孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

神仏霊魂・宗教・精神世界に関わって、自らが窮屈な思い(自縛)をしている人が大勢いるようです。

2015年10月01日 | Weblog
持って生まれた各々の意識・原因意識はどうしようもありません。
ちなみに日々許しを請う懺悔したところでその場限りなのは事実です。
何たって諸悪の根源である不平不満を持っている限り日々後悔反省することばかりが続きます。

しかもその不平不満になる原因意識=善悪・優劣・損得で判断し、その良いとこ取りはするが都合が悪いことを否定反発・排除したがる不完全・矛盾意識を絶対的に消すことが出来ない以上は不平不満が出続けます。

そして様々な精神世界に真面目・真剣・真摯に関わっている人なら尚のことに不平不満が出続けていることに自らが気付いているはずです。
そして如何なる修練鍛錬・瞑想・修行をしても(自惚れ慢心思い込み洗脳陶酔していなければ)一時の仮初で終わり結局は余計で無駄だったと気付くはずです。

然るにミイラが如くになるまで修行した釈迦はその事実を弟子たちに伝えたが、その釈迦の域・精神に達するためには同じ修行が必要として繰り返しているようです。

ちなみに完全真理の仲間の人が己の未熟な精神に気付くも自分では「どうしようもない」ことからして消化しきれづに内に溜め込む時期がありましたが、
どうしようもない事はほっとけばいいと気持ちを切り替えてから精神的に楽になったそうですが、
しかし持っているものは出てきますから仕事場や家族関係の中で今も苦労苦悩しているようです。

そんな己の未熟さとこの世人間関係の矛盾偽善からして、
今を生きていくために何とか仕事は続けるが、
この世・自他共にどうしようもないから、それら諸々の精神的負担を軽減するために私的な恋愛も結婚もしないままの生涯独身を貫く覚悟でいるようです。

然るに精神世界に関わったことからして自らが窮屈な思い(自縛)をしている人が大勢いるようです。
しかしその事に気付いていない人も大勢いるようです。

その己の内なる精神に縛られると窮屈なから、そこで対外的な方向に目を向けて偽り誤魔化しているのが布教宣伝活動や慈善奉仕活動ではないでしょうか。

また同じように何か特別な事を成して世間に目立つことで世の為人の為に役立っていると思い込み慢心し、自己満足・自惚れ自己陶酔にもなっているようです。

となると世間で目立ちたがっている超能力・霊力・念力、手かざし・チャネリング・ヒーリング・セラピー・カウンセラーなるものを施し成している者も、先ほどの輩と同類の「同じ穴の狢=井の中の蛙」に思えませんか、

となると、そんな輩を=羨み尊び祀り上げ信頼し=頼ることにもなりません。

そしてそれら輩に関わっていたことを後悔反省することからして自縛が解けて、其処から離脱・開放されることになります。
ちなみにそんな経験経緯をたどった人も多いことと思われます。

そして自他共に「どうする」ことも出来ないと自覚できたならば、
思い切って未開のジャングルの中でターザンが如くに独り天下で悠々自適に暮らしているほうが

世間や人間関係で気をもむ事無く呑気気楽で「自分の為」「精神の安定」に都合がいいと思いませんか、
そして死ぬ時が来たら野生動物が如くに、誰の迷惑にもならずにしてあっさりと死ねて、その屍が自然界に還元できて役立ちます。

と言うようなことですが、私は完全真理の自己縮小の実践を知る以前から、既に仕組まれてターザンが如くに暮らし始めていましたから、その実体験・実感で納得した事柄を完全真理に当てはめて、根堀り葉堀りブログに書き続けているのです。