年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

今年の初めは2020の後の虚脱感を心配していた

2020年12月31日 | 宅老のグチ
今となればおかしいのだが2020年の正月の話題はオリンピックだらけだった。それが中国の春節前から新型の流行性肺炎の話が出、空気感染で広まると、あっという間の学校が休みとなった。ついでに古いものを壊そうとする行動もあったが既得権のある勢力から阻止されたのも多かった。結局まだ何も解決しないで今日の数字となった。都知事がいくら会見を開いても、無作為ではないというアリバイ工作としか見えない。
 そもそも今年のコロナ感染対応の誤りは東京オリンピック開催とセットになった観光客4000万人という目標から制御が遅れた。そして諸外国のように罰則のある行動制限法が作ることが出来なかった。それは戦前の治安維持法から様々な法が作られ最後に戦争に行ってしまった過去の苦い経験から来ていてと思われる。今度のコロナで作られた予算とか法が不十分で制御できないことが証明されたが議会ではまだ罰則のある法を作ることにためらいがあると感じる。それは政治家自身が5人以上の飲食を避けるように発言していても実際は感染しないと思っていて、古い選挙方法にに従って行動している。人と会うことが政治の支持や情報入手の手段となっているのだ。
 新しい時代の公報手段にまだ慣れないアナログ政治家が多すぎて、多量の紙文書を作成配布している。
 今日で今年は終わる。記憶と歴史区分になる年になりそうだ。
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築地場外の大過密

2020年12月30日 | 宅老のグチ
あれほど騒いでいるのにアメ横はともかく空いているようだが築地場外市場は満員電車内並みとなっているようだ。例年ならTV放送があって、お笑い系のタレントがごますり試食で盛り上げるがさすがに今年は閑散としている風景しか映し出せないので築地報道は減ると思われる。いつもは帰省して築地の年末をTVで見ている人たちが店舗が閉まっていて動くこともできないので築地に来ている気がする。
 このままだと間もなく新規コロナ患者が千人を楽々超えるだろう。参議院員の人がコロナで急死したので節操のない口先だけの政治家も新年は目礼の挨拶で済ませるしかない。
 コロナで生活慣習が見直される。ミドリの狸のパフォ-マンスも資金切れで口先だけの自粛願いのように思える。都民の若者には説得力がなくカウントダウンは何処で騒ぐのだろうか。年寄りが自宅にこもり若者が街頭で騒ぐ。
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御用納めとコロナで町中店閉め

2020年12月29日 | 宅老のグチ
全国封鎖で出かける所なし。また春先の行動のように食っちゃね・食っちゃね生活に戻るのだろうか。
とりあえず、コロナをよけて、暫定的に10Kをめどとして歩く。その内もっと増えていけば夜になると眠くなるはず。食っちゃね生活は前回で太めとなった嫌な思い出がある。
 銀行が30日まで営業していて、さらにコンビニが空いていれば金欠不安もない。どこかで高齢者向けのスマホ講習を受けないと時代遅れになりそうだ。日経平均株価は1989年の12月29日に史上最高値の3万8915円 で大納会を終え元日の新聞を見て、限界と感じて新年から株が暴落し、不動産とゴルフ会員権が急落した。あの会員権相場は何だったのだろうか。山を切り開き、芝生を植え、農薬を大量にまいて昆虫を殺した。昔今の練馬区光が丘に米軍の基地があった。そこは緑の芝生に覆われ、平屋の住宅があり、道路は広かった。日本のゴルフ場は米軍基地のように思えた。あの会員権の騒動は今はバブルと言うが当時の経済雑誌を見ると実に不思議な根拠で販売していたと思われる。都合の良いデ-タで自己の論理を強調する。
 冷夏で米不足の時、タイ米からネズミの死骸が出たと強調していた政党があったようだ。移転前の築地では日常的にネズミが場内外を動き回り、常識となっていたが誰も公言することも無かったが移転直前にネズミの行先問題が急浮上して残留する場外市場を慌てさせた。不安を捏造しても実際の事象が起きなければ忘れられる。ただ文字が残り、検索で引用される。豊洲は今でも汚染排水が出ているが商材の汚染で健康被害はまだ出ていない。それより閉鎖空間での取引なのでコロナ感染リスクは築地より大きい様だ。豊洲は江東区なので救急車を呼んでも、部屋代の高い聖ロカ病院へは余程でない限り行かないだろう。
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初マグロの価格の思い出

