福神漬は単なる漬物の一種にすぎず、さらに創製年代も明治の18年から19年と解かっていても、文献が漬物に関して文献が多く調べる魅力がある。
戸田伊豆守氏栄は昌平坂学問所で江戸幕府の史書を編纂していた。しかし編纂の業績を戸田にとられ、史書の編纂が終わって失業した中里新十郎仲舒によって暗殺されかかった。中里によって殺害されたのは父の氏共だった。父の氏共は長崎奉行の在任中に死去した戸田出雲守氏猛の娘と結婚し養子となった。ここでやっと戸田家の子孫の言い伝えの重みが理解できた。10年以上前、戸田家の親族の子孫にブログをパクられた。このようなマイナ-な人物は日本史の幕末関係の研究者でほとんど理解されていなかった。最近ようやくネット上で経歴が記載されているがまだ不十分である気がする。
さてパクられたブログの書き手の中をのぞくと、親族の会話で大坂町奉行在任中に死去した戸田伊豆守氏栄は毒殺等によって死去したと信じているようだ。この件は歴史学者では病死となっている。死去した時期の大坂町奉行の仕事がどうしよもない仕事があったようだ。どちらかというと積極開国の戸田と攘夷と鎖国を維持しようとする京都との間で板挟みとなっていた気がする。明治になって戸田氏栄の子孫たちは没落したが長井家だけが何とか記録に残った。
大日本維新史史料 井伊家史料七 昭和46年刊行
井伊家による戸田伊豆守氏栄の評価。