黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

休符

2008年08月17日 20時22分52秒 | Weblog
8月17日分。

 毎度。昨日に少しはしゃぎすぎたのか、反動が来てます。幽霊です。まあ、オフではしゃぎ回った後にはよくあることなので、今更と言えば今更という気もしますけれども。一日眠たいわ、若干喉がヒリヒリするわ、肉体的な後遺症はそのくらいで済んでます。メンタルの方に若干の低下傾向が出てますが、それはあれかな、明日からまた会社に戻らないといけないというコトも影響しているような。子供かアンタはって感じですが、そーなんだろうねーと苦笑いするしかありません。
 休み中、物書きは結局進まなかったというオチがついてます。一昨日に三千文字かな? くらい打ち込んだのが関の山で、今夜にまあ少しだけ進めておくことにしましょう。つい今さっきまで寝ていたので、夜はちょっと寝付けないでしょうし。実のところ、話を進めていく上で、最後の方で一箇所だけどうしようかなという未定の部分があって、そこを決めかねていたのも停滞の一因でした。とりあえずそこに関しては、これでいいかな、という結論が出るだけ出たので、そこの引っかかりはなくなりました。後は、本人の気力の問題でしょう。つーてもなー、このペースだとMFはちょっと厳しいか? どのみち、書くだけ書きますが。
 そうそう、昨日の購入履歴にもまた入れてませんし、今日の読書履歴にも入れませんが、『空の境界』の下巻まで読み切って、頭から読み返し終わりました。うん、よくまあこれだけそれっぽいものを書き上げたな、というのが正味な感想です。悪い意味で言っているわけではなくて、よくこれだけ作り込んであったな、という方での感想ですが。昔は奈須節というのか、良くも悪くも非常に良くできたラノベ的な単語の使い方やらが好きになれなくて、読み終わってすぐ売り払ったような記憶がありますが。前と心境が色々変化していることもあって、これは手元に残しておくのが良いかな、と思ってます。他にも思うことは諸々ありますが、いちいち全部書いていると長いだけだし独り言なので、以下にその内の一つだけを書いておきます。直接的に諸々思ったことを書くわけではないんですが、そこから派生して出てきた思考の一つですね。一つでも相当長いので、思い付く物全部書いていたら、このブログの一週間分くらいは埋まっちゃいますし。

