年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

5月も終わり

2018年05月31日 | 築地市場にて

難関の5月も終わった。入梅も早そうで、今日は雨模様・株主総会が今日開催で昨年度の決着。先の見えない豊洲の観光施設。結局違約金を払うようになって終わるしかないだろう。ボチボチオリンピック関連建設工事も基礎工事から建設工事になったようだ。色々なところのタワ-クレ-ンが目立つ。外国の現金決済の進歩の報道が目立つ。遅れて発展したところがしがらみがないので金融改革が早いようだ。

 後は小口の仕分け装置が発展すれば大幅な小売改革ができる。商品を見分ける画像処理の問題かもしれない。

時代の変化が築地では遅いが豊洲では早そうだ。ついてゆけない年よりは消えるしかないだろう。

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インフレ待ち

2018年05月30日 | 築地市場にて

巷のガソリンスタンドのレギュラ-ガソリン価格が国際情勢の悪化で1Lが150円近くなった。確か数年前には170円とかになって会社の車がすべてハイブリッド車になった。

 まだ豊洲の移転の総費用が出てないが5000億円位になって返済に都税を入れざるを得ないといっているが市場関係者の危機感は薄い。どうせ戦後のどさくさで超インフレとなり戦時の国債がほぼ無価値となった事もある。社会体制が崩壊するとき若者は新体制に対応できるが高齢者は新規に働くこともできず、生きるしかない。もっとも働かなければならないという圧力が消えてただ宗教的に自殺することもなく生きる人が増える。少ない収入で生きている高齢者が多いので漬物に関してまだデフレが続きそうだ。レジでの割り引き日に安価な漬物がさらに安くなるので売り上げが増える。6月は年金支給月でそこまで暇だろう。

 自動車修理の人より、ハイブリッド車は少し高く長距離を走らないと価格差を埋められない。しかし長距離を走ると下取りが安くなる。ガソリン節約で地方のガソリンスタンドが消える。さらに電気自動車が普及拡大になると灯油などの販売するところが減るだろう。技術の進歩で常識が非常識となる。5Gの通信が安価になると、会議が自宅でできる。今日の新聞でネットの時代となって、新聞用紙の減産という。アメリカではもっと紙の使用量が減っているようだ。コピ-機械製造会社が対応に追われている。

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仕切り直しへ

2018年05月29日 | 築地市場にて

28日の豊洲市場観光施設の判断は着工無しとなったようだ。すでに豊洲市場開業日には更地のままで何もないし、2020年のオリンピック開催までに千客万来という名称の観光施設ができない可能性がある。会社側は東京都の築地再開発案の件で着工できないと言っているようだ。言い分の利は会社側にある。

 江東区への対応で東京都はどう判断するのだろうか。時間が経つだけで江東区のイライラは続く。その内に大田市場の隣の野鳥公園のように動物に占拠されるのだろうか。

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群馬産梅の出荷

2018年05月28日 | 築地市場にて

梅酒とかカリカリ梅用の白加賀という品種の出荷が始まった。紀州はもう少し後になる。ここ数年不作が続いていたが今のところ豊作のようだ。ただ6月の台風被害とかヒョウによる被害もある。まだまだ梅の完熟まで気が抜けない。

はしりの値段が気になる。生産者を増産する意欲になるのだろうか。-

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戊辰戦争150年 国立公文書館の展示物から

2018年05月27日 | 福神漬

鳥羽伏見の戦いから500日の戊辰戦争の国立公文書館の展示が5月26日から始まりました。そもそも公文書館サイドからの視点が戊辰戦争の始まりが鳥羽伏見の戦いの前の江戸薩摩屋敷放火事件からと見ているようです。そこで相楽総三が注目されます。新政府軍に偽官軍として処罰され信州で処刑されます。この事を小説に書いた長谷川伸という作家はなぜか自らの小説群と異なる題材を選んでいます。インド洋の常陸丸という小説も異なっています。

 大正12年6月18日付で長野県知事が相楽総三の汚名挽回の書類が今回の戊辰戦争150年というところで出ていました。鶯亭金升がこの1ヵ月後日本缶詰協会の会合で福神漬命名時の経緯を話しています。鶯亭の祖先は江戸の治安を維持する家でさらに大垣戸田藩とも縁のある長井家の出身です。

