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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

お墓の上で寿司を

2010年04月30日 | 築地市場にて
お墓の上で寿司を
築地市場内外は何でもありの世界で、場外市場は関東大震災前には築地本願寺の末寺が多数あったところにあります。従って建物を立てるため基礎工事をすると人骨が出てくることがあります。つまりお墓の上で商売していることになります。同じく築地場外市場には1階が店舗で2階が事務所、3階がお寺で屋上がお墓というビルがあります。屋上のお墓は線香の煙があの世に行くためとか。
 都議会で話題になった進駐軍のランドリー(洗濯場)も築地市場にありました。今の築地市場内の郵便局付近です。当然50年も昔のことだから汚染問題なんか関係なく処理したと思われるから汚染はあるでしょう。何しろビキニ環礁で取れた原爆マグロを捨てるところが無く、築地市場に埋めました。この看板は大江戸線築地市場駅入り口に案内板があります。何処に埋まっているのでしょうか。残留放射能はどうなっているのでしょうか。噂では検知できなかったとされています。もし検地されていたら大問題です。
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大阪の同業者の廃業

2010年04月29日 | 築地市場にて
大阪の同業者の廃業
市場等の情報を扱うところから、大阪中央市場の漬物卸の廃業の感想を求められた。大阪の野田にある市場は立替で立体となり、漬物は上層階になったため、買出し業者が少なくなり、最初は24軒あったのが、今度の廃業で7軒となるという。しかし残った業者も市場は倉庫代わりで使用しているところもありそうで実質はもっと少ない。正確な情報が無いが大阪市場の競争は激しく、市場の店を維持する余力が少なくなったこともある。市場外に出て盛況の業者がある。勤務時間と商売のやり方が異なるので両立は困難な時代となった。
 築地の市場内にあり牛丼の吉野家は場外の吉野家と違って、午後1時過ぎに店は閉店となり、休市日は当然営業をしていない。これも中央卸売市場に店を出すことの制約かもしれない。
市場の立体で元気なところは少ないといえる。人と品物の移動に時間がかかる。
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浦賀の人達

2010年04月29日 | 福神漬
浦賀奉行史 高橋恭一著
洋学史の研究という本から、ペリー来航時以前に戸田伊豆守と下曽根金三郎・内田弥太郎・江川坦庵等と交流があったはずと気がついて浦賀奉行史を読むこととなった。とにかく分厚い本で千ページを越えている。
 嘉永二年六月五日幕府は小姓組の下曽根金三郎を浦賀に派遣し、砲術教授及び警備勤務をさせた。さらに下曽根の門人の内田弥太郎(浦賀奉行手付)を付けた。この記録から高野長英が嘉永三年に虐殺された以前に戸田伊豆守氏栄と内田弥太郎は知り合っていたことになる。戸田の58歳の時生まれた(60歳で死去)子供が内田弥太郎の学問上の弟子である花香恭法の養子となった経緯はこのような縁があったからである。
 自由民権運動の歴史で必ず出てくる福島事件の被告でただ一人福島人でない、花香恭次郎がなぜ福島に行ったかを調べてゆくうちに、ペリー来航時、浦賀でアメリカ国書を受け取った人達のネットワークが明治になって結果となった気がする。外国の事情を間接的には蘭学から、そして直接的には浦賀に来た異国船を見聞きした人達との接触によって、開国やむなしとの思いが共通していたのではなかったのではあるまいか。
 そして福神漬の関係者が下谷根岸にどの様な理由があったのか集まる。

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大雨で売場の大浸水

2010年04月28日 | 築地市場にて
大雨で売場の大浸水
今日の大雨で青果の屋上から排水するパイプが詰まっていて、あふれた水が想定外の所に落ちて漏水となった。早速管理者の東京都市場設備課に電話するが多数の水漏れ通告があったようで大忙しの様子。この様な露天商に等しい環境の市場だったことを都民は知っているのだろうか。
何しろハッポースチロール等のごみがパイプの詰まるのが想定されるのに古い市場なので修理が追いつかない。都の職員も頑張って仕事をしているので無理は言えない。もう雨がおさまってきたので漏水が少なくなったが一応通告しておくこととする。
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デリバティブから

