年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

高輪台・畠山記念館の再開で

2024年10月31日 | 宅老のグチ
ずっと畠山記念館の再開を待っていた。ここはポンプのエバラの創業者が集めた茶道具の美術館である。自分自身は茶の素養はほぼゼロに近い。それでも福神漬の資料調査で日本醤油醸造の事を調べる内に畠山一清の事を知るようになった。
 畠山は東大を卒業後に、自由な研究が出来ることを製糖会社で成功した鈴木藤三郎から聞き、鈴木の会社に勤め、食品機械の設計に活躍した。日露戦争後に日本醤油醸造が関西の尼崎の工場で、醤油の中にサッカリンという人工甘味料を入れてあることが見つかり、大騒動となり、最終的には尼崎工場に放置していた廃棄物から自然発火し、工場が再起不能になってしまった。この事件は味の素の創業時の事件で、危うく味の素が巻き込まれる寸前だった。一度味の素の粉末が納入されたが返品され、仕方なく小分けにして瓶詰となり、そこから世に無い商品の販売の広告話となる。この味の素の高輪研修センタ-に食の図書館があって、しばしば本を読みながら想いに耽っていた。都営浅草線高輪台駅付近には福神漬の文献に出て来ることが多く、畠山記念館は二度ほど訪問したことがあって、和装の女性たちは比較的多く、やはり茶事の事を知っている人と見えて、着こなしは見事と見た記憶がある。もう一回は千宗旦の茶道具を見に行ったと記憶する。その後は工事中で記念館を横目にこの付近を通る道路計画を知っていたので、変化を知りたかった。
 暇に任せて目黒の庭園美術館に入って見たいと思い、ついでにどこを歩いて行くか考えて、畠山記念館の再開のホ―ムぺ-ジを見つけた。今は荏原 畠山記念館と名称が変わった。一応予約制だが、平日なら割高でも入れそうに見える。
 ここで熱と誠・畠山一清著という本をどこで読めるか尋ねてみたい。この本は荏原の社風に二宮尊徳の報徳思想を超える畠山の考え方があったと記憶するが今は検索しても都立中央図書館には出てこない。なにか荏原の社員用の研修本というようだ。報徳思想は戦後の一時期に日本農本主義と見なされていた時期があって、GHQの処分をヒヤヒヤしている様子が静岡県掛川市の大日本報徳社の戦後史に見える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大リ-グ中継中に病院巡り

2024年10月30日 | 宅老のグチ
大リ-グの決戦があって、日本でも視聴率が朝でも良いという。そこで考えて病院通いの日程調整をすることにした。
 様々な理由でコロナ明けの日程の中で、身体に現れた赤い皮膚が皮膚科で帯状疱疹と言われ、老化によって免疫が衰え、幼少時に感染した菌が動いた結果であるという。老化に伴い現れた体の状況から、治療行動の予定を立てた。まずは誕生日の6ケ月前に届く書類から運転免許更新のため、前から知っている眼科へ行って、受付の時の問診表に過去の緑内障の事を書いたら、大げさになって、次の時に眼底検査となった。これは大変な検査と知っていて、過去の検査で医師の見立てでは進行が遅いので定期的に調べれば良いということで済んでいた。ところが老芝犬が眼圧が高く、緑内障で失明した。この知識があって、目の検査で眼圧が26という。平常値は20以下で出来れば10程度のようだ。そこから眼圧を下げる目薬をさすが目に染みる。その理由は目の瞼にイボらしきものが出来ていて、慌てて皮膚科へ行った。皮膚科の先生の見立てで治療開始となる。ついでに頭の毛の下に隠れている皮膚の塊を皮膚科の先生に聞いたら、これも老化による物という。イボが3個、頭頂部の塊は数個の治療、ついでに足の爪の異常も見てもらい、これも細菌による異常で治療期間は数か月という。小学校からの中耳炎で耳の鼓膜に穴が開いていて、鼻をかむ時に無理すると耳穴に空気が出る。そこで耳鼻科へ行ったら、鼓膜の穴は手術で塞げる大きさで、紹介状を書いてあげると言われた。そんなことから大リ-グ中継があって、雨天なら耳鼻科の待ち時間が少ないと考え、午前11時に予約した。予約時間を少し過ぎて、診察すると2か月ほど前の穴の開いた画像から、鼓膜の穴が消えていた。つまり手術が消えた。
 家に帰ってテレビを見ると勢いからどうも4戦で終わる気がしていて、次の眼科の検診で運転免許の更新のための視力検査を実施する日を決めかねている。眼科は混む。左の肩が3か月ほど前から痛い。大谷並みの亜脱臼なのだろうか。このことを整形外科の先生に言われたら、どんな冗談が出るのだろうか。痛みが出たり、消えたりしている。日々老化が進む。動かないのに食欲だけが現状維持。全体は太っていないが風呂に入る時、お腹が太る様子が見え、この前ズボンの古いのを履いたら苦しかった。ウエストが6センチ増えた。どこからお腹に肉が移動したのだろうか。女性には補正下着があって、宣伝では見事に肉が動く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペットの相続から

