年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

肥料 江戸はリサイクル

2006年03月04日 | 趣味としての漬物
野菜の中で大根は重量野菜に分類される。肥大した根はその分、畑の養分を吸収し、肥料を施さねば、すぐに収量が減る。従って、大根栽培は安価な肥料の確保が重大となる。練馬大根の歴史には肥料の確保の歴史が必要となる。

江戸は今から思うと資源の循環がよくなされていた社会であった。
軍事物資であった塩を確保するため,千葉の市川・行徳に塩田を開発し、その輸送のために江戸と市川を結ぶ通路として小名木川が掘られた。江戸市民の出した廃棄物は拾い屋といわれる人々が回収して販売していた。燃やした灰まで回収していた。「かまどの灰まで俺のものだ」と言うセリフはこのことから来ている。灰まで取引されていて,あく抜き用や染物用に使われていた。それでも残った江戸市民の出したごみや水路の浚渫した土砂は今の江東地区に埋め立てられた。集められたごみが発熱して野菜の促成栽培用の熱源となった。また、江戸市民の糞尿は野菜栽培の肥料として,価値ある商品として取引されていて,下肥(糞尿)の価格の上昇は野菜栽培農家にとっては重大な問題であった。わが国において,下水道の普及の遅れは都市住民の排泄物が価値あるものとして取引されていたため,下水道の必要性が最近まで迫られていなかった。
 下水道の整備の遅れは、明治時代のコレラの流行によって整備の必要性が生じた。東京の都心で生ものを扱う不衛生な日本橋魚河岸はコレラの流行のたびに移転が迫られた。平成の今も築地市場の移転の大義名分は“食の安全と安心!!”、現状の築地市場では完全に確保できないということである。
 
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