年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ダービーの後は有馬記念 2

2012年05月31日 | 福神漬
今週は井深八重のことを調べている。今小学校4年の教材に井深八重は出てくるようだ。井深八重は平成元年に亡くなっているのだが生前自分自身のことを語ることがすくなく、福島県出身となっているがそれは八重を捨てたともいえる父の出身地であった。母も幼少のとき亡くなり、縁者であった井深梶之助(明治学院2代目院長)によって何不自由のない生活を送っていて、同志社女子(多分会津出身の新島八重の縁だろう)を出て長崎で英語の女教師となり、結婚寸前までいったのだが体に変なものができ、長崎から当時日本では唯一のハンセン氏病患者を受け入れていた神山復生病院に強制的に入院させられた。当時はハンセン氏病が治らない病気と考えられ、さらに遺伝性と信じられていた。彼女の親族は世間体を考え八重の戸籍を抹消したという仕打ちをしたという。神山病院には見舞いに訪れる親族や友人もなく、唯一話せる人が同志社女子で同窓の『みどり』さんだった。このみどりさんは有馬頼寧が皇族から嫁いで来た妻(北白川貞子)と離縁してまで一緒になりたいと画策した女性だった。
 神山復生病院に入って数年たってもハンセン氏病の進行が見られなかった八重は病院長の勧めで東京の病院で検査を受けた結果、ハンセン氏病というのが誤診ということがわかった。しかし戸籍等を抹消しハンセン氏病だと八重を捨てた親族を頼ることもできず、神山復生病院に戻り、患者を診る看護婦がいない病院で一生働くことを考え、看護婦の資格を取ったという。
 ハンセン氏病は特効薬ができ危険な病気ではなくなったが、今でも世界中で発病している。戦前のハンセン氏病の対策は日本では隔離政策であった。国家による差別・偏見はごく最近まであって1996年[平成8年]に『らい予防法』が廃止されるまで、患者の隔離政策がとられました。
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暇なときは応対も丁寧で

2012年05月30日 | 築地市場にて
5月30日は月末1日前で、水曜日となれば当然暇となる。連日の昼からの降雨は青果の生育にとって良いことで価格も落ち着く。
 なんといっても今年は関西で計画停電が実施されるかどうかが気になる。昨年一回経験しているので不公平をどう感じるのだろう。停電の不便さは築地市場で年2回実施されているが冬なので暖房すれば何とかなるが夏の停電だと冷蔵庫・冷凍庫はどうなるのだろうか。昨年の東京は中心部が停電回避されたがどうやら関西は一律という報道がある。
いつもなら居留守の営業電話も丁寧に応対するようになる。でも結果は同じ。先行き不透明な状況ではよほど自信があるとき以外様子見となる。
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ダービーの後は有馬記念となった。

2012年05月29日 | 福神漬

日曜日のダービーのあと過去のブログをチェックしていたところ、あるブログにコピーされ評論されていた。どうやら戸田伊豆守氏栄・鶯亭金升の子孫の方だった。仮名として7月7日生まれだから7サンとしよう。この7サンはどうやらテレビドラマ『仁』を見ていたとき検索に福神漬物語を見つけ、自分の祖先の話だとパクっタらしい。
 そんな訳で内容を見ていると親族の会合で有馬記念の話が出てきた。馬券を買うことはないが親族の一人が北海道で競走馬を生産してところに勤めているので気晴らしに有馬記念の本を借り出した。
恋と伯爵と大正デモクラシー-有馬頼寧日記1919 山本一生著
出だしからびっくりした。序章の書き出しに一人の女性を探していた。名前は『八重ちゃん』という。大正8年頃の御殿場のハンセン病の病院にいたという。もしかして神山復生病院のことではないかと読み進めると的中した。井深八重だった。2年ほど前、福神漬の醤油のエピソードでサッカリン問題を書いた。伊藤博文がハルピンで暗殺された頃から大阪の日本醤油醸造株式会社のサッカリン混入問題が露見し、翌年工場火災で倒産となってしまった。この会社の株券の問題等で二つの株券を担保として融資する銀行が経営危機となった。もちろんそこには日露戦争後の不況ということもあった。東京では兜町の帝国商業銀行(馬越恭平・浅田正文)大阪では北浜銀行(岩下清周)だった。岩下は投獄され余生を富士山麓で過ごした。彼の長男である岩下壮一は6代目の神山復生病院の院長で井深八重は初代の看護婦長だった。
 福神漬の資料調査でこのような結びつきがあるとは想定していなかった。井深八重は有馬頼寧の愛人の相談役であったようだ。また有馬の正妻は上野戦争の輪王寺宮(維新後北白川宮)次女であった。ここでも福神漬の地縁が出てくる。
 著者の山本一生さんの資料調査の跡を見ると福神漬の資料調査の跡と不思議と重なる。都立中央図書館は当然として神山復生病院・千葉県佐原市(今は香取市)中央図書館郷土資料室など同じところで調べている。私は佐倉で花香恭次郎を追いかけていた。
 7サンありがとう。こんな展開となるとは予想もできず、ダービーの後は有馬記念となる。
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割れたスイカ

