雑記帳
近代数寄者太平記 原田伴彦著
22ページ 明治45年、井上馨の神奈川県興津にある別荘に後の大正天皇が遊びに来た.
井上の自慢の手料理でもてなした。後で大正天皇が宮中の大膳職に『井上の家で出た料理の中で特においしいものがあったがあれをぜひ食べたい』と言い出した。どんな手料理か大膳職が井上家に問い合わせたところなんと『たくわん漬』だった。
宮中の食事の白米は精米過剰でビタミンB1が不足していた。タクワン漬にはビタミンB1が入っていたのでおいしいと感じたのだろう。今のタクワン漬は糠を使用して作っているのは少ない。
耳袋 柳生家の門番のこと
あるとき、柳生但馬守の屋敷へ沢庵が訪れたところ、門番所に一首の謁が掲げられていた。
蒼海魚竜住 山林禽獣家 六十六国 無所入小身
(海には魚が住み、山には獣がすんでいるが日本にはわが身を置くところが無い。)
「なかなか面白い歌だが、末の句には欠点がある。」
沢庵がひとりつぶやいていると、門番がそれを聞いて言った。
「大げさなことなどという欠点はありません。私の歌です」
沢庵は驚いた。
「どうしてか?」
いろいろと話を聞くと、この門番は朝鮮の人であり、本国から日本に脱出してきて但馬守の門番をしているという。
但馬守が沢庵からこの話を聞き、
「身を入るに所無きことなどない事などない」
と、二百石を与えて侍に取り立てた。今も柳生家にはその子孫が仕えているという。
根岸の耳袋には沢庵と柳生但馬守の交友に関しての話題が数々ある。沢庵漬の命名の由来は耳袋から広まったと思われる。
耳袋 沢庵の書
沢庵が書いたという書を山村信州が所持していたのを写させてもらった。
ご飯は何のために食べるのか?腹が減るからやむを得ずに食べるのか。腹が減らずば食べずにに済むものを、美味いオカズがなければご飯など食べないと人のいうのは大きな間違い。ただ腹が減ったから食べるに過ぎぬ。オカズがなければ飯が食えぬなどという人は飢えを知らぬ。飢えなければ一生食べる必要などありえない。ひとたび飢えれば、たとえ糠味噌だろうとも喜んで食べる。ご飯であればいうまでもない。なぜオカズがいるなどというのか。
食を得ること、薬を服する如くせよと仏も言い残しておられる。衣類もまた同様。人は衣食住の三つに一生を苦しむ。だが、このことを知っているが故に我は三苦が薄い。
こんなものは落書きに過ぎない。錬金法印が書けというので書いたまで。
元和の酉の冬に
沢庵 宗 彭
糠味噌とは今とは違って味噌汁の増量剤として米糠を入れて食していたから、美味しくなかった。糠味噌漬のことを言っているのではない。糠味噌漬は江戸時代中期以後に現れた漬物である。錬金法印とは沢庵の書を売っている人のことを言うのだろうか
成島柳北
読売雑評集 明治14年10月19日
沢庵漬の説
私は質素に育ったゆえ、幼少の時より、沢庵漬を良く食べていた。三食必ずこれを食べていた。家に古い召使がいて私が沢庵を好むのを知っていて、その重石の置き加減を慎重に加減して、新漬は新漬、古漬は古漬と自ら判断して、あるときは重石を軽く。又あるときは重く、重石の加減を良くしていた。四季とも沢庵の味良く、私にして食事に魚がないことを嘆くことはなかったのは美味しい沢庵があったからである。
然るに近頃、その古い召使が田舎に帰ってしまった。他の召使に代わって沢庵を管理すると、沢庵の重石加減の程度を知らず、ただ押しに押したので沢庵の味はだんだん悪くなった。私が日々ののしりわめいたが、仕方がなかった。程なく田舎より古い召使が戻ってきたので、この状態を話すと次のような答えが召使からかえってきた。
「それ沢庵は押さねば漬からないものである。それ故石の良いものを選び、この石で押し、沢庵の塩加減をよくすればもとより必要なことだが、ただ押せば良いものだと思い込み、その大根の性質を問はず、その糠塩の多少を考えず、むやみに押し付けるのが良いと考えるのは甚だ心違いである。茄子には自ずから茄子の漬け方がある。瓜も自ずから瓜の漬け方がある。茄子も瓜も沢庵も同じ漬け方にすべしと思い、ただ重石のみ強くかけるのは台所を任せられているもの間違いである。重石の軽重は自ずから状態を判断してよきを図ると良い。」といった。
