年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

江戸・八百善の香の物(漬物)

2006年03月22日 | 趣味としての漬物
八百善は文化文政の頃(19世紀初め頃)に江戸で繁盛した料理屋です。料理屋を開業する以前の八百善は、明暦の大火(1657)後に、で八百屋を始め、八百屋の善四郎の名から八百善とよばれました。
江戸時代・文化文政の景気の良い時代の頃、贅沢な食事に倦きた客が八百善の座敷に上がって極上の茶漬けを注文したところ、少々お待ちください言う。客はどんな茶漬け来るかと期待して待ったが、一向に料理が出てこない。そうして、半日も待たされてやっとお茶漬けと香の物(漬物)を食べることが出来た。その香の物というのは、春には珍しい瓜と茄子の粕漬を切り混ぜにしたもので、八百善らしい美味しい味であった。さて帰る段になって勘定を聞くと1両2分(現在の価格で約10万円)だという。驚いた客が問いただすと、八百善の主人が出てきて説明した。 季節外れの珍しい(温室栽培)の瓜と茄子を使い、茶は宇治の玉露、米は越後の1粒選り、中でも最も金のかかったのはお茶に使った水だと言う。宇治の上茶に合わせるには江戸の真ん中の水ではよくないので、わざわざ早飛脚を仕立てて玉川上水の取水口まで水を汲みに行かせたと言うのである。そのため時間もかかったし、運賃も高くついたわけで、それを聞いた客は"さすが八百善"と感心して帰っていったといいます。当時、玉川上水は途中で分水され、末端では必ずしも良い水質ではありませんでした。
 江戸時代・八百善は江戸の料理屋番付では別格扱いでした。


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