2020年12月28日 | 宅老のグチ
2001年の初マグロのセリ値「2020万円」はそう簡単には破られることはなかった。1991年(平成3年)から1993年(平成5年)にかけてバブル崩壊し、築地市場が低迷していた。
 毎年1月5日は築地・豊洲市場の初市で11時から市場協会の主催で新年賀詞交換会がある。築地の時は勝鬨橋たもとの厚生会館の大きな会議室であった。東京都の会議室はアルコ-ルの出る会議は禁止だった記憶がある。そこで東京都の中央卸売市場の幹部の挨拶があって、これを聞くため、無理して出ていた。市場長から東京都が思っている課題を話すのが通例だった。2000年代からずっと移転問題が出ていた記憶がある。そこで低迷していた売り上げで東京都がイライラしていると感じていた。そんな会合でマグロの初セリを騒いでいた。こちらは青果なのでなかなか話の内容は解らなかったが夕刊で事情を知った。どうやら仲卸同士の意地のぶつけ合いでセリ値が上がったようだった。最近の初セリ騒動のように売り先と談合してセリしているのでなく、本当に商売の意地のぶつけ合いだった。当然2000万円のマグロは通常の売値でしか売れず、風の噂だとセリ落とした仲卸は消えたという。
 来年の初セリは三密を避けるため、報道機関の数も制限され、事前に東京都から撮影時間とかの文書が回ってくる。賀詞交歓会も形式となる気がする。中止もあるだろう。量販店の元日休みが増えた結果、12月31日は近来になく静かな市場となる気がする。築地場外市場の大混雑はコロナでどうなるのだろうか。何か帰省できないので築地の寿司を食べにくる人が多いと思う。
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千葉県旭市からの返礼品届く

2020年12月27日 | 宅老のグチ
千葉県旭市にいつも資料調査で丁寧に教えてくれる大原幽学記念館へふるさと納税で支援しようと想い旭市のサイトを見ると、方法が見当たらず、旭市の政策支援の所へメ-ルした。そして返事が来た。

お問い合わせのふるさと納税の使途として『大原幽学記念館への支援』ができるかということについてですが、
寄附を申込みいただく段階では上記の使途の指定はできませんが、
『教育の充実』という使途をお選びいただき、備考欄等に『大原幽学記念館への支援を望む』など
と記載して頂けるとありあがたいです。

 意見も参考に寄附金を充当する具体的な事業を決定したいと考えております。

なお、令和2年度中に頂戴した寄附金は令和3年度の事業に充当し、
令和4年度に充当事業の報告をホームページ等を通じて行う予定でおります。

明確な回答ができず申し訳ございませんが、
ふるさと旭の支援を賜りますようお願い申し上げます。
 旭 市 役 所
○旭市シティプロモーションサイト「あったか!旭」
 さて返礼品の伸し餅が届いた。でも今年は全体の寄付金に混入されそうで、返信メ-ルを公開することで来年は大原幽学記念館整備に使えるようにしたい。
 政治の世界の情報はごく短い期間の保存だが最近の芸能人の動画保存はもっと長い。国会での発言の書面は消えても、末代の百年超えても、嘘つき動画が残る。恐ろしい時代となった。嘘でない動画は消去の手段が無いことを知るべきで、判断のできない児童のポルノは厳罰なのが法の仕組みで世界共通の犯罪となる。目先の言い訳で末代まで国会での発言記録は消えても動画が残る。
 地方の図書館や郷土資料館にメ-ルして問い合わせていて、些細な調査に丁寧な回答をいただき、心苦しかったがふるさと納税で少しは気が楽になるが、結局足りない税金の補填となるのでもう少し直接的に支援できないかの想いがある。コロナの時代で三密を避ける自分だけの観光地があっても良い。
 