2010年04月27日 | 築地市場にて
デリバティブから
通常の取引では必要のない金融商品だが取引の国際化で銀行の担当者が為替予約と共に為替の変動をヘッジするため持ちかけてくる。最近業績が普通の水産会社が突然倒産する事例がここにきて目立ってきた。
 1ドルが110円位の時に100円くらいで、良かれと思って長期のデリバティブ取引したのだが今のような円高になるとは思えず、大損害した。しかしこの損害は一部の人達しか知らないため、外部から見ると突然倒産した様に見える。漬物も海外原料はドル建て取引なので最近この様な話をよく聞く。デリバティブを話せる人は決済の見込みが立った人たちで今後長期の円高は何があるか解らない。結果論であるが為替の変動はみんな知っているがデリバティブ取引で予想外の大変動があった時、どの様に取引を打ち切るか説明を受ける必要がある。リスクを少なくするため始めた取引がかえってリスクを増大させることもありうる結果となった。
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天候デリバティブ 2

2010年04月26日 | 築地市場にて
天候デリバティブ 2
昔は漬物が保存食であった。従って野菜の取れない季節に塩漬で保存していた漬物を取り出して食事に提供した。しかし今はキュウリなどの品種は浅漬に使えても古漬には使えない。
 漬物は野菜の高騰時の保険でもあった。しかしサラダ風になった今の漬物は昔の感覚では野菜の高騰時に販売数量が増えても、喜べない。今は天候デリバティブ等の保険を利用するなど色々な対策がある。今までは中国という保険があったが、日本と違って景気の良い中国農民がいつまで日本向けの規格の厳しい野菜を作るか疑問である。農薬たっぷり、遺伝子組み換えの楽に作れる品種に向うのは予想される。資本主義の日本よりこだわりの無い中国農民は安い価格では作付けしないだろう。

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天候デリバティブ

2010年04月25日 | 築地市場にて
天候デリバティブ
今年の野菜の異常高で、どこかで損失を出しているのにまだその様な話が来ていない。何年か前、ある漬物の市で天候デリバティブを使って保険を掛けているという。一日だけのイベントで雨が降ると大損害となる。今の様な天候異常による野菜の高騰は今後頻発すると思われるのでこの保険の重要性が増すだろう。しかしこの保険で損失が補填されると、保険の掛けてない業者にとって脅威となる。高騰した野菜を集荷しても損失は保険でカバーできるので販売攻勢をかけることができる。従ってさらに野菜の高騰した時期が長くなる。
 今までは中国野菜という保険があったが経済発展している中国がいつまでも日本に安い野菜を出してくるとは思えない。
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洋学史から

2010年04月24日 | 福神漬
洋学史の研究 佐藤昌介著から
この本から弘化4年(翌年は嘉永となり、嘉永5年にペリー来航)に浦賀奉行に戸田伊豆守氏栄を任命した。老中阿部正弘はどちらかと言えば旧習を維持しようとしていた。戸田の経歴の資料があまりにも少ないが少なくとも浦賀に着くまでは開国容認派ではなかったと思われる。今まで調べた印象から浦賀に戸田が来てからも異国船の来航が頻繁にあり、実務を扱う浦賀奉行与力中島三郎助親子、通訳堀達之助等から実情を聞き、さらにアヘン戦争の状況が理解するうちに開国止む無しの方向に向ったのではなかったのだろうか。
 徳川吉宗から異学の禁を緩められ、最初は医学書輸入から始まり、辞書、科学書になり、幕末に向うにつれて、地理書、砲術等の軍事書の輸入が盛んになったという。
 浦賀奉行の人達はどれだけの海外情報を確保していたのだろうか。戸田は最初のアメリカ大統領国書受け取りの儀式に参加して日本史に名を残したが翌年の再来航のときは浦賀に待機しただけで、幕府外交の場を外され、留守居役に左遷された。しかし子孫の活躍から見ると何か伝えるものがあったのだろう。
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義とか福・覆とか

