孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

朝霧の天体ショーに続いて、庭先で「毒蛇マムシ」の集団移動を目撃しました。

2015年11月16日 | Weblog
今朝の自然界ショーを見た後の正午のことですが、冬に使う囲炉裏用の薪つくりを庭でしているときに犬が庭先の土手下の茂みに向かってほえまくるので何事かと見たのですが何の異常らしさも見当たりませんでした。

ちなみに犬が吼えるということは何がしの獣や小動物がいるからですが、私に見えないのなら大したことはないとほっといたのですが、それでも犬はほえ続けていました。

そしてしばらくすると土手下ではなくてその上の庭先の草花が咲く平地の草むらをにらんで吼えているから不信に思って犬の側に近寄ってみたら、なんと毒蛇のマムシが上がって来ていたのです。

そこで囲炉裏端の火バサミで捕まえて土手下に放り投げたのですが、なんとそれより大きいのが二匹と先ほどの中くらいなのが同じ場所に1匹いたのです。

その4匹を土手下に放り投げたのに今度は細長くて小さなのが上に出てきて、それも放り投げたのですが、また同じ場所に中くらいなのが出てきました。

だから4匹以上いた可能性がありますが、
蛇を同じところで複数見ることは子供の頃からして一度もありません。

だから蛇は単独で行動するものと思っていました。
なのに大小のマムシが同時に同じ場所に集団で上がってくるなんてのは稀なる現象を目撃したことになります。

ちなみに犬の嗅覚や聴覚の凄さにも現実にして驚きました。

また蛇は体温が下がると機敏さが無くなりますからあまり危険はないのですが、どうやら朝の冷え込みで体温が低くなったので土手上の日当たりに良いところで体温を上げるためだったと思えます。

ちなみに蛇を見ると親の仇をとるが如くに殺したがる人が少なくありませんが、私が巳年の関係かもしれませんが蛇を見ても知らん顔してほっときます。
しかし巷では毒蛇のマムシを見たからには危険なから殺すのが当たり前になっています。

何はともあれ一匹の蛇さえめったに目撃しないのに、危険な毒蛇マムシが集団で移動してくるなんてのは誰も見たことがないのではないでしょうか。

然るに私は偶然は無くすべてが必然に思っていることからして、
私自らが変化刺激の無い暮らしぶりをしているそのご褒美・おまけで仕組んで見せてくれたものと勝手に解釈しています。

然るに今日はおまけが2回あったことになります。

朝冷えのする早朝の天然ショーを見ました。

2015年11月16日 | Weblog
今日は朝冷えのする晴天でした。
そして日の出前から庭先に出ていたのですが、下里の吉野川から霞が立ち昇りはじめて、徐々に山景色を覆いながら頂上付近に達し、その霞が雲海如くに盛り上がったときに太陽が顔のぞかせてまぶしい日の出になったのですが、やがてその朝日を追いかけるように霧が盛り上がり、とうとう朝日まで覆われ始めてその朝日が光を失い一円玉如くに白くなり、その一円玉の太陽まで隠すほどに霧が濃くなりましたが、その上空は晴天で青々していますし後方の山頂は朝日に照らし出されています。

やがて朝日が雲海が如くの霧を抜け出して周囲を明るく照らすようになりましたが、その下には雲海が如くの霞は朝日に照らされていました。

然るに当たり前なのだが、当たり前でない見事さが演出されるのも自然界ならではのことでしょう。

私には芸術的感性が無いから上手く表現できませんが、これぞ正しく自然界ならではの見世物でした。

ちなみに私独りだけが見るのは何やら勿体無いようにも思いました。

然るに登山愛好家が年老いても続けられるのもそんな自然ショーがあるからではないでしょうか。

しかし私は標高500メートル程度の過疎地で住む老人が日ごろ庭先で見ている自然ショーの一つです。

それだけに巷の見事な人工物や艶やかな人為的な創作物が色あせているのです。

見栄張らず謙虚に生きる=「習うより慣れろ」=先ずやってみれば判ることです。

2015年11月16日 | Weblog
時代を先取りしたビデオ撮影制作が時代の花形になり有頂天になっていたのに其処で止まり、それ以上に追いかけていかなかったことで次第に仕事が減りましたが、そのお陰で過疎地暮らしが本格的にもなっていきました。

その過疎地暮らしに魅力を感じたことからしてビデオを自主廃業にした経緯が有りますが、あれこれと此れまで欲張ってきたその苦楽からして精神的に疲れていたと気付けたのも過疎地暮らしを味わったからこそです。

また惜しげもなく自主廃業にした中にあるのが此れまで時代を先取りしたことを数々やり続けてきたことで飽きてきた面もあります。

だから過疎地暮らしに魅力を感じたと思いますが、内心ではこれも時代の先取りになるだろうと思惑・予測していました。

そこで素朴で謙虚となる田舎暮らしとその時間つぶしにブログを書き続けているうちに、その素朴謙虚に生きることが何やら精神世界の根幹に思えるようになりましたが、それに合わせたかのように完全真理で自己縮小が言われたことからして自信になり、

その諸々を書き続けているうちに、この世に稀なるブログ=誰でもが公平にして実践できる=本物=謙虚にして見栄を張らない実践を書くまでになるとは予想だにしていなかったことです。

然るに此れが思惑・予測していた「時代の先取り」だったのですね。

その時代の先取りが=逆戻り・リセット=だったのですね。

と言うことは前々から予言的に言われていた=どんでん返しのからくりが仕組まれる=ことが近づいていることにもマッチします。

然るに2000年問題もマヤの暦も外れましたが、またそんな予言は世間に目立ちたがる輩が言っていることではありますが、やがて大地震が起こることは確実ですし自然界が何やらおかしげになっているのも事実ですから、そのどんでん返しのカラクリが仕組まれることは当たり前にもなっています。

そして真坂の有事は天変地異だけではなくして、もう直ぐに老人大国になることからして、そのご老人たちが真坂の羽目に陥りことにもなるでしょう。

そして避けて通れないのが「認知症」「引きこもり」「孤独感」のようです。

何たって学童や今時の若者や働き盛りの人たちまでが患っている(前兆・前触れの)事実があり、しかも減る事無くますます増える傾向になっています。

だからこの世人様がどうあれ、己が自ら見栄を張らずにして謙虚に生きるしか他に道がないと書き続けているのです。

とにかく欲張ること、然るに無理する事無く、然るに見栄張らずに謙虚になるだけですから、いきなり困り果てることにはなりません。

然るに「学ぶより慣れろ」ですから、先ずはやってみれば判ることです。