんなパフォーマンスが行われたのかが、ほとんどのリスナーにとって興味の的だったハズで、私もその例外ではないのだけれど、残り2日の公演の16日に比べて云々するには、あまりにオリジナルの演奏が自分の中で多肉化してしまい、客観的に聴けばオリジナルとほぼ同等のテンションの疾走感のあるこれらの演奏を聴いても、一様に劣ってしまうように聴こえてしまったのである。20年という歳月の大きさを知った瞬間であった。

 ともあれ、それから約10年、ほとんど資料的なコレクションみたいな感じで放置してあったこのアルバムだが、ひょんなことからオリジナルとの聴き比べみたいな感じで毎日聴いているところだ、なかなかおもしろい。結論から書いてしまえば、ライブ・パフォーマンスとしては、3ステージはどれもなかなか拮抗したパフォーマンスであるといえ、この陣容のディープ・パープルとしてはほとんど最良というか、ほぼキャリア的にピークを迎えていたことが実感できる。しかし、その中でもその演奏の壮絶さとキズのない演奏完璧さとのバランスという点では、やはり16日のものが傑出していたことがよく分かるといったところだろうか。以下(後日)、この3日間のハフォーマンスについて思いつくままに書いてみるとしたい。
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ディープ・パープル/ライブ・イン・ジャパン(RM)

2006年05月27日 23時34分36秒 | ROCK-POP
 ディープ・パープルで初めて購入したアルバムというと、なんと「ライブ・イン・ジャパン」で、記憶によれば発売日だったと思う。確かこれの発売に先駆けて、FMでオンエアされた「ハイウェイスター」にぶっとんで、勇躍して千葉のヤマハ(山野楽器)で購入したのだったと思う。ただ、当時の私はディープ・パープルというと、「ハイウェイ・スター」とその他1,2枚のシングルしかもっておらず、他の曲も「ハイウェイ・スター」と同じようにぶっとんだかといえば、あんまりそうでもなかったような気がする。とにかく演奏が長い、とりわけインプロが長いのには圧倒されたが....。

 ちなみに日本でディープ・パープルが本当にブレイクするのはこの2年後、「紫の炎」の頃だったんじゃないだろうか。今じゃ伝説化して誇大化して語られることも多いけれど、この時期はまだまだロックがあくまでも若者の一部を取り込んだマイナー・カルチャーの世界、つまりミュージック・ライフとか音楽専科なんかを読んでいる人たちのみで通用するようなフィールドでの出来事で、「パープルが日本でのライブを出して、日本のロックシーンが震撼した」みたいな感じでは、ほとんどなかったんじゃないかと思ったりもする。

 さて、このCDは「イン・ロック」「ファアー・ボール」「マシン・ヘッド」と続いた、パープルの25周年記念特別パッケージ仕様のリマスター盤。オマケのディスクには「ブラック・ナイト」「スピート・キング」「ルシール」のアンコールが入っている。音質はこれまでのシリーズ同様、目の覚めるようなという形容が決してウソでない素晴らしいリマスタリングで、ペイスのタムやキックもグローバーのベースが生々しく甦える(例の3枚組より音圧あります)。ただ、オリジナルではブランクだった曲間が、クロスフェードでつながっているのはちょっと違和感あるかな。
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DREAM THEATER/Images and Words

2006年05月07日 12時36分22秒 | ROCK-POP
 92年の第2作。音楽面はもちろんですが、ジャケ等も現在のドリシア路線を明確に決定した作品ともいえます。非常にソリッドでテクニカルでありながら、割とポップなメロディアス指向もあって、王道ロックのミクスチャー的な混沌もある....といった感じでしょうかね。

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1. Pull Me Under - (8:11)
 中期ラッシュを思わせるエスニックなサウンドからゆったりと始まり、やがてヘビーなサウンドへと発展。前作のスピーディーの上にもスピーディーを重ねたような展開と比べると、一聴してゆとりを感じさせる。もちろん、前作ラインの超高速パートもふんだんに出てくるワケだが、曲の文脈の中で無理なく統一されてきたというところだろうか。"Pull Me Under"のコーラスも印象的だし、全体として音楽の洗練度がぐっと増しているのがまずもって成長を伺わせる。ただ、この唐突なエンディングはちと....。

2. Another Day - (4:22)
 一作目でも聴けた哀愁路線。こちらは前作のように結局はいつものメタル・パターンに収束してしまったアレンジに比べると、より単体としてバラード・ナンバーとしてまとまっている。ある意味で産業ロック的なポップさ(サックスを模したシンセがいかにもいかにも-笑)、大仰さだが、ドリシアというのはこういう面を確実に持っているバンドなのだろう。非常によくまとまっているし、ドリシアらしさは全くスポイルされていないのはさすがといえようか。