私はこのことから次のように思った。「ああ妙なことだ。古い召使の言葉だ。世間の道理は往々にしてこのようなものだ。何事も軽重のよろしきをを失うとき必ず悪い結果を招く。なんぞ沢庵漬のみのことではないことだ。」と書いて世間の人に知らせたい。
明治初期の話で今でも十分通用する話である。
花月随筆
飯島花月
はだなと大根 489頁
川柳に扱われると干し大根は老人のしわだらけの姿のように扱われる。はだなは若い婦人に見立てた作が多い。
干大根はだなの側に恥ずかしき
江戸においてははだなうり大根は正月松の内に売りにくるというので正月風景となっていた。冬野菜の不足していく時期だったので重宝されたのだろう。お惣菜に使われたという。
はだなは神奈川県秦野市の産した大根の品種で宝永4年(1704)の富士山の噴火で秦野市は火山灰で覆われたため『はたの大根』は壊滅的打撃を受け、後には練馬大根の干し大根と混同されるようになったと思われる。
沢庵和尚の鎌倉紀行
江戸幕府二代将軍秀忠が死去の後、家光によって赦免された沢庵は江戸に戻ってきたが、約2年間駒込・吉祥寺の堀丹後守直寄の下屋敷や柳生宗矩の世話をうけていた.沢庵は京に戻る事を希望していたが戻れずにいた。その間に鎌倉に旅行している。この旅行の後沢庵は、幕府の庇護の無い寺院の悲惨な状態を知り,後に変心してゆくきっかけとなる。
『天下の五嶽・かくのごとくなり果てる事やあると嘆息止みがたし、またこの日は建長寺に入り仏国禅師を拝み正統庵は夕べに扉を閉じ、人住まざる夜はけだものの住家となるを見たり。いかにしかかる様ぞと問えば所領荘園いささかも無ければ子孫末流ありながら自住の庵さえ守りかねる事になれば本庵をいかにしても維持しようがないと語る。』
神奈川県鎌倉市・建長寺は江戸時代初期までの度重なる火災や風水害で荒廃していた。後に沢庵和尚の進言で建長寺は徐々に再建し現在残っている伽藍となった。
昭和33年農産物漬物輸出規格
戦後、輸出検査法によって、ある種の漬物は輸出検査を受け合格しないと輸出が出来なかった。中曽根内閣のとき、漬物の輸出検査制度は廃止された。
この輸出検査の目的は粗悪品の輸出を阻止し日本品の名声の維持向上を目的としていた。関東では横浜と芝浦に輸出規格検査所が在った。
漬物の検査規格の一例として
たくわん漬の規格 南北アメリカ以外の地区
調製 新漬沢庵にあっては塩押しが、古漬沢庵にあっては干し揚げが良好であること。ヒゲ根および葉の除去が完全であること。ただ,葉つき沢庵にあっては,枯れ葉、腐れ葉の除去が完全であること。
米糠の重量は正味量の7%以上であること.ただし特殊副原料を用いた沢庵漬にあっては、その香味、肉質、色沢及び保存力が規定量の米糠も用いた沢庵漬と同等以上の場合は、この限りでない.奇形の物または傷の程度の著しい物の混入が本数で5%以下であること。
正味量 正味量が内容積18リットルにつき13・6kgの割合以上であること。ただし、長さ20cm以下の詰め沢庵,充填用大根の葉及び米糠の重量を除く。
注 脱脂した米糠及び破砕された籾殻が一部混入している生米糠は、米糠としてとり扱う。
たくわん漬の規格 南北アメリカ向け
調製 新漬沢庵にあっては塩押しが、古漬沢庵にあっては干し揚げが良好であること。ヒゲ根および葉の除去が完全であること。一本あたり平均重量の上下各々30%をこえるものの混入の本数が5%以下であること。異品種のもの、奇形のもの及び傷物が混入していないこと。
米糠の重量は正味量の7%以上であること.ただし特殊副原料を用いた沢庵漬にあっては、その香味、肉質、色沢及び保存力が規定量の米糠も用いた沢庵漬と同等以上の場合は、この限りでない.