2010年04月23日 | 福神漬
義とか福・覆とか
千葉県成田市にある佐倉宗吾を祀った、宗吾霊堂に宝物館がある。佐倉の農民の遺品等が展示してある。武家とか商人の遺品を集めた宝物館と違って、骨董的価値も少なく貧弱と思えるだろう。宝物館の一階に『義』という文字書いた平成の今活躍している各界の著名人の色紙がある。
 『義』とは義民のことを表しているのだろうが辞書では『義』は( 私欲を捨て、公共のためにすること。)と用いられていたのだろうか。
 佐倉宗吾は佐倉藩の領地を守る家臣団の重税を取りやめるように江戸に在住している藩の重臣に訴えるが聞き入れられず、ついに上野で御法度の将軍に直訴し、断罪となった。この言い伝えを祀ったのが宗吾霊堂である。
 明治15年福島県令となった薩摩人三島は土木県令とも言われたように公共工事を県民に労力で負担させた。この労力提供が苛酷であったため、県議会と対立した。これが福島事件の激化した原因である。福島の自由民権家は福島の窮状を東京の政府上層部に訴えようとしたが失敗した。
 この様な芝居的要素があって、明治16年夏の高等法院での公判は注目されたのである。『転覆』『天福』『天福六歌撰』という言葉が神田雉子町の團團珍聞主筆であった梅亭金鵞や戯画を担当していた小林清親、また神田須田町で書籍等を販売していた原胤昭にどの様な影響を与えていたのだろうか。また16歳の少年投書家であった鶯亭金升はこの事件のあと、團團珍聞に入社している。福島事件最年少被告の花香恭次郎とは叔父甥の関係である。
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国立歴史民俗博物館で

2010年04月22日 | 福神漬
国立歴史民俗博物館
久しぶりに千葉県佐倉に行き、民博に入りました。といっても最近話題となっている『現代』という展示をどれだけの人達が見に行っているのか関心がありました。しかし。観たのはぺリー来航時の日本人やペリー艦隊の画家が描いた絵でした。幕府の国書を受け取ったときの日本の警備陣営は戸田伊豆守氏栄が筆頭で3千石と書いてある番付表のようなものがありました。無数の小船が久里浜海岸にあって、見物人が多数いたと思われる。
 国書受け取りの儀式の時に多数の大名・幕臣等が集まったのはかなりの危機感と見物という下心もあったと思われる。戸田伊豆守は親しい大垣・戸田藩の小原鉄心にかねてから異国船来航時の警備を頼んでいたようで、小原は浦賀から黒船来航の一報を受けると、兵を動かす届け出を出している。
 民博に展示しているペリーの似顔絵は情報が多くなるほどに写真と似顔絵と似てゆくようになった経過を展示している。

福神漬を語っている鶯亭金升は戸田伊豆守氏栄の孫に当たる。
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宗吾御一代記念館

2010年04月21日 | 福神漬
宗吾御一代記念館
成田の書道美術館の次に、佐倉宗吾を祀った宗吾霊堂に行った。6月に渋谷のシアターコクーンにて歌舞伎・佐倉義民伝を上演する。佐倉義民伝は上野山下の三橋で将軍に直訴したという芝居である。農民の代表は直訴の後に処刑されたという伝説から芝居が作られた。福神漬の絡みで上野近辺を調べると自由民権運動を調べていく必要が出てくる。幕末にできたこの芝居は時代の状況にあって、長期上演となり、特に明治10年代は農産物価格が下落していて、支配者の過酷な税の取り立てに対して異議申し立てする農民代表の芝居に観客が集まった。またこの当時は歌舞伎も史実に忠実な芝居を政府から求められていた時代でもあった。
 この様な事を考えながら、宗吾霊堂に向かった。真言宗豊山派の寺院の中に霊堂があって、宗吾御一代記念館なるものがあり、入場料700円払って入ったが自由民権運動とか歌舞伎の話は展示もなく、出てしまった。
 境内の一隅に佐倉義民伝を上演した時の記念樹が唯一歌舞伎との関係を表している。福沢諭吉が「人民の権義を主張し正理を唱えて政府に迫りその命を棄てて終りをよくし、世界中に対して恥ずることなかるべき者は、古来ただ一名の佐倉宗五郎あるのみ」と『学問のすゝめ』で称賛した佐倉宗吾と自由民権運動の関係は展示されていなかった。
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高崎正風って

2010年04月20日 | 宅老のグチ
高崎正風って
谷干城(西南戦争の熊本篭城指揮者)と大槻文雄(国語辞書言海の著者)の関係から、高崎正風という人が出てきた。薩摩人であった高崎は維新後、岩倉使節団の一員として欧米をめぐったが帰国後冷遇されていて、宮廷歌人として御歌所初代所長となった。明治14年政変時以後、『中正党』という組織との関係で政治に影響を与えようとしたが消えてしまった。どちらかと言えば維新後天皇と中心とした政治にならず、不満となっていた。保守的な考えを持っていて、国会開設後じわじわと影響を与えていた。正岡子規は高崎正風の「古今調」の和歌を批判していたという。
 そんな訳で千葉県成田市にある書道美術館での展覧会『御歌所と近代のみやび』を見にゆくこととなった。1888(明治21)年、御歌所が宮内省に置かれた。天皇陛下や皇族の歌の添削等、和歌についての事務を担当した初代所長が高崎正風だった。今でも歌会始めの和歌は筆で書いて提出しないと失格であるという。台東区根岸に中村不折旧宅の台東区立書道美術館がある。子規庵とはいくらも離れていない。それで行ったのだが500円の拝観料は和歌や書の知識なく取り戻せなかった。高崎正風は明治23年の公布された教育勅語の実践運動、紀元節の歌の作者として知られている。
明治24年言海出版記念の会合(主唱者・谷干城・富田鉄之助・高崎正風)は様々な思惑のある人達が今の東京タワーのあった所の紅葉館に集まったこととなる。
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高騰の野菜2