多くの子孫たちが自分や郷土の忘れられた人を調べている。そこには知りたくない事実もある。今は評価が低いが時代が変われば評価も変わる。嘘を暴くには時の流れを把握する必要がある。本人が話して記録に残っていても方便のウソもある。
 犯罪にならないと言っても歴史に残るウソの文献は解釈を誤せる。 







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クリスマスに父の墓前で

2020年12月26日 | 宅老のグチ
父が亡くなって65年経つ。それで墓参り。誰もいない墓地で祈る。しかし25日夕方に柴犬の病院での緑内症の眼圧数値が悪く、最後の眼圧低下の手術を行うことになった。どれだけ目が持つか解らないが片目は既に義眼で最後の手術となる。ドッグイヤ-は早いがそれまで視力は持ってほしい。朝コロナで用もなく寝ていても起こしに来る。家庭内序列で3位なのでまあ召使のようなものだ。散歩の要求は激しく、リ-ドを見て、こちらを見る。何を要求しているかわかってほしいと目で催促する。それでも放置しているとほえる。マレに甘噛み付きもある。
 午前、医者から電話があって、前日インフルエンザのワクチン注射がまだできますかと尋ねたがもう終わっていると返事だったがキャンセルがあって出来るという。すぐに行く注射する。今年は無料でこれでコロナにかかってもなぜインフル注射をしなかったかという言い訳をしないで済む。元首相の様に有能な秘書がいないので今から明解な言い訳できるようにしておこう。コロナは秘密の会合も感染で暴く。
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嘉永3年末の高野長英捕縛死の遠山金さんの判決の謎

2020年12月25日 | 宅老のグチ
 高野長英が嘉永3年10月末に江戸市中潜伏地にて南町奉行(遠山景元・金さん)配下の与力たちに逮捕されようになった時。一応自死という事に歴史学者は書いてあるが長英の評伝を書いた鶴見俊輔氏によると与力たちに撲殺されたという。生け捕りが基本の江戸時代の逮捕術では殺してはいけないことになっていて、異例の展開と思われる。さらに高野を匿う家を手配した関流和算家内田弥太郎(五観・観斎)も処罰されないで、浦賀奉行所に復帰した。当時の町の情報を集めている藤岡屋日記にも高野の逃亡を手助けしたのに事情聴取されただけで放免はおかしいという記述がある。内田は長英死後にも浦賀で下曽根金三郎の下で働き、ペリ-来航時には浦賀奉行戸田氏栄から慰労金が出たようだ。長英があと二年逃亡が続いていたらどう遠山は判断したのだろうか。
遠山桜天保日記という歌舞伎は明治26年11月の上演された。この歌舞伎は遠山の金さんの本で知ったのだが何か引っかかることがあって築地の大谷図書館で再度調べる。
 大谷図書館で在庫のある歌舞伎新報は明治26年末は無かった。あったのは明治27年1月で既に1月の劇評しか載っていなかった。さて明治26年11日月の劇評は都立多摩図書館で見ることが出来るが果たしてどんな上演評があったのだろうか。明治27年の1月の歌舞伎新報の編集者らしき人たちは尾崎紅葉・幸田露伴・三木竹二・森鴎外等の名前が見える。根岸党の竹の舎主人(饗庭 篁村/あえば こうそん )11月の歌舞伎の劇評を見るには都立中央図書館の朝日新聞縮刷版を見ればわかるかもしれない。
 明治26年11月22日 朝日新聞 竹の屋主人劇評で明治座上演中の遠山桜天保日記の評が始まる。23日25日28日と4回にわたって劇評があったが犯罪者が自力で更生したのを評価した形跡は見えなかった。見落としなのだろうか。フランスのデュマの巌窟王の翻訳(黒岩涙香 )は明治の30年代以降でまだ日本ではあまり知られていない話だ。今は巌窟王という小説はレ・ミゼラブルという名の小説で知られている。冤罪で牢獄生活を送り、脱出し、世間に戻る。
 遠山桜天保日記の疑問点は作者竹柴其水の筋書きの取材を誰が受けたのだろうか。歌舞伎の台本の中で成田・飯岡助五郎・河原崎座・新潟等の天保の時代背景を元に構成されているが明治のころにフランス小説が翻訳で日本に入ってくる時期とどう重なるのか気になる。黒岩涙香の巌窟王は1901年・明治34年なので筋書きの情報は無かったと思われるがどうなのだろうか。新潟の場面は初代新潟奉行と遠山景元の交流を示し、さらに天保の改革で江戸の経済が落ち込んでいて、北前船と薩摩からの密貿易品で潤っていた新潟を持ち出し、水野時代を批判していた。
 この様な疑念を持ったのは遠山の判決の流人が八丈実記に記載されていないので、どこかで松下寿酔・宮城信四郎は改名して生き延びたのだろうか。犯罪者でも有用とならば江戸時代でも生かされたのだろうか。ただ放火は江戸市民の財産を焼失する大罪で生かしておく方針を与力たちが感じて撲殺したと推理する。高野の放火と江戸市中潜伏を見逃したら与力のメンツが保てない。
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八丈実記4巻・7巻

