年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

維持員席4

2010年09月30日 | 築地市場にて
さて相撲茶屋の人に案内された席は向う正面の3列目の中間より右であった。この列は20番くらいまである。後でビデオを見ると力士の横で大きく写っていてこの状態が獄中の反社会勢力の人達に利用されたと思われる。座布団の大きさはテレビで見えるように60CMくらいで体格の良い人が前の席に座ると、前の人との段差が少なく取り組みが見えにくい。特に土俵上の行司の位置が視界を妨げ、東方の力士の所作が見えにくかった。
 相撲観戦しながら、この世界のことを考えていた。今に残る江戸時代は相撲と築地市場しかのこっていないのだろう。従って色々外部に見えないところに対して批判が起こることとなる。古いしきたりには元々は根拠のあるところから始まっていてその根拠が途中で忘れ去られ、しきたりだけが残っていることもある。些細なことでも文献する必要がある。
経理部跡ー旧海軍経理学校跡地のこと。蓋架け駐車場ー築地市場と経理部跡地の間に築地川があって蓋を架けて駐車場とした。桧舞台通りとは築地市場内に入っていた貨物線路沿いにプラットフォームがあって、そこに高級魚のセリ場があったことから由来している。今では殆どの築地人もこの言葉を知らない。
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維持員席3

2010年09月29日 | 築地市場にて
さて国技館に入場しても維持員券に記載している席につくには相撲茶屋の案内が必要となる。相撲茶屋の人に案内され、正面入り口から国技館の反対の方向に歩いてゆく。つまり『向』という場所になる。席に行く途中に案内人に素朴な質問をする。『いわゆる砂かぶり席では座った人達の履物はどこに置くのか』と聞くと、案内人は『普通は席の前か、座布団の後ろに袋に入れている』と答えた。席に着くと履物を入れる袋を用意していなかったので他の人達と同じように座布団の前に横に並べて座った。十両の取り組み中からの観戦なので2時間半の修行となる。もちろん正座では耐えられないのでアグラ座りか足を抱えて観戦した。もし次回があったなら正座イス(軽い籐製)のようなものが用意したほうが良いだろう。この砂かぶり席では飲食は出来ないので必要な時は中座することとなる。向う正面の維持員席から観察すると一番前の列の座布団の席は周囲は砂だらけで、二列目は一列目の半分、参列目は二列目の半分の砂の量があった。ただ遠目から見ていると西の砂かぶり席(向)に比べると砂の量は少なく見えた。その理由として力士や呼び出しの通行が(向)に比べると少ないので砂が少なかったと思われる。

本来ならば相撲茶屋の案内人にチップを出すべきところ次回の観戦は絶対無いので省略させていただいた。私はケチな人でした。
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維持員席2

2010年09月28日 | 築地市場にて
維持員席とは最近までほとんどの人は知らなかった言葉であった。名古屋場所において反社会の人物がこの席に座っていたのが露見した。この問題と力士とか相撲部屋関係者による仲間内の賭博が反社会人物による恐喝事件となり、広く相撲社会と反社会組織との問題が知れて、平成22年名古屋場所のNHK放送などが無くなることとなった。
このようないわくつきの維持員席をの入場券を頂いた。このとき切符と共に今回から変わった制度は維持員席に座るために国技館の一般人と違ったところに登録所が設置され、そこで維持員の会員権を提示するか、維持員でない人は反社会人物でないと確認の署名を行うこととなる。今でこそ相撲興行は採算が取れていると思われるが戦前戦後の社会の混乱している時ごく一部の人達の支援で興業の維持が図られた。その中には反社会人物も含まれていた。従って過去のいきさつと最近とみに言われるコンプライアンスとの整合性が問題となった原因である。社会はどんどん変化して行き昔は良かった行為も時代の変化で犯罪となる。築地市場でも古い商習慣は残っていて、時代の波が直ぐそばまでやってきている。
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維持員席1

