年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

馬越恭平翁と円朝から

2008年07月31日 | 福神漬
隋録三遊亭円朝 藤浦富太郎著より
馬越恭平翁と円朝から
円朝は明治28年まで8年ほど新宿に住んでいた。その後川田小一郎(第三代日本銀行総裁・三菱グループの基礎を創った)の持家に住んでいた。川田は明治29年11月に亡くなっているので最晩年の付き合いとなる。円朝がいつまでも川田が家賃を取ってくれないので気に入らず引越しを考えていた時、その噂を聞きつけた馬越恭平が家賃を取ることを条件に馬越邸に移り住んだがなかなか家賃の請求が来ず約束が違うと再び移住する決意をしたが藤浦富太郎氏の父が間に入って家賃を取ることなり、二年間馬越邸に円朝は住んだ。
 三菱・日本郵船の川田と三井・エビスビ―ルの馬越との接点ここに現れた。円朝の落語『七福神詣で』で川田が亡くなっていたのに出てきた理由がわかる。
 福神漬をめぐる人の数奇な交流から明治時代の文明開花のいたずら現れてくる。日本郵船に池之端の酒悦の福神漬が納入された時口利きをしたのは浅田正文か川田小一郎ではないのだろうか。
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早朝出勤の続き

2008年07月30日 | 築地市場にて
早朝出勤の続き
大体午前2時から出勤だと家をでるのは1時すぎ,寝るのは小学生より早く寝ることになる。もちろん夕食に世間並みにアルコールを入れると酒気帯びとなる。特に築地市場は銀座に近いので酒酔い運転の取締が多く捕まる可能性がある。従って飲酒する会合は休市前の日となる。早朝に起きることは何の苦でもなく特に水曜日はゴルフ場に集合となる。
 まあ外部から築地のことを評論しても内部の一部だけ知っている人から言えば決して全体を軽軽しく言えない。とにかく日々セリ価格のように変化していて仕事をしていて飽きない.
 マグロの仲卸さんに何時に築地に来るのかを聞いたら午前3時半ころだという。夜寝るの8時頃からウトウトして9時には寝込むという。こんなもんだから世間の時間とずれていて一種独特の雰囲気があって馴染めない人は嫌だろうが一旦馴染むと頗る居心地の良いところだと言える。夜中にブログをやる暇人は少なく殆どいや全部外部の人と言ってよくテレビ等の報道でうわべだけ報道している情報を根拠に書いている気がする。2ちゃんねるのほうが築地の中身が良く伝わっていて、この事実が一般に知れたら恐ろしい。
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夜中出勤/午前1時半

2008年07月29日 | 築地市場にて
夜中出勤
骨折した人の代替で午前1時半に築地市場に出勤となる。今日は駐車場を確保したので車出勤だが次回は終電に乗って出勤となるので築地には午前1時過ぎとなる。こんな時間でも築地警察は駐車違反の取り締まりをやっていて移転を促進しているようだ。
 普段会えない人と情報交換となる。声だけで顔を見るのが10年ぶりの人もいた。5月末で閉めたと思われた東京漬物水産加工組合は存続していると言う。
 築地のことを言うには24時間の動きを見ないと何も語れない。時間によってやっていることが違っている。豊洲は広いと言うが築地市場の外周道路で作業している面積を計算に入れると今より狭いのではないのだろうか。とにかく午前4時までは観光客も居らず、昔ながらの築地市場の雰囲気が残っていて売上が減ったとはいえ活気がある。
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夏が来ると思うのは 2

2008年07月28日 | 宅老のグチ
夏が来ると思うのは 2
戦後の農政は農地解放から始まってGHQの指示で様々な政策がとられた。農家の所得を増やすため従来の日本食を構成する食べ物から転換を図った。漬物に対しての攻撃は高血圧を招くとして塩分過多を指摘した。漬物業者はこのことに対して80度の加熱で塩分を抑えることにしたが乳酸発酵漬物を犠牲にした。さらに加熱殺菌によって失われた自然の風味を補うため様々な化学調味料を使用しなければならなくなった。このことは一面には安定した品質の漬物を作ることになり家内工業から発展することとなった。昭和30年代の福神漬の塩分濃度は10%以上あったが今販売している福神漬は3%程度になっている。
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夏が来ると思うのは

