孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

矛盾が消えて本物・事実を味わうことで喜怒哀楽のない心穏やかな「精神の安定」が可能になります。

2015年10月05日 | Weblog
宇宙自然界は思い考えて行動しません。
ただ天地を創造した全知全能によって仕組まれた各々の個性・役割・使命を果しているだけです。

だから太陽は太陽の役割使命を果たしているだけですから特別ではありません。
然るにスーパームーンと騒がれた月もその役目を果しているだけですから、燃え盛る太陽と役割が違うだけで劣るわけではありません。

また砂粒は砂粒の役目を果しているだけですが、その砂粒の元は地球であり溶岩であり岩石ですが、その溶岩や岩石のときもその役割を果しながら、そして次第に変化して今の砂粒になったわけです。

だから雑草は雑草の役目を果しているだけで太陽に劣るわけではありませんし、また人間に劣るわけでもありません。
それぞれの役割が異なるだけでその差はありません。
それを差別するのが人間だけです。

だから太陽を特別に思い神と崇めて太陽神として奉った過去があるように、今も太陽を善とし月を悪呼ばわりするような伊勢白山道なる者が世間に褒め称えられているように、何かと世間を騒がす邪な輩があとを絶ちません。

然るに何がしを特別に思わなければ差が無く公平になるのです。
そして役立っているか否かも思い考えなくていいのです。
ただ食って寝て糞をして生きているだけでも=生産と消費=労働提供と賃金支出=授受関係=お互い様・お陰様の関係が成り立っているのです。

ちなみに自然界の仕組みの中で長く暮らすことになると、人間たるおごり=特別意識=が愚かなことに思えるようになります。
だからどんなことになろうとも微動だにしない草木の命意識が即身成仏していると言うことに納得できるまでになりました。
またライオンが生きていくために精一杯ハンターになるが、空腹が満たされればゴロゴロ・ぐーたらするだけで余計なことはしません。

そんなことからして頑張らない、欲張らない、見栄張らないで、余計なことを無理しないで、楽に生きることの真価に気付き、
ただ生きているだけのような生き様の中に、
過去とは違った特別な自己満足ではなくて「普通」の中の小さな喜び楽しさ本物を味わえるようにもなりました。

しかしこの事をブログに書いても私の中にあることだけに皆さんに伝わりそれが行動実践になるには無理があるようです。
然るに「楽に」なるために何らかの無理をするという矛盾が出てきます。
しかし「楽に」なれば無理しなくなります。

だから自分さえ良ければの個人意識が消えなくても矛盾が消えて本物・事実を味わうことが多くなります。
だから自己満足と不平不満の喜怒哀楽の矛盾から卒業できます。

そして心穏やかな「精神の安定」でもって死ぬまで生きていくことが可能にもなります。

それが人間たる役割使命に思えています。