2024年10月29日 | 宅老のグチ
2024年に死去したフランスの映画俳優アラン・ドロンさんの愛犬が、安楽死させられるのを免れたと、AFP通信などが報じていた。ドロンさんは生前、死後に愛犬を安楽死させ、一緒に埋葬するよう求めていたが、遺族にクレ-ムがあって、動物保護団体が余生を守るようだ。

 英紙ガーディアンによれば、フランスでは飼い主が動物を安楽死させることは禁じられておらず、飼い主の要望に応えるかどうかは、獣医師の判断に委ねられている。
 このニュ-スは他人ごとでない。今年の5月に老柴犬がなくなり、家族の心の傷はまだいえない。ペットロスを癒すには一番簡単な方法は次のペットを再度飼うことで、家族の意見の流れで、もう一度飼うことになりそうである。ところが自分の年齢からアランドロンのような状態も予想され、このことにどう対処するか決めることになった。つまり飼えない状況に来た時にどう処理するかの方針を決める必要性があるとおもう。前の老柴犬の末期には、人間並みの医療費がかかった。クレジットの内容から、アニコムの保険も入れて毎月5万円は超えていた。普段は餌のみで、末期と言われ、無制限の治療となった。今から思うと悔いはない。医者の見立ての余命を一つ月ほど伸ばした。人も動物もいつかは亡くなる。そこでどんな想いを次世代に伝るしかない。
 日々スマホを見ていると、スマホに残る過去動画が自分を癒す。まるでどこかでまだ生きていると感じる。

 次世代のサ-ビスで動けなくなった老人が健康人の様に体感できる椅子に座り、ゴーグルで別世界を見る。そこにはAIで生成された先祖の動画もあるだろう。こんな夢を見た。欲しいのは1970年の大阪万博の全自動入浴機。これが出来れば介護の入浴サ-ビスが簡単になる。

 ちなみにペットは物件扱いで、遺産では無いようだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キムチのゴルマジ

2024年10月28日 | キムチ
韓国のキムチ報道でゴルマジという言葉があることを知った。
この時期は韓国の経済新聞にもキムチの話題が出て来る。キムジャンという食文化があって、気温の低下によって、日本の桜前線の様にキムチの漬け込みに適した時期を韓国の気象予報で出て来る時期となった。このことはいつから始まったというのかは判らないが、キムチという発酵漬物の韓半島の気候性と日本にはない行事で意識された食文化ともいえる。
韓国の毎日経済のニュ-スの見出し。
キムチからゴルマジ生成酵母、毒性なし 「きれいに洗浄してから摂取可能」
 早速に検索し、ゴルマジとは何か。日本語では判らない。日本語には無い。ただ自分の経験では、キムチの表面に白い幕が出ることがあって、そのことを言っている様に見える。
記事の内容から、大方のキムチの白い幕は安全のようだが、稀に緑色している幕は危険で洗って、取り除いても食しないほうが良いという。このあたりの記事はやはり国民食キムチの韓国では、政争の具となる事例で処理を間違えると、役人を辞めることになる。

 この韓国のゴルマジ生成酵母の対策が昔はあった。今はどの様な対策しているかは知らない。韓国から日本に出荷されたガラス瓶入りキムチは初期には日本でキムチの上部に白い幕が出来るのを知っていた。この状態ではキムチの自家製の人達は混ぜて食することを知っているが製造と食する人が分離している現代では事前の説明が無いと返品される。なぜ日本で白カビが出来るかというと温度管理ができていない。漬物は保存食というイメ―ジがあって、韓国キムチが発酵食品ということを忘れていることから来ている。
 ゴルマジ生成酵母の対策として韓国キムチの表面に食用アルコ―ルを噴霧殺菌する。しかしこれにも欠点があって、過剰なアルコ―ル噴霧はキムチの瓶内で変化し、シンナ―のような臭いが瓶を開けた時の感じる。クレ-ムがあって、キムチを回収し調べてもシンナ-が検出されなかった。蒸発したと思われる。そこで未開封のキムチを開けて、臭いを嗅いだところ、シンナ―臭があって、韓国に問い合わせたら、大目に噴霧したことが解かった。今はキムチの乳酸菌を制御しているので ゴルマジ生成酵母の問題は聞こえない。それは半導体製造工場の空気管理をキムチ工場でおこなっているという。千葉のキムチの大手の美山は工場はウイルスを通さない空気管理していて、厳選された乳酸菌をキムチに混入させている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育の教え漏れ

