孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「謙虚」に生きることが本物になれば他のことに目移りしなくなります。

2015年10月30日 | Weblog
意識が原因の結果が出るのがこの世です。

そして良いことになったり悪いことになったりする矛盾があります。
だから良かれと思って成したことの結果が良かったり悪かったりとコロコロと様変わりしている史実事実があります。

ところでよもや話にお人よしや意地悪爺さん婆さん、ご隠居、長屋の大家、大店の主や若旦那、師匠、遊び人、遊女や芸者、金貸し・守銭奴、貧乏人や物貰い、お寺の和尚さんに小坊主、極悪人や正義の味方、あくどい人や施しを成す人、悪徳代官や名奉行、岡っ引き・手下などの様々な善人悪人が登場してきますが、
然るにこの世は「学びの場」=学び知り気付く為に形作られた世界なのです。

だから様々な喜怒哀楽・矛盾を味わいながらも自分が如何なる心構えで生きていくのか、その原因と結果の有様を体感し見聞し見極めながらも、結果的には中途半端な苦楽の無い生き様=然るに心穏やかに生きる様=謙虚にして=精神の安定でもって生きることで=納得人生で終わることになればいいようです。

然るにそれ以外は特別なこと・特別意識・差別意識になるのです。

その特別意識・差別意識の戒めを解きながらもその張本人がいつの間にやら特別・差別意識を出すことからしてヘンテコなことになるのです。
然るに人気を得て目立つと人が集まりだしますが、すると私は正しいことをしているの錯覚勘違い自惚れ慢心や自己陶酔からして次第に謙虚さが失われることからして、いつの間にやら特別人間になるのです。

すなわち特別意識になる原因が迷える子羊たちを一堂に集めることからして謙虚さが無くなるのです。
然るにこの世は私は正しいと説教・説法・持論を主張して説く未熟な輩に対して謙虚さが必要なことを学ばせる場ともなるのです。
しかしそれに気付かずにして横道・邪道を進んでいくことになるようです。

と言うことは不完全で矛盾偽善のある未熟者が欲を出して思い考え想像し創作した形の見えない世界の法則・摂理・理論や哲学思想・スピリチュアル・精神世界は特別で見栄えのいい派手な飾り物の類ですから=本来なら必要ないのです。

とにかく肝心なのは「あるがまま」の素朴謙虚さです。

ところが「あるがまま」を説いている輩もその学び知った知識を言うだけ聞かせるだけ概ねにして本人には謙虚さはありません。
だから結果的には欲絡みにして目立ちたがり足下に人を集める形になっています。

と言うことは人を集めたがる目立ちたがる野心を持つ特別人間よりも世間で目立たない普通の人のほうが謙虚さにより近い位置にいると言えるのです。

だからあなた方が喜怒哀楽の繰返しで心身が疲れていることに気付いたならば、そこで頑張る・欲張る・見栄張る事無く素朴謙虚にして楽に生きる実践をしてみれば自ずと学び知り気付くことになるのです。

とにかくやってみなければ判らないのです。

然るに知りたがるやりたがるその意欲は無駄になりません。
そしてその結果が云々ではなくして、その結果の原因=内なる心意識精神の有様に自らが気付くことが肝心なのです。

だから同じところ位置で止まり中途半端に繰返すことよりも=心から納得できるまで歩み続ければいいのです。

そして「謙虚に生きる」しか他に道が無くなれば(他にこれといったものが見当たらなくなったら)=結果的には謙虚に生きることに納得確信したことに様変わりするのです。

欲張っている人が=「苦手」とする人は?

2015年10月30日 | Weblog
この世は矛盾に満ちていますから裏と表の関係があります。

だから味方と敵にもなります。

然るに天敵がいるようなものになります。

そこで自らが欲張らなくなれば、何かと欲張っている人を見定め見極めることが出来るようにもなります。

然るに謙虚になればその謙虚ではない人を見破ることも出来ます。

然るに欲張っている人が苦手とするのが欲張っていない人になります。

また特別な能力からして世間に目立っている人が苦手とするのは謙虚な人です。

然るに己の内に秘めた邪な欲・野心・野望を何やら見透かされているような気がするからです。

ところが欲張っている人や特別な能力を持っている人の所には同じく欲張りで世間に目立ちたがる人たちばかりが集まってくるから胸を張っていられます。

まして謙虚な人が来るはずもないし、例え来ていても静かにしていますからそんなに問題はありませんし、何か不都合なことを質問されても適当に誤魔化していれば謙虚な人は騒ぎ立てませんから事無くすみます。

また欲絡みで集まっている組織団体のトップやリーダーを支えている下積みの人が多いほど好都合ですから、然るに意欲的に取り組んでくれる人にご褒美をちらつかせて新人を勧誘させたがります。

然るに普通では満足できない人を引っ張り込む手立てがあるほうが運営しやすいから、そこで客寄せパンダになる形を見せびらかすことにもなります。

だから神通力とか神の手と言われるような超能力や霊力や念力などの類を持ってさえいれば簡単に人が集まるし、その集まってきた人が宣伝広告・勧誘してくれますから尚更に好都合です。

そして集まっている人たちにもっともらしく摩訶不思議の世界・宇宙の法則・自然の法則・摂理・真理・道理や世界平和・自由平等調和を説いたり、自然体・あるがままを説いたり、また欲張ってはいけませんよ謙虚になりなさいよと説いたとしても、
集まっている人たちは他力依存的な思い思惑期待の欲に目がくらんでいますからただ聞くだけ言うだけで実際には実行実践しませんから何度でも言い聞かせることが出来ます。

またその矛盾や偽善を見破る人が時たま出てきてもその場には二度と現れてきませんから大した影響にはなりません。

そして信者意識になった人が常に底を支えてくれていますから、その信者を褒め称えて掴んで離さなければ何とか安泰にしておれます。

しかも組織団体が大きくなるほど土台骨が揺るぐことにもなりません。

とにかく「触らぬ神に祟りタタリなし」ですから、人が集まるところに関わらないほうが賢明なのは事実です。

だから孤独の自由にして独自独歩で歩んでいくしか他に道は無いのです。