正味量 南北アメリカ以外の地区の規格と同じ
注 脱脂した米糠及び破砕された籾殻が一部混入している生米糠は、米糠としてとり扱う。
色沢、形状の著しく異なるものは、品種として取り扱う。
アメリカ向けの方が不揃いの規格がうるさい。
南北アメリカ以外の地区向け
たくわん漬の包装条件
樽を用いる場合は、次の基準に適合すること。
イ 樽材は清潔で死節、虫食い,割れ等の欠点により樽漏れしない物であり、樽の内容積が72リットル未満であるときは厚さ7ミリメートル以上。樽の内容積が72リットル以上の場合は厚さ14ミリメートル以上あること。
ロ 鏡ふたは、はぎ4枚以内とし、たくわん漬用いたたるで内容積が36リットル以上のものには中ふたを用いること。
ハ 上さんは二本で、その厚さは7ミリメートル以上とし、底さんはたるの内容積72リットル以上の樽にあっては二本で,その厚さは20ミリメートル以上であること。
ニ 樽漏れする場合は、清潔な資材を用いて目打ちを完全に行うこと。
ホ くぎ打ち,縄掛けその他荷造りが堅固であること。
抜き取り方法
合格または不合格の判定は次の表により荷口の大きさに応じて抜き取った数量について行う。
20こおり以下は2こおり
21こおり以上50こおりは3こおり
51こおり以上150こおりは5こおり
151こおり以上300こおりは7こおり
301こおり以上10こおり
合格の表示は PASSEDとする
南北アメリカ向けの規格
たくわん漬の包装条件
樽を用いる場合は、次の基準に適合すること。
イ 樽材は杉またはさわらの割り材で死節、虫食い,割れ等の欠点がなく、樽の内容積が72リットル未満であるときは厚さ7ミリメートル以上。樽の内容積が72リットル以上の場合は厚さ14ミリメートル以上あること。
ロ 鏡ふた 南北アメリカ以外の地区向けと同じ
ハ 上さん 南北アメリカ以外の地区向けと同じ
ニ 樽漏れする場合は、清潔な和紙を用いて目打ちを完全に行うこと。
ホ 縄は,稲縄,あし縄、マラオン縄.麻縄またはまこも縄を用いること。
へ くぎ打ち,縄掛けその他荷造りが堅固であること。
抜き取り方法
南北アメリカ以外の地区向けと同じ
合格の表示は PASSED FOR N&S AMERICAとする。
芝浦にあった、農林水産省輸出検査所にアメリカ向けの渥美タクワンの輸出をしていたときの話。当時は寿司ブームが始まったときで、塩辛い渥美たくわんが寿司まき沢庵用として輸出していた。9時30分頃に検査所について、検査をお願いして、検査するたくわんを検査室の前に並べる。検査員が抜き取り検査の商品を指定して、検査が始まる。たくわんを容器から抜き出し、糠をしごいて、目方を量り、傷を検査する。合格するとまた元のように容器に詰める。これが難かしい。きっちりと入っていたので元に入らなかったのもある。その間に書類が出来、商品に検査合格印のスタンプを押してもらう。時計は10時半ごろになっている。指定された倉庫会社は大体11時が午前の搬入書類作成の打ち切り時間なので急ぐ。遅れると1時までどこかで待機しなければならない。
輸出検査のおかげで、戦後塩分の低下した国内産の漬物は特別に旧規格の商品をつくらないと不合格になっていた。特になら漬は酒粕が重量の50%なければ不合格、ラッキョウの糖分不足が目立った。
今は輸出検査がなくなり、どうかと思う商品も海外に出ている、国内の価格の3倍になってしまう事を考えるとやむを得ないかも知れない。ただ、海外にいて日本の人たちの活力を与える漬物なので、良い漬物を安価に供給したいと思う。
近代数寄者太平記 原田伴彦著
22ページ 明治45年、井上馨の神奈川県興津にある別荘に後の大正天皇が遊びに来た.
