年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

29日韓国梅雨入り

2012年06月30日 | 築地市場にて
築地にいると世界の天気状況が気になる。時には台湾で何年か前は台風が必ず台湾に上陸して、弱ってから中国本土に向かった年もあった。昨年は台風がベトナムからタイに向かい、ついには洪水となって自動車生産が止まった。幸いタイ産の漬物原料は収穫後であったため被害はなかったが、それでも積み出す港が少なくなり、時間がかかったという。
 夏季の天候不順は対策が少なく、実際に起こってしまうと対処は難しい。今年は6月台風の影響がどれだけなるか心配だが梅に関しては3月の突風のほうが影響が大きいようだ。

 韓国の人は梅雨入りをどう表現するのだろうか?梅の実がなっているのだろうか。聞いたことはない。
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区切り

2012年06月29日 | 築地市場にて

お金てきには半期の年度末だが築地市場的には明日が半分の日となる。ところが3月決算なので、大手は株主総会の時期なので半期という感じはしない。市場関係の情報屋さんと雑談をする。どうやら6月末で築地の仲卸をやめるところがあるという。倒産ではなく静かな撤退という。市場内の橋で環状2号線の工事が行われているが荷物の運搬に対して影響がないくらい閑散としている。このまま閑散な状況が続けば本格的に築地市場内を貫通する道路工事が強行されても支障がないと思える。建設業界のひまさ加減が築地市場周辺の工事を加速させる。
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問われているのは何か

2012年06月28日 | 築地市場にて
問われているのは何か
福島県の漁港にカツオが水揚げされた。カツオは回遊魚で太平洋を回っている。漁船の所属している港で産地が日本では決まる。最近の表示では漁のあったところも示している例もある。北太平洋全体が汚染されてしまった現在では福島県沖しか高濃度の汚染はなくなったと思われる。そこで福島の漁港での水揚げ価格が今後問われることとなる。当然価格差が出れば東京電力より補償が出て、電力料金に転嫁されることとなる。電気料金はますます複雑になる。


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幕末のワーフル

2012年06月27日 | 福神漬
木村芥舟の日記から
慶応3年12月30日
菓子パン12斤小松屋より差越(送ってよこす)代金2円、当方で払っておく。織田和泉守信重へ3斤、赤松範静へ同量、土岐頼礼へ同量、残りが木村家の分だったと思われる。
 木村芥舟の妻が福沢諭吉に(ワーフル)という菓子を焼いて出したことがあった。多分ワッフルのことだろう。江戸の小松屋はワッフルを販売していたのだろうか。
 木村芥舟さんの『やせ我慢の説』の文中で福沢諭吉の思い出の文中にワーフルが出てくる。慶応3年10月に大政奉還があり、翌年の1月早々鳥羽伏見の戦いから徳川幕府が崩壊する。この間にワーフルの贈答があった。食べ物の記憶が30年以上たった時、福沢諭吉とともに出てきたのだろう。慶応3年10月に福沢諭吉の謹慎からその謹慎解除の件で中島三郎助が活発に活動していた。やせ我慢の説が成立した背景に福沢諭吉が静岡清見寺の咸臨丸の碑を見た後だったという。勝海舟・榎本武揚の生き方と中島三郎助の生き方から書きたかったと思われる。慶応3年末には中島三郎助は今の浜離宮に住んでいて、末子を生んだ。木村芥舟も浜離宮生れである。そして築地市場は浜離宮の隣にある。

ワーフルは食べ物である。しかしその食べ物が人の時間の記憶と複合したとき、別の意味を持つことがある。福神漬は漬物である。しかし,命名の時期(明治16年から18年頃)から時の記憶に残る人もあったと思われる。
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慶応3年末の菓子パン

2012年06月26日 | 福神漬

木村摂津守喜毅日記 〔木村喜毅著〕
福翁自伝から木村芥舟の日記を中央区中央図書館から借り出した。木村が福沢諭吉のため幕府の幹部にアメリカで購入した書籍の差し押さえを解除するため奔走していた。其の中に目付けの長井昌言がいた。慶応3年12月30日の日記
 同日の日記に『菓子パン』という記述がある。この菓子パンとは何物だろうか。
 鶯亭金升の本で小栗上野介が渡米し、帰国時に長井家にアメリカ土産として菓子製造の道具を送ったという。ワッフルという菓子を造る道具だった。パンというものをあまり知らない木村芥舟にはこれが菓子パンという記述になってもおかしくない。年末の贈答の中で妊娠中の長井昌言夫人が木村家にワッフルを送ったかもしれない。鶯亭金升は慶応4年2月23日(1868年3月16日)-生まれ。
 アメリカンワッフルというのが東京デズニーランドで売っている。もし同じようなものであったならば菓子パンと江戸時代に思っても不思議ではない。
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福翁自伝より

