今日は朝冷えのする晴天でした。
そして日の出前から庭先に出ていたのですが、下里の吉野川から霞が立ち昇りはじめて、徐々に山景色を覆いながら頂上付近に達し、その霞が雲海如くに盛り上がったときに太陽が顔のぞかせてまぶしい日の出になったのですが、やがてその朝日を追いかけるように霧が盛り上がり、とうとう朝日まで覆われ始めてその朝日が光を失い一円玉如くに白くなり、その一円玉の太陽まで隠すほどに霧が濃くなりましたが、その上空は晴天で青々していますし後方の山頂は朝日に照らし出されています。
やがて朝日が雲海が如くの霧を抜け出して周囲を明るく照らすようになりましたが、その下には雲海が如くの霞は朝日に照らされていました。
然るに当たり前なのだが、当たり前でない見事さが演出されるのも自然界ならではのことでしょう。
私には芸術的感性が無いから上手く表現できませんが、これぞ正しく自然界ならではの見世物でした。
ちなみに私独りだけが見るのは何やら勿体無いようにも思いました。
然るに登山愛好家が年老いても続けられるのもそんな自然ショーがあるからではないでしょうか。
しかし私は標高500メートル程度の過疎地で住む老人が日ごろ庭先で見ている自然ショーの一つです。
それだけに巷の見事な人工物や艶やかな人為的な創作物が色あせているのです。
そして日の出前から庭先に出ていたのですが、下里の吉野川から霞が立ち昇りはじめて、徐々に山景色を覆いながら頂上付近に達し、その霞が雲海如くに盛り上がったときに太陽が顔のぞかせてまぶしい日の出になったのですが、やがてその朝日を追いかけるように霧が盛り上がり、とうとう朝日まで覆われ始めてその朝日が光を失い一円玉如くに白くなり、その一円玉の太陽まで隠すほどに霧が濃くなりましたが、その上空は晴天で青々していますし後方の山頂は朝日に照らし出されています。
やがて朝日が雲海が如くの霧を抜け出して周囲を明るく照らすようになりましたが、その下には雲海が如くの霞は朝日に照らされていました。
然るに当たり前なのだが、当たり前でない見事さが演出されるのも自然界ならではのことでしょう。
私には芸術的感性が無いから上手く表現できませんが、これぞ正しく自然界ならではの見世物でした。
ちなみに私独りだけが見るのは何やら勿体無いようにも思いました。
然るに登山愛好家が年老いても続けられるのもそんな自然ショーがあるからではないでしょうか。
しかし私は標高500メートル程度の過疎地で住む老人が日ごろ庭先で見ている自然ショーの一つです。
それだけに巷の見事な人工物や艶やかな人為的な創作物が色あせているのです。