隋録三遊亭円朝 藤浦富太郎著より
馬越恭平翁と円朝から
円朝は明治28年まで8年ほど新宿に住んでいた。その後川田小一郎(第三代日本銀行総裁・三菱グループの基礎を創った)の持家に住んでいた。川田は明治29年11月に亡くなっているので最晩年の付き合いとなる。円朝がいつまでも川田が家賃を取ってくれないので気に入らず引越しを考えていた時、その噂を聞きつけた馬越恭平が家賃を取ることを条件に馬越邸に移り住んだがなかなか家賃の請求が来ず約束が違うと再び移住する決意をしたが藤浦富太郎氏の父が間に入って家賃を取ることなり、二年間馬越邸に円朝は住んだ。
三菱・日本郵船の川田と三井・エビスビ―ルの馬越との接点ここに現れた。円朝の落語『七福神詣で』で川田が亡くなっていたのに出てきた理由がわかる。
福神漬をめぐる人の数奇な交流から明治時代の文明開花のいたずら現れてくる。日本郵船に池之端の酒悦の福神漬が納入された時口利きをしたのは浅田正文か川田小一郎ではないのだろうか。
馬越恭平翁と円朝から
円朝は明治28年まで8年ほど新宿に住んでいた。その後川田小一郎(第三代日本銀行総裁・三菱グループの基礎を創った)の持家に住んでいた。川田は明治29年11月に亡くなっているので最晩年の付き合いとなる。円朝がいつまでも川田が家賃を取ってくれないので気に入らず引越しを考えていた時、その噂を聞きつけた馬越恭平が家賃を取ることを条件に馬越邸に移り住んだがなかなか家賃の請求が来ず約束が違うと再び移住する決意をしたが藤浦富太郎氏の父が間に入って家賃を取ることなり、二年間馬越邸に円朝は住んだ。
三菱・日本郵船の川田と三井・エビスビ―ルの馬越との接点ここに現れた。円朝の落語『七福神詣で』で川田が亡くなっていたのに出てきた理由がわかる。
福神漬をめぐる人の数奇な交流から明治時代の文明開花のいたずら現れてくる。日本郵船に池之端の酒悦の福神漬が納入された時口利きをしたのは浅田正文か川田小一郎ではないのだろうか。