2024年10月27日 | 宅老のグチ
緊縛強盗が多発していて、監視カメラの整備もあって、末端の犯罪者が比較的早く捕まるが、元締めの指示者が捕まらない。このことから一戸建ての家の居住者の不安が増す。それと新大久保付近の個人の女性が立ちんぼをしている様子が見える。
 こんな風景にしたのは法の平等に反する法整備が遅れている。売春に関しては、男女両罰にしないと、病気の蔓延は防げないし、お金のやり取りがあっても、契約書が不整備では、不同意性交と見なす法律が必要とおもう。それには婚姻・もしくは予約行為を除くもあって良いと思う。社会の道徳基準は日々変化する。
 明治以降の日本はこと売買春に関して取締り方針が揺れていて、厳しい取締りがあって、景気が悪くなると緩やかにしている歴史が見える。しかし病気の蔓延は社会経済を不安定にする。

 信仰と食・旅行は日本では一体となっている文化があって、江戸近隣の神社仏閣には講というのがあって、参詣した後に精進落としといった行為があって、宿泊場所が繁盛した。成田詣でには船橋、大山参りには伊勢原を経て藤沢に一泊するのが普通だったらしい。精進落としということで遊郭で遊ぶので、風紀が乱れることも多かったという川崎大師には川崎宿等
 このあたりの歴史は落語の世界で寄席の賑わっていた明治期には精進落としは庶民の常識であった。今の落語の世界は今の法制度とか社会制度の常識から外れている世界で、その内容が理解しにくい。特に仇討物は今の感覚だとエンドレスの殺し合い。これは世界の現実で、イスラエルとアラブの戦いはまだ続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またデフレに戻るのか

2024年10月26日 | 宅老のグチ
何か値上げで売り上げが減ったところが、期間限定とか生活必需品の品目だけの値下げの報道が気になる。いま一番マスコミ業界が不振で、そこで生活の糧を受けている人たちは貧困という言葉に反応し、記事を出す。
 富裕層を顧客に持つエルメスが、増収で、比較的に多い、量販的高級品の会社が中国不振で減収とかの後講釈が目立っている。そんな記事の中で日本年金世代の国民年金の数万円の老女たちの生活分析が見えない。
 自分自身が75歳の後期高齢者になると社会の扱いが激変する。それゆえ通勤時に席を確保することは遠慮することになる。時間の自由となる高齢者は早起きは苦ではないから、始発の電車にゆっくり座れる。それでも途中で通勤時間にぶつかり、遊び人が急ぎ足で歩いている人に追い抜かれる。

 一時的な牛丼の値下げは、そこで働く人の賃金が上がるのだろうか。自分的には離職の誘導に繋がる気がする。すでに外食業界は飽和で、どこかが減ればどこかが新規に入ってくる。人口が年間80万人ほど減っていて、さらに団塊の世代が平均寿命の死亡時期に入るし、それほど多食することも無くなる。若い人は3000カロリ-でも足りないが自分はもう1800位で十分。比較的安い薬局の併設する店は安さを強調する大袋食材を並べている。食べ残しで罪悪感が出る。
 新聞・雑誌業界の不振が、そこで生活しているライタ―達の生活困窮を導いている。それゆえデフレに反応し、記事も充実する。しかし生活者がデフレを楽しんでいて、半額とか捨て値の食材を時間待ちして、シンデレラ生活をゲームの様に楽しんでいる様子は見えない。
 闇バイトで犯罪者となった人の話から、消費の抑制に失敗し、通常では考えられない金額の仕事に手を出して後悔する様子が見える。つましい生活の記事が少ないのだろう。キラキラは楽しい。地味は目立たない。都会は地味だと息苦しい機械のような生活。コンビニコ-ヒ―で定時に出勤し、昼は速攻一人飯。夕方はコンビニ飯。そのあとスマホゲームで自己研鑽の時間なし。
 こんな日本にしたのは、偏差値教育の結果と思える。何のために学ぶかが無いため、どこかで折れる。途上国の若者は自分が学ぶことによって親族の生活が良くなる結果を知っている。それで苦労も耐えられる。日本は夢の喪失がある。GNPという言葉の力で伸びたが、戦争の兵器でもGNPは伸びるし、作っては壊す仕事もGNPを伸ばす。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記録と記憶の国・アメリカ。そして記録せずに記憶にする国・日本

