孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

善人ぶらずに…素朴謙虚にして生きることを優雅な道楽が如くにしていれば…

2018年05月19日 | Weblog
私も不完全意識にして矛盾偽善がありますが孤独の自由にして過疎地で暮らしていますからその分だけ矛盾偽善が出ることが少ないですし、この世人間界が矛盾偽善に満ちていることも自覚認識していますから、尚更に事を成して矛盾偽善を出すことにもなりません。

ちなみに自分が生きて行くために仕事や雑多で自分が犠牲になることがあっても、人のために私が犠牲になることは面倒で憂鬱になるから避けております。

また税金を納めるのも法律で決まっているから仕方なしに応じているし、税金の仕組みからしてその恩恵を受けていることもありますから納得しています。

ちなみに親孝行が言われますが…その親も両親から育てられてきましたから…基本的には順繰りなのです。

また私も我が子を育ててきましたから基本的には帳消しになります。

だからあえて親孝行を言うのは…善人ぶった偽善者が己は賢い人間だとばかりに見せしめ主張していることになり…当たり前で普通の親を特別仕立てにして尊敬するように思い込ませている・洗脳されていることにもなります。

ちなみに親の世話をしている孝行人も矛盾偽善からやっていることは内心で自覚しているはずです。

また己の保身・プライドからして・世間体や見栄でやっていることは…自分のためですから…致し方なく行動できるのです。

だから困っている人を己の犠牲でもって助けることも矛盾と偽善があります。

ちなみに困っている人を助けたという自惚れ慢心の自己満足欲しさからやっていることになります。

とにかく人間は生まれながらにして面倒なことはしたくないのが本心です。

だから生きて行くための食って寝て糞をすることさえ面倒にもなるのです。

ちなみに生きていることさえ面倒になり自殺する人がいます。

しかしそれでも自分のためなら何でもできるという矛盾があるのです。

だから何か事を成すのも自分に都合がいいからできることであって、
人様のためにわざわざ犠牲になるのは・苦労を買って出るのは…善人ぶって自惚れ慢心の自己満足欲しさ・我欲でやっていることになるのです。

またそんな偽善を積み重ねてきた偽善者が年老いて思うようにならないばかりか障害を持ったり要介護の身になったときに…何で善人の私がこんな目にあうのよ…と恨めしくも思い後悔することになるようです。

だから世のため人のために思わずにして自分のことだけして生きているほうが矛盾や偽善にならずに済むのです。

ちなみに私のように素朴謙虚にして生きることを優雅な道楽が如くにしていれば自分のためにもなり、また人様に迷惑をかけたり、我欲からして悪さをすることにもならずに済むのです。