2010年09月27日 | 築地市場にて
縁あって9月場所を維持員席で観戦する事となった。蔵前にあった国技館で2回ほど相撲は観たことがあるが、両国の国技館は気がついたら初めてだった。この国技館の隣に東京都中央卸売市場江東市場があった。今は江戸川区臨海町に江東市場は移転し、葛西市場となったが埋立地であったか一部のところに貝があったことを記憶している。また江東市場の
.跡地は江戸東京博物館となっている。ここの地名が横網(よこあみ)となっていて横綱(よこづな)と間違いやすい。江東市場にも漬物荷受会社東京東西食品といった会社があったが40年ほど前に倒産してしまった。今ではこのことを知っている人達も少なく、倒産後独立開業した人も既に廃業している。先年和歌山県みなべ町で開催された梅祭りで前町長が近野氏・山本氏の名前を出し、梅干を普及発展の功労のあった人物として取り上げていた。このような事実は記録に残ることなく忘れ去られてゆく。
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虫害とか

2010年09月26日 | 築地市場にて
今年の猛暑とかの影響で、作柄が悪く、漬物業者はごく一部の所を除くと総じて良くない。また猛暑の後に降った大雨が病害虫の蔓延を防ぐ農薬を流し、赤かぶ等が大被害を受けているという。経験のある小さな異常気象は対処方法があるが今年ほどの天候は無理だという。不思議なのはこれ程天候なのに渇水騒ぎが少なかったのは梅雨にたっぷりと雨が降っていたためなのだろうか。
 経験のない事は予想が難しく、この後遺症が後に言い伝えとしてのこる。政情が波瀾であっても食品には中々直ぐに影響があることは少ないが後の歴史で変化のきっかけと書かれることが多い。
この文章を書いている外で水道のメーター交換の工事をやっているがどうやら止水に失敗したようで外は大水である。築地市場の工事は休市しかできず、何時もより水圧も高い。
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築地浅草往復

2010年09月25日 | 築地市場にて
病気見舞い
取引先の人がガン治療で長期入院をしている。近親者のみの面会を許されていて見舞金を届けることとなった。浅草に届けるのだが築地市場からまともなコースだと時間がかかるので市場内から勝どき門を出て勝どき4丁目を左折して、両国を通過して駒形橋へ向う。予想していたように渋滞は無かった・帰りも同様にむかうと往復1時間だった。それにしても勝どきから月島にかけての高層マンションの林立はかっての下町のイメージが消えつつある。
 先日ある人から大相撲のチケットをもらって、国技館で謹慎明けの9月場所を見る。実に静かな興業で前途は多難で今後どうなるのだろうか。日々の情勢変化が激しく、1週間前の気温が30度を超えていたのが今日は台風の影響で14度という気温になっている。国際国内情勢も変化が激しく予想予知も困難なのでまた行動が保守的になる。
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昔は良かったな2

2010年09月24日 | 築地市場にて
築地のいいところは人情の熱さと思う。しかし世間の常識という外部の空気が築地に流れ込んできている。昔といっても朝日新聞が築地に来るまで、築地の物価は安かった。タクシーは新大橋通りを上ってきても築地4丁目で銀座方面に行ってしまって、中々築地市場正門にはタクシーが来なかった。その理由として魚を入れた買い物籠をトランクルームに入れないためであった。魚の臭いは中々とれず、次の客を考えると、乗車拒否より浜離宮から築地4丁目まで走行しないのがベテランタクシードライバーの行動だった。しかし朝日新聞が築地にやってきて、タクシー乗車客が朝日新聞前で下車したとたん魚の客が待ち構えているので乗車拒否が難しくなった。
 長い不景気は築地に勤める人間が縁故関係から求人募集で来る人が多くなった。犯罪にならなければなんでも許されるところから普通の常識の職場となりつつある。品物が余っているときは築地の人達の出番は少ない。品物の価値を見出すのが彼らの役目だと思う。今日のセリや取引で負けても明日で取り戻せばよいというさっぱりした気風だった。後から解るのだが築地の良さは今でも残っているのだろうか。
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静脈産業という言葉から

