孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「マトリックス」「白昼夢・SF」「想像の世界」「特別探し」=「自分探し」

2015年10月27日 | Weblog
ブログの世界は特別人間の世界でもあります。
何故なら普通ではない特別を自慢したいからです。
とくにスピリチュアルほど特別意識満載です。

然るに暇な時間つぶし・趣味嗜好娯楽・変化刺激にはもってこいなのがブログです。
何たって常識はずれの信じるか否かの摩訶不思議が勢揃いしています。
だから特別人間が白昼夢が如きやSFもどきに魅せられた人が大勢訪れています。

しかしそれらに詳しくなって話のネタになっても人間本来の生き様が変わるわけではありませんから、概ね思い思惑・理想・期待だけで「実」にはなりません。
それでも特別人間同士ならば「マトリックス」が如き理想・偽装・想像の世界の中で白昼夢が如くに生きていくことは可能になります。
しかし生きてはいるが実で生きていない中途半端な生き様になります。
だから拘り・未練・執着を抱えたままの納得出来ない人生で終わり後悔することになるでしょう。

ところで素朴謙虚に生きることで精神の安定になると書いてはいるもののそれを事実にして実践を始める人は極々少数だと思っています。

ところがそれでも=私が仕組まれて過疎地暮らしをしているときに=完全真理の中で自己縮小の重要性が言われたことからして=「水を得た魚」の如くに自信になって現在があるように、
既に世間の片隅で素朴謙虚に生きている人には=このブログが大いに自信になるはずですし納得確信にもなるはずです。

または巷の不完全で矛盾偽善があるスピリチュアル関係から抜け出すきっかけになったり、既に抜け出した人にとっては大きい自信になることでしょう。

また不完全なこの世人間関係に馴染めなかったり違和感があって「自分探し」をしている人にも役立つことになると思いますが、しかしそれが特別探しであればこのブログは不向きになります。

とにかく素朴謙虚に生きることの重要性を認識自覚できなければ=普通=に生きていても、その中に特別が紛れ込んでその苦楽で精神の安定性に欠ける生き様になります。

何はともあれピラミッド社会の上に立つ人よりも底辺で下積みになっている人の為に精神世界があるようなものですから、
そこで特別を欲しがらない、然るに頑張らない・欲張らない・見栄張らないで、余計なことを無理しないで楽に生きていれば、
自ずと素朴謙虚に生きることの重要性が自覚できるようになります。

聖徳太子・坂本龍馬・ヒットラー・麻原彰晃が謙虚だったら、

2015年10月27日 | Weblog
過去のモーセが謙虚だったら、釈迦やイエスが謙虚だったら、ジャンヌダルクやナポレオンが謙虚だったら、ガンジーやマザーテレサが謙虚だったら、
聖徳太子や坂本竜馬が謙虚だったら、
ヒットラーやオウムの麻原彰晃が謙虚だったら、

然るに「此れではダメだ」と頑張り欲張らず見栄張らずに謙虚にしていたならどうでしょうか、

然るに「この世・人間界」にとって特別の人間がいいのでしょうか、それとも普通の人間がいいのでしょうか、

ちなみに誰もが自由平等・調和が人間にとって重要と知っているのに、ところが多くの人は差を付けて「特別」になりたがっています。
そして自らの自由を自縛・束縛制限したり、自他共に否定反発・排除することにもなっています。

だから過去の歴史や史実にあるように「特別な輩」が出てくると何故か先導・誘導・洗脳されたが如くに従う特別な人が大勢集まることになるのです。
すなわち特別を欲しがる人がこれまた特別を欲しがる人と繋がり結び付くことで独りでは不可能なことが可能になるのです=然るに問題の始まりです。

そして次第に組織化されて大きく表に出てくるのです。
そして表立つほど更に賛同する者が集まって次第に大きくなってくるのです。
またその集合意識からして更に大きくもなるのです。

ところが自らに特別な能力力量があろうとも、素朴謙虚にしていたなら他の人を大勢巻き込むことにはなりません。

然るにモーセ・釈迦・イエス・ジャンヌダルク・ナポレオン・ガンジー・マザーテレサ・聖徳太子・坂本龍馬・ヒットラー・麻原彰晃らは元は独りだったのに同じ思いの人が大勢集まったことが問題の発端なのです。

そしてその=結果=が云々ではなくして「欲でもって人が集まる」ことになったその=原因=意識が問われているのです。

そして不完全意識の世の中人間関係だけに「何を成せども」同じ不完全な結果が出ますから=然るに中途半端で「どうしようもない」から=そこで頑張らずに欲張らずに見栄張らずに余計なことに無理しないで素朴謙虚に生きていくほうが「自分の為」=精神の安定=になりますよ、と書いているのです。