2012年05月28日 | 築地市場にて
今では昔話となりつつあるが築地市場に貨物の引き込み線があったころ、小車(大八車の小さいもの)にスイカ等を積んで得意先の八百屋のトラックに積むため、線路を横断する必要があった。セメント袋のような厚手の紙袋に入れたスイカを積んでいるのだが、並行でない線路を横断するため、揺れで落下し、スイカを割ってしまうことが度々であった。手を貸してスイカの落下を抑えてやると、お礼に割れた売り物にならないスイカをもらうことが度々あった。
 今ではスイカはダンボ―ル入りとなり,築地市場の貨物線の踏切も消えて30年ほどとなる。小車も青果部では消えて、今では水産部しか残っていない。豊洲は広すぎて電動ターレーでないと仕事は出来ないだろう。小車は冬の寒い卸売市場内でアルコール入りの体でも動かすことができる。
 今でも落ちている青果物を拾う人も少なくなったが落し物の取り扱い制度も変わって、生鮮食品はすぐに換金化して金銭で保管するようになった。落し物の掲示板が市場正門のところにあるが中身の制度は昔と変わってしまっている。ゴミ置き場にある腐ったバナナもそこらのスーパーより鮮度は良い。ただ売り物にならないだけ。
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江戸趣味漫話

2012年05月27日 | 福神漬
食道楽 昭和6年2月号
江戸趣味漫話という座談会の中の記事から
鶯亭金升は語った。
新聞広告に福神漬元祖と称して店があるのを見ましたが福神漬元祖というのは私が生きている限り、そんなごまかしは通らないのです。福神漬と言うのは私の師匠梅亭金鵞が現に私の目の前で命名したものなんですから、これは確かな証拠なんだが、あれは確か明治18年と記憶している。その時師匠は小石川指ヶ谷町に住んでいました。私は赤本(安価な低俗な本)の手伝いに根岸から毎日通っていた。ある日、下谷仲町の酒悦から師匠の家に使いが来た。酒悦というのは江戸時代からの屠蘇を売るのが商売で、その外にカラスミとかウニとか酒の肴を売っていて、そのため酒悦という名をつけたかどうか故事来歴を調べたこともないけれど、その酒悦から使いが来て、実はこの度新しい漬物を作ったからどうぞこれに名前を付け、引き札を書いてもらいたいというので試みに食べてみると、なた豆とか大根とかシソ等が入って居り、醤油で煮てあった。それを師匠が食べながらこの材料は七色にできるなら、お前の所は仲町で弁天様の側だし、七色の材料と見立てることもできるから、名前を福神漬にするがよろしかろうというので酒悦でも大変喜んで七色の材料でこれを作って福神漬として売り出した。
 その師匠の書いた引き札の文句に『この漬物を食べると外の物が要らないので贅沢しなくなる。従って知らず知らずの間に金が貯まって福が舞い込む。よって福の神の漬物であるという意味のことが書いてあったと思う。

大正12年7月の缶詰時報の記事と似ているが少し違う部分もある。世間ではこれが福神漬の由来として通っていて、明治屋食品事典の語源の根拠となっている。
この昭和6年2月号の雑誌には福神漬缶詰の広告(小網商店・現三井食品)が載っている。 
 なぜ『七福神漬』にしなかったか疑問はまだ残る。鶯亭金升(長井総太郎)はまだ18歳で政府の言論弾圧の変遷は十分に知ってはいなかったと思われる。
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みんな五稜郭にいた

