年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

それでも一日が始まる

2016年03月31日 | 築地市場にて

 

 

3月31日、普通の一日。築地の終わり。豊洲年度の始まり。夜間の気温も10度程度までしか下がらなくなった。年度末なので儀式は多い。

 先送りしたい気持ちはわかるが豊洲の日程はドンドン進む。造作の書類は4月中の提出となる。準備は間に合うのか。

 明日は浜離宮の桜を何処で眺めようか。満開だろう。

 

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年度末の一日

2016年03月30日 | 築地市場にて

年度末の一日

夜半出荷業務が終ると、たな卸しを行う。明日の売り上げは翌日4月1日の売り上げとなるので30日の在庫と31日の入荷と加える。業務が複雑となるので31日に数えると翌日分を差し引かなければならないので多少辛くても今日時間をかけてもゆっくり出来る。当日分の出荷計算は簡単である。

 東京都の市場の講堂で引越しの説明会がある。各社一名程度に制限されているので大混雑にはならないと思うが築地の実務担当者の全員が集まるだろう。この地は日本の食の中心地と何時も感じる。

 豊洲市場の建物は6月までには細かいところまで完成するだろう。それまでに東京都の造作申請の許可を待つしかない。多分遅れるだろう。

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名残の桜

2016年03月29日 | 築地市場にて

 

三菱東京UFJ銀行築地支店の斜め前に京橋築地小学校がある。小学校入り口に桜がある。昨日は3分咲きと見た。この分だと来月の入学式には辛うじて桜の花の前で記念写真を撮ることが出来るだろう。昨年は葉桜だった記憶がある。築地周辺には見る価値のある桜がある。小学校の桜は記憶の桜。

 4月1日から中央区民なら浜離宮恩師庭園にチケットがあれば無料で入れる。今は夕方6時で閉園となる。ここも築地市場の隣だったのもまもなく終わる。塀越しの桜。

 豊洲の工事現場の林立していたクレ-ンも少なくなって、今はゆりかもめ市場前駅からの歩道工事が目立つ。築地市場と違って建物の高さが目立つ。ここの桜は来年どう咲くのだろうか。

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北海道まで新幹線が延びて

2016年03月28日 | 福神漬

 

日本人は鉄道を好意的に見ていることを感じる。鉄道の開通を明るく捉えている様だ。これは明治5年の鉄道開業の名残かもしれない。江戸時代に戻れないことを明確にした鉄道開業だった。

 この鉄道開業時に福神漬の由来を語った鶯亭金升は5歳ほどで新橋駅(今の汐留)付近にて鉄道開業を見ていたようだ。彼の父は工部省鉄道局に勤めていた。江戸時代鶯亭の父は長井昌言といい、神奈川奉行所、堺町奉行などを歴任したどちらかといえば開国支持の人だった。維新後多くの幕臣と異なり、静岡に行かず、江戸で三味線を習い時間を過ごしていた。そのようなことを鶯亭金升日記に書いてあったがどうしても事実記録が欲しく色々なところへ行って調べたが中々工部省に勤めていた記録が見つからなかった。

 ある時、国会図書館のデジタル化で明治6年の公務員の記録に長井昌言の記録があった。この年に彼が死去していたのでこの後の記録はない。彼の経歴から想像できるのだが高島嘉右衛門との関係である。

 高島右嘉衛門が明治の初めに森山栄之助(多吉朗)を雇っていて横浜で通訳をさせていたようだ。(森山は明治4年3月15日死去)

 森山はペリ-来航時、当時の日本で英語を話せる二人の日本人の一人だった。(もう一人は中浜万次郎)当然森山は浦賀奉行だった長井昌言の父、戸田氏栄と仕事をしていた。また高島嘉右衛門の姉が大垣戸田家に行儀見習いとして勤めていた時、藩主の子を産んだ。(戸田欽堂=日本で始めての政治小説を書いた)

 高島右嘉衛門が横浜で幕府の禁令を犯し、投獄されたとき大垣戸田家の影の支援があった。この支援は小説家なら長井家の支援と考えたい。長井家は江戸の文政期に御先手弓組で火付盗賊改の職だった長井五右衛門の家だった。当然牢獄のしきたりは知っていたと思われる。当時の牢獄は今でもことわざで残っていて(地獄の沙汰も金次第)長井家のツテで高島が生き延びたようだ。維新後失業中の長井昌言を鉄道関係に勤めることが出来たも高島の推薦があったと推測できる。

