人間は意識で生きている関係から、その意識で学び知ったり思い考え思考錯誤したり葛藤したりしながら精神体や感情体や肉体を使う事になりますが、先ずは精神を使いそれを感情で表すために肉体を使う順序になります。
だからいつの世も精神面が重要視されているわけです。
ただ皆が(集合意識が)精神面を重要視していないから困ったことが繰り返されているのです。
ところで宇宙・万物にそれぞれの役割使命がありますから人間も同じです。
だから微生物は微生物だけが成せる役割を普通に果たして使命を終えています。
だからアリはアリの役割を果たして使命を終えています。
その使命を終えると無になるのではなくてその意識・命は元から実在し続けていますから、その微生物もアリも元々の意識・命が進化して形作られたのは人間の進化と同じですから、人間だけが進化してきたのでありません。
そして人間の役割使命にあるのもアリと同じで、何とかしながら食って寝て糞をして生きていることでお役を果たしています。
ただ人間だけは生きている事に価値観を見出そうと良い悪い(善悪・優劣・損得)で判断する習性を持って生まれてきましたから、他の万物とは差のある位置に属していると勝手に思っています。
だから神を特別に思いアリを劣る生物と見ていますし、同じ人間同士でも比較判断し合っています。
ところで人間が食って寝て糞をしながら生きているだけで何で役割を果たしていることになるのでしょうか。
その答えと言うべきものが先程の「人間は意識で生きている」ことにあります。
だから生きながらにして、そのお互い様とお蔭さまの関係でその役割を果たしながら、この世の全てのものと接し触れ合うことから、その全ての意識・命に関する事に気付き学び知りながら、人間の精神面・意識を充実させて「進化していく」ことが使命にあるのです。この世の見せ掛けの形を進化させることでは無いのです。
だから生きている中でアリを見る事になったときに、そのアリほどつまらないものはいないと思うこともあるでしょうし、そのアリの役割・働きを見て関心を寄せることになったりするでしょうから、その時々の思い考えが精神面・意識を使っていることからして、その「意識で生きている」ということが、その役割使命を果たすために生きている事につながるのです。
またそのアリに思いを寄せている当人を見た別人がその思いを勝手に巡らせる事になれば、アリを見ていた当人が知らない間に別人の意識に影響を与えたことになりますから、それも併せてお役を果たしていることになります。
だからそれがアリではなくして人間関係になっても同じです。
賢い子であれ悪たれであれ、機敏であれ鈍感であれ、商売上手であれ下手であれ、口達者であれ下手であれ、金持ちであれ貧乏であれ、それら見掛けに関わらず全てのことが共に学び合う関係になっていますから、そのすべてが「お蔭さま」であり「お互い様」の関係になるのです。
だから生まれたての赤ちゃんが親の愛情を知り、その親も産みの苦しみと子育ての喜びを知りますし、関わる周りの人に精神的感情的にも影響を与えていますから、それが生まれながらにして早くも赤ちゃんの役割を果たしていることになります。
また田舎で呑気に生きている人にも学びがあり、それをかいま見て判断する人にも学びがあります。
またゴミ屋敷で暮らしている人にも学びがあり、それを見て批評する人にもその学びがあります。
またホームレスやフリーターにもその学びがあり、それを見て判断する人にもその学びがあります。
だから当の本人が「知らない間に」人様に<お手本>を示している形になり、それが(人様の)お役に立っていることになります。
・・・本人が知らない間にお役に立っていることが「愛」なのです。
・・・だから皆さんも知らない間にその愛が出ているのです。
それも「生きて」いるからこその愛・役割になります。
だから子供であれ大人であれ老人であれ、男であれ女であれ中性であれ、健康であれ怪我人であれ病人であれ死に掛けていても、また五体不満足であれ健常者であれ、我がもの顔であれ、人思いであれ、田舎者であれ都会者であれ、社長であれ社員であれ、生産製造技術者・研究開発者・医科学者であれ、詐欺師やドロボウであれ殺人者であれ、テロや戦争犯罪人であれ、如何なる主義思想家であれ、救世主であれ聖者であれサタンであれ、この世の全ての形の中で何らかの学び合いになっていますから、それらに関わった人達は(自他共に)その役割を果たしていることにもなるのです。
それらの役割を果たすためにこの世に生まれてきたといっても過言ではありません。
そして皆がそれぞれの役割を果たしているのですから「差」はありません。
しかもお蔭さまとお互い様の関係になっているから調和の関係になっているのです。
ところが問題なのは人間だけが「良い悪い」で判断しているその一点だけです。
だから犯罪者が悪いばかりではありません、皆のお手本としてお役に立っている良い面もあるのです。
また善人ぶっていても裏陰で悪いこともしているのですから、皆がお互い様なのです。
またこの世に絶対善人や絶対悪人はいません、見える(一つの)「事実」があるだけです。
だからその良い悪いで判断しなければすべてが役割使命(愛)を当たり前に果たしているだけのことになるのです。
そして宇宙・万物が共存し共に進化している事実があるだけになります。
