年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

やさいの日(831の日)

2012年08月31日 | 築地市場にて

そろそろ秋の味覚が安くなるのだが関東は晴ればかりで、朝から暑い。本来なら秋の商品の切り替えということだが北海道の事件で静かな月末となってしまった。日没だって9月の中旬になれば夕方6時を回る。台風15号で四国の水がめの早明浦ダムの貯水量が一気に満水となって、渇水状況から逃れたようだが東日本では部分的に渇水状況となっている。全般的に漬物原料として適度な高温と台風が上陸していないので良い原料が採れていると思う。原料野菜はブランドがなく農家としては張り合いがないかもしれないが国産漬物には欠かせない。最近の中国の物価上昇ではいつまで安定した漬物原料の低価格が維持できるか不明である。そろそろ次の海外生産地を拡大する時となっているようだ。
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韓国のキムチ輸出統計への疑問から

2012年08月30日 | キムチ

昨日書いた日本への韓国からのキムチ輸入は100億円ほどあるが実際韓国の生産者を明示して輸入し売れているのはどのくらいあるのだろうか。一般市販されている韓国産キムチはほとんど日本のブランドが付いているといってよい。CGCブランドは日本のスーパーの共同仕入れ機構でPOSデータ上ではこれが一番多い。何か不祥事があればいつでも国内にいる在日に人に生産を任せればブランドイメージは崩れることはないだろう。
ほんの数年前韓国の政治家とマスコミが自国の白菜生産者を保護しようとして,中国から急拡大していた白菜輸入をたたくため、寄生虫に汚染されていると告発した。中国と韓国のキムチの泥試合で韓国から日本へ安定して入っていた韓国産キムチが半減となってしまった。
 当時の韓国キムチの輸出額は日本よりアメリカ向けの方が多かったはずで昨日書いた日本へのキムチ輸出が全体の85%近く占めていると書いていても自分自身で納得して書いていたわけでもない。
 丁度昨日午後アメリカから漬物業者がやってきてロスでもO157の話題が知れわたっているという。コリアンマーケットで綺麗なカルフォルニア産の白菜が売れ残っていて、自家用に漬けこんでみたら十分日本人の食感に合うという。数年前までよい白菜はアメリカでは手に入らなかったという。カルフォルニアは乾燥気候のためキムチ用白菜にとって良い気候かもしれない。メキシコからの安い労働者を使用しキムチを製造すれば、ワザワザ韓国から冷蔵コンテナを使ってアメリカに持ち込む必要はない。このようなことからアメリカへのキムチの輸出量が減った結果となったと想像できる。だれかこの推測を検証する人はいないのだろうか。日本と韓国の漬物という食品を知らない政治家にいつも痛めつけられている。韓国のTPPとかFTAでにんにくとかとうがらし粉を輸入制限品目としているようだが韓国政治家の頭を変えなければアメリカが世界中のキムチの本場となるのは時間の問題である。
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朝日新聞のキムチから

2012年08月29日 | キムチ
朝日新聞のキムチから
8月29日朝刊の社会面でキムチの記事がある。何とか日韓のこじれた関係をキムチから解きほぐそうとして書いたとみる。しかしこの記事を書いた記者も日本のキムチがどうして今の状況になったかは理解が出来ていない。従って日韓関係がこじれるとキムチの売れ行きが落ちると思っているようだ。
 今の日本のキムチは漬物の業界新聞の記事では2010年の統計では漬物全体で約3500億円あり、そのうちキムチと分類されているのが700億円ほどある。日本国産は570億円で韓国産が100億円、中国産が30億円ほどとなっている。韓国の統計では輸出に向けたキムチの売り上げの85%ほどが日本向けであるという。従ってキムチの国と称している国にとって日本での自国産(韓国産)キムチが少ないことはあまり知られていない。
 この事実は在日の人たちにキムチに関する聞き書きした著書にも表れている。1990年ころから急に日本の一般スーパーに韓国風キムチが並んだ理由は解らないという。「キムチの文化史―朝鮮半島のキムチ・日本のキムチ: 佐々木 道雄:」
 韓国の独善的なキムチ観が世界にキムチの普及のスピ―ドを遅らしているように思える。日本の寿司が急速に世界に普及したのはある程度自由さを認めたからである。最近イタリアで問題となった寿司「女体盛り」などはキムチでは決してないだろう。寿司の普及でガリが世界に広まった。しかし今は円高で中国から世界にすし用ガリが出ている。
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女衒の少女の購入法

2012年08月28日 | 福神漬

江戸時代の文献を収集していた中山笑(共古)は『なた豆』の項で女衒が少女を購入するとき‘なた豆茶‘のようなものを飲ませて、反応を見ていたようだ。
 今新聞紙上でなた豆茶の広告があるが幕末から明治初期にはどのような効能を信じていたのだろうか。この件で大垣の蘭医から本草学者となった飯沼慾斎に関心が出てきた。欲斎の3男が津山藩蘭医宇田川榕菴ところに養子に行った宇田川興斎である。興斎は明治5年津山から上京し、今の中央区箱崎あたりにあった津山藩江戸屋敷に住んだ。宇田川榕菴の幅広い活動でシーボルトとの交友で薬草ともなりうる植物採集を手伝っていたようだ。大垣の本草学者がなた豆について書いた文献はあるのだろうか。