2020年12月24日 | 宅老のグチ
東京都の文化財で近藤富蔵著(八丈実記)という本がある。これは北方領土を探検し、エトロフ島に日本領土と記した柱を建てた近藤重蔵の息子の本である。息子は土地争いから殺人を犯し、八丈島に流された。そこで一念発起し、伊豆七島の記録を残した。当時の民俗資料として1級の価値がある。八丈実記4巻には八丈島に遠島となった囚人の名前が記載されている。
 嘉永3年10月末に逃亡者高野長英が南町奉行配下の与力たちによって撲殺された。表向きは自殺という。この時高野を匿った宮城(宮野)信四郎、松下寿酔・松下賢作は南町奉行遠山景元(金さん)の判決で遠島の処分となった。
 しかし、八丈実記の4巻と実記の用語索引のある7巻には3名の遠島処分された名前が見つからない。当時の八丈島行きの船は頻繁に出ていることは無いので他の島に行っている可能性があるのだがどの島へ行き、その後どうなったかの研究が消えている。かえって高野長英の妻子のその後の記録があるがこれも何か作り話のように思える。この件で東京都の公文書館か岩手県奥州市水沢の高野長英記念館に問い合わせするしかないのだろうか。
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天皇誕生日ロス

2020年12月23日 | 宅老のグチ
昔ならと言っても、2年前は今日は天皇誕生日で築地でも普通の人は休みと言いながら、物流会社と折衝し、特別配送をお願いする。マレに行方不明となった商品が検索すると、トラックタ-ミナルにあることが判明すると、取りに行く。湾岸地域のターミナルは大型トラックが駐車していて、最初は荷物のある場所が解らないので事務所の前に置いて、広い倉庫を運輸会社の人と一緒に探す。いつも大量の漬物が来ているので親切だ。年末と平常時の差は知っているので。覚悟して探す。乱雑に積まれて、台車の上の荷物を記憶をたどって探す。最後は慣れてきていたので30分もあれば探せるが一番時間がかかったのが築地に来る荷物が大田市場向けの台車に積まれていた時だった。多分年末の混雑で仕分けのミスだろう。暮れは良くある。一番驚いたのが和歌山から築地に来る荷物が函館に行ったことがある。
 いずれICタグが安価になれば物流ミスが大幅に減る気がする。まだタグの値段が高いが1から2円になれば世の中は激変する。それは半導体の精密化で世の中が激変したと同じである。
 23日が祭日でなくなり、昭和のカレンダ-と同じとなった。昭和の築地市場は最盛期だった。あの混雑を知る人は年々減っている。