 大垣戸田家が幕末史に出てくるきっかけはペリ-来航時に大垣戸田家小原鉄心に浦賀奉行戸田氏栄があらかじめ野次馬整理の警護を依頼していた関係で大垣藩の武士はかなり早く浦賀に着いた。小原が黒船を見て、藩の兵器の近代化を進め、京都付近で一番整備されていた。鳥羽伏見の戦い後、征東軍はかなりの期間大垣に滞在していた。このときの関係から岩倉具視の娘を大垣戸田家と縁を結ぶきっかけとなった。(戸田極子=伊藤博文のレイプ事件で有名)大垣藩は中山道の先鋒となり関東に進軍した。このとき戦費が不足し、横浜の高島の支援でようやく乗り切った。

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頑張ってパリ駐在員へ

2016年03月27日 | 築地市場にて

見積もりの不手際で

久しぶりにフランス・パリの日本食店へ行く漬物のシ-ル貼りをする。人手がないので商品の裏面表示のシ-ル貼りが出来ないと見積もりに記載するのが漏れた。次回よりシ-ル貼りはないが今回はシ-ル貼りを行う。パリもテロの不安を消し、日本人駐在人を元気にする漬物を輸出したいが賞味期限の問題で無難なものしか提供できない。まだまだ海路では前後の通関時間を入れると2か月ほど賞味期限が消える。

 

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ウィルスメ-ルの影響で

2016年03月26日 | キムチ

 

誰かがウィルスメ-ルに感染したようで急に変なメ-ルが届くようになった。全て迷惑メ-ル処置をするのだか何時もは無視する在日韓国人の資料館のメ-ルをじっくり読んだ。ここはキムチの歴史を学ぶため定期的に送ってもらうところで最近の日韓情勢で講演会に参加する意欲を亡くしていた。来たメ-ルは羅錫という日本に留学した女子美術家で講演会の予告ではかなり派手な活動をしたようだ。キムチの資料とは関係なさそうだがとりあえず京橋図書館に検索をかけると出てきた。

 今まで無関係だと思っていたことが後で関係があったことが多いので借り出し手続きをする。

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帝国ニュ-ス

2016年03月25日 | 宅老のグチ

 

信用調査の帝国デ-タバンクの帝国ニュ-スダイアリ-を読んでいると企業の栄枯盛衰がよくわかる。最後は倒産となるのだがその過程でそれぞれの企業にドラマがあるようだ。他山の石としていつも読んでいる。

 最近はアマゾンに代表される通信販売とネットの普及で過去の業種となってしまった本屋さんが気になる。多くのショッピングセンタ-で広い売り場を持っている本屋がどんどん消えてゆくのだろうか。

 デジタルの時代で10年後も生き残るのは人の代替できないことしかないようだ。何があるのだろうか。すでに囲碁は負けた。

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ドラマは3月末で終わるが

2016年03月24日 | 築地市場にて

 

食べ物の仕事をしていると、今は3月なのに既に5月以降の話をしている。通常の仕事をこなしつつ、豊洲移転の雑用をこなす。3月30日は重要な移転の説明会がある。食品信用情報誌の話だと、豊洲市場内の配送問題が浮上しているようだ。先例のない物流システムでかなり不安があるようだ。その例として慣習的に行われている物流が食の安心安全ということで制約を受けそうである。東京都に使用料を払わないで、築地市場内で積み替え業務を豊洲では排除規制すると捕らえているようだ。何処でも速さと確実性が衝突している。

 築地市場の細かい実務は誰も全体を把握していないようだ。まだまだ続く移転への不安。これも産みの苦しみと捕らえるしかない。3月末は表向き豊洲市場の完工予定だ。

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久米邦武筆禍事件

2016年03月23日 | 宅老のグチ

久米邦武筆禍事件

すぐ前のことだが、久米事件というものを知った。日暮里の福神漬顕彰碑の揮毫者の村田保が佐賀の人だったことを思い出し、佐賀の乱のことを知りたくなった。江藤新平の記録や子孫の鈴木鶴子氏の本を読んでいると今思われているほど悪人ではないと感じる。戊辰戦争後勝った佐賀の士族がドンドン維新前より悪くなっている状況から不平が増し、説得に帰った江藤新平を頭にして反乱したと考えるほうが妥当だろう。

 このことで歴史家久米邦武が江藤新平のことを功績者として書くことが出来なくなって、詳しく知っている人しか判らないようにしたと言う。これには久米事件という神道批判とも取れる論文を史学雑誌に書いたため「神道ハ祭天ノ古俗」、東京帝国大学の職を失った。

 福神漬の関連の人は言論批判やテロの対象になる人が多く、子孫が語らなければ知らない歴史となっているように思える。

 

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原胤昭のミスか

2016年03月22日 | 福神漬

 