2024年10月25日 | 宅老のグチ
もうじきアメリカの野球で日本が騒ぐ。見ていると歴史の浅い国が記録で詳細の歴史を作っている。それでも新しい技術で記録している様子が見える。
 こんな時に、新聞広告で次のような広告があった。
日米史料による特攻作戦全史 ロビン・リエリ―著 小田部哲哉編訳 2024年10月
アメリカの視点で、(神風・かみかぜ)を研究した書。図書館で読んでみて、実に従来の日本人の特攻本と異なる印象がある。
 この本の著者と編集者の会話から、日米の死に関する基本的宗教観の差があって、アメリカ側では自殺攻撃と初期から見ていた。アメリカの独立戦争でも、このような劣勢時の名誉の戦闘行為をどう表現しているのか気になる。テキサスの所で、メキシコとアメリカが戦ったアラモ砦の戦闘では絶望的な戦闘でアメリカの3大記憶日となっている。他の二つは日米開戦日、9.11のニュ-ヨ-クの飛行機による突撃。
 これもカミカゼ攻撃と言われた。そんな記録の本を読みながら、日本とアメリカの記録と記憶の差を考えている。ウクライナのドロ-ン攻撃は初期には日本の報道で神風攻撃と言っていたが今は自爆ドロ-ンと変化した。近未来の戦争はウクライナの戦争から始まり、どんな終末を迎えるにしても、戦争技術が残り、拡散する。そして前線とか銃後という言葉が消え、人と兵器を心を痛めることなく破壊する。それはテレビゲームで殺人する行為に似ていて、血も出なければ死体も復活する。何よりもゲーム機から離れれば日常の世界に戻れる。
 記録の整合性からカミカゼという言葉が修正できない米国の記録事情がある。アメリカ人でも戦史家は自殺攻撃と見ていない人が増えつつある。JR品川駅前の食肉市場の感覚と似ている。豪華なレストランで美味しそうに肉を食べている自分がいる。時間を戻せば生きた動物の死体を食べている。日本は仏教で輪廻という言葉から明治以前は肉食は禁忌だった。それがあっという間に肉食文化を取り入れた。こんな日本はいつまで平和ボケでいるとは思えない。過去の事例で鉄砲伝来後に世界の銃保持数の最多となったし、徳川末期に開国後に中国・ロシアと対等と戦争し、負けない武力整備をした。この無理な国が慢心し悲惨な敗戦となった。今は冬眠中の日本ヒグマのようでいつ寝覚めてもおかしくない。ウクライナの北朝鮮正規軍兵士が着任し、戦死すれば、第三次大戦の開始となる気がするシナリオが見える。
 韓国がウクライナに兵器支援し、多数の北側戦死者。ウクライナでの朝鮮代理戦争の勃発。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

統計上落ち目の漬物業

2024年10月24日 | 宅老のグチ
10月23日の日経朝刊コラムで紙版の春秋に漬物業の縮小が書かれている。実際には個人が参入しやすい業界で、法規制が緩やかだったことが知られていなかったことがある。
 塩分の問題が胃ガンの原因とし、さらに高血圧も原因は塩分となった。その結果漬物の競争が塩分の低下競争となり、一時は袋に塩分濃度を過去の自社漬物と比較して表示していた時代があった。行き過ぎた低塩化は予期せぬ病原菌の問題が生じて、それが漬物業界の問題となった時期が遅れた。

 ラーメン屋は開業も多いが倒産・閉業も多い業種と知られていて、居抜きの賃貸物件ではすぐに次の店が始まり、また閉店となる。その理由の一つに調理師免許が不要で、保健所等の公的機関の届け出は簡単から来ているとおもう。漬物業の最近の廃業はO157の大腸菌による浅漬の食中毒によって、日本のO157食中毒の記録となっていて、169名の患者・死者が8名となっている。多くの被害者は高齢者だったことから、厚生労働省は漬物業界に法規制をし、今まで緩かった道の駅等に納品している、丁寧な農家の自家製漬物者まで衛生設備の安心化を求め、猶予期間が今年の3月で終わった。あまり一般の人は知らないが、漬物に使われる塩分は鉄を錆つかせ、道具が早く劣化する。そのため作業台はステンレス製となる。今はレスストラン等もステンレスだが,処理量の多い漬物は特別注文となり割高となり、さらに中古品も無い。木製で作業台も作ることは出来るが、木製にまな板と同様の問題が生じ、やはり殺菌業務が必要となっている。大手の漬物業者は野菜を裁断後にバブルの出る洗浄槽で塩素殺菌をし、その後に塩素を落とし漬け込む。このため野菜の養分が失われるが一度でも食中毒を起こすと信用問題となるし、さらに自社製品の納品先で事故があると、一応疑われるので、栄養分が多少失われても殺菌行為は消えないとおもう。それだから農家の自家製漬物は昔の味で郷愁を誘う。
 漬物を買う人が野菜の育ち方が知らないので、キュウリは不自然に真っ直ぐのしか、八百屋に並んでいない。畑の昆虫は農薬で殺されている。サイレント・スプリングの世界で、花粉の媒介のミツバチを殺している。これは消費者が虫食いの葉を容認すれば解決する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