だからその進化に人間の意識・命が乗り遅れないようにと、宇宙・神の仕組みの必然から、この世で初の完全真理がこの世で説かれているのです。
だからいつの世も精神面が重要視されているわけです。
ただ皆が(集合意識が)精神面を重要視していないから困ったことが繰り返されているのです。
ところで宇宙・万物にそれぞれの役割使命がありますから人間も同じです。
だから微生物は微生物だけが成せる役割を普通に果たして使命を終えています。
だからアリはアリの役割を果たして使命を終えています。
その使命を終えると無になるのではなくてその意識・命は元から実在し続けていますから、その微生物もアリも元々の意識・命が進化して形作られたのは人間の進化と同じですから、人間だけが進化してきたのでありません。
そして人間の役割使命にあるのもアリと同じで、何とかしながら食って寝て糞をして生きていることでお役を果たしています。
ただ人間だけは生きている事に価値観を見出そうと良い悪い(善悪・優劣・損得)で判断する習性を持って生まれてきましたから、他の万物とは差のある位置に属していると勝手に思っています。
だから神を特別に思いアリを劣る生物と見ていますし、同じ人間同士でも比較判断し合っています。
ところで人間が食って寝て糞をしながら生きているだけで何で役割を果たしていることになるのでしょうか。
その答えと言うべきものが先程の「人間は意識で生きている」ことにあります。
だから生きながらにして、そのお互い様とお蔭さまの関係でその役割を果たしながら、この世の全てのものと接し触れ合うことから、その全ての意識・命に関する事に気付き学び知りながら、人間の精神面・意識を充実させて「進化していく」ことが使命にあるのです。この世の見せ掛けの形を進化させることでは無いのです。
だから生きている中でアリを見る事になったときに、そのアリほどつまらないものはいないと思うこともあるでしょうし、そのアリの役割・働きを見て関心を寄せることになったりするでしょうから、その時々の思い考えが精神面・意識を使っていることからして、その「意識で生きている」ということが、その役割使命を果たすために生きている事につながるのです。
またそのアリに思いを寄せている当人を見た別人がその思いを勝手に巡らせる事になれば、アリを見ていた当人が知らない間に別人の意識に影響を与えたことになりますから、それも併せてお役を果たしていることになります。
だからそれがアリではなくして人間関係になっても同じです。
賢い子であれ悪たれであれ、機敏であれ鈍感であれ、商売上手であれ下手であれ、口達者であれ下手であれ、金持ちであれ貧乏であれ、それら見掛けに関わらず全てのことが共に学び合う関係になっていますから、そのすべてが「お蔭さま」であり「お互い様」の関係になるのです。
だから生まれたての赤ちゃんが親の愛情を知り、その親も産みの苦しみと子育ての喜びを知りますし、関わる周りの人に精神的感情的にも影響を与えていますから、それが生まれながらにして早くも赤ちゃんの役割を果たしていることになります。
また田舎で呑気に生きている人にも学びがあり、それをかいま見て判断する人にも学びがあります。
またゴミ屋敷で暮らしている人にも学びがあり、それを見て批評する人にもその学びがあります。
またホームレスやフリーターにもその学びがあり、それを見て判断する人にもその学びがあります。
だから当の本人が「知らない間に」人様に<お手本>を示している形になり、それが(人様の)お役に立っていることになります。
・・・本人が知らない間にお役に立っていることが「愛」なのです。
・・・だから皆さんも知らない間にその愛が出ているのです。
それも「生きて」いるからこその愛・役割になります。
だから子供であれ大人であれ老人であれ、男であれ女であれ中性であれ、健康であれ怪我人であれ病人であれ死に掛けていても、また五体不満足であれ健常者であれ、我がもの顔であれ、人思いであれ、田舎者であれ都会者であれ、社長であれ社員であれ、生産製造技術者・研究開発者・医科学者であれ、詐欺師やドロボウであれ殺人者であれ、テロや戦争犯罪人であれ、如何なる主義思想家であれ、救世主であれ聖者であれサタンであれ、この世の全ての形の中で何らかの学び合いになっていますから、それらに関わった人達は(自他共に)その役割を果たしていることにもなるのです。
それらの役割を果たすためにこの世に生まれてきたといっても過言ではありません。
そして皆がそれぞれの役割を果たしているのですから「差」はありません。
しかもお蔭さまとお互い様の関係になっているから調和の関係になっているのです。
ところが問題なのは人間だけが「良い悪い」で判断しているその一点だけです。
だから犯罪者が悪いばかりではありません、皆のお手本としてお役に立っている良い面もあるのです。
また善人ぶっていても裏陰で悪いこともしているのですから、皆がお互い様なのです。
またこの世に絶対善人や絶対悪人はいません、見える(一つの)「事実」があるだけです。
だからその良い悪いで判断しなければすべてが役割使命(愛)を当たり前に果たしているだけのことになるのです。
そして宇宙・万物が共存し共に進化している事実があるだけになります。
だからその進化に人間の意識・命が乗り遅れないようにと、宇宙・神の仕組みの必然から、この世で初の完全真理がこの世で説かれているのです。