ずっと畠山記念館の再開を待っていた。ここはポンプのエバラの創業者が集めた茶道具の美術館である。自分自身は茶の素養はほぼゼロに近い。それでも福神漬の資料調査で日本醤油醸造の事を調べる内に畠山一清の事を知るようになった。
畠山は東大を卒業後に、自由な研究が出来ることを製糖会社で成功した鈴木藤三郎から聞き、鈴木の会社に勤め、食品機械の設計に活躍した。日露戦争後に日本醤油醸造が関西の尼崎の工場で、醤油の中にサッカリンという人工甘味料を入れてあることが見つかり、大騒動となり、最終的には尼崎工場に放置していた廃棄物から自然発火し、工場が再起不能になってしまった。この事件は味の素の創業時の事件で、危うく味の素が巻き込まれる寸前だった。一度味の素の粉末が納入されたが返品され、仕方なく小分けにして瓶詰となり、そこから世に無い商品の販売の広告話となる。この味の素の高輪研修センタ-に食の図書館があって、しばしば本を読みながら想いに耽っていた。都営浅草線高輪台駅付近には福神漬の文献に出て来ることが多く、畠山記念館は二度ほど訪問したことがあって、和装の女性たちは比較的多く、やはり茶事の事を知っている人と見えて、着こなしは見事と見た記憶がある。もう一回は千宗旦の茶道具を見に行ったと記憶する。その後は工事中で記念館を横目にこの付近を通る道路計画を知っていたので、変化を知りたかった。
暇に任せて目黒の庭園美術館に入って見たいと思い、ついでにどこを歩いて行くか考えて、畠山記念館の再開のホ―ムぺ-ジを見つけた。今は荏原 畠山記念館と名称が変わった。一応予約制だが、平日なら割高でも入れそうに見える。
ここで熱と誠・畠山一清著という本をどこで読めるか尋ねてみたい。この本は荏原の社風に二宮尊徳の報徳思想を超える畠山の考え方があったと記憶するが今は検索しても都立中央図書館には出てこない。なにか荏原の社員用の研修本というようだ。報徳思想は戦後の一時期に日本農本主義と見なされていた時期があって、GHQの処分をヒヤヒヤしている様子が静岡県掛川市の大日本報徳社の戦後史に見える。
畠山は東大を卒業後に、自由な研究が出来ることを製糖会社で成功した鈴木藤三郎から聞き、鈴木の会社に勤め、食品機械の設計に活躍した。日露戦争後に日本醤油醸造が関西の尼崎の工場で、醤油の中にサッカリンという人工甘味料を入れてあることが見つかり、大騒動となり、最終的には尼崎工場に放置していた廃棄物から自然発火し、工場が再起不能になってしまった。この事件は味の素の創業時の事件で、危うく味の素が巻き込まれる寸前だった。一度味の素の粉末が納入されたが返品され、仕方なく小分けにして瓶詰となり、そこから世に無い商品の販売の広告話となる。この味の素の高輪研修センタ-に食の図書館があって、しばしば本を読みながら想いに耽っていた。都営浅草線高輪台駅付近には福神漬の文献に出て来ることが多く、畠山記念館は二度ほど訪問したことがあって、和装の女性たちは比較的多く、やはり茶事の事を知っている人と見えて、着こなしは見事と見た記憶がある。もう一回は千宗旦の茶道具を見に行ったと記憶する。その後は工事中で記念館を横目にこの付近を通る道路計画を知っていたので、変化を知りたかった。
暇に任せて目黒の庭園美術館に入って見たいと思い、ついでにどこを歩いて行くか考えて、畠山記念館の再開のホ―ムぺ-ジを見つけた。今は荏原 畠山記念館と名称が変わった。一応予約制だが、平日なら割高でも入れそうに見える。
ここで熱と誠・畠山一清著という本をどこで読めるか尋ねてみたい。この本は荏原の社風に二宮尊徳の報徳思想を超える畠山の考え方があったと記憶するが今は検索しても都立中央図書館には出てこない。なにか荏原の社員用の研修本というようだ。報徳思想は戦後の一時期に日本農本主義と見なされていた時期があって、GHQの処分をヒヤヒヤしている様子が静岡県掛川市の大日本報徳社の戦後史に見える。