 長谷川伸という作家が鶯亭金升日記に寄稿してるのは何か意味があるのではないのだろうか。

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豊洲の観光施設の最後通牒

2018年05月26日 | 築地市場にて

週明け5月28日が豊洲市場に併設される観光施設の判断の最後の日となった。どのような結果になろうとも、築地市場の再開発案が十年以上は無理だろう。オリンピックが終わり建設需要が減り、彼らの組織維持のため新たな公共事業として築地を経由する鉄道整備を画策し、税金を投入するだろう。そのような土地に安価な食品を提供することができず、観光客用の食関係の施設になるしかない。そして予想外のライバルは香港の海上レストランのような施設だろう。設備更新が簡単で小規模なレストラン船から始められる。人気が出れば大型船へ変化させることも簡単である。

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平和には遠い韓半島

2018年05月25日 | 築地市場にて

予想はしていたが早々とアメリカと北朝鮮の会談が中止となった。どちらの駆け引きが上手かどうかは歴史になるまで判らないがキムチが主力になった日本の漬物の現状から波乱は避けられない。素材の一部が中国産で日本の唐辛子ではあの味が出ない。

 すぐには現れないが日本の食の末端である漬物は政情に何らかの影響があって、時期も遅れるので説明するに難しい。タクワン漬で沢庵和尚が生存中に漬物の名称ができたのでなく、もっと後の時代で何らかの沢庵和尚の生き方を賞賛する時期に名称が成立したと思われる。

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この期に及んで

2018年05月24日 | 築地市場にて

豊洲移転まで間もないのに、冷蔵庫が故障し、設備を更新する。豊洲では使用しないので短い寿命だ。そんなことを思っていたら東京都の人がやってきて、冷蔵庫に使用している配電盤わ7月に交換するという。何か意味があるのだろうが7月ならば移転まで3ヶ月となる。豊洲と築地での電力使用量の変化の調査としか前向きに考えられない。ただデ-タ取得としても電気の使い方の変更があるので単純比較は無理な気がする。今は扱っていない豊洲では冷凍漬物を扱う予定もあるのだ。

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ハラル対応のガリ生姜探し2

2018年05月23日 | 築地市場にて

早速漬物の業界新聞食料新聞社からハラル認証を受けたガリ生姜はないと返事が来た。日本国内のハラル認証組織に電話したようだ。ハラル対応のガリ生姜は創ることがことができるが日本人が納得できる味にはならないようだ。他の日本固有の食品もハラル対応に努力しているようだが漬物は今の外国人観光客の需要と縁がなくハラル対応ガリに挑戦していることはまだ聞かない。もしかするとイスラム圏なら認証されたハラル対応のガリ生姜があるかもしれないが量的な問題で日本に輸入することはないだろう。

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ハラル対応のガリ生姜探し

2018年05月23日 | 築地市場にて

取引先のすし屋へタマゴ焼き等を納品している業者より問い合わせがあった。イスラム圏から来ている観光客用のすし屋で提供できる信頼のおけるガリ生姜がないかと問い合わせがあった。ネットではあるようだが業界の信用もあるし、世界で供給する漬物を日本で信頼の置ける業者として自負している身としては築地のすしの信用を汚さずハラル対応のガリ探しの一日となった。数時間経ったがいまだ見つからない。業界誌にも依頼した。

 数年前ある会合でミツカン酢の人と隣となった。この件を話すとミツカンは愛知県半田市で酒粕から醸造酢を作っていたのでアルコ-ル発酵があるので無理だという。植物系の酢ならばハラル対応になるかも知れないといわれた。リンゴ酢とかみかんの味であるクエン酸の酢しかないだろう言われた。この事を思い出しあまりにも植物系の酸味ではガリの味を確保できないので業界の信頼できるメ-カ-がハラル対応のガリを製造していない事を理解できる。売り上げのため節操ない仕事を築地の人としてしたくはない。一時の売り上げで末代までの恥はさらしたくない。

 すでにしょう油と味噌はハラル対応の商品があるようだ。しょう油はキッコ-マンとチバ醤油が対応する商品を開発したようだ。酢屋のハラル対応の酢はすし飯用の酢のように思える。漬物のガリはもともと梅酢から始まったので醸造酢の上品な味でないとガリ用の酢ではない気がする。梅酢で赤シソを漬けるときれいな赤い液が出る。これで紅生姜が昔は染めていた。今は人工着色料使用でゴマ化しているが天然着色料としてシソ梅酢の用途が多い。もうじき梅仕事の季節が始まる。

