年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

沢庵漬は工業?

2006年03月30日 | タクワン
明治時代の沢庵需要の増大によって農家製造は増大し沢庵工場化していた。その影響か次のような記事が現れてきた。
明治34年10月15日 朝日新聞記事より

東京府にては昨年12月発布、本年4月より実施の府令を以って、従来東京府郡部営業税、雑種税科目中工業(製造業、印刷業、写真業)年税営業収入高千分の六となりしを単に工業と改めるために、これまで農業の片手間に種々の工夫をなし製出せる農産物、たとえば沢庵漬のごとき人工を加えたる工業製作品の一なりと収入高の千分の六の年税を課せられることなりたるは、甚だしく酷なりと一昨日府下6郡の農会の代表者が会して協議会を開き,結局参事会の賛助を求むることに決し、昨日の参事会は右工業の解釈を狭義に解することに決議したりによって、本月(東京)府会の議に附するべしと言う。
参考
農会とは
1899年(明治32年)の農会法では、政府助成による農業・農民の保護育成のため行政区画毎に農会(後の農業協同組合)が設置され、中央農業団体としての大日本農会も出現して農業発展に尽力した
参事会とは
郡には議決機関として郡会と郡参事会が設けられ、郡参事会は郡長と府県知事が任命する郡参事会員により構成された。
大化の改新(645年)後に律令制度が制定され、地方は国、郡、里の単位に分けられて支配されます。その後、郡制度は衰退しますが、近代明治に入り、郡区町村編成法(明治11年)が公布され、古来よりある郡が行政単位として復活することになります。大正15年に郡制度は廃止され、現在は住所を表す意味しかありません。
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