井上の自慢の手料理でもてなした。後で大正天皇が宮中の大膳職に『井上の家で出た料理の中で特においしいものがあったがあれをぜひ食べたい』と言い出した。どんな手料理か大膳職が井上家に問い合わせたところなんと『たくわん漬』だった。
宮中の食事の白米は精米過剰でビタミンB1が不足していた。タクワン漬にはビタミンB1が入っていたのでおいしいと感じたのだろう。今のタクワン漬は糠を使用して作っているのは少ない。
耳袋 柳生家の門番のこと
あるとき、柳生但馬守の屋敷へ沢庵が訪れたところ、門番所に一首の謁が掲げられていた。
蒼海魚竜住 山林禽獣家 六十六国 無所入小身
(海には魚が住み、山には獣がすんでいるが日本にはわが身を置くところが無い。)
「なかなか面白い歌だが、末の句には欠点がある。」
沢庵がひとりつぶやいていると、門番がそれを聞いて言った。
「大げさなことなどという欠点はありません。私の歌です」
沢庵は驚いた。
「どうしてか?」
いろいろと話を聞くと、この門番は朝鮮の人であり、本国から日本に脱出してきて但馬守の門番をしているという。
但馬守が沢庵からこの話を聞き、
「身を入るに所無きことなどない事などない」
と、二百石を与えて侍に取り立てた。今も柳生家にはその子孫が仕えているという。
根岸の耳袋には沢庵と柳生但馬守の交友に関しての話題が数々ある。沢庵漬の命名の由来は耳袋から広まったと思われる。
耳袋 沢庵の書
沢庵が書いたという書を山村信州が所持していたのを写させてもらった。
ご飯は何のために食べるのか?腹が減るからやむを得ずに食べるのか。腹が減らずば食べずにに済むものを、美味いオカズがなければご飯など食べないと人のいうのは大きな間違い。ただ腹が減ったから食べるに過ぎぬ。オカズがなければ飯が食えぬなどという人は飢えを知らぬ。飢えなければ一生食べる必要などありえない。ひとたび飢えれば、たとえ糠味噌だろうとも喜んで食べる。ご飯であればいうまでもない。なぜオカズがいるなどというのか。
食を得ること、薬を服する如くせよと仏も言い残しておられる。衣類もまた同様。人は衣食住の三つに一生を苦しむ。だが、このことを知っているが故に我は三苦が薄い。
こんなものは落書きに過ぎない。錬金法印が書けというので書いたまで。
元和の酉の冬に
沢庵 宗 彭
糠味噌とは今とは違って味噌汁の増量剤として米糠を入れて食していたから、美味しくなかった。糠味噌漬のことを言っているのではない。糠味噌漬は江戸時代中期以後に現れた漬物である。錬金法印とは沢庵の書を売っている人のことを言うのだろうか
成島柳北
読売雑評集 明治14年10月19日
沢庵漬の説
私は質素に育ったゆえ、幼少の時より、沢庵漬を良く食べていた。三食必ずこれを食べていた。家に古い召使がいて私が沢庵を好むのを知っていて、その重石の置き加減を慎重に加減して、新漬は新漬、古漬は古漬と自ら判断して、あるときは重石を軽く。又あるときは重く、重石の加減を良くしていた。四季とも沢庵の味良く、私にして食事に魚がないことを嘆くことはなかったのは美味しい沢庵があったからである。
然るに近頃、その古い召使が田舎に帰ってしまった。他の召使に代わって沢庵を管理すると、沢庵の重石加減の程度を知らず、ただ押しに押したので沢庵の味はだんだん悪くなった。私が日々ののしりわめいたが、仕方がなかった。程なく田舎より古い召使が戻ってきたので、この状態を話すと次のような答えが召使からかえってきた。
「それ沢庵は押さねば漬からないものである。それ故石の良いものを選び、この石で押し、沢庵の塩加減をよくすればもとより必要なことだが、ただ押せば良いものだと思い込み、その大根の性質を問はず、その糠塩の多少を考えず、むやみに押し付けるのが良いと考えるのは甚だ心違いである。茄子には自ずから茄子の漬け方がある。瓜も自ずから瓜の漬け方がある。茄子も瓜も沢庵も同じ漬け方にすべしと思い、ただ重石のみ強くかけるのは台所を任せられているもの間違いである。重石の軽重は自ずから状態を判断してよきを図ると良い。」といった。