期日前投票に行く・大リ-グTVでの観戦のため

2024年10月22日 | 宅老のグチ
朝ポストに選挙の入場券が来ていた。

 今度の衆議院議員選挙はもしかすると与党の過半数割れも予想され、投票率が上がりそうで、27日が混むと予想した。野次馬の自分は混雑を経験してみたいが、それよりも大リ-グの試合の観戦があるので、試合が終われば大混雑の球場帰りのような投票所になると予想して、期日前の投票を行った。ガラガラだった。
 何時も期日前の投票券に投票の理由の項目があって、仕事にチェックを入れていて、退職後には観光に印を入れていた。今回は大リ-グ観戦の項目があるかもしれないと思っていたら、理由の項目は無かった。
 区議会の選挙はうるさいくらいの騒音だが衆議院となれば、実に静か。
最高裁判所の可否はなにか一工夫あっても良い気がする。それは立法府の不作為が目立つ。一票の格差の範囲、安楽死の認定、男女格差、夫婦別性等々の意見表示を選挙公報等に載せる。なにか一工夫が必要。

  来年は5年に一度の国勢調査がある。必要な項目に追加してほしいのは未来は明るいか暗いか。どちらでもないか。年間80万人ほど日本の人口が減る。するとまた一票の格差の是正で選挙区が変わる。衆議院は2倍では無理で1.5倍ほどを目指したほうが良い。その調整は比例区の数字を動かすしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

扶養親族の申告書・郵送110円に値上・郵便局で思ったこと

2024年10月22日 | 宅老のグチ
毎年この時期になると老齢年金の受給に必要な扶養親族等の申請書の提出書類が届く。今年も来たのだがどうも郵送代の値上げで、電子申請の制度が出来たようだ。
 確か10月より郵便料金が値上げで実感するため郵送した。切手は家に無いので、窓口で購入する。110円なり。ここで値上げ前の価格を聞くと84円。値上げがずっと無いので大幅値上げとなったようだ。やはり30年以上のデフレが終わると、普通に戻るために事故的な値上げになりそう。
 コメが爆発的な価格上昇で、耐えられない人がコストの安い麺類に向かっているが食の世界は米以外は連続の同一食に向かない気がする。ご飯は毎日でも耐えられるが他の食の連日は耐えられない気がする。それほどコメ食はビタミンB1の問題は戦前にはあったが今は対策として意識しているので、偏食しない限り脚気は稀となった気がする。自分的には農家の希望の価格高騰だが、農家の人達の意見を聞くと不動産的な考えも出てきて、不要な田畑の購入が難しくなるかもと聞こえる。耕地整理が進み、灌漑も水道のような仕組みが見えて、蛇口をひねれると水が出るし、雨の時は停められる。
 ここまで来ると農業は企業的な発想が必要で、農家の役目は環境保持産業と見た方が良い気がする。

 戦前の農本主義の本を読んでいると、日本だけの見込みで農業を見ている様子が見える。アメリカの農家は自己の栽培品目を世界の在庫、天候等の状況を見ている人もあって、さらに先物で売ってしまう人もある。日本の農協の役目にそこまであるのだろうか。戦後に解体した大農家、不在地主は金融的考えがあった人たちだったが、いきなり自作農家になってしまい、企業的発想が消えた。これは日本の農政の国任せの原因と思う。
 郵便局も今苦しいと思うがやれることはまだ多くある。
1 信用情報の更新管理 マイナンバ-等の住所変更、パスワ-ド更新
 クレジットカ-ド会社の代行業務、紛失・盗難・差し止め。新規の発行はカ-ド会社の業務
2 宅配ポストサ-ビス。24H受け取れて、マイナンバ-で取り出せる。
3 スマホ・アシスト・サ-ビス
 色々な施設の予約は今はネット予約で高齢者にはスマホ慣れが無いので、郵便局員のアシストが必要。その様子は録画で共有し、暴走を防ぐ
4 貸金庫サービスも今の強盗多発時代には必要かもしれない。 
こんなことを寝ながらテレビの強盗事件の解説を聞いて思った。・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小伝馬町のべったら市2024