2012年05月26日 | 福神漬
福神漬関連の資料を集めているうちに、戊辰戦争の影響がかなりあるということに気がつく。井関隆子日記が発見されるまでの経過もそのうちに入る。この日記は初代琳琅閣主人斎藤兼蔵が販売したものである。この琳琅閣という古書店は今でも本郷東大前にあるが明治のころは池之端にあって、江戸時代繁昌していた妙薬「「錦袋円」」を売る勧学屋の店を守田宝丹から譲ってもらったという。
斎藤兼蔵は戊辰戦争のとき、函館五稜郭にいたという。五稜郭で戦死した土方歳三、中島三郎助と福神漬の喜兵衛、さらに浦賀でペリーから国書を受け取った戸田伊豆守氏栄の子孫鶯亭金升(長井総太郎)の墓がある東京五反田本立寺の住職の先祖は新撰組の人でやはり五稜郭にいたという。

井関隆子日記に戸田氏栄は天保の印旛沼工事のころにたびたび日記に出てくる。中島三郎助はぺりーが最初に日本来たとき浦賀で応対した人物である。土方歳三、中島三郎助の最後の絵を書いたのが中島登で本立寺住職の先祖に当たる。喜兵衛は千葉行徳の漬物商人で石井研堂の明治事物起源に出てくる缶詰の始まり『喜兵衛』で中島三郎助と同じ日、同じ場所で戦死している。勧学屋は了応禅師の店で秋田では了応が福神漬の元祖であるという。横手焼きそばには紅しょうがでなく福神漬が付いて出る。
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デジタル福神漬

2012年05月25日 | 宅老のグチ

国会図書館の検索で昔といっても2年ほど前は国会図書館に行かなければ読むことができなかった明治屋食品事典がデジタル化されパソコンで読むことができるようになった。
 あの国会図書館の本の出てくる時間は遅すぎてイライラする。都立の図書館は早い。
東京と地方の情報格差が図書のデジタル化で解消出来ると良いのだが時間がかかるだろう。福神漬の項目で参考文献として「食道楽」昭和6年2月号に鶯亭金升の文が雑誌に掲載されているようである。この雑誌は「味の素食の文化センター」と都立中央図書館に所蔵されているようだ。このような雑誌までデジタル化されるまでいつのことになるのだろうか。東京で漬物の文献を探すことは易しい。
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中国福建省から荷主さん来る

2012年05月24日 | 築地市場にて

今週はじめ中国から荷主さんが築地市場にやってきた。日本は清潔だといっていたが築地市場のごちゃごちゃを見る前に話したので変な気分となった。30分ほど話した後、場外市場に行くように促しすしでも食べるように指示した。来客する人には寿司を食べさせることになっている。
 中国の人件費の上昇の速さは昔の日本よりスピードが速い。来客した人は漬物用キュウリを主に作っているのだが大型のキュウリは農家がまだ作ってくれているが小型の常盤という品種のキュウリは金にならないので作ってくれないという。放射能の問題で中国産アレルギーが日本ではダイブ減ったようだが日々農薬の使用管理を調べ、出荷時に公的機関で検査している事実は知られていない。それでもまだ人件費が多少安いので日本向けのキュウリは作ってくれるのだが採算が合う呼格で出荷してくれるのはいつまでだろうか。何しろ中国でも農家で働く人が急に減って高齢化している。まだまだ無駄な廃棄農産物が多いようだが高速道路がどんどん開通し冷蔵トラックで上海市場まで青果物を出荷しているという。農園のブランド対策を教えた。良い農園になってほしい。
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かぼちゃの漬物

2012年05月23日 | 築地市場にて

23日の休市明けから『新かぼちゃの漬物』が始まる。最初が築地場外市場から出てゆくだろうがある程度数が出てくると色々なところに出回るだろう。
 浅漬けの枝豆も出てきて夏季ビール需要にあわせるようになる。最近の漬物はどちらかというとカットした青果物を味付け、サラダドレッシングのように色々な食材に降りかける漬物が新製品として目立つ。
『山形のだし』という山形の郷土食から始まる新しい漬物。調理漬物というべきか。今までの漬物はご飯を食べるための食材として存在していた気がする。ただ調理漬物の賞味期限が短くもう少し工夫しないと消える気がする。一時よく売れていたグリンボールの浅漬けも賞味期限が短く、変色が激しく、商品寿命が短かった。
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天体ショーだったけど