3. Take the Time - (8:21)
 こちらは1作目路線の「変拍子+メタル・リフ」的な要素で構成された作品。非常に凝ったリズムがふんだんに登場し、ドリシアのテクニカルさを満喫させるが、やはり1作目と比べると、展開があれほどに唐突でなく、かなりこなれてきている。中間部ではかなり目まぐるしい展開になるが、あくまでも大きな流れが寸断されていないあたり、かなり腕をあげたな....という印象。

4. Surrounded - (5:28)
 ヴァースはかなりポップでメロディック、しかもアコスティックである。前作ラインからすると、かなりポップになったなと思わせるし、ヴォーカルもシャウトでなく地で歌っているのもオヤって感じ。もちろん、本編が始まってしまえば、ソリッドなサウンドになるのだが、それでもかなりポップだ。つまり、これまた産業ロック的な作品というワケだ。ラボリエのヴォーカルはこういう作品に意外な適性を発揮しているし、ムーアのキーボードもツボを心得たものだ。

5. Metropolis - Part I(9:30)
 思わせぶりなシンフォニックなイントロからして、いかにも大作の雰囲気がただよう。前半はギターの変拍子リフ主体で進み、ダークな色彩で進む。ヴォーカルはなんとなくナレーションのようである。で、例によって、込み入った展開となる中間部は、その先の読めない展開がいかにもドリシアであり、その多彩さは前作を超えているともいえよう。そのピークでテーマが回帰するワケだが、その呼吸はなかなかいい。このあたりも前作のぎこちなさを克服したともいえる。

6. Under a Glass Moon - (7:02)
 アップ・テンポで進むメタル風の作品。そういえば、このアルバムではこういう作品はここまであんまし出てこなかった。ただ、ラボリエのヴォーカルのせいなのか、それでもなおポップな趣があるのは妙である。それにしても、このアルバムでのペトルーシは、前作での「俺が、俺が」的な露出ぶりとは、別人の感がある。さてはあれはプロデューサーの意向だったのか。とはいえ、この曲ではふんだんにソロとってます。
 
7. Wait for Sleep - (2:31)
 きらめくようなシンセ&ピアノ・サウンドにのってファンタスティックといってもいいようなサウンドが展開される。間奏曲風な作品。どうもこれはムーアのセンスらしい。いろいろ研究している人のようだが、基本的にはポップな人なんだろう。クインシー・ジョーンズなんかも好きに違いない。

8. Learning to Live - (11:30)
 アルバム中最長の大作。やや低回気味だが雄大な序盤、メタルっぽいリフ&コーラスが登場する中盤、そしてギターやキーボード・ソロをメインとして、さまざまな仕掛けが登場する中間部後半と、このあたりはドリシアのメルクマールといえる展開だが、なかなかドラマチックに盛り上がる趣向で前作ラスト同様、アルバムの締めくくりにふさわしい趣である。(99/11)

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DREAM THEATER/When Dream And Day Unite

2006年05月06日 12時13分49秒 | ROCK-POP
 99年頃書いたものですが、どこに出したのか不明。当時はこんな感じでアルバム収録曲全部の上っ面をなでるみたいな文章をあたりかまわず書いてました。ちなみにドリシアは当ブログの守備範囲ぎりぎりバンドです....というか、もう超えちゃった?(笑)。

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1. A Fortune in Lies
 いかにもメタル風なギターのイントロだが、リズムがころころと変わり、キーボードはスペイシーで立体的な感じなのが普通ヘビメタとは一線を画する手法といえる。そのままアップ・テンポでヴォーカル・パートに突入にするが、基本となるテーマを繰り返しつつ、変拍子とひっかけと目まぐるしく場面転換が起こるあたりもなかなかテクニカル。タイコはもろにモーリス・パート風だし、中盤のギターはイングヴェイとかあの手のパターンで、ともあれすごいテクニックとしかいいようがないが、ここまでくるともはや侘びと寂とかとは無縁、スポーツ的としかいいようがあるまい。快感ではあるが。

2.Status Seeker
 アメリカン・ハード・ポップ風に明るいイントロ、ちょっとブリティッシュの香りもあるが、あっという間に精力的なリフにかわり、すぐさまコーラス主体のヴォーカル・パートへと快調に進む。イントロに象徴されるように、やや哀愁を感じさせるポップなムードが全体を覆っている。

3.The Ytse Jam
 ラッシュの「YYZ」を思わせるインスト作品。1と同様、激しい場面転換、そして超絶メタル・ギターが縦横に走る。こういう曲を聴くと、ドリシアというバンドは5人編成でありながら、ベーシックなところはギター・トリオから発想しているんだなと思わせる。途中キーボード・ソロなどもあるが、基本的にはこのアルバム、ギター・トリオ+2って感じなのではないか。ともあれ、非常に精力的で、若さで押し切ったようなところが、この曲のいいところでもあり、食い足りないところでもあろう。