2010年09月23日 | 築地市場にて
最近聞きなれない静脈産業という言葉が出てきた。これは動脈産業という言葉と対となっている。動脈産業は例えば自動車を例に取れば車を作ることで、静脈産業は廃車した車から金属等の資源を回収することである。漬物も食品における静脈産業の意味を持つものがある。
 沢庵漬は米が精米時にでる米ぬかの再利用したものだし、他の食品製造後、不要となった空樽に干し大根と糠と塩で漬け込んだ。再利用して製造した食品は解釈が難しく、場合によっては賞味期限改ざんとも解釈できるので、広報して一般の理解を求めるしかない。しかし解釈次第では日本の食文化の中で静脈産業という要素が消えるかもしれない。
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安全ヘルメット

2010年09月22日 | 築地市場にて
築地市場内の工事ではめったにヘルメットを被って作業する工事は少ない。しかし、隣で工事している三井造船本社新築工事は全員ヘルメットを被っている。むかし海外の日本人のために漬物を大井埠頭の倉庫まで届けたことがあった。そこでは労働基準監督署の指導があったと見えて、搬入する人達が現場に行くときヘルメットの着用を義務付けていた。臭いヘルメットは誰が被ったかわからないのでアミダ被りで頭の上に載せておいた。今は毛シラミは少なくなったと思われるが、輸出入のある倉庫は何か海外の病気をもたらすものが入っていても不思議ではない。
 不特定多数の人が被るヘルメットは脱臭装置つきの安全確認できるようなものがあるのだろうか。近いうちに築地市場の見学にヘルメット着用指導が出るような気がする。食品工場見学には異物混入を避けるため、色々な手段をとって防いでいる。
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敬老の日から

2010年09月21日 | 築地市場にて
敬老の日から
日本の総人口の中で65歳以上の人がほぼ4分の1を占める時になった。当然基礎代謝が若年層に比べて少ないので、食品消費が減ることとなる。人口が減少し、高齢者が増加する中で食品業が売り上げを自然に増やすことは付加価値の高いものしかない。しかし現実は他社の食品低価格攻撃によって、売上減少となる。他の人達からみると築地に利権があるように思われるがそれは幻想に過ぎない。現実は不断の営業努力の結果で刺激のある東京市場であって権利があれば自動的に数字が獲得できるものではない。目に見えない貸し借りがある。利息や期限は無いし、証文もないけど記憶にある事もある。そこで急な依頼があると思いだして発注をすることもある。人間関係の最近の興味期限は3年から5年位になっている。昔と違って価格コムのような比較サイトがあるため合理的な理由を要求される。
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築地市場祭り10月10日

2010年09月20日 | 築地市場にて
築地以外の他の東京都中央卸売市場の市場祭りはかなりの人出で市場祭りは成功しているが築地はいつも一般観光客が場内に入っているのでイマイチ熱心さが欠ける。
 昔の盛大な市場祭りは明石の花火大会における群集事故に対して主催者の責任を問われたことから、熱心でなくなった。昔は小中学生の築地市場見学が多かったが今では皆無となって小集団の見学が実施されている。築地は危険箇所が多すぎて安全を保てない。あと少し経てばヘルメット着用の工事現場と同じようになる気がする。
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大阪市中央卸売市場業務棟との比較