2012年06月25日 | 福神漬

慶応3年、福沢諭吉が二度目の米国行きから帰ると謹慎を命じられた。ある日中島三郎助がやってきて『どうして引っ込んでいるのか?』『斯く斯く云々という次第で引っ込んでいる』というと中島が工作をして謹慎を解かせたという。この件で木村芥舟日記によると目付けだった長井昌言にも手を回したようだ。アメリカで購入した本の差し押さえが謹慎解除後もなかなか差し押さえが消えず、長井筑前守昌言に解除の依頼をしていたようだ。浦賀与力だった中島三郎助と浦賀奉行戸田氏栄の3男(長井昌言)が福沢諭吉の謹慎解除で協力していたとは人生何があるかわからない。
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ぬかみそ漬のおいしい季節

2012年06月24日 | 築地市場にて

本来ならぬかみそ漬のおいしい季節なのだが塩麹の売れ行きがよいので売り場がぬかみそより塩麹に力が入っている気がする。
 秋になれば麹の季節なのでますます塩麹関連の販売促進活動が強まるだろう。ぬかみそは古来の漬物だが塩麹は肉にもよく合うので新しい漬ける食文化となるかもしれない。対面販売のところを除くとおいしいぬか味噌漬はないといってよい。やはり自家製のほうが発酵具合をコントロールできる。
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韓国人口5000万人

2012年06月23日 | 築地市場にて

キムチのことを調べてゆくと、韓国の少子高齢化のスピードが日本より早く進むことが知るようになった。さらに韓国の定年が早く、資産とも言うべき不動産も価格が頭打ちとなり、売却して老後の資金とすることも、まもなく労働人口が減ってゆくことを考えると、競争力が今のまま維持できるとは思えない。日本と違って労働力を移民で補う考えのようだがどの国でも今のところ移民問題をうまく解決しているところは少ない。景気のよいときは問題は発生しないが不景気となると、弱者である新住人が排除されるのは歴史の必然である。
 韓国でも日本でも漬物は家庭の味と存在していたが女性が社会進出するに従い、市販の漬物を購入するようになった。
韓国のキムチも日本風になる。家庭で十分に発酵させたキムチを作ることは韓国女性を家に縛り付ける象徴となるだろう。
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強雨の築地

2012年06月22日 | 築地市場にて

久しぶりの強雨の築地市場。ほぼ露天商に近い施設でどこから新規の雨漏りが現れる日。早めに東京都の施設課に連絡して雨漏り状況を把握してもらう日。ゆっくりすると台風シーズンまでの補修が終わらない。
 そんなことを考えて出勤したら、予想通り床が水浸しとなっていて、いきなり排水作業となる。困ったもんだ。今回は空調機の排水部分の故障ではなさそうでどこから雨が漏ったかわからない。
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知事ーgovernor

2012年06月21日 | 福神漬
黒船前夜の出会い-捕鯨船長クーパーの来航 平尾信子著から
ペリーが浦賀に1853年に来航したがその8年前にアメリカの捕鯨船マンハッタン号が22人の日本人漂流民を浦賀に送り届けた。マンハッタン号クーパー船長と浦賀で応対したのは浦賀与力組頭中島清司とオランダ小通詞森山栄之助だった。この時の記録からクーパー船長は中島清司を地方知事governorと思っていたようだ。
 クーパー船長の帰国後の話から、アメリカの人々が日本というものに関心を示すようになり、ペリーの日本遠征計画となった。また黒船に一番乗りした浦賀与力中島三郎助は中島清司の子で、マンハッタン号での思い出話から浦賀与力は英語でvice-governorと言うと思っていても不思議ではない。
 森山栄之助は長崎で嘉永元年1848にマクドナルドから本格的に英語を習っていたので、governorとは与力のことではないと知っていたと思われる。(マンハッタン号の時には森山は英語ができなかった)黒船来航時のオランダ通詞の堀達之助もgovernorの意味を知っていたとおもわれるが中島清司の息子の三郎助は父親の自慢話から、黒船に乗り込んだとき、浦賀の副奉行vice-governorと名乗ったのではないのだろうか。結果的に官職名詐称となってしまったことで通詞の堀達之助は幕府への記録の件で悩むこととなり、知事として香山栄左衛門が黒船に乗り込むようになった。準備不足で誤訳誤理解の中で浦賀の応接となったことが香山栄左衛門の涙となった原因の一つと思われる。