4.The Killing Hand
 アコスティック・ギターのイントロから、一転してヘビーでシンフォニックなサウンドへといかにも大作の風情を漂わせている。さて、切々と歌い上げるハイ・トーンなヴォーカルはチャーリー・ドミニシだが、やはりラッシュのゲディー・リーを思い起こさせなくもない。ともかく前半は彼のヴォーカルを中心にジワジワと盛り上がり、中間部に入るとアップ・テンポなリズムがかわり、例によって激しい場面転換と早弾きのソロが入り交じってドリシアらしい展開となる。そのピークで冒頭の雰囲気が回帰するというのは、お約束のパターンだが、もう少しドラマチックに盛り上げておいてもよかった。ただし、その後、もう一山あるんだけど。


5.Light Fuse and Get Away
 変拍子絡みのメタル的リフがおもしろい。またブレイクをビシッと決めていく呼吸はラッシュを思わせる。で、2分半近くインストでひっぱっておいて、ヴォーカルが出てくるのは、やけにドラマチックな段取りだが、あたかもABCDE....と繰り返しなしでずんずん進んでいく(本当はそうでもないのだろうが)のもそれ的だ。後半はキーボードが主導してスペイシーな展開となるが、結局ハイライトはジョン・ペトルーシのギターになってしまう。やっぱ、このバンド、ラッシュ流のトリオだわ。

6.Afterlife
 こちらは割とストレートなメタル・ナンバーといえるかもしれない。ソリッドなギター・サウンドにうっすらとキーボードの白玉が重なり、そこにハイトーンのヴォーカルがのっかって、そこはかとない哀愁を感じさせるあたり、ちょいと「グレイス・アンダー・プレッシャー」の頃のラッシュに影響でも受けたかな?って感じ。後半は例によってギター・ソロ+キーボードのユニゾンでもう一山。

7.The Ones who Helped to Set the Sun
 前曲からSEでカットインして始まる。いきなりアブストラクトでアシッドな空間が演出され、それがキーボードを主体としたミステリアスなサウンドに発展。このあたりは錯綜した雰囲気で進むが、ツーバスのリズムがなだれ込んで来ると、変拍子リフとアップテンポが交錯するいかにもドリシアらしい展開となる。それにしても、この怖いもの知らずでなんでもやってしまうこの勢いはやはり「若さ」としかいいようがない。もっとも大昔のロックって、みんなこんなだったのだが....。

8.Only a Matter of Time
 イントロは珍しくキーボードが主体の作品で、本編はどちらかといえば哀愁路線の仕上がり。キーボードがアクティビティを発揮しているおかげで、サウンドはアルバム中でも随一といっていいくらい厚く。曲調の切迫感もあいまってラストにふさわしい高揚感が展開でアルバムラストを壮麗に締めくくる。(99/11)

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スクリッティ・ポリッティ/アノミー&ボノミー

2006年04月24日 22時35分45秒 | ROCK-POP
 最近、ズルして過去のログの使い回しばっかですが(笑)、まったく個人的なことではあるものの、昔自分で書いた文章読むといろいろ思い出したり、へぇ、こんな的はずれな印象感じてたのかと嘆息したりで、けっこうおもしろい。私は2000年くらいを境にMacからWinに切り替えたので、それ以前のデータをCDRに焼いて保存してあったのですが、どこかへ行方不明なってしまっていたところ、まったく違うディスクに一部残っていたのを発見し、それをあれこれ眺めては、最近アップロードしているという訳です。

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 2,3週間くらい前かな、新譜が出たっていうんで、勇んで購入してきたんですが、従来のサウンドから大幅にギター・サウンドへシフトして、ラップだのハウス色を濃厚にしたという感じになっていたせいなのか個人的にはこの仕上がりにはがっかり。やっぱ、スクポリといえばシンクラビアの打ち込みバリバリのテクノ・ファンクの極北みたいな、ぶっちぎりのサウンドってイメージが強烈だし、こうなんていうか、今回のギター・サウンドって意外性を狙ったのかもしれないけれど、凡庸な意外性を狙ったところが本当に凡庸になってしまった...みたいな感が強いですよね。

 まぁ、もともとスクポリの音色旋律みたいなサウンドって、プロデュースのアリフ・ディマーティンの力も大きかったと思いますけど、今回はそれにかわるインパクトなかったのが何しろ拍子抜け。どうせなら、スクエアプッシャーみたいな路線(フュージョン・テクノ)+あのボーカルみたいな、そういう斬新さを当方としては期待しないでもなかった訳ですが、あのナヨナヨボーカルばっか聴かされてもなぁ....って感じ。
 されにしても、スウィング・アウトはすっかりジジ臭くなったし、プロパガンダやABCは音信不通だしで、バブル期のヒーロー達って今が一番ぎびしいのかもなぁ(笑)。