2008年07月27日 | 築地市場にて
夏が来ると思うのは
戦争が終わって平和な年が60年を越えるがその間日本以外では戦争と呼ばれなくとも人の殺し合いが行われている。
 漬物の歴史は意外と戦争によって発展してきたものでその歴史を知ることは隠れた史実を知ることとなる。まだ調べている途中だが戦争前の歴史は江戸時代末期に諸外国との間に結んだ条約改正を如何にするかの歴史でもあった。条約改正の道をするために国策として『富国強兵』政策が採られ、日清・日露戦争に勝利し条約改正に成功した。しかし目的を達成した政策が国民のための政治に展開することなく欧米先進国と同じような道を遅れてたどっていって失敗した。『べったら市』の歴史も条約改正・銀座レンガ街・戦費をまかなう税制改正の影響を受けていた。福神漬も同様に日清・日露戦争によって発展していった。沢庵漬は戦時の食糧難の時期つまり昭和16年には明治30年代から禁止されていたサッカリンが沢庵漬に甘味料として使用されることが許可された。その理由は軍人の戦意高揚を目指したものであって、他の食品に使用が許可されたのは戦後になってからのことで、日本が台湾・沖縄が日本領土とならなくなり極端に砂糖が不足となったためである。
 戦後日本がどうして戦争まで暴走したかの分析から始まっていると言って良い。人によってどんな理由から戦争になったか解釈が違うが漬物に関しては農村部の経済対策によってかなり変化した。

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人が熊に襲われると売れる漬物

2008年07月26日 | 築地市場にて
熊に襲われると売れる漬物
新聞報道で熊が人間を襲う報道が出ると売れる漬物があります。山菜の漬物です。山の雪が解けて山菜取りの季節がやって来ると山奥で人が熊と出会い襲われる。山村の人々の密かな楽しみが次第に山菜は山奥しか採れなくなって熊と出会うことになる。
 山村の人々は山菜を根こそぎ採取することせず、三本に一本は残すようにするがめったに山に入れない人達によって根こそぎ捕られて翌年には出てこなくなってきてさらに山奥に向うことになる。山村の人は秘密の場所となり教えないようになった。
 新聞とかテレビなので山菜とりで熊に襲われるニュースが出ると都会に出た山村の人々の郷愁を誘うようで急に山菜の漬物が売れるようになる。根こそぎ採られた山菜はタイ・ロシア・モンゴル・カナダ・中国から輸入するようになった。人件費も安く現地の人は食しないので非常に安い。観光地で漬物の原産地表示を見ると様々な国が表示されていて採りやすいところに山菜がなくなったのに気がつく。今では『タラの芽』などは畑で栽培されている。
 都会の人の郷愁によって自然が破壊されてゆき、業者は販売のために海外に原料を求めることとなる。アメリカではワラビは発ガン性のあるといわれていて日本から輸出する山菜からはワラビ抜きで輸出しています。
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江戸の下層社会

2008年07月25日 | 福神漬
江戸の下層社会 朝野新聞編 塩見鮮一郎解説より
今泉みねから桂川家をめぐる人々の交流へ、さらに明治維新後の成島柳北と浅草で薬屋を開いたが士族の商法で失敗したという記述から、この本を読むこととなった。
 この本は大まかに三章に分かれていて二章はエタとヒニンのことが書いてある。残りの一章にゴウムネコツジキ(乞胸乞食)というのがある。今風の定義にはない言葉で縁日の芸人や富くじの結果の報道なども含まれていて今の新聞記者のようなことをやっていたようで明治時代は新聞記者の質も悪く記事を捏造したり金品をゆすっていたり癒着してさり気なく宣伝していたようである。

