孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

マザーテレサは聖女ではありません、お金に魅せられた一種の「金の亡者」の類にあたります。

2015年10月03日 | Weblog
聖女マザーテレサと書いたブログのタイトルが目に付いたことからして書くのですが、
マザーテレサはマザーテレサであって聖女ではありません。

私から見れば金の魅力に執りつかれた一種の「金の亡者」の類に思えます。

ちなみにお金にほとんど縁が無かった人が思い通り上手い具合にお金を手にすることが出来ると何だか自信が付いたようになって、俗に言うお金に目がくらむが如くになる事例があります。

然るに当初のマザーテレサは修道院の矛盾からして抜け出して貧困飢餓の所に行って自力でもって役立つことをしていたのだが、己一人ではどうしようもない・此れではダメと思い立ち、然るに人集め金集めにしていつの間にやら財団を創設できるまでになりました。

となれば当然にして人様から集めたお金を己の思うがまま勝手に使ったり分配したりができます。
そうなると公平さに欠けているし、また主導者のテレサのエゴ・思い思惑がまかり通ることにもなります。

なのに聖者呼ばわりすることはインチキ・偽善の宣伝広告になりますが、それが如何にも正しいと主張堅持して持ち上げ奉る者がいると、その裏事実を知らない未熟な者たちがテレサは凄いと羨み憧れ尊び奉っる信者意識にもなれば、如何にも妄想・思い込み・洗脳を受けたかのようになります。

ちなみにオーム真理教がマザーテレサ財団に寄付したことの証明書を看板にしていたようです。
そして事件後に撤回したようです。

然るにそれだけの魅力があるから財団に寄付する人も多くなり=テレサもそれを目論み見通していたようです=それだけ財団も潤い、それだけに尚更財力勢力を伸ばし、然るに社会に及ぼす影響力も大きくなります。

だから良いこともあるがそれが悪いことにもなる、その矛盾の結果がそれだけ大きく出てきます。

とにかく個人の自力でもって事を成しているときはそれだけで終わるが、他力がどんどん加わるごとに大掛かりになり、それがいつしか方向性を間違うことになれば過去の史実に見られるようなこの世を騒がす大きな問題にもなるのです。

然るに何事も小から始まるのです。
だから小のままに止まっていれば大ごとにはならないのです。

然るに不平不満だけで終わっていればそれだけで終わるのです。
だから「諸悪の根源」には至らないのです。

然るに「此れではダメ」ではなくして、そのまま・このまま・あるがままの事実だけを見て、己の持つ自力・自信・精神力でもって処理解決していくだけでいいのです。

そして「どうしようもない」不完全で矛盾・偽善のあるこの世人間関係を気にする事無く、頑張らないで、欲張らないで、見栄張らないで、余計なことを無理しないで、楽に生きていけばそれでいいのです。