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 以上は、99年8月8日に書いたものですが、そういえばこのアルバム、それ以来聴いてないような気がするなぁ。今、聴いたら印象も違うかもしれないけれど、2ちゃんねる風にいえば、このアルバム私にとっては典型的な「がっかり砲」だったようです。

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ケイト・ブッシュ・ストーリー

2006年04月19日 23時46分03秒 | ROCK-POP
 かれこれ十数年前に出た彼女のベスト盤。名曲「嵐が丘」のリメイクから始まって、若干、欧米と日本のセンスの違いを感じないでもない選曲ではありますが、全盛期の歌声が聴けるという趣向です。彼女の声を聴くのは実に何年ぶりですが、「ウオ」「ドリーミング」「ブリージング」などなど、名曲の数々にしばらく陶然と聴き惚れてしまいました。特に「少年の瞳をもった男」など聴くと、もうお決まりの「あの頃は....」的回想の津波状態(なんせ、これ聴いた時18歳でしたから-苦笑)。

 それにしても、ケート・ブッシュって人、大成しなかったなぁ。彼女が出てきた時、なみいる英国の個性的なボーカリスト達に十分伍する新人の登場だと思ったし、英国の未来を背負ってたつ超個性だとも思った訳ですけど、「魔物語」以降、アバンギャルドとポップの狭間で自分を失ってしまったというか、自らの個性を生かす音楽を作り出せなかったという感じがするんですよね。ついでにサンプリング・シンセみたいな飛び道具の効用を過信して、自分の一番強力な個性が歌だということを忘れてしまったように見えたのも惜しかった。

 今からでも遅くない、昔断った007の主題歌でも歌って、一介のシンガーとして戻ってきてくれい>ケート。

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 以上、これまた98年頃に某掲示板に書いた文章のようです。ケート・ブッシュといえば、昨年なんと12年ぶりだとかいう、2枚組の新作を出したようですけど、残念ながら「一介のシンガーとして戻った」ような仕上がりでもなさそうです。だけど聴いてみようかな。
 ちなみに彼女が断った007は確か「フォー・ユア・オンリー」だったはず。
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STONE TEMPLE PILOTS / Purple

2006年04月14日 19時56分38秒 | ROCK-POP
 ストーン・テンプル・パロッツは90年代中盤にいわゆるグランジ系のロック・バンドとして登場したように記憶していますが、レッド・ツェッペリンとエアロスミスが80年代風のギター・サウンドとミックスしたようなどろどろ感じが妙に気持ち良くて、このアルバムなど最近でもよくiPodで聴いたりしているもんで、ブログにでもレビュウしようかな....などと思っていたら、98年9月4日(金)23時56分にどこかのBBSに書き込んだのが出てきましたんで、掲載しときます(このところ、こんなんばっかだな-笑)。

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 最近のロックはジャンルが細分化しすぎているので、これが何と呼ぶのかさっぱりわからないが(メジャーなのかマイナーなのかも知らない)、とりあえず、昔の言葉でいうとグランジ系とでもいうのかな、ともかく60年代サイケとハード・ロックとパンクがぐちゃぐちゃになったギター・サウンドで、店頭でかかっていたのをなにやらひつかかるものがあって思わず購入してきてしまいました。

この手の音って、イギリスだとストーン・ローゼス、アメリカだとREM&ニルヴァーナあたりから始まったと思うんだけど、ジジイの私からすると「こんなもん全然新しくねぇ」というか、むしろ古くさくて「おめえら、若いクセしてなにジジイくせーことやってたんだよ」みたいな感じで、逆にそこがニヤニヤして聴けたりしたところだったのですが、このバンドも基本的には前述のバンドとほとんど変わらないって感じで、10年前に出てきていてもちっともおかしくないって音。

で、今のロックって、結局こんなもん拡大再生産してるだけなのかよ....ってちらっと頭をよぎったりもするだけれど(だって、仮にストーン・ローゼースだのREMだのが新しかったとしても、もう十年もたつんだからね)、まぁ、そういうこと云々する方がジジイだわな.... などと、逆に反省したりもしつつ聴いていたりする。いかんなぁ、ジジイはあっ、若いの人の音楽にどうも否定的になってします。

とか文句いいつつ、実はけっこう好きなんですわ、こういうの。実際、スタイルの新しさとか音楽的意義なんてのは、この際、問題ではありません。音楽がよければそれでよい。このバンドのドライブ感は非常に快適だし、なんか、70年代初頭の西新宿で鳴っていそうな(笑)、どっか虚脱したようなムードなんか私の70年代デシャブすら誘ってとてもしっくりくる。あぁ、なんて後ろ向きの聴き方なんだろう(失笑)。

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