年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

閏年

2008年02月29日 | 宅老のグチ
閏年
4年に一回の日なのに相変わらずバタバタ。原油はさらに上がるし、ドルは下がるし、中国と日本のギョウザ戦争から公安戦争に不安は広まりメンツを壊さないようにどう消し去るかかなりの長期戦を覚悟しなければならない。今年の夏の漬物に向く野菜はかなり高騰するだろう。
京都の漬物は国産を強調して高価格で販売できるので、原料となる野菜を安定させるためかなり高価格で契約している。今年は野菜を作る農家はいい思いをするだろう。4年に一回の高騰でなくかなり長期の高騰となるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総持寺には

2008年02月28日 | 福神漬
総持寺には
鶴見の総持寺には、「黒岩涙香」の墓がある。黒岩涙香は土佐出身の明治時代に活躍した知識人、ジャーナリストで作家、翻訳家、探偵小説家としても名高い。その涙香が創刊した新聞「萬朝報(よろずちょうほう)」紙は、著名人の社会性あるゴシップ、暴露記事を第三面掲載したことで話題となり、「三面記事」という言葉が生まれた。
同じ総持寺に日本郵船の第一次大戦で亡くなった船員の慰霊碑がある。福神漬の裏の歴史は上野池之端の料亭が関係していて三菱の岩崎邸も付近にある。日本郵船は今でも三菱グループの一員である。東京市下谷区茅町にあった岩崎家本宅は、1896年(明治29年)に岩崎久弥が建てたものである。福神漬の逸話に出てくる浅田正文は茅町2-16で今の横山大観記念館に当たる。
萬朝報の暴露記事は池之端の福神漬の記録を消し、カレーライスの福神漬として記憶に残った。
萬朝報は今の時代は写真週刊誌かテレビのワイドショウでしょうか、明治のノゾキ趣味が満ち満ちて読者を増やして行った。いわゆる売り上げを増やすために行き過ぎた報道があったため『まむしの周六』恐れられた。明治の時代は金銭のやり取りで新聞記事の差し止めがあったと思われる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常陸丸はなぜ記憶に残る船だったか

2008年02月27日 | 福神漬
常陸丸はなぜ記憶に残る船だったか
第一次大戦でインド洋において爆沈させられた常陸丸二世は戦時海上保険・船員・乗客の捕虜等の問題を引き起こした。
昭和に入ると日本はドイツと同盟国になったため、常陸丸の悲劇は郵船社員しか記憶に残っておらず一般の人々から忘れ去られた。作家長谷川伸は『インド洋の常陸丸』を著わしたのは第二次大戦後のことである。洋上や外国での楽しみは食事である。福神漬がインド洋で発見されたとき常陸丸の遭難を確信し、すぐに捕虜となった話が伝わり喜んだと思えば事実が伝わるにつれて悲惨な事実がわかったということが郵船社員・家族には長く心に残っていたのだろう。また一般には常陸丸1世は有名で日露戦争でロシアの攻撃を受けて1400名の死者が出ており、靖国神社には入り口に近いところに慰霊碑がある。常陸丸二世および第一次大戦において殉難に遭った郵船社員の慰霊碑は神奈川県横浜市にある総持寺の鐘つき堂のそばにある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郵船の常陸丸

2008年02月26日 | 福神漬
郵船の常陸丸
常陸丸は2度も海難に遭って、初代の船長も2代目の船長も自決したという船である。初代は日露戦争のおり、玄界灘においてロシアの攻撃を受け1400名死亡した。九段にある靖国神社には大鳥居のすぐそばに大きな殉難碑がある。初代常陸丸は靖国神社の合祀問題を引き起こしている。それは船長がイギリス人であったためである。果たしてイギリス人3名は靖国神社に合祀されいるのでしょうか。
 2代目もインド洋において沈没している。行方不明になった大正6年秋から大正7年2月までは常陸丸に掛けてあった戦時海上保険制度の不備で、日本郵船・東京海上保険・日本政府での保険金支払いの証明で論争していたようである。大正7年3月に常陸丸の遭難状況がわかると論争が終わってしまったが郵船の幹部には実に印象の強かった事件であった。大正7年2月の常陸丸捜索隊が見つけた品々の中で壊れたドアと『酒悦の福神漬』の木箱が拿捕でなく沈没したことを確信しただろう。
出所 神戸大学電子図書館にて 『常陸丸』で検索
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本郵船博物館図書室2