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築地の雑事

2018年05月22日 | 築地市場にて

午前中、休みなのに会議が長引いて出荷準備が遅れているとの連絡で急遽出勤。晴れなのではかどり、すぐに豊洲の電話の件で通信会社との打ち合わせ。IP電話が基本となるが年1回以上ある電気点検停電対策でメタル回線を用意することを話す。午前8時から4時までの停電なので無停電電池を用意することができない。今はパソコンをインバ-タ発電機を2台用意して停電時の業務をこなす。

 午後国分寺市に移転した都立多摩図書館へ大正時代の雑誌を見に行く。必要な雑誌が欠号だった。雑誌の切り抜く行為に憤りを感じる。日本画家鏑木清方の木版に対する見方が明治という時代の変化の激しさを感じる。平成もあと少しで終わるがここ数年の変化の激しさは明治期を越える速さかもしれない。不治の病が緩和されるとかより長寿となりそうで、介護というものの複雑さが身にしみて感じる。

 大正時代の中央美術という雑誌のマイクロフィルムは国会図書館にあるが混雑が気になっていく気にならない。明治の小林清親が千葉飯岡の助五郎方に宿泊したのはどんな時期だったのだろうか。(開化の浮世絵師)酒井忠康著から

 想像だが小林清親が銚子方面に旅行したとき飯岡に宿泊したのだろう。そしてその案内人が鶯亭金升だろう。鶯亭は飯岡の永井地区が幕臣時期に知行地だった。元の知行者の子孫の訪問で当時から有名だった飯岡の助五郎宅に泊ったのだろう。この影響が作家の長谷川伸に及んでいると感じる。鶯亭金升日記に長谷川伸の文章があるがその意味がこれで理解できる。

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築地に来る配送業者の質問

2018年05月21日 | 築地市場にて

ここ最近築地に配送に来る人たちから本当に豊洲へ移転するの?という質問を受けた。オリンピックがあるので多分引っ越すだろうと答えた。何か報道が少なく、豊洲移転の準備が進んでいないと感じるのだろう。

 結果論になるかもしれないがオリンピック招致の問題がなければ豊洲移転はなく、築地再構築案もできず、ダラダラ時間がかかって時代遅れの施設となって消えるか、さらに遠隔の埋立地に移転するしかないだろう。そこは単なる食の物流基地となるだろう。

 今週中に豊洲での電話番号が決まる。やっと封筒などの書類の準備が始まる。

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チコちゃんに叱られるの福神漬

2018年05月20日 | 福神漬

金曜日にNHKで放送されている(チコちゃんに叱られる)の福神漬のところはチョット資料調査不足だったようだ。福神漬は当初は3種類の野菜のしょう油漬から始まり徐々に増えて七種となった。さらに命名者だった江戸時代の人気戯作者であった梅亭金鵞は明治の10年代には落ち目の作家だった。なぜ酒悦主人が命名を依頼したかというと印刷技術の進化で貸し本屋が増え、作家不足だったため、明治16年ころ再刊行があった。その著書の中に池之端の香煎茶屋の話が出てくる。この茶屋こそ酒悦であった。福神漬はご当地の食品として売り出すことになった。池之端は近代広告の先進地で今でも残る薬屋宝丹の看板は汐留の電通本社地下のアドミュ-ジアムに展示されている。

 七種の野菜は最初のJAS規格の福神漬にはきゅうりは入っていなかったが改定できゅうりが入った。なぜキュウリが入っていなかったかというと江戸時代はキュウリは下品の野菜といわれ、人気が茄子と比較してなかった。キュウリの切り口が徳川の家紋に似ていたからである。

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明治初め岩倉使節団のロシアでの沢庵騒動

2018年05月19日 | タクワン

ハワイ行きの機内で(知の自由人たち)山口昌男著を読んでいたら、橘耕斎という人がロシアペテルブルグでひそかに沢庵漬をつくり、岩倉使節団を接待したようだ。岩倉の説得で日本に帰り、墓は高輪にあるという。この人は静岡県沼津市戸田に縁があって、資料は戸田郷土資料館にあるという。

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小林清親本から

2018年05月18日 | 福神漬

ハワイ行きの機内で読む本の中に小林清親の本(酒井忠康著)があった。その中で千葉旭市の飯岡助五郎のところに泊まったようなことが書いてあった。このような話は他の小林清親本になかったの早速事実関係を今週末に行いたいと思う。酒井氏は清親が

どちらかというと明治の前半期に飯岡を訪問したように書いてあったが実際の飯岡助五郎が生存しているとき飯岡に行ったのだろうか。なぜこの記述が他の小林清親本に出なかったのだろうか。何気ない記述だが福神漬の調査には気になる記述だ。

 

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