 自由民権家となった花香恭次郎が浜町の津山藩邸内にあった英学塾(三叉塾)に入学したのは大垣の縁だったと思う。
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種まき雨が来たかも

2012年08月27日 | 築地市場にて

不景気風が吹きまくる日本の中で漬物業者も今耐えている。神風台風15と14号で沖縄さえ耐えれば少しは気分が晴れるかもしれないがどこかで被災者が出るだけで後味が悪いだけ、人間性で落ち込むことがある。人の不幸は蜜の味という言葉がある。そんなレベルでは文明人とは言えず、レベルの低い人と同レベルに落ちる。週明けは神風台風15号でまた言葉のやり取りで一荒れするのだろうか。
 北海道産の白菜暴落は打つ手がなく畑で処分するしかないのだろうか。じっと嵐が過ぎ去るのを待つだけなのだろうか。猛暑で秋冬大根の種まきが遅れている。今度の台風一過で気温が下がれば九州では大根の種まきが終わるだろう。漬物特にたくわん用の大根の品種が異なり、種まき時期が難しい。
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宇田川榕菴から

2012年08月26日 | 宅老のグチ

広尾のナショナルスーパーが再開しているのを確認しつつ、都立中央図書館に向かう。大垣の本草学者であった飯沼慾斎の本を借り出して『なた豆』の確認をする。『近世植物、動物,鉱物図譜集第9巻の550ページにあった。小野蘭山の記述とほぼ同じ。漢方の効用の記述はなかった。続いて飯沼の伝記を3階のところで読もうとしたら、本があるべきところで椅子に腰掛け、読んでいた人が居たので側にあった安積艮斎の本を読む。石井研堂とか御代田豊、岡千刃とかの名前が出てくる。安積艮斎の門人帳に記載されて名前の中に飯沼慾斎の3男の宇田川興斎が居た。箕作阮甫と宇田川興斎は日露和親条約に関係しているようでここで筒井伊賀守正憲と関係が出てきた。昌平坂学問所の儒者安積艮斎が活躍したのは最後の10年である。長崎-津山-大垣-江戸-郡山と縁が繋がる。

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ゴミ値に

2012年08月25日 | 築地市場にて

北海道の白菜漬物不祥事が札幌市場の白菜価格に現れ、深刻な価格暴落となった。通常キロ当たり65円ほどが28円ほどとなっているようだ。(8月21日相場)この時期の白菜はまだ鍋需要があるわけでもないので需要のほとんどは浅漬漬物業者となる。風評被害で売れ行き不振となった業者は白菜仕入れを抑えるためさらに価格が暴落する。今からこの余波が本州にやってくる。行き場を失った北海道産白菜が本州に流れて、本州の白菜相場を冷やすこととなる。
キロ当たり30円を割るとゴミ処理料と同価格ということとなる。今週末に本州の白菜の価格がどこまで下がるのだろうか。
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大垣が日本のコーヒーの発祥の地?

2012年08月24日 | 宅老のグチ

大垣の町案内のパンフレットを読んでいたら大垣がコーヒーの発祥の地と書いてあった。ネットで調べると大垣に縁のある蘭学者(宇田川榕菴)が『珈琲』の漢字でコーヒーを表現したようだ。この事例から美濃大垣は蘭学者が多く、幕末の様々な事件に関与する人物が輩出することに気が付いた。宇田川榕菴は大垣藩医の子として生まれ、津山藩の藩医に見込まれ養子となったという。岡山県津山市は色々なことの日本発祥地となっているのだろうか。酸素とか窒素とかの。
飯沼慾斎も蘭医者から本草学者になったようである。江馬細香の父は蘭医だったので蘭学者との交友も盛んであった。大垣は中山道の宿場町でもあったので学問の情報収集にも簡単だったと思われる。大垣の人でも殆ど知らない人を東京で調べている。中央区の図書館で借り出した飯沼慾斎の著書では『木』しか出ていないので肝心の『なた豆』はどこにあるのだろうか。
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残暑の中

2012年08月23日 | 宅老のグチ

今年も厳しい残暑の中、暑さで熊谷と共に知られている美濃へ行ってきました。天気予報の通り35度は優に超えていたようです。松尾芭蕉が『奥の細道』でどうして大垣を最後の地として選んだかを強調している所へ行ってきました。施設は新しくきれいでした。小原鉄心に興味があっていったのですが飯沼慾斎という人物が気になります。『奥の細道むすびの地記念館』を後にして大垣市役所に行く途中に銅像のようなものがあってそこは飯沼慾斎の居住地跡のようでした。解説を書いてあるところを読むと『なた豆』を調べていたとき出てきた本草学小野蘭山のところで学んで居たようです。88歳で幕末に死んだので小原鉄心とほぼ時代が重なります。東京に帰って検索すると著書があるようでこれからまた調べることが増えたようです。
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福島県郡山市史から