私はこのことから次のように思った。「ああ妙なことだ。古い召使の言葉だ。世間の道理は往々にしてこのようなものだ。何事も軽重のよろしきをを失うとき必ず悪い結果を招く。なんぞ沢庵漬のみのことではないことだ。」と書いて世間の人に知らせたい。
明治初期の話で今でも十分通用する話である。
花月随筆
飯島花月
はだなと大根 489頁
川柳に扱われると干し大根は老人のしわだらけの姿のように扱われる。はだなは若い婦人に見立てた作が多い。
干大根はだなの側に恥ずかしき
江戸においてははだなうり大根は正月松の内に売りにくるというので正月風景となっていた。冬野菜の不足していく時期だったので重宝されたのだろう。お惣菜に使われたという。
はだなは神奈川県秦野市の産した大根の品種で宝永4年(1704)の富士山の噴火で秦野市は火山灰で覆われたため『はたの大根』は壊滅的打撃を受け、後には練馬大根の干し大根と混同されるようになったと思われる。
沢庵和尚の鎌倉紀行
江戸幕府二代将軍秀忠が死去の後、家光によって赦免された沢庵は江戸に戻ってきたが、約2年間駒込・吉祥寺の堀丹後守直寄の下屋敷や柳生宗矩の世話をうけていた.沢庵は京に戻る事を希望していたが戻れずにいた。その間に鎌倉に旅行している。この旅行の後沢庵は、幕府の庇護の無い寺院の悲惨な状態を知り,後に変心してゆくきっかけとなる。
『天下の五嶽・かくのごとくなり果てる事やあると嘆息止みがたし、またこの日は建長寺に入り仏国禅師を拝み正統庵は夕べに扉を閉じ、人住まざる夜はけだものの住家となるを見たり。いかにしかかる様ぞと問えば所領荘園いささかも無ければ子孫末流ありながら自住の庵さえ守りかねる事になれば本庵をいかにしても維持しようがないと語る。』
神奈川県鎌倉市・建長寺は江戸時代初期までの度重なる火災や風水害で荒廃していた。後に沢庵和尚の進言で建長寺は徐々に再建し現在残っている伽藍となった。
昭和33年農産物漬物輸出規格
戦後、輸出検査法によって、ある種の漬物は輸出検査を受け合格しないと輸出が出来なかった。中曽根内閣のとき、漬物の輸出検査制度は廃止された。
この輸出検査の目的は粗悪品の輸出を阻止し日本品の名声の維持向上を目的としていた。関東では横浜と芝浦に輸出規格検査所が在った。
漬物の検査規格の一例として
たくわん漬の規格 南北アメリカ以外の地区
調製 新漬沢庵にあっては塩押しが、古漬沢庵にあっては干し揚げが良好であること。ヒゲ根および葉の除去が完全であること。ただ,葉つき沢庵にあっては,枯れ葉、腐れ葉の除去が完全であること。
米糠の重量は正味量の7%以上であること.ただし特殊副原料を用いた沢庵漬にあっては、その香味、肉質、色沢及び保存力が規定量の米糠も用いた沢庵漬と同等以上の場合は、この限りでない.奇形の物または傷の程度の著しい物の混入が本数で5%以下であること。
正味量 正味量が内容積18リットルにつき13・6kgの割合以上であること。ただし、長さ20cm以下の詰め沢庵,充填用大根の葉及び米糠の重量を除く。
注 脱脂した米糠及び破砕された籾殻が一部混入している生米糠は、米糠としてとり扱う。
たくわん漬の規格 南北アメリカ向け
調製 新漬沢庵にあっては塩押しが、古漬沢庵にあっては干し揚げが良好であること。ヒゲ根および葉の除去が完全であること。一本あたり平均重量の上下各々30%をこえるものの混入の本数が5%以下であること。異品種のもの、奇形のもの及び傷物が混入していないこと。
米糠の重量は正味量の7%以上であること.ただし特殊副原料を用いた沢庵漬にあっては、その香味、肉質、色沢及び保存力が規定量の米糠も用いた沢庵漬と同等以上の場合は、この限りでない.