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大江戸を考証する 稲垣史生著

2020年12月22日 | 福神漬
ずいぶん昔に買った本で処分の箱に入っていたのを最後の閲覧をする。江戸時代の上野界隈で香煎茶屋が3軒(酒袋・酒好・酒悦)あった。酒悦の他の店はすぐに忘れただがこの本に載っていた。香煎とは麦焦がしの別名で大麦を煎 (い) って粉にしたもの。砂糖をまぜてそのまま、または湯に溶いてから食べる。また落雁 (らくがん) などの菓子の原料にする。はったい。はったい粉。香煎 (こうせん) 。煎り麦。酒が飲めない仏事に用いられる。
 三代将軍家光の時代から皇族の皇子が門主となり輪王寺宮と称されるようになった。彰義隊の上野戦争時は十五代公現親王皇・後の北白川能久親王だった。酒悦はいつの時代かは解らないが輪王寺宮から店名をいただいたと言われる。
 上野広小路の所に不忍池から江戸湾に流れ出る川に橋が架かっていた。三枚橋と言う。芝居の佐倉義民伝の将軍直訴の場面はこの三枚橋の下に隠れていたことになっている。また上野物という歌舞伎の上演目の中で河内山宗俊の物語も寛永寺の御数寄屋坊主の話である。
 福神漬はいわれなどを創作した漬物ブランドでその隠しメッセ-ジは明治18年頃の下谷上野の気風を知らないと本当の隠しメッセ-ジを理解できない。
 隠しメッセ-ジとは親幕府反薩長で非新政府(不平将軍)だろう。
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福神漬の初もうで企画

2020年12月21日 | 宅老のグチ
三密を避けると言っても、有名神社に参拝し、コロナ除けを祈願したい。鎌倉行きで鶴ケ岡八幡に参拝し、海に向かって歩き、途中の鎌倉安養院の祇園山を登り、海を見て今年の早期平穏を祈る。日暮里の浄光寺に福神漬顕彰碑がある。村田保と言う人の揮毫がある。彼は民法学者と欧州留学中に水産.林産.農産業の大切さを知り、多くの組織を作った。特に水産業への功績は大きい。政界を引退後、鎌倉の寺に隠居所を借りて別荘とし、山一面に人形を配置し、村田山、人形山とも呼ばれた 。彼の死後に寺に敷地を返し、今は誰も人形山と言う人はいない。鎌倉駅から15分も歩けば安養院に着くらしい。どんな景色が見えるのだろうか。
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年末寒波の思い出

2020年12月20日 | 宅老のグチ
今は令和となって、12月23日が祝日でなくなった。そのためクリスマス商戦が短くなる気がする。特に今年はコロナで民間ボ‐ナスが減っているので寂しい商戦になるだろう。この時期はクリスマス寒波の時期で今年は少し早く来たようだ。
 今年は都会に出た人が地元に戻ることは少ない気がする。さらに観光客も減るとなれば戦時中の正月以来の気がする。その上年末寒波で家に籠るとなれば大人数での会食行事も消え。初詣も閑散となるしかないだろう。仮に病気となっても簡単に受け付けてくれない気がする。コロナのチェックが済まないとたらい回しとなりそうだ。
 リモ-ト―帰省の元年になるかもしれない。
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大雪を晴天の築地市場で知る。

2020年12月19日 | 宅老のグチ
昔と言っても2年前の話だがコロナの影響で時代の区切りが出来たようで世界史も多分時代区分となるだろう。1945・2020

 さて今今年一番の寒波が来て、日本各地で一日で1M位の雪が積もって騒いでいる。今年の年末も引き籠りが推奨され、高速道路の渋滞も騒がない気がする。もう記憶にない年末の静けさかもしれない。
 築地市場にいたとき、秋田のトラックが会社の前に止まり、荷物の積み込みをしていた。トラックの周りに雪が東京の温かさで落ち、かなりのの量だった。関東は連日の晴れだったのでまだトラックからずり落ちない雪を見て、秋田の大雪を実感した。
 築地に来るトラックは日本全国のナンバ-プレ-トが見れ、デコトラックも多かった。彼らは車が家でさらに酒が飲めないので、装飾だけが生きがいとなる。見た目は怖いが築地市場内では静かだ。色々な書けない話が多数あるがまだ時効とはならないので記憶の底にしまっておくしかない。
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連日新記録のコロナ新規患者数