2008年02月25日 | 福神漬
日本郵船博物館図書室において2
例によってカレーライスと福神漬の関係を調べる。

日本郵船株式会社百年史. 昭和63年刊行であるが、多くの社史を読んでいくとそこには共通の事情が出てくる。それは都合の悪いことはあまり記述されないか、またはあっさりと触れている。時代や時期によって法規範に反する行為となって記述されないこともある。
 明治30年代の萬朝報のスキャンダルジャーナリズムによって、『妾』を持つことが次第に批判されるようになっていった。日本郵船は日本の会社であるが欧米諸国と付き合いがあるので浅田正文の報道はこたえただろう。後に第三代日本銀行総裁となった川田小一郎も池之端付近の芸者を妾にするため、富貴楼のお倉に頼んでいる。お倉は日本郵船の設立には陰の役割を果たした女性である。
 日本郵船に酒悦の福神漬が納入されたいきさつはどう考えても池之端グループの口ぞえがあったと思われる。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本郵船歴史博物館図書室

2008年02月24日 | 福神漬
日本郵船博物館図書室において
例によってカレーライスと福神漬の関係を調べる。

日本郵船株式会社百年史. 昭和63年刊行であるが、昭和57から58年頃百年史のためのエピソード募集が社報『ゆうせん』に載っており、カレーと福神漬の話が昭和60年の社報に出ている。いわゆるカレー本の福神漬とカレーの関係の記述はここから始まったのではないのだろうか。昭和60年は何かと日本郵船の創立100年と言うことで注目されていて誰にも無難な話題として、社報『ゆうせん』の記事を引用したのではないのだろうか。
 瑣末の事柄は歴史の中では記述されず、福神漬もこの一例で郵船社員の中では周知の事実であったが記述はされてないので郵船歴史博物館の雑学紹介のエピソードもあいまいな表現となっている。
 郵船百年の歴史の中で福神漬はどうして記録にはないか記憶に残っているのだろうか。郵船の始まりと発展は明治日本の御用船徴用の歴史であった。従って社員の意識には他と違う意識があったと思う。百年の歴史の中で第二次大戦で徴用された商船が攻撃をうけ、犠牲となった船員の数が多数あることを一般人にはあまり知られていなかった。
 その戦没商船の歴史の中で第一次大戦末期インド洋において行方不明となった常陸丸の記憶もあった。日本の商船は軍の護衛も少なく任務についていた。常陸丸の日本から欧州に向かうときの出港の様子は悲壮感が漂っていて、残された家族はただ無事を祈るだけであった。
 常陸丸を捜索に行った船が日本に帰り『酒悦』『池之端』『福神漬』の焼印のある木箱が見つかったとき初めて常陸丸が捕らわれたれたのではなく遭難に遭ったことを感じたのではないのだろうか。木箱の新聞報道があって20日位たって常陸丸の乗員・船員の生存の望みのある知らせが届き、船長の自決の知らせも届いた。この当時の郵船社員とその家族の記憶に強く残っており百年史の思い出募集に福神漬が出てきたのではないのだろうか。
 イージス艦の事故で遭難した家族の気持ちは今でも変らない。ただ無事を祈るのみ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

予想は(よそう)は逆からよむと嘘よ(うそよ)

