孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

非常識を優雅に楽しむ

2018年05月24日 | Weblog
学校で習った学識や世間の常識をブログに書く人がいないように…単なる学識知識や常識を自慢する人はいません。

ところが常識知識を超えた自然界のあり様や生物動物の生態となれば話のネタになるし聞く耳があります。

ところで私は逆は真なりにして非常識を優雅に楽しんでいます。

ちなみに朝起きて顔も洗いませんから目やにがついたまま朝の食事となり、しかも手も洗いません。
また牛糞まみれの牛舎のパートから帰っても顔や手を洗わずにして昼の食事となっています。
また暖かくなるとパートや野良仕事で汗ばみますが、その汗が乾いてシャツに塩がふいて縞模様になっていますし、また額の汗が目に染みると痛くてたまりません、そんなことになってから水で顔を洗うことがあるのですが石鹸を使ったことがありませんから、使ったタオルが汚れで染みつきますが、それを見て面白がって笑っているのが私です。
…昔なら当たり前ですが…今どき石鹸も使わない人がいるでしょうか…

ちなみにスーパーの賞味期限からして半額となったお総裁や牛乳やパンを多く買い込んで数日間食しています。
だから食した後で変質していたりカビが発生していたことに気付くときもあります。
また食しているときに転げ落ちた物・かたまりを拾って平気で口に入れることもあります。

ちなみに洗いざらしの肌着や作業着がほころびていたりハセが切れていてもボロボロになるまで使い切っています。

だから私には…否定反発排除したがる衛生観念や清潔感や潔癖症や完璧主義はありません。
だから…成り行き任せの何でもありの人生となっています。
だから…束縛制限支配したがることにもなりませんから…自由と平等・調和意識があります。

ところで家族の元へ山菜などを持って帰る時もこざっぱりしたジーパンとシャツですが、山のフキを持って帰る時に20年ぶりに折り目のついた黒ズボンをはいて帰り、それを面白がって見せて皆で大笑いしました。

後日談ですが…摩訶不思議を含めて上記に書いたようなことを娘家族に話して聞かせることが多いのですが…その孫たちが…爺ちゃんはいつも楽しそうに面白そうに話しているね…と感心していたようです。

…ちなみにそれも…イライラ憂鬱がない・悩み苦悩がない・明るい気分で元気に暮らしているからです。

何はともあれ…暇で退屈していますから一般的には面倒くさいような雑多であっても、その雑多があることが・手短に簡単に何か成すことがあると・それがありがたくもなり・作業することが面白く楽しくもなります。

然るに逆は真なりにして…日々忙しく事を成している自己拡大中は雑多が面倒くさかったのですが…矛盾偽善からして自己縮小して事を成さなくなって暇すると…そのどうでもよかった雑多の数々や自然界に接することに生きている価値・本来の価値があることに気付いたのです。

だから素朴謙虚に暮らしている生活が楽しくも優雅にもなるのです。

だから…空腹こそが最高の料理となる。
だから…貧乏こそが最高の道楽であり贅沢となる。
だから…非常識を優雅に楽しむ。

だから…世間離れした生活を大いに自慢しています。

だから人間離れした生き方を…人間の肉体や感情体とは異なる宇宙生命体の精神体でもって…自問自答しながら生きているとしています。