 ということで。今日に一度、自殺念慮めいたものが出かかりました。……ご心配なく、踏みとどまりましたし、ぶり返しは無いでしょう。出かかった後で、こういうときだからと自分のことをつらつらと考えてみて。そのまま部屋を見回していたら、またいつものように、部屋の中の物を根こそぎゴソッと投げ捨てて全部さっぱりさせたくなる衝動が出ました。こういう衝動めいたものが出てくるようになったのは、いつからだったかなぁ。子供の頃には……あー、今でも子供みたいなものですからその言い方は微妙か……小中学生とか、高校生の頃には、そういうのは無かった気がします。特に小中では、むしろ「集める」コトの方に気が行っていた傾向があったくらいですし。高校時代にも無かった気がするし。大学時代までくると、さてどうだったかちゃんと覚えていません。あまり昔のことは、きっちり覚えているとは言えないし。割と記憶が不確かというか、興味が無くて覚えてないんでしょう。
 はてさて。物を捨てるというのは、どういうことなんだろうな、とか。我が家の場合だと、母親は割とすぱっと捨てる人で、父親殿はあまり捨てられずに溜め込んでしまうタイプのようです。母親曰く、父親殿のお母さんも捨てない人なのだとか。今流行らしい、MOTTAINAIとはまた別の感覚のようですが。私の場合だと、MOTTAINAIの感覚はそんなにあるわけじゃないのですが、服やら身の回りの品物はあまり入れ替えません。使えなくなったら、しょうがないなぁとぼやきながら買い直すくらい。ああ、服はさすがに年齢と立場と、若干昔と変わった嗜好と思考に従って結構整理したか。
 私自身にとって、一番捨てる物とは何か? 実は、本です。捨てると言っても、廃棄するという意味合いではなくて、実際には売却するという行為になっていますが、結果は同じこと。自分の目に付くところから、その本を排除するというのは一緒です。ただ、この本は要らないなとか、もう本棚に入らないから整理しなきゃ、というのと。今回話題にしている、一切合切をぶん投げたいという衝動は、若干違う気がしています。本に関しても、たまにごそっと処分したいという衝動が出るのですよ。本棚の余剰スペースの問題とは別に、余裕があるのに処分したくなる。整理の方は渋々、まあしゃーねぇなぁ……という感じでやるのですが。衝動の方は、わざわざ衝動なんて言葉を使っている通りで、かなり強い強迫観念めいたものです。単純に捨てるとか、使えなくなったから捨てるというのと、今私が考えている衝動めいたものに従って捨てるというのは、ちょっと分けて考えないといけない。
 それを踏まえた上で、じゃあ、捨てるっていうのはどういうことなのか? 普通に考えるなら、要らない物を整理する、場所を空ける、そんな感じでしょうか。つまりは余裕を作るためとか、余分を排除するということ。どっちも似たようなもんですかね。ちょっとしたニュアンスの違いだし、言葉遊びみたいなモンだし。じゃあ、私の衝動に従う「捨てる」というのは、何だろう? 物理的な意味合いでの、余裕とか余分とかとは別らしい。でも、余裕と余分という言葉は、物理的な方ではなくて、メンタルの方でそのまま使える気がする。捨てるというのは無くすということで、物質そのものと、それからその物質が持っていた意味とか価値とか、その両者を同時に無くすということです。形のある物と、その物が持っていた意味とか価値とか形のない部分との両方を、捨てる。あれかな、シツレンしたときに、カレシとかカノジョから貰った物とか、写真とかを捨てるという人がいます。そうやって、「あの人のことを忘れる」という行為をする。これもつまり、物質と、物質に付随する無形の何かしらを一緒に捨てているってことですよね。
 一切合切を捨ててしまいたいということは、自分の周囲を一掃したいということで、それは多分、物質そのものを無くしたいというのとは違うでしょう。実際にやったとしたら、後でまた必要な物質は買い集めないといけません。せめても、寝るためのベッドとか、私にとってはパソコンとかも必要ですし。だから、あの衝動は、物質量が増えすぎたから捨てたい、というのとは意味が違うハズ。であるならば、物質の方が問題なのではなくて、物質が持っている無形の何かの方、に問題なり捨てる意義なりがある。上で服を整理したという話にちょっと戻りますが、あの時に破棄した服の一部は確かに、よく見るともう随分着込んでくたくたになっていたものもあります。が、大半はまだ着られる物でした。物質的な意味合いでは、まだ着るのに問題は無かった。でも捨てた。見た目とか、そういう方面で捨てたというのもあるし、それ以上に多分、昔からずっと持っていたというコトの方が理由で捨てた。このときも多分、あの衝動があったハズで、であるならばつまり、あの衝動の源泉はやっぱり物質的な方ではなく、無形の方、メンタル的な意味の方に起因してくることになります。