2008年02月23日 | 宅老のグチ
予想は(よそう)は逆からよむと嘘よ(うそよ)
4~5年前,就職氷河期といわれた時にいわゆる団塊の世代が定年になるとき質の違った人で不足になると予想した。昨年初めまだ原油が1バレル30ドルとか40ドルの時にすぐに100ドルになると予想を言ったら商品先物を仲介する人はきょとんとしていた。その予想の根拠は中国における自動車および道路網の発達が根拠であった。日本と違って海岸部が東しかなくいずれ発展すれば発展するほど内陸部に工場等を移転しなければならない。日本は全部周りが海で適切な政策を採ればまだ海運利用で行ける。中国が発展すればガソリン需要が増える。さらに乗用車が年間500万台以上新規に増えている。
 中国の漬物工場も次第に沿海部から内陸に向かっている。これは江戸時代練馬で沢庵を作っていたのが次第に土地の高騰によって郊外に移り、ついに外国になってしまった。日本農業も土地の問題を解決すればまだやりようがあると思う。農業はやりがいがあるけれど他の仕事と違って努力したからと言ってお金が増えるわけでなく、相場が高騰すれば思わぬ収入になるし、収穫寸前に災害に遭うこともあるギャンブル的な仕事である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改正JAS法4月施行について

2008年02月22日 | 宅老のグチ
改正JAS法4月施行について
昨年の食品偽装の事件のあとJAS法が改正され4月から業者間取引であっても産地表示の適正化を要求され、違反すると是正措置をしなければならなくなりさらに詐欺罪の適用も考えられるようになる。
 この結果4月以後はかなり窮屈な取引になり予想もつかない食品の高騰を招くだろう。これは建築の耐震偽装の後建築基準法の改正で新規着工がかなり遅れたことと似ている。運用方針が明らかにならないと取引が停滞し、食料自給率39%の重みが反映されることとなるだろう。
 業者間取引で賞味期限を表示するとまた別問題が生じる。塩漬野菜はかなりの期間保存がきくのでどのような期限を表示するか問題となる。『不動産・株の塩漬』とか引用されくらいである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沢庵の黄色

2008年02月21日 | タクワン
沢庵の黄色
沢庵漬が黄色くなるのは大根を塩漬けにすると自然に変化し黄色くなるものであるが人為的に着色した理由はあまり知られていなくて、添加物を使用することを批判するする人も儲かるために黄色くしたとあるが『なぜ黄色くしたほうが儲かるか』が知られていない。着色したのが明治20年代から30年代の頃だろうか中野の沢庵業者が陸軍納めの沢庵を着色したことに始まる。なぜ陸軍納めの沢庵から着色が始まったか調べることにする。当時は軍隊とか寄宿舎だけで沢庵漬が自家製造でなく購入していた。色鮮やかな沢庵漬は粗末な食事に変化を与えただろう。同様にシソ梅酢で赤く着色した梅干も江戸時代からあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忍者装束

2008年02月20日 | 宅老のグチ
忍者装束
天洋食品の工場内部の映像がニュースで報道されていました。中国の漬物工場の中で働く多くの女性は白装束でまるで女忍者のようです。工場内部に私物等の持ち込みは禁止されていて中で働く人達の映像写真等は日本から行った人達が日本の人達のために撮影するものしかありません。中国工場で働く人達のために記念写真を工場内部で撮影して人数分印刷して郵送していました。彼女たちは故郷に働いている写真を故郷に送るでしょう。中で働く従業員と友好関係がなければ、意図的異物混入はいつでもありうるのです。
明治の歴史を調べていると今の中国の働く女性は明治時代の『女工哀史』の頃と似ています。故郷の貧しい家のために働いているのです。しかし、それも少し前の話で今は『原宿』『デズニーランド』の話が出るそうです。研修で日本に来るので意外と日本は知られています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミリメシ

2008年02月19日 | タクワン
ミリメシ
缶詰協会から自衛隊で食されている『たくわん缶詰』を貰いました。最近流行のミリメシの一部です。
 日本の軍隊が出来たのは明治の西南戦争のことと思いますが当時の兵士の食事は粗末で改革されたのはその後です。福神漬は明治の軍隊によって日本全国に普及しました。兵士によって味が知れたこともありますが大陸の寒さで温めなくても良い福神漬は重宝されました。
 さて明治の徴兵制とその忌避について史料を読んでいますが徐々にご飯が白くなって沢庵漬が黄色くなって、梅干が赤くなっていったのは何か関係ありそうで調べる余地があるように思われます。どんな結果になるのは予想がつきませんが調べる楽しみがあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京マラソン観走記

