謙虚となれば=このままでいいですよ=となります。
ところがそうは問屋がおろしてくれません。
やはり持って生まれた欲があるからです。
それじゃ欲を持ったままに、そのままに生き続けるとなると、これまた問題を抱えたままになりますから、芳しくはありません。
また私の経験からしてですが、夫婦関係が充実しているうちは何とかうまい具合に行きますが、その夫婦関係が冷めだし面白くなくなると、よほどのことが無いからにはもう元には戻りません。
そして夫婦一緒に行動することがあっても何だか義理で共にしている感じになり、
やがて別行動が増えて、それぞれが違った趣味嗜好娯楽に興じることになり、
同じ屋根の下で暮らしている事がやるせない感じになったり、そのやり場の無い・身の置き所が無くなったみたいになり、ドンドン色あせてきます。
しかもそのままにして老後を過ごすとなるとその先行きが闇に覆われたかのようになりますし、入院介護や在宅介護となれば尚更に闇が濃くなりそうです。
然るに私は仕組まれてのことですが、いつの間にやら柵から離れた過疎地単身暮らしになったのですが、然るにそれが正解だったのです。
何たって諸々のストレスから開放されて心身が軽やか元気になったのです。
そして孤独の自由のありがたさを噛み締めるまでになりました。
また孤独ゆえに他力に頼らない老後になったことで、その先々の老後や死に様に何やら自信めいたものが出てきました。
そんなことからして閃き気付いたのが、
人間は意識が原因で生きていますから、その意識次第でその結果も違ってくることからして、これまで自分の都合のために他力に依存することが多かった人ほどに(その意識が原因からして)=ウンコの後始末が自力で出来ないで他力介護に頼ることになる=そんな惨めな老後になり易いと言う事です。
そして自力を多く使ってきた人ほど自分で何でも出来ますから、その自分で何とかするその自力と自信とその精神力・意識力からして他力介護になる仕組み・可能性が低いと言うことです。
と言うことは「若い時から」既に老後人生の道のりが少しずつ定まりつつあると言う事実です。
だから若い時から謙虚な人ほど、有事に遭遇しても他力に頼らずに自力で何とかしますから、その自力と自信が尚更に身に付いてくるのですが、
他力に頼りすぎる人ほど、後々まで頼ろうとしますから、有事はもちろん老後や死に際にも他力依存・他力本願になるわけです。
そして意識が原因の結果に成ることからしていえば、どうやら子供が親を頼りにすることが多かった人ほど、当然その親はその子供を大事にしますから、それだけに親もその子供に頼りたがることです。
だから親を頼りにしてきたその子供に対してその親孝行をさせられる仕組みが起き易いようです。
と言うことからして最初から「運命」が定まっていると言うよりも、己の生き様からして己の運命を自ずと決めているのです。
だから若かりし頃を省みて過ちに気付き、今からでも早めに修正した人ほどその運命の方向性も変わってくるのです。
然るに「謙虚」になればなるほどに誤った方向性・道のりが修正されます。
そうなると己が運命を導き切り開いたことにもなるのです。
然るに意識が原因のこの世(結果)と言われているのです。
ところがそうは問屋がおろしてくれません。
やはり持って生まれた欲があるからです。
それじゃ欲を持ったままに、そのままに生き続けるとなると、これまた問題を抱えたままになりますから、芳しくはありません。
また私の経験からしてですが、夫婦関係が充実しているうちは何とかうまい具合に行きますが、その夫婦関係が冷めだし面白くなくなると、よほどのことが無いからにはもう元には戻りません。
そして夫婦一緒に行動することがあっても何だか義理で共にしている感じになり、
やがて別行動が増えて、それぞれが違った趣味嗜好娯楽に興じることになり、
同じ屋根の下で暮らしている事がやるせない感じになったり、そのやり場の無い・身の置き所が無くなったみたいになり、ドンドン色あせてきます。
しかもそのままにして老後を過ごすとなるとその先行きが闇に覆われたかのようになりますし、入院介護や在宅介護となれば尚更に闇が濃くなりそうです。
然るに私は仕組まれてのことですが、いつの間にやら柵から離れた過疎地単身暮らしになったのですが、然るにそれが正解だったのです。
何たって諸々のストレスから開放されて心身が軽やか元気になったのです。
そして孤独の自由のありがたさを噛み締めるまでになりました。
また孤独ゆえに他力に頼らない老後になったことで、その先々の老後や死に様に何やら自信めいたものが出てきました。
そんなことからして閃き気付いたのが、
人間は意識が原因で生きていますから、その意識次第でその結果も違ってくることからして、これまで自分の都合のために他力に依存することが多かった人ほどに(その意識が原因からして)=ウンコの後始末が自力で出来ないで他力介護に頼ることになる=そんな惨めな老後になり易いと言う事です。
そして自力を多く使ってきた人ほど自分で何でも出来ますから、その自分で何とかするその自力と自信とその精神力・意識力からして他力介護になる仕組み・可能性が低いと言うことです。
と言うことは「若い時から」既に老後人生の道のりが少しずつ定まりつつあると言う事実です。
だから若い時から謙虚な人ほど、有事に遭遇しても他力に頼らずに自力で何とかしますから、その自力と自信が尚更に身に付いてくるのですが、
他力に頼りすぎる人ほど、後々まで頼ろうとしますから、有事はもちろん老後や死に際にも他力依存・他力本願になるわけです。
そして意識が原因の結果に成ることからしていえば、どうやら子供が親を頼りにすることが多かった人ほど、当然その親はその子供を大事にしますから、それだけに親もその子供に頼りたがることです。
だから親を頼りにしてきたその子供に対してその親孝行をさせられる仕組みが起き易いようです。
と言うことからして最初から「運命」が定まっていると言うよりも、己の生き様からして己の運命を自ずと決めているのです。
だから若かりし頃を省みて過ちに気付き、今からでも早めに修正した人ほどその運命の方向性も変わってくるのです。
然るに「謙虚」になればなるほどに誤った方向性・道のりが修正されます。
そうなると己が運命を導き切り開いたことにもなるのです。
然るに意識が原因のこの世(結果)と言われているのです。