2010年09月19日 | 築地市場にて
暇にまかせて大阪市中央卸売市場の来年のカレンダーを探す。大阪の福島区野田にある中央卸売市場内に16階建ての市場業務棟がある。平成4年頃の完成。まだバブルが崩壊したとはいえまだ日本が元気だった時代である。立体になった市場は築地が豊洲に移転する計画の前、つまり現市場の建て替え後を示していた。築地はこの後内輪もめで建て替えが頓挫し、豊洲移転計画となる。
 さて大阪の市場業務棟には入居募集の広告があった。坪あたりの単価は共益費込みでおおよそ15827円となる。場外ともいえる野田駅周辺の貸しビル相場と価格的には同じである。つまり市場内外の価格差が無いということになる。これは巷間伝えられている大阪市の財政の危機で市場に対して大阪市の補助金が少ないと思われる。ちなみに東京市場の事務所は都の条例で決まっている事務所の賃料は、共益費は無いがおおよそ坪7千円である。多摩も築地も大田も品川も同一金額である。(公平でもあり不公平でもある)築地には共益費という項目が無い。大阪の市場協会にはバナー広告が多数あって、築地市場協会にはバナー広告が少ない。市場協会の財政の差かもしれない。
 大阪本場内の漬物業者は昔は30近くあって東京より多く、大阪本場3階にある関連業店舗を並んで店を構えていた。しかし今ではシャッターが閉まっているところが多い。市場使用料と場外の使用料は格差が無ければ、拡大縮小の自由がない場所は魅力を感じる事は無いだろう。食品製造業や小売業なら銀座とか北海道とかの地域ブランドを付けていくことができるが卸売業は営業に伴う費用を何時も考えて行動する。
さらに暇だったので築地近辺の貸しビル相場を調べると共益費込みで今の平均募集価格が坪あたり14141円というデータがあった。これでは大阪市場業務棟が空室になるのも当然である。
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公営ギャンブルの廃止を思う

2010年09月18日 | 築地市場にて
公営ギャンブルの廃止を思う
滋賀県大津びわこ競輪場での競輪事業を廃止する決定をするようである。以前大津市に203億円以上の金を一般会計に繰り入れたが、最近の売り上げ低迷で累積赤字が2010年度末で26億円を超す可能性があることや、経営状況が好転する見込みがないことから廃止の提案をしたようである。
 同様に地方自治体の特別会計となっている市場会計も財政の危機と市場の売り上げ低迷で見直しを迫られている。このような時、食文化の築地とおだてられていたら、いつか東京都の財政危機になった時、つまり不景気になった時¬=売り上げ低迷時に市場使用料の理不尽な値上げがあるだろう。中央卸売市場だった川崎南部市場が地方市場へ転換し、千葉県茂原市公設地方卸売市場は市の財政健全化のため消えた。跡地はケーズデンキ等のショッピングセンターとなった。
 大津びわこ競輪場も跡地はショッピングセンターになるのだろうか
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昔は良かった

2010年09月17日 | 築地市場にて
食品の世界は安定した需要があるので同業だけでなく、他の食品からの競争に挑まれる事が多い。それでも景気の良い時は新規に参入する業者も少なく、競争が弱くなりのんびりできていた。土日に休むことが出来なく、むしろ稼ぎ時として労働する職種は就職する人も少なかった。先日埼玉の漬物業者と話した時、今年高校生8人(内訳男4女4)を採用して高齢者の人達と交替したという。今のところ経営者が杞憂していた退職もなく順調に勤めているという。今はアルバイトの仕事も少なく、親も何時失業するかわらない時代では漬物業は国外に行かない安定した仕事になったのだろうか。恐ろしい時代になった。
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ニンニクバブル

2010年09月16日 | 築地市場にて
中国投機資金が不動産からニンニク・緑豆(もやしの原料)・生姜に向かったと報道されてきてかなり時間がたった。日本の業者の秋の契約でかなり高価格と量の少なさで困っている。何時バブルがはじけて暴落するのだろうか。農産物の価格の乱高下はヘッジの手段が少ない産物は後遺症が残る。
 このままでは青森県田子のニンニク価格と中国産のニンニク価格が同じになりそうな感じがする。そうなるとイメージからアメリカ産ニンニクに産地が移動するのだろうか。日本国内の農家もこれからはアメリカの農家と同じように国際相場を横目で見ながら作付を考えて行動するようになるのだろうか。
 為替や天候や国際情勢など漬物業でも関心を持つ時代となってしまった。
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