福神漬の宣伝文を書いた梅亭金鵞(戯作者)や鶯亭金升(戯作者後に新聞記者)が関係して来るにはこのような事情がある。明治の中頃までは取材の新聞記者の地位はかなり低く軽蔑されていたといって良い。また新聞記者の人脈が浅草と銀座に集まっていて、浅草の方は幕府贔屓の人が多かった。成島柳北は日本の新聞の草分けと言ってもよい人で福神漬の宣伝にはこの様な裏事情がある。
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うなぎのお付き合い

2008年07月24日 | 築地市場にて
土用の丑の日
今年は騒ぎすぎた影響でうなぎは売れず、当然その関連商品も売れません。少なめに仕入れても時期のものだからやはり企画するのは年中行事になっていて数ヶ月、いや一年以上前から用意していていまさら他の企画に変更できないようになってしまった。テレビ的には偽装を追及するほうが簡単であるが、偽装させるほうにもっていっている販売者・消費者も追及しなければなくならないだろう。
 欠品しても偽装して補充販売するよりは良いとなるまではなくならないだろう。企画予想した数量と実際の販売量が同じになることはありえない。あまった時・足りない時に販売者・生産者のモラルが問われる。
 今年は売れないところからうなぎのお付き合いで買うことになる。中国産と国産の食べ比べでもしてみようか。
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明治中期までの質素倹約

2008年07月23日 | 福神漬
明治中期までの質素倹約
明治百話 篠田鉱造著より
旧幕の武家時代の家風が明治の家庭に伝わって質素倹約が基本でした。特に山の手では武家上がりの士族商法の家が多く、質素倹約をしつけられていました。
べったら市の調査をしていた時『江戸買物独案内』に丸藤問屋と言うものがありました。日本橋本町の薬種問屋と同じようなとことにあったので砂糖の歴史用語かと思っていたが『江戸買物独案内』の索引は『と』のところに丸籐問屋があった。
幕末武家では内職をしていたようで藤細工の内職をかなりしていたようである。青砥(あおと)藤綱の逸話が引用されていたが直ぐには誰だがわからなかったが京成電車の青戸駅の名前に関係する。
 少なくとも明治中期までは東京の人々の食生活の基本は自給自足に近いもので官僚・学生・軍隊等の需要が漬物の消費を支えていただろう。村井弦斎『食道楽』などはもっと遅く明治の終わりころの話で漬物を漬けることは女性の常識とされていた。

青砥藤綱が川の底に落ちた十銭を、五十銭のたいまつを買って二人の家来らに捜させるくだりがある。「無駄な出費」と笑う人に、わずかなカネでも、そのままにすれば長く天下の宝を失うことになる、と諭したという藤綱の有名なエピソード。
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補助金獲得イベントが終わって

2008年07月22日 | 築地市場にて
補助金獲得イベントが終わって
予定通りさしたる混乱もなく休漁イベントが終わって、夏休みに向う。今年のお盆の漁業関係者の休みが長そう。今の価格決定力が量販店に取られていて、安く大量販売することに慣れていて高く売ることには抵抗がある。青果物は道の駅などで徐々に消費者直接販売が浸透してきて規格外の販売の道が出来つつある。水産物は天候などの影響から問題が色々あるが、規制緩和によって観光漁業を強化する方法もあるのではないのだろうか。とにかく今の都会の消費者は魚にしても漬物にしても米関連の料理を忘れつつある。
 梅雨明けてそろそろ夏野菜が下落する時期になったがどうなるのだろう。
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内部告発されずに無事巣立ちか

2008年07月21日 | 築地市場にて
内部告発されずに無事巣立ちか
梅雨明けの築地市場の上空でツバメが騒いでいた。どうやら内部告発されないで築地市場のどこかで巣立ったらしい。背景は汐留シオサイトの日本テレビ。電線の間に数羽止まっていておしゃべりに忙しい。
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台風が朝鮮半島に行きそうで