2010年04月19日 | 築地市場にて
高騰の野菜
高騰している野菜の置き場は荷が少なく閑散としていて、カラスは上空で鳴いている。時折聞こえるツバメの鳴き声は先週から聞こえてきて、今年は築地市場のどこに巣作りするのだろうか。
場内に多数いる野良猫が休市には人目を気にせず,ウロウロ。休市に来る観光客もマグロのセリが中止となっているため、若干減っている気がする。
 3月の数字がそろそろ東京都の中央卸売市場のホームページに出るのだが青果はソコソコ良く、水産はどうなるのだろうか。これが築地の移転問題に反映してくる。そもそもこの移転問題は売上低迷が根本にあって、その解決方法が様々な会社で考えてきた結果である。
ある会社は進まぬ進展から場外に活路を見つけたのもあるし、守りに入って継続しているのもある。江戸時代から存続している会社を残すのも撤退して新しい業態に転身するのも経営者の判断となる。汚染があるからといって現状の環境では食を扱う市場として、いづれ先進的な流通企業から、無視されるだろう。どうなる事やら。
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明治のホームレス 貧民の帝都 

2010年04月18日 | 福神漬
貧民の帝都 塩見鮮一郎著
明治維新時、幕臣は失業した。そして江戸・東京に残った元武士やその使用人達と家族は路頭に迷った。そして彼らが貧民となった。
 明治2年6月下谷竹町(台東区台東3丁目付近)にあった藤堂藩中屋敷に『浪人保育所』なるものが出来た。そこに出ていたお触れには『たとえ道路に屋台の店をだそうがよしず張りの小屋を出して商いをしようが日雇いの人足になっても、くるしからずそうろう』となっていた。これは例外的に道路に浪人が店を出すことを許可されたという。明治2年の東京の貧民は4373人ほどもいた。江戸の百万の人口が明治になって半減したので構成比は大きい。
 娼妓開放令の発端となったマリア・ルース号事件もこのころ起こり、娼妓と共にも解放されたが繁華街に元遊女や・失業した元武士がたむろした。
明治5年10月大久保一翁東京府知事は江戸時代にあった仏教的な『施しの文化』を否定する『働かざるもの食うべからず』という方針を示し、さらに米や銭を施したものは罰金とするようになった。貧民を保護する会に寄付するのは勝手であるとした。
 貧民の授産として日雇い会社・靴製造・下水さらい・古紙再生・ワラジ製造・マッチ製造・ランプの芯造り・道路・墓地清掃などがあった。
静岡での士族授産の仕事を考えると既存の仕事と競合しない仕事を推薦していたような気がする。牧畜・牛乳・缶詰製造・軍隊用の靴製造など新時代の需要に合わせた仕事を授産していた気がする。福神漬の酒悦主人と山岡鉄舟と交流があったと伝えられているのは士族の授産のためではないのだろうか。
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野菜高騰が長引きそうで

2010年04月17日 | 築地市場にて
野菜高騰が長引きそうで
東京で4月17日に雪が降った。いつものように天候不順で野菜が高騰している。前回の長続きした野菜高騰は数年前に台風が連続して日本に上陸した年だった。このときは青果業者が被害のない米国や中国から日本に緊急輸入した。しかし、結果として輸入した野菜の品質が日本人の食感にあわないものは売れ残った。日本に来る契約野菜は日本の野菜と基本的には同じものが来る。しかし臨時に中国の市場で買い付け緊急輸入という方法は残留農薬の問題でより難しくなった。また今の寒気は中国でも寒いようで生育が遅れている。また5月初めは日本と同じように連休で期待ができない。従って今回の野菜高騰は5月中旬まで続く気がする。
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