年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

奥歯に物が挟まれて

2011年02月28日 | 築地市場にて
あいまいな言葉には「奥歯に物が挟まった言い方」とあります。今の築地移転問題は利害関係が複雑で相手の態度がコロコロと変わって、今が真実であっても過去の言動から信用できない事もあります。ほんの何年前まで築地市場は中央区の迷惑施設でした。中央区が築地川の所にある築地現市場再建のための工事用道路も年末年始の混雑時期を除くと長い間使わせませんでした。(途中まで工事が進んで中断し400億円捨てた+築地市場の混