2012年05月22日 | 築地市場にて
週明けの月曜日の7時半といえば、せりも終わってターレーがあちこち動き回る時間だ。築地で一番危険な時間である。こんな時間に東方上空はチラッと見るだけ。幸いうす曇の天気では観測用めがねもなくても金冠は見えた。予想時間とおり。
 江戸時代初めまでは800年間ほど中国の暦を日本では使っていました。ところが実際の月食等の予想と現実が合わなくなり、わずかに情報が入っていた西洋の暦が正確だということから、日本製の暦を作ることになり、1685年完成しました。このことから日本の洋学が数学天文学から解禁され、医学も解禁となりました。
 前回の金環食は関東では173年ぶりということですが173年前は天保10年にあたり、洋学弾圧事件と知られる『蛮社の獄』の時代でした。
 福神漬をめぐる人物の関係は洋学弾圧事件の関係者が比較的多いことに気がつきます。
内田弥太郎は東京天文台の図書室に多数の著書が所蔵されています。千葉万歳の花香家は和算の著書が多数ありました。太陽暦を明治5年に採用しましたがこの指導をしたのは内田と福田理軒でした。
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助手付き

2012年05月21日 | 築地市場にて

今日の配送で来た路線便の運転手さんが助手付きで来るのが多いので尋ねると暇なので築地市場の研修という。築地市場はほとんどの住所が築地5丁目2番地1号なので慣れないと配送が難しい。特に人間関係を構築していないとフォークリフトを借用できない場合がある。それに駐車位置についてもどこにどの時間が空いているか把握するのに時間がかかる。慣れればガソリンを消費することなく容易な配送地区となる。
 臨機応変、人間関係を構築するのが築地配送のカギとなる。さもないと昼で帰ってしまう所は持ち帰りとか不在配送になり盗難ということもある。
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広尾・南部坂

2012年05月20日 | 宅老のグチ

日比谷線広尾駅を降りて都立中央図書館に向かう途中、建て替え工事中のスーパーを見つつ、坂の標識を見ていた。南部坂という。南部藩が坂名の由来だと言う。前からあったのだが目に入らなかったのは福神漬調査に縁がないと思っていたからだろう。ところが今では鈴木舎定、太田愛人、高島嘉右衛門等の資料から袖が触れる程度の縁がありそうな気がしてきた。そんな意識が標識の記憶となったのだろう。
 南部藩と高島嘉右衛門との関係がなければ多分戸田欽堂、原胤昭、鈴木舎定等の築地バンドといわれる人たちも違った形となっただろう。
 図書館の帰り道にバイクの留め置き禁止の看板があった。磯野不動産とあった。そういえば明治屋ストアーの創業者磯野計はこの広尾に住んでいた。当然三菱グループなので角地の銀行は三菱東京UFJ銀行となる。暇に任せて広尾2丁目の東北寺へ向かう。ここに下曽根金三郎の墓があるという。広大な墓地でカメラが電池切れで次回にまわすことにして恵比寿駅まで歩く。暑い25度Cだった。
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激動の1月

2012年05月19日 | 築地市場にて

行事の連続で5月4日から連続勤務が続いていたがようやく休みが来た。この間退職した人、死去した人。労災にあった人の対処をしつつ通常の勤務をこなした。
 長かった青果物の高価格もようやく終わりそうで今は節電がテーマとなっている。節電は一年前から実行しているので慣れて来て4月は気の緩みか前年より電気使用量が若干増えてしまった。4月終わりころから始まった大阪泉州水ナスも今ではだいぶ増えてきた。
 新ラッキョウも出てきて初夏の味となる。遅れている梅酒用の青梅もまもなく出る。
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セサミン

2012年05月18日 | 築地市場にて
夜中に健康食品の宣伝を見ていた。ゴマ由来の製品が健康に良いという。禅寺の食事は粥と漬物とゴマだという。ほとんどの禅僧はこの寺に入り修行するとやせるという。健康にやせるには漬物食事がよさそうだ。ただ気になるのは糠を完全に取り除いた米はビタミンB1不足となって脚気になる恐れがある。たぶん禅寺では5分搗きの米を使用しているのではないのだろうか。大豆からタンパクをとるのだが豆腐などが出ていないのでセサミン宣伝には何か意図があるのだろうか。
 コチニール色素の問い合わせが増えている。いろいろな体質があるので表示の勉強は限りがない。
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事故防衛

2012年05月17日 | 築地市場にて

帝国データバンクから発行されている帝国タイムスにはいつも新鮮な視点で注意喚起される。最近のニュースでもアメリカに進出したラーメン屋さんの記事でWEBカメラで記録をとっておくことでセクハラ裁判の証拠として出せるようにすることが有益であるという。WEBカメラが低価格になったのはこのような事例のため需要が増え、量産効果で安なったのだろうか。
 豊洲行ったら、今と違って監視カメラが増えているだろう。
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