正味量 南北アメリカ以外の地区の規格と同じ
注 脱脂した米糠及び破砕された籾殻が一部混入している生米糠は、米糠としてとり扱う。
色沢、形状の著しく異なるものは、品種として取り扱う。
アメリカ向けの方が不揃いの規格がうるさい。
南北アメリカ以外の地区向け
たくわん漬の包装条件
樽を用いる場合は、次の基準に適合すること。
イ 樽材は清潔で死節、虫食い,割れ等の欠点により樽漏れしない物であり、樽の内容積が72リットル未満であるときは厚さ7ミリメートル以上。樽の内容積が72リットル以上の場合は厚さ14ミリメートル以上あること。
ロ 鏡ふたは、はぎ4枚以内とし、たくわん漬用いたたるで内容積が36リットル以上のものには中ふたを用いること。
ハ 上さんは二本で、その厚さは7ミリメートル以上とし、底さんはたるの内容積72リットル以上の樽にあっては二本で,その厚さは20ミリメートル以上であること。
ニ 樽漏れする場合は、清潔な資材を用いて目打ちを完全に行うこと。
ホ くぎ打ち,縄掛けその他荷造りが堅固であること。
抜き取り方法
合格または不合格の判定は次の表により荷口の大きさに応じて抜き取った数量について行う。
20こおり以下は2こおり
21こおり以上50こおりは3こおり
51こおり以上150こおりは5こおり
151こおり以上300こおりは7こおり
301こおり以上10こおり
合格の表示は PASSEDとする
南北アメリカ向けの規格
たくわん漬の包装条件
樽を用いる場合は、次の基準に適合すること。
イ 樽材は杉またはさわらの割り材で死節、虫食い,割れ等の欠点がなく、樽の内容積が72リットル未満であるときは厚さ7ミリメートル以上。樽の内容積が72リットル以上の場合は厚さ14ミリメートル以上あること。
ロ 鏡ふた 南北アメリカ以外の地区向けと同じ
ハ 上さん 南北アメリカ以外の地区向けと同じ
ニ 樽漏れする場合は、清潔な和紙を用いて目打ちを完全に行うこと。
ホ 縄は,稲縄,あし縄、マラオン縄.麻縄またはまこも縄を用いること。
へ くぎ打ち,縄掛けその他荷造りが堅固であること。
抜き取り方法
南北アメリカ以外の地区向けと同じ
合格の表示は PASSED FOR N&S AMERICAとする。
芝浦にあった、農林水産省輸出検査所にアメリカ向けの渥美タクワンの輸出をしていたときの話。当時は寿司ブームが始まったときで、塩辛い渥美たくわんが寿司まき沢庵用として輸出していた。9時30分頃に検査所について、検査をお願いして、検査するたくわんを検査室の前に並べる。検査員が抜き取り検査の商品を指定して、検査が始まる。たくわんを容器から抜き出し、糠をしごいて、目方を量り、傷を検査する。合格するとまた元のように容器に詰める。これが難かしい。きっちりと入っていたので元に入らなかったのもある。その間に書類が出来、商品に検査合格印のスタンプを押してもらう。時計は10時半ごろになっている。指定された倉庫会社は大体11時が午前の搬入書類作成の打ち切り時間なので急ぐ。遅れると1時までどこかで待機しなければならない。
輸出検査のおかげで、戦後塩分の低下した国内産の漬物は特別に旧規格の商品をつくらないと不合格になっていた。特になら漬は酒粕が重量の50%なければ不合格、ラッキョウの糖分不足が目立った。
今は輸出検査がなくなり、どうかと思う商品も海外に出ている、国内の価格の3倍になってしまう事を考えるとやむを得ないかも知れない。ただ、海外にいて日本の人たちの活力を与える漬物なので、良い漬物を安価に供給したいと思う。