2008年02月18日 | 築地市場にて
東京マラソン観走記
3万人以上が完走するとは35km地点で見ると佃大橋の上り坂はまるで歩行者天国状態で歩いている人ばかり、見物する人を入れればかなりの人出となるでしょう。迂回路となった築地4丁目の交差点も前回より込み合わず実にスムースとも言える。ただ上空のヘリコプターがうるさい。2年目ともなれば周知の行事となってさらに走る人が増えると思う・都内の宿泊する人達の経済効果を入れれば東京でやる効果がある。先頭の走者が過ぎ去って3時間後でもかなりの人が走ったり歩いたりしていて、またそれを見ながら応援している人がいる。東京の新しい参加型のお祭りともいえる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第二回東京マラソン

2008年02月17日 | 築地市場にて
第二回東京マラソン
第二回となれば交通規制もどんな風になるか解っているので不安はない。仕事終わりに築地4丁目の交差点は走っている人には一番つらい35km地点となっている。歩いている人もあれば走ったり止まったりしてとにかく最後まで走ろうとしている。第一回の完走者の数を見るとほとんどの人が完走しているので驚く。元気を貰おう東京マラソン。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆとり教育と農薬ギョウザ

2008年02月16日 | 宅老のグチ
ゆとり教育と農薬ギョウザ
農薬ギョウザの余波で国内産の漬物を要求されています。先日和歌山県の梅祭りの会合で梅干の産地の表示の件で打ち合わせしました。和歌山県産・紀州産・国内産などが候補に上がりました。しかしゆとり教育の影響か各都道府県が何処にあるのかわからないのではないのかということになって『国内産』が表示としては良いのでないのだろうかとなった。
 昨日の報道で学習指導要領の改定案の説明で各都道府県の位置等が教えられてないことを知った。島根県の職員に鳥取県の隣ですという文字を書いてあるシャツを着させる運動があった。最近の市町村の統合で新しい都市の名が過去の歴史に関係ない地名が付けられたのもあって何処の県か不明なときもある。筑西市は最初見たときは九州の地名かと思ったら旧茨城県下館市付近の新しい市名となった。今後も統合が続くことを考えると『国内産』より『日本産』も良いかもしれない。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堺市を歩く4

2008年02月15日 | タクワン
堺市を歩く4
堺市の今は不況の中にあるように見える。家賃相場も東京と比較すると安いような気がする。さて堺市山之内商店街から堺東駅に向かった。途中『堺東駅』はどんな読み方をするのか考えていたら単純に『さかいひがし駅』だった、駅の南にある大きな書店の中にある郷土史のコーナーで堺の歴史の本を立ち読む。意外と千利休関係の本はない。多分全国的に知られた人物で郷土史の範疇からはみ出た人になってしまったのでしょうか。沢庵和尚と千利休は京都大徳寺において会ったのでしょうか。
 堺東駅で南海電車を渡ろうとエスカレータに乗ると東京と異なる立ち方だった。ネットで調べると大阪付近だけの通路の開け方で、新幹線の新大阪駅は東京風の通路の開け方と言う。やっとのことで反対側に出てJR堺市駅に向かう。方違神社 (かたたがい、ほうちがい、かたがえ)へ向かう途中、ある綺麗なお菓子やサンと思われるところを通過すると立っている人に尋ねるとここで簡単な食事が出来るとのことで少し時間が余ったのと南宗寺から歩き続けたので休憩するために入る。『江久庵』というカステラが売り物と言うお菓子やサンであった。
 食事中少し考えていた。戦国時代の自治都市堺の結果が『沢庵漬』に現れているのではないか。今回は堺の下調べで次回はもう少しましな展開となるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする