年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

漬物業の歴史 江戸時代まで

2006年03月16日 | 築地市場にて
漬物は、野菜を塩分によって保存したり,味付けたりしたことから始まった。奈良・平安時代にはすでに、塩漬・ひしお漬・粕漬などがあったようで、材料にはウリ、ナス、カブ、セリ、ミョウガなどが使われた。しかし塩は高価で、野菜の栽培もまだ一般的ではなかったので、漬物は限られたごく一部の人のためのものだったと考えられる。当時、塩は調味料として振りかけていた。
鎌倉時代に入ると禅宗が盛んになり,武士は質素な食事として,朝食は粥にダイコン漬二切れと梅干しであった.梅干しは戦時の携帯の食として大切にされた。やがて,室町時代に入ると,各種の野菜の栽培が始まり,神社や仏閣の祭りで販売されたりした。
 古い歴史を持つ漬物は家庭で漬ける食べ物として,売買されず,江戸時代になってようやく,京都や大阪市内と江戸では旗本や大名などへの出入り漬物の問屋が江戸市中に誕生し、漬物の振り売り(行商)が現れて、市民の食卓にも欠かせないものとして発展する。江戸時代の食事は「一汁一菜」と言われ,その中身は味噌汁と漬物をさしていて,漬物は主な副食であり,保存食であった。その代表はたくあん漬けで、米の精白が一般化したことで大量に生じたぬかが、漬け床として再利用された。今では名前だけでどのような漬物であったか判らない漬物も多数生まれた。
平成の現在、江戸時代から続いている漬物の老舗は少なく、あっても幕末からの創業で、大部分は明治時代以後の創業が多い。
江戸時代の食文化を記述している“守貞漫稿”によると、江戸京橋北に川村与兵衛と云う香物店あり。近年諸漬物を薄くきり、数品を折に納め、これを売る。音物・方物等に用いる所なり。はなはだ美にして蒸菓子折りに似たり。小折百四十八文ばかり、中折大折これに準ず。この他三都とも,この制を見ず。
川村与兵衛の店は東京都中央区の京橋大根河岸の碑から200メートルの位置にあった。 京橋区本材木町3丁目 創業・文化4年(1807)
音物(いんぶつ)とは、進物、贈り物。
方物とはその地方に産するもの、土産。
コメント (3)
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