孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

親を介護することでその財的支援や代償を受け取る形にもなります。なのに・・・

2015年10月16日 | Weblog
親の在宅介護している人と、親の介護に携わっていない人の大きな違いに、その親の財的なことがあります。

ちなみに親の介護で家族崩壊があっても財的破綻した人がいるでしょうか?

然るに親の介護をしているということを世間一般から見れば、過去にそれに相当するだけの親の恩・援助・支援を受けていたはずですし、また親からの財産分与・譲渡もあるはずです。

また介護している親が生きている限りその年金を丸取りもできます。

だから定額の副収入にもなります。

また医療制度や社会保障制度も充実していますから、よほど特別な介護をしなければ親の年金が赤字になることはありません。

だから親の介護で財政危機や破綻することはまずないでしょう。

あれこれ詳しく書くと異論反論を招くので財的なことは終わりにしますが、とにかく「親の介護」を特別に美化するのも問題ありです。

とにかく己の意識が原因からしてその結果が出ているのは事実ですから、介護する方も介護される方も、自らの意識・思い考えからして選んだ結果ですから、自分が蒔いた種を自分が刈り取るように自己責任を果すことになるのも当然のことです。

だから(先祖供養も含めて)親孝行や介護することを(自己主張して)私は正しいことをしていると美化することは偽善にあたります。

ちなみに私が世間離れしたような生き様をしている中にあるのが、私の老後が厄介者で終わらないように心掛け実践するためでもあります。

そのためにも健康が一番ですから=病は気からの如くに=心身のストレスにならない生き様を心掛け実践しています。

然るに素朴謙虚さが必要になります。

また命惜しさで死とは闘わずにして、そのままの成り行きに任せます。

然るに孤独死・無縁死・野垂れ死になることを気にしていませんし、それを望んでいるところもあります。

また死後の世間的風習・伝統慣例などはすべて不要と家族に伝えています。

とにかく厄介者にならずにして「如何に死ねるか」が私の老後の生き方でもあります。