2008年07月20日 | 築地市場にて
梅雨が明けたが
台風7号がそれて梅雨が明けたが、この台風の行き先がどうやら小さいながら朝鮮半島に向いそうで日本で言う梅雨末期の大雨となりそうで防災の準備の少ない地域には小さい台風でも甚大な被害が出そう。
 この後何日かすると結果が現れる。築地の人はいつも世界中の天候を気にしていて、地球温暖化は一番気にすることである。そろそろ夏野菜の価格動向が顕著に現れるころで物価と共に予断を許さない。冬野菜は重油の価格と海外の契約栽培で何とかなるが夏野菜、特に高冷地栽培を要する白菜やレタスが長雨とか台風の被害を受けると価格が高騰し代替が利かない。最近白菜の高騰する時期は夏が多い。
 とにかくオリンピックが終わるころまで夏休み。
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旬の復活

2008年07月19日 | 築地市場にて
旬の復活
原油の高騰で漁船の休漁という。この展開を午後訪れた生命保険のセールスのひとと雑談。話題は当然築地市場の景気の様子となる。あれほど騒いだ休漁のニュースも収まって実に静かだと言う。例の移転問題は水産仲卸の中でいがみ合いがあるようで気まずい話題になってきたようだと言う。
 このまま原油が高騰すれば冬に夏野菜を食べることつまり『キュウリ・ナス』は石油を食べることになる。冬野菜の代表は白菜・大根を中心とすればよいのでもう一度昭和30年代の食生活に戻せばよいのである。魚も油の使用量の少ない漁法で捕ったものを中心とすればよく鮮度をある程度犠牲にしなければならない。鮮度をほしがれば産地市場に行くこと。大都会で産地と同じような鮮度を要求すると油の消費を増すことになる。
 旬のものは価格も安く栄養もある。
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築地市場は外国人がずいぶん増えた

2008年07月18日 | 築地市場にて
築地市場は外国人がずいぶん増えた
海外の学校が休みとなっていて築地市場の駅のでは外国人の待ち合わせで歩道は満員。
場内で働いている人も若い人にはかなりの外国人が混じっていて配送の運転手さんが場所を尋ねても言葉が通じないと言っていました。体力のある若い人が築地は不足しています。この原因は午前4時ころから働くことで他は何もない。求人しても時給が世間と差がなくなったのがまだ気がついていなく不景気なのに人がいないと不思議がっている。
 手っ取り早く求人するのは不景気な同業者から引っこ抜くことになる。外国人はずっと築地にいるわけでなく一時しのぎとわかっていても背に腹は変えられない。バブル期と同じようになった。ただ当時と違って雇用者の負担が増えたので人目で外国人とわかる人が少なくなった。
 観光客も東洋人が増えて、日本国内から来た団体のように見え、交わしている言葉で国がわかる。働く人に夢のない職場はどの職においても消えてゆく行くほかない。場内労働者に高賃金を払うと当然販売価格低迷しているので赤字経営となる。赤字の仲卸目立っているのでますます日本人労働者が減って外国人となる。きっかけがあると廃業となる。そろそろ水産仲卸の店舗移動の話が出そうな気がする。
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15日の漁船ストと築地のデモ

2008年07月17日 | 築地市場にて
15日の漁船ストと築地のデモ
あまり関係ないようですが両者の狙いは国の予算を貰うこと。漁価を上げることも必要なのですが海外から安い魚が入ればおしまい。築地のデモも場外の人は前回と違ってチラシもなく知らないようで、どうも資金不足のようです。デモの参加人数の少なさは東京都に対してオウンゴールのようなもので移転反対の人の少なさを表しました。外の世界では築地の人はみんな移転に反対していると思っているようですがサラリーマンの転勤のようなもので表向きは反対しているようですが設備が更新の時期が来ているのに修理で済ましていて、移転の準備をしています。
 中央卸売市場法は『食の安全・安心』を保つことは当然のことですが公正とか決済の確実とか色々な歴史の経緯から慣習があります。そしてその慣習が日々新しく協議して作られています。外部の人はこのようなことはあまり知られていないので理解されていません
 15日のストのあと魚価と上がり具合と魚離れとをはかりにかけていくでしょう。日本食の転換期なのです。築地の人達は日々値段が違うように心も変化します。
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