2024年10月21日 | 宅老のグチ
19.20日は珍しく、べったら市は晴れだった。数年前に小伝馬町駅の一つの出口前に梅花亭という和菓子屋さんへ行ったが、目的の切り山椒は売り切れで、今回は早めに行って見た。今回は浅草線人形町駅で降りて、堀留町のサンヨ-堂のビル探しをした。サンヨ-堂は老舗の缶詰製造者で、広島の軍隊納の会社だった。
 日本缶詰協会を訪問した時、そこでサンヨ-堂が社史を出していることを知り、メールでどこの図書館で所蔵しているか知らせて欲しいとお願いした所、社史を送っていただき、さらに敷島漬という缶詰のレッテルを送付してもらった。サンヨ-堂は逸見山陽堂と言って、広島の会社で下谷根岸の地図を見ていた時、逸見家の住いがあった。根岸及近傍図(ねぎしおよびきんぼうのず)は、根岸倶楽部の立案及び大槻文彦の編集のもと、根岸の道しるべの図として1901年(明治34年)に刊行された地図
 一週間ほど社史を借り、必要なところを読み、福神漬のレッテルをカラ-コピ-して返した。社史によると、福石と言われた石の写真があって、どうやら大倉喜八郎の悪徳の証拠と言われた石を会社の記念品として所蔵しているという。
 逸見家の人は後の左翼の人達と交流があって、大杉榮 の自由への疾走である雪の夜に逸見は石の缶詰事件の真相を話した。逸見の会社で荷造り販売した缶詰が輸送中に荷崩れし、そのすき間に石を詰めて送った所、大倉喜八郎の関係会社の仕業とうわさが出ていた。大杉は悪徳商人だから噂の真相などどうでも良い事と話していた。大倉は上野戦争で活躍した武器商人で日本で唯一の死の商人と言われている人だった。実際はまともな商人でウワサは大倉が否定しないので今でも文献に残っている。
 消防署の前にあったサンヨ-東京ビルから宝田恵比寿神社・椙森神社 べったら市 の風景となる。このベッタラ市は旧暦の10月19・20日の開催だったが明治の改暦で一月ほど繰り上がり、べったら市の浅漬大根の味付け、早生大根の品種改良が進んだ。練馬大根が明治末期にダイコンのブランド化し、最後には戦後に23区目の誕生に伴い板橋区から分離した時に区名となった。練馬農業協同組合史より。
宝田恵比寿神社は小さな神社で境内はない。これは恵比寿購という祭りのための祭事の道具を扱う市だった。旧暦と新暦の混乱は今でもあって、関西は恵比寿購の祭りが新年にあって十日夷は1月10日に開催されている。西宮神社の福男の競争は有名である。
 べったら市を横目に小伝馬町牢獄後の十思公園へ向かう。公園内にある公共銭湯のビルの1階に小伝馬町牢獄の模型がある。ここで確認ししたのは平屋ということ。男性・女性は分けて収容している。後は身分によって部屋の位置、大きさ等が異なる。
 この後に日本橋小学校を目指して歩く。日本橋小学校は8階建てのビルで、地下一階はプール、1階より5階まで小学校、6・7階は図書館。8階は公共施設。都会と感じる。ここで地域史の所蔵状況を見て終わる。もう人形町駅まで近かった。
 ビルだらけの町に元気な小学生が集まる施設と感じる。地価から考えると子供たちの家は数億の家に住んでいることになる。恐ろしい東京。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR品川駅の食肉市場祭りへ19/20日

