孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

<謙虚>=精神の安定に勝るものはなし→実感納得できるブログです。

2015年10月13日 | Weblog
ブログを書き始めて2800日が過ぎましたが、その当初は摩訶不思議の世界・霊魂の世界・想念の世界・完全真理と過疎地暮らしが入り混じったものでしたが、
それらを思いつくままに書き始めているうちに(いつの間にやら)私の中でどんどん進化し続けて本物・真実を見出し見極めることが可能になり、
そして最近では「楽しく」生きることよりも<楽に生きる>ことを書き続けていましたが、
ところが前回の文書を書いているときにふと浮かんだ「謙虚さ」を書き綴っているうちにその奥がどんどん深くなりました。

ちなみにその謙虚の言葉の意味を知りながらもその中味を深く自覚納得できていなかったのです。たぶん皆さんも同じではないでしょうか。
だから書き終わる頃には=謙虚=此れしかない、とまでになりました。
然るに前もって予想だにしなかった文書になったのです。

ちなみに古今東西の諸々の説法・説教・摂理・道理や真理を知らなくても、また自分さえ良ければの個人意識丸出しで生きていても、
とにかく謙虚に生きることで精神世界の根幹である=精神の安定=に到ることができるのです。

だからこの世人間関係の矛盾偽善で疲れ果てている人が「精神の安定」を望むのであれば謙虚になればいいのです。

だから神仏霊魂・信仰宗教・超能力・霊力・念力、手かざし・チャネリング・ヒーリング・セラピー・カウンセラーなどの他力に頼らなくても、
また人里はなれた田舎暮らしや過疎地暮らしでなくても、
とりあえず謙虚に生きることを納得確信した意識でもって生きていけば何とかなるかもしれません。

しかしその謙虚の中に頑張らない・欲張らない・見栄張らないで余計なことを無理しないで楽に生きることが含まれています。
然るに言葉が単純明解な「謙虚」の二文字になっただけです。

そして複雑難解でゴチャゴチャした家族人間関係や欲に染まった世間の中で謙虚に生きるとなれば、よほどの自力自信の精神力が必要になるでしょう。

また己の個性性格や人間関係や状況環境によってはそれら柵シガラミから離れる必要性も出てきます。

となれば世間の片隅で生きているホームレスやホームレス行脚している人たちやニート・フリーターなる人たちが世間一般の人よりもそれだけ謙虚に生きていることになるかも知れませんし、精神が安定した生き様になっているかもしれません。

何はともあれ人様よりも自分のことですから、自らが精神の安定を望む者が謙虚になればいいのです。

然るにその意識力・精神力からして成るようになるだけです。