この後の展開から福神漬の関する逸話となってゆく。
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水戸の梅から

2012年06月20日 | 梅干

台風で気になった梅を調べていたら、茨城県の漬物組合のホームページ梅の石碑の記事があった。
昨年の震災で石碑が倒れる寸前までいったという。この石碑には徳川斉昭公が梅栽培を普及させた理由を書いてある。
 種梅記
予自少愛梅庭植數十株天保癸巳始就國國中梅樹最
少南上之後毎歳手自採梅實以輸於國使司園吏種之
偕樂園及近郊隙地今茲庚子再就國所種者鬱然成林
開華結實適會弘道館新成乃植數千株於其側又令國
中士民毎家各植數株夫梅之爲物華則冒雪先春爲風
騒之友實則含酸止渇爲軍旅之用嗚呼有備者无患數
歳之後文葩布國軍儲亦可充積也孟子不云乎七年之
病求三年之艾可不戒哉聊記以示後人云
天保十一年歳次庚子冬十月 景山撰文并書及篆額
大津浜事件の後、水戸藩では外国の侵略を考えるようになっていたと思われる。漬物の梅干は食料としての用途だけでなく兵食としての用途もあることをこの石碑は示している。
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6月の台風

2012年06月19日 | 築地市場にて

何年かぶりの6月台風で紀州の梅産地の被害はどのくらいになるのだろうか。青梅は終わったと思われるが梅干し用の完熟梅はこれからだから気になる台風。ラッキョウ原料産地の中国でも春節以来晴天が20日ほどしかなく、根腐れ等の心配があるという。
 築地市場の衛生検査所から回覧が回ってきた。この時期は一年で一番食事故が多い季節で昨年は焼き肉で事故があった。新しい言葉で分別生産管理(IPハンドリング)という言葉があった。遺伝子組み換えたパパイヤが日本へ輸入が解禁となった。パパイヤに遺伝子組み換えのシールが貼ってあることで区別されるそうだ。シールをとることは違反となる。
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アミノ酸プロリン

2012年06月18日 | 築地市場にて

卵を扱っている人と雑談する。卵の生産量が少なくなっているのに価格が低迷しているという。
 卵は栄養があるので嫌われているのではないのだろうか。卵にはアミノ酸プロリンが入っていてコラーゲンを作っている。変な薬を飲むより卵パックのほうが効果はあるのではないかと質問した。まだまだ卵業界の人たちは卵を食品としか考えていないようだ。
 今の消費者は何に反応を示すかわからない。トマトは昔からあったのに販売は最近好調であるという。
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西蒲田の騒動の陰で

2012年06月17日 | 梅干

日本経済新聞 6月15日夕刊
 「公正取引委員会は,紀州田辺梅干協同組合,紀州みなべ梅干協同組合らに対し,独占禁止法に違反(事業者団体による一定の取引分野における競争の実質的制限の禁止)するおそれがあるとして,同2組合に対して警告を行った。
 本件は,同2組合が,かねてから特定白干梅の購入価格等について情報交換を行っており,毎年7月頃に,その年に生産される特定白干梅について両組合の組合員が農家から購入すべき価格を決定することにより,特定白干梅の購入分野における競争を実質的に制限していた疑い。」
こんな結果となったが組合での提示価格で必ずしも仕入れる人がいないことも分かったということ。売り先がない農家にとって今後は目安となる価格がないので困るだろう。古く長い付き合いのなかで価格を下げる交渉は難しく、組合価格で下げの交渉を行っていたが今後はどのように下げの交渉を行うのだろうか。今年は梅の不作で生梅の相場がかなり高い。今度の台風でどのくらい傷のついた梅が出るかもしれない。天気も気になるが目安となる価格がなくなるのも気になる。
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巣立ってみると

2012年06月16日 | 築地市場にて

あれほど喧しかったツバメが巣立ってみると、築地市場が元のように静かとなってしまった。年々築地が静かになっていくのは東京都の規制のせいでガソリンターレーの更新が認められず、新品の電動ターレーしか場内走行許可とならなくなったためだ。最新の築地市場内の空気汚染のデータは知らないがそれでもキレイニなった気がする。ツバメが築地市場内子育てする環境となった。カラスが減り浜離宮という餌場がソバにある市場がツバメのとってよい環境といえる。
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