2012年08月22日 | 福神漬

石井研堂の評伝を読んでいて気になっていたことを確認するため読んだ。御代田豊という人物が市史に出てくる。この人は教育者で石井研堂を育てた人物で開成社にも関係してくる。
 明治天皇が東北視察で郡山開成社に宿泊した時、石井研堂は小学生で行事に参加していたという。なぜこのようなことが石井の評伝で重きをおいていたか不思議だったが福神漬を調べることと関係ないと無視していた。石井の著書『明治事物起源』で自由民権運動『福島事件』の扱いが無視していた理由が郡山市史でようやく理解が出来た。当時の郡山周辺の人々は殆ど政府支持の人物が多く、また安積地方の開拓支援で政府の資金援助と政府幹部との交友があって、理念だけが先行していた自由党の人々に付いてゆくことは出来なかったようだ。宮本百合子が小説を書いた大正5年頃から、郡山は良くなって来たようだ。
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香の物大祭

2012年08月21日 | 築地市場にて

毎年8月21日は愛知県の萱津神社で漬物の祭りがある。全国の漬物業者が集い、業界の発展と共に農産物に感謝する行事を行う。しかし、今年は不祥事があったため、暗い祭りとなるだろう。
北海道の事件から保健所の立ち入り調査した、または予定している業者が北海道だけでも650という。ずいぶん多い。道の駅や農産物直売所等に直接納入している所も含めているのだろうか。
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暑くなる前に

2012年08月20日 | 築地市場にて

今日は朝から東京都が節電強化してくださいと放送があった。今年の最大電力使用日が今日だったのか。天気は良いが北海道の件で気分は暗い。報道によると札幌だけでも浅漬け業者が200もあり、北海道全体では550あるという。そのうち漬物組合に入っているのが30弱である。衛生管理の連絡網が漏れているとか新規参入が簡単といえるかもしれない。健全な管理をしている業者にも問い合わせが入っているので被害は生じる。O157の菌はどこについていたのだろうか。野菜からということだと問題は拡大する。
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福島県郡山のこと

2012年08月19日 | 福神漬
福島県で最大人口都市となった福島県郡山市は江戸時代は7千人ほどの町だった。今では30万人を超す。この町は明治12年に着工した安積疎水工事事業で発展したといってよい。当初は農産業から製糸産業振興たなっていたが水力発電事業の発展で工業化進み、町が発展したという。JR郡山駅付近で生まれた石井研堂の故郷に対する態度が複雑でなかなか理解が出来ないので一度郡山市の文学館に行ってみようと思う。地元の人はどのような評価をしているのだろうか。
 この文学館には宮本百合子も郡山ゆかりの作家となっている。という訳で17歳のときに宮本(当時は中条)百合子が書いた『貧しき人々の群』を読む。この小説は郡山の発展に貢献した祖父中条政恒の家に毎年のように夏季2ヶ月ほど滞在した体験を基にして書いた。維新後没落した士族授産を目的とした中条政恒が郡山の荒地の開拓を指導した。大正の初めには初期の開拓民が没落し、と同時に郡山が福島県の中核都市として発展し始めた時期だった。明治前半期まで石井研堂もこの開拓館と東北本線郡山駅との中間の地に生まれ育った。宮本百合子は建築設計家中条精一郎の娘であった。中条精一郎と曾根達蔵は共同で建築事務所をつくり、三菱関係のビルを多く建築している。大正12年福神漬缶詰製造に関する講習会があった東京大手町の三菱商事会議室は彼らの設計したビルだったのだろうか。
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白菜食中毒の件で

2012年08月18日 | 築地市場にて

北海道のメーカーより自社の製造工程を書いたメールが届いた。書き出しに水道水を使い、さらに塩素剤を入れて洗浄している。あまり知られていないが漬物製造には大量の水が必要である。野菜洗浄は当然のことだが施設,機械等も洗浄が行われる。その主たる目的は異物混入の除去で今回のような大腸菌殺菌という目的ではない。
 メールを読んでまだ報道はないが水道料金を節約するため、一部の工程で地下水を使用していたのではないのだろうか。地図で所在地を確認すると、札幌競馬場からいくらも離れていないところに会社がある。この地で製造をしていたのだろうか。
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節電要請なし

2012年08月17日 | 築地市場にて

築地市場では1年の中で一番電力使用量の多い盆連休明け8月17日午前11時を過ぎても、東京都の節電要請の放送は無かった。昨日より気温が低下したとはいえかなり暑い。
一寸気が早いが2012年の節電は終わった。天気図を見ていると、秋雨前線が出てきてこれが日本列島に下ってくると秋の長雨となり気温が低下する。そういえば赤とんぼが筑地市場に飛んでいた。どこかの荷物と一緒に築地までやってきたのだろうか。

 東京都から7月の電気の請求書が来る。3月以降、気が緩んでいたのか前年比の電力使用量が連続して増えていたので対策を講じたが結果として、節電した2011年7月よりようやく消費量が減った。
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