血塗られた慈悲、笞打つ帝国。-江戸から明治へ、刑罰はいかに権力を変えたのか?-ダニエル・V.ボツマン著 小林朋則訳

佐賀の乱の首魁として処刑され,さらし首とされた江藤新平の関連でこの本に当たった。その中で原胤昭のことが書いてあった。自由民権運動福島事件の浮世絵を配布したことが彼のミスと書いてあった。

 福神漬の資料を収集していると原は確信犯と考えたほうが良い。まだ文献は見つかっていないが原と福島事件被告人花香恭次郎は明治5年頃南茅場町か横浜の鉄道開業時に接点があってもおかしくはない。彼らを結びつけたのが長井昌言(旧幕臣・ぺり-の国書を受け取った戸田氏栄の3男)明治5年に工部省鉄道局に勤めていた。花香恭次郎(戸田氏栄5男)の明治初期までの影の支援者と考えたほうが経歴のつじつまが理解できる。多くの文献がこのことを見過ごしている。旗本長井家の領地は今の千葉県に多く存在し、船橋市史に詳しく書かれている。領地の一つに今の千葉県旭市の飯岡に下永井という地名もある。

 原は戸田欽堂とキリスト教で交流があった。戸田欽堂は横浜高島嘉右衛門の関係があって、花香恭次郎への支援があったと考える。旧幕臣長井昌言の鉄道局に勤めることも元神奈川奉行か高島嘉右衛門の影響があったと考える。黒船来航時に浦賀で野次馬の警備をしたのが大垣藩であった。

 この辺りはもう少し調べる必要があるかも知らない。

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休市なのに

2016年03月21日 | 築地市場にて

休市なのに

朝から仕事をしていない築地市場に多くの観光客が入っている。中央区の区報で浜離宮の入園整理券があった。4月1日に行ってみようかな。来年は豊洲へ行ってしまうので今年は最後となる。浜離宮の桜の花吹雪が築地市場へやってきて駐車場が白くなった風景も見るのも今年が最後となる。どんどん最後のイベントが消化されてゆく。今年の10月以後はトンデモナイ事になりそうだ。

引っ越し業務とラスト築地市場と新施設開店騒動でどうなる事やら。

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引っ越しまで232日ほど

2016年03月20日 | 築地市場にて

彼岸で

秋の彼岸頃はもう一部の引っ越しが始まっていて月を眺める余裕はあるのだろうか。まだ春の彼岸で引っ越しまで230日ほどあるし、具体的な施設の様子も図面しかなく気持ちは落ち着いている。それより年度末の行事の日程が混んでいてそれなりに忙しい。

 うっかりして5時過ぎに図書館に返本に行ったらすでに閉まっていた。日曜日祭日は5時までの開館となっている。やむ得ず図書ポストに入れる。

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2000万人を感じる

2016年03月19日 | 築地市場にて

 

昨日の銀座での会合は外国人観光客2000万人を肌で感じた。銀座の歩道で集合してバスを待っている人は全て異国人で日本人の姿は見えない。中国の観光地のような風景だった。ただ以前よりはスマ-トになっていて歩道をふさぐような止まり方は少ないと感じた。帰りにタクシ-に乗って築地に帰ったのだが築地市場内に激安の宿泊施設があることを知らなかったようだ。今でも8000円台で泊まれる。ただお勧めしないのは欠点があるからである。豊洲も宿泊施設があるようだがどんな形になるか解らない。新市場前の空き地は当分空き地のようだ。

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桜が咲きそうな気温で

2016年03月18日 | 築地市場にて

 

為替が円高なので3月の決済を早める。20度を超えそうな気温だが夕方より雨の予報。この雨と気温で予想とおり、連休中に開花するのだろうか。開花から1週間ほどすると満開となるので月末は異国人で築地が満員となりそうだ。築地のガンセンタ-脇の桜の花見も見納めかもしれない。豊洲市場の運が沿いの木が絵では桜のようだった。豊洲の花見となるかもしれない。豊洲の工事現場のクレ-ンも数が減っているが3月末の完工が遅れているようで築地の人達のイライラを加速させている。図面だけで工事予定を組めないという。

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3プラス4

2016年03月17日 | 福神漬

 

七福神巡拝考

幕末に大衆化した七福神詣では最初は大黒天、弁財天に毘沙門天の信仰が江戸時代中期から末期に盛んになり、その過程でさらに4神が加わって七福神めぐりが成立したという。

 このことから福神漬の成立過程がよく似ている。

 酒悦主人が梅亭金鵞に出す前は3種類の野菜だったようで後に4種類を加えて七福神の体裁となったことが知られている。七福神詣での影響から名前が成立したのでこの中に隠された意味を問うことなく現在に至っている思われる。

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