2024年10月20日 | 宅老のグチ

都営浅草線に乗っていた時、電車内の広告で、食肉市場の祭りの広告があった。この市場の位置は隣接する道路でトラックに乗った生きた牛と目があって、その日は肉類を食べることが出来なかった記憶がある。前から食肉市場のな中の様子が気になっていて、一度入って食肉市場の広報というべき施設に入って見たいと思っていた。大江戸線大門駅に東京都の人権プラザという大きな広告があって、2度ほどキムチの歴史を調べるため、朝鮮人問題の本がどれだけあるか見るために人権プラザの図書室に入ったら、図書室の中に色々な人権問題の本があって、食肉に携わる人たちの差別問題もあった。何冊か気になった本を読むと、自分自身も差別・区別等の行為をしたり・されたりしている様子が見える。多くの差別発言をしている人は違う場所の少数派の所となると差別される立場となる。今の中国で日本人はその存在が知られると危険であるが、その日本人でもアメリカでは中国人ヘイトで日本人・韓国人も狙われる。アメリカには銃がある。日中韓は刃物の世界で、今は車で無差別売名攻撃がある。日本の事例では秋葉原の事件である。
 そんなことを思い出し電車のつり広告を眺めていて行って見ることにした。シルバ-パス利用で品川に行くには、バス便が良いのだが多くは品川駅北口で南口のバスは八潮の方に行くのが多いと思っていて、高輪台駅から歩いて行って見たらと思い、ダラダラと品川駅に向かった。品川駅でふと思ってのだが自由通路はあったのだろうか。・人の流れで行くといつの間に自由通路を歩いていて、新幹線品川口を過ぎると南口に出た。そこから下を眺めるとテントが林立していて、食肉市場祭りの景品交換所のようだった。勘で歩るいてゆくと、福神漬の酒悦の親会社の東洋水産の本社があった。港区港南というのは品川駅前だった。昔は品川駅南口は北口と違って何もない町であった。今は南に食肉市場と日本に滞在している外国人のビザ更新の入国管理の施設がある。
 食肉市場のビルに着くと、列を作った人の流れがあって、どうやら行列で最後尾を探した。行列が動いていたので気にはしなかったが、高輪台から40分くらいで入場となった。多くの人がいたがやはり食肉市場は温度管理が衛生管理の基本ですべて低温管理の様子が見える。入り口付近の所のテントからナメシ皮の臭いがあって、革製品の靴などが販売していた。
 何か今年の肉ののぼり旗は仙台牛で年々変える様子が過去の映像で見える。地域のブランド牛の時代なのだろう。新聞では和牛の消費の低迷という。高すぎる飼育コストが消費を抑えていて、輸入牛肉も為替で低迷で、鳥もインフルエンザの問題で大変そう。やはり肉は温度管理と衛生問題で一期に不況となるギャンブル食品と感じた。
 ネットで昨年の食肉市場祭りのデ―タでは16000人ほどの人出のようだった。今年は19・20日の天気次第だが20000人は固いと思う。
 同じ日程で日本橋のべったら市がある。昨年は10万人の人出だった。11月3日は豊洲市場の移転後6年で落ち着き、初となる市場祭り。東京都はどの位の人出の予想しているのだろうか。20万人もあると思う。ただ築地と違って車の駐車場は無いし、バス便は渋滞なのでユリカモメしかない気がする。野次馬の自分は晴海フラッグの現状を見て、歩いていくことを考えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市川市コルトンプラザのバス待合室の席移動

2024年10月19日 | 宅老のグチ
市川市のコルトンプラザに隣接する図書館で野田市史研究第7号を読む。このところに詳細に染谷亮作の記述がある。何か図書館では全部の野田市史研究を所蔵してはいない。欠号があるので野田市へ行ったついでに見ることになる。前に野田市に行った時、キッコ-マンの物知り醤油館が閉館で行き損ねたが今予約で行けそうだ。ついでに白しょうゆのキノエネ醤油さんも行って見たい。キノエネさんの白しょうゆはハリハリ漬の味付けで使っていた記憶がある。
 2時間の図書館滞在で、根気が切れ、家に帰るために、コルトンプラザとJR本八幡駅との無料の送迎バスの待合室に行った。そこにはおおよそ50の番号が振ってある椅子があって、10人ほどが空間を開けて座っていたので、自分も最後の場所へひと椅子あけて座った。時たまバス停に来た人が時刻表をスマホで撮っている様子があった。帰りのバス時間を知らべている様子が見える。ネットで時刻表を見ると午前中は30分毎で午後から15分ごとに出発する。休日は10分おきとおおい。
 さて時間が経つと、50席ほどのすき間だらけの椅子席が座れないのを見た先頭付近の人が席を詰めた。この動作を二回ほどしてバスの出発時間となった。まるでイモムシの動き方に似ていて、これはコルトンプラザにある空気のような常識なのだろう。誰も最後のたち人を気にしてはいなそうだったが結局立っている人が現れると席移動が始まった。この空気を読む行動は外国人観光客が通勤電車で並ぶ人と同じ感覚になるに違いない。自分も今までギリギリでバスに乗っていたので、このような慣習があるとは知らなかった。みんなが動くまで席の順序は変わらない。普通なら駅まで散歩しながら行くのだが小雨でバス利用となった。一つの知識を得た一日となった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野田市の染谷亮作を調べる