 私の衝動が明確に意識されるようになったのは、多分、社会人になってから。大学時代にもあったかもしれませんが、ハッキリとそういう衝動が出るようになったな、と今の私が記憶していられる範囲は、社会人になった後からです。細かい感情やら思考の変動を覚えていられる範囲が、三年とか四年くらいしかないってことかもしれませんが……まあそれはともかく。捨てるというのは、上でも考えたとおりで、まず余裕と余分という概念を考える。そして、私の衝動の源泉は、メンタル的な意味の方にある。両方を合わせて考えるなら、私は、メンタルに余裕を作りたい、メンタルの余分を排除したいと考えている、ということになります。随分文字数を使って延々書いた挙げ句の結論がそれかよ、と言われるでしょうし、私も「まあ前からそーだろーなぁと思ってたけど」という感じですが。ま、結局これは独り言ですし、再確認とか自分の中での裏付けみたいなものなので。長い独り言だこと。
 感情とか、思考とか、心とか。そういうものには、個人差があるものです。それに多分、そういうものを受け入れられる器というか、そういうものを入れておける容器というか、それにも個人差があるんでしょう。イメージとしてはバスタブを思い浮かべてもらうと良いのですが、バスタブの中に、お湯じゃなくて、感情とか思考とか心とかを入れていく。どんどん入れていけば、その内バスタブは一杯になって溢れてしまう。器に個人差があるというのは、このバスタブの大きさに個人差があるということです。大きいからエライとか、小さいから駄目だとか、そういう意味ではないので悪しからず。それは純粋に、そういうものだってだけです。
 きっと、私のバスタブは、あんまり大きくないんでしょう。それなのに、私はほとんど毎日、何かしらを読んで、バスタブに有象無象をどんどん投げ込んでしまう。だから、ただでさえ大きくはないバスタブは埋まっていって、溢れそうになる。社会人になって以降は読む数が増えたり、もしくは読む内容が前より重いものが増えていて、バスタブに入っていく総量はかなり増えたはずです。それでなくても、仕事というのは人間が絶対に絡んでしまうので、私みたいな輩には不愉快な感覚もかなりの量を占めるでしょうが、バスタブにぶち込んで封印しておくものが増えます。と言うか、激増します。結果として、溢れる。なみなみバスタブに満たされたお湯を、ちょっとずつ手桶で掻き出してみても、またちょっと注ぎ足されたら溢れてしまう。だから、一気に捨てたくなる。そういうことなのかなーと、何となく思い付いたワケですね。……ああ、えらく長かった。実際、ここまで細かく考えていたわけではないし、このことを思考していた時間自体は、五分にもなりません。多分、何十秒とか、長くて二分とかくらいでしょう。自分の思考、特に抽象的な思考を他人に伝達してみようという試みがどれだけ非効率的か、というのがよく分かりますね。
 んで。こんな不毛な結論で終わるのも何なので、ちょっとだけ蛇足。私は、そんな事情で、ひたすら躍起になって捨てようとしている。そういう衝動にしょっちゅう見舞われている。それはつまりはメンタルに余裕がないから、溢れてしまいそうだから……もしくはもう溢れてしまっているから。多分私は、本来私自身が望んでいるよりも、フクザツになりすぎた、込み入りすぎてしまった、んでしょう。そうか、もっと私はシンプルになりたいんだ、というのが今日諸々考えた内の、結論の一つでした。そういえば、わざわざ冷房を使わない部屋にいたり、食事を簡素にしたり、そういう兆候は前からあったかもな、とも思います。そう、私はもっともっとシンプルになりたい。色々と自分が面倒くさくなってきていて、そういう自分を何とかしたい。軽くなりたい。……でも、どうして、そんなにシンプルに、軽くなりたいと願うのか? うん、それは多分……溢れて、重たくなって、そうなった結果として死んでしまいたくないから、じゃないのかなと。私は多分、まだ死にたくない。生きていたいと願う何かしらの理由があるわけじゃないけど、それでも、まだ死にたくない、らしい。何となくそれに気が付いたときに、涙が出そうになりました。この問題はちょっと前からあまり考えないようにしていたので、頭に出てきたのは久々でしたが。とりあえず現時点では、まだ死にたくない、と。そういう答えにして、またしばらく後まで保留しても良いだろうと、勝手に自分で納得しておくことにします。
 だから、大丈夫。自殺念慮のぶり返しは、しばらくはありません。多分。あと、こういうしち面倒くさいことを考えるのは、やっぱり『空の境界』を読んだせいでしょう。だから、明日からのブログは、こんなに長くはなりませんよ、多分。……ああ、こりゃ酷いな、昨日のオフレポより長くなってしまったじゃないか。この文字数、物書きに使えたらどれだけいいかなーとか思ってしまうのです。だって、五千文字超えてるんだぜ? ねえ? これを物書きに使えたら、さぞかしページ数が伸びるのにねぇ? ああ、MOTTAINAIなあもう。

読み:コミックス『GENTE』2巻
買い:なし
途中:文庫『蛇』
購入冊数 文庫4、コミックス5
読破冊数 文庫2、コミックス5

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