2020年12月17日 | 宅老のグチ
でも外に出かけたい。普通の考えなら夏前のように自宅で過ごすが10か月も経てばコロナの特性もわかって、三密を避け、人の少ない時間に車で移動すれば自宅に感染を持ち込む確率はすくない。夏なら外出して戻るとシャワ-で全身をきれいにするが今は寒くてできない。
 1日の日程は自宅で年寄り向けのTV視聴となるのは避けたい。連日のコロナ報道もワクチンが無ければ運の世界で、軽く感染した方が良いのではないかと考えることもある。でも今度のコロナは手ごわい。既に医療従事者の緊張感が切れつつあると感じる。
 コロナ報道のTV局は自己の立つ位置を表明しないで、政府の対策を批判する。コロナが落ち着いているときは経済復活案とかを提言しているがいざ感染者数が増えると真逆の批判をする。それでなくとも地方経済は瀕死で観光などの外部の余剰消費をこなさないと高齢者の先行き不安な消費行動は活性化には程遠い。ネットを操れる若者が大都市に行ってしまい、5Gの話を宮城県森町(水害被災の直前)で話した時、地元のボランテァは何を言っているのか不安そうだった。
 無責任な評論の怖さを築地市場の移転延期で知った。あれほど騒いだ地下の汚染は東京都の中央卸売市場のHPにはデ-タが出ているがあまり減っていないと感じる。しかしその汚染で豊洲市場経由の食材が汚染されたという話は無い。今東京都が騒いでいるのは豊洲で働く人たちのコロナ感染問題で地下汚染の話は全くと言ってよいくらいない。
 TV朝日の辛口コメンテ-タ-が鉄道工事を引き合いに出して、築地市場のブロックごとの工事を進めれば市場の機能は停まらないと言っていたが中途で終わった建て替え工事は次の段階に入るとき揉めた。工事で分断される店舗と買い出し人の回遊行動の不安だった。築地市場では4年に一度の水産部の店舗移動があった。多大の費用をかけたのは公平にするためだった。だから工事で分断されれば次の工事の完了まで不況となるのは明白だった。工事は数年で終われば良いが中の従業員は盛況している他社へ移動する。銀座のホステスが客をもって他の店に移動するようなものである。あの時騒いだ人達は今どう思うのだろうか。不要な地下工事で延期保証を含めれば1000億円と2年の浪費があり、環状2号線の工事延期を含めればモット高額となる。

 立場を表明しなければ野党の政府批判はブ-メランとして政権を取った時戻ってくる。
 国が落ち目の時は外部からの攻撃より内部の対立から始まる。今はコロナで団結し、不要不急なことを出来るだけ少なくし、ワクチン普及までしのぐしかない。
 命の選別の議論を公にしなければいけない時期に来たようだ。昭和天皇が昭和63年12月に重体になって、お節の問題があって正月用品の手配が大変だった。もしもの時の対処の議論をしたと記憶するが結果としてなるようにしかないと開き直り、1月7日を迎えた。新年会はキャンセルし、後に名目を変え、平成発足会を催し、新年会の宴会会場に損失補填した。
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年寄りの消費行動

2020年12月16日 | 宅老のグチ
ようやく仕事から離れて、会社経費の携帯から自分で費用を払う電話となった。すると前と違って高年齢の人が多く、かかってくる電話が長くなる傾向がある。もちろん固定電話があるのだがこれは昔からの人相手の電話で通常は留守電となっている。
 子供に聞くとLINE通話なら安いというが相手はスマホを持っていない年寄りで期待はできない。格安SIMを入れたがどうやら通話は割高でそろそろ音声SIMの安いところに変えるしかない。
 携帯電話もそうだが最近の電気製品の説明書の日本語はカタカナ語が多く、用語の説明が解らなければ、説明書が理解できない。そろそろ動画説明書の時代に入ったのだろうか。動画なら見ながら止めて、次に進むことが出来る。一番簡単なのは親切な女子高生に機械に弱い年寄りとしてナンパする方法もあるかもしれない。彼女らの方が進歩も早いし情報交換も進んでいる。高齢者は知らないことで若者との距離を置きつつある。90歳のユ-チュ-バ-を知ると自分はマダマダと言う想いが残る。
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