2024年10月18日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
特攻で亡くなった叔父の経歴等が全て消えている謎を今探っている。
 叔父は関東大震災があった大正12年の5月に生まれた。戸籍上では5男だが4男が幼児の時に亡くなり、その名前を使った。従って戸籍には同名の名がある。このことは最近まで気にしていなかったが戦後に自分が小児の時に訪問した時は非常に歓迎されていた記憶が残る。一種の生まれ変わりと思われていたのだろうか。この件で親族に聞き損ねた思いがある。女子の子供しかいない実家だった。私の父は昭和30年に亡くなったので、父からこの件を聞くことは無かった。そして叔父の話は断片的に逸話が残っている。
 叔父は今の埼玉県春日部市の川辺小学校を卒業し、野田市の野田農工学校へ進学した。4男は成績が良く、川辺小学校の長堀宇三郎先生の進言で野田農工学校へ進学した。戸籍を見ていると、多くの親族が高等小学校を出ると東京の下町の所(墨田区)へ就職した様子が見える。利根川・江戸川水運から繋がる人脈で縁故就職だったと想像できる。
 野田の野田農工学校は意外と野田市の記憶と記録が少ないと感じる。野田市の中央図書館で郷土史の文献を探しても少ないし、記述も少ない。千葉県の野田の付近の学生は千葉の方の学校へ進学し、地元の学校で中層の人達の進学先が少なかったように感じる。
 野田の郷土資料館の常設館で野田の漬物業者が30軒ほどあった。このことを質問したが文献の根拠となるものが聞き損ねた。江戸川・利根川に挟まれた野田市は農業地帯で漬物需要が少ないと思われる。そこで考えられるのはある程度漬物に作って、東京へ輸送し、缶詰加工の業者へ提供する漬物業者ではないのだろうか。当時の缶詰需要のほとんどは軍隊需要と思われる。
 野田市の正式な文献はまだないが野田市史研究という文献が市川市の図書館で読めそうだ。ここへは東京都のシルバ-パス利用で都営新宿線の終点の本八幡駅で降りて、ニッケコルトンプラザ行きの無料送迎バスで行く。歩いても10分程度。ここに市川市の文化施設が集まっている。
 染谷亮作は農本主義者だったのだろうか。一番親しい人の写真に漬物樽がある。この大きさの樽はタクワン樽でなく福神漬の樽と見える。このあたりの文献調査は大正年間の醤油の流通のの記録だろう。埼玉県川辺村の実家では自家製の醤油を作っていた。漬物用の醤油は下漬では上等の醤油を使う必要はない。製品の完成時に上等の醤油をつかい味付けとする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本のスイスと言われた時計産業・南桜井地区

2024年10月17日 | 宅老のグチ
日本のスイスと言って、農村と工業の両立で農村地帯の経済の自立を戦後の経済復興に力を入れた人がいた。その名は賀川豊彦という人で今ではほぼ無名人となってしまった。京王線上北沢駅から歩いて10分ほどの所に記念館がある。そこを訪問し、農村時計会社の資料を眺めていた。

今はさいたま市に移転したリズム時計は創業以来長い間東武野田線南桜井駅に隣接するところに本社がありました。。
 その前身は戦後まもなく設立された農村時計製作所。荒廃した農村を精密工業によって復興を図り、東洋のスイスをつくるという設立者賀川豊彦の思いを引継ぎ、1950年に誕生しました。つまり農村時計は4年ほどの寿命で今では地域の人にも忘れ去られた会社でした。ただ自分は叔父の遺品・遺書等の生きている証が消えた理由がこの会社だと今では思うようになりました。
 農村時計の文献は春日部市史近現代 庄和地区に書かれていますが根拠となる文献資料は埼玉県立庄和高校地暦部の南桜井戦後史で、同じく地暦部の部活の本が杉戸・越谷図書館に所蔵されていて、地元の春日部市庄和図書館には部活の本が無いという奇妙な事実があります。今は事情が解かってきて、埼玉県教育委員会と庄和高校の左派系の部活の指導教師との対立が地域史をゆがめていて、叔父の特攻資料捜索の妨げとなっている現実がある。
 今だから言えるが叔父は軍国少年で無く、今風に言うと物静かな少年で埼玉師範学校の内申書の記録では物静かで友人少ないと評価されていました。親族の生きている人にこの内申書を見せたら、同じと言っていました。台湾での仲間たちと交流した93歳の中田芳子さんも静かな人という印象で記憶にあるのは将校たちとマ-ジャンをしていた記憶が残っていると言ってました。叔父は少尉で戦死したので大尉となっています。
 消えた・消された叔父の人生の航跡が何度も調査をあきらめて、そのたびに叔父の怨念が出てきて、新しい資料が見つかり、また捜索が始まる。ここまで来ると違った意味で叔父の人生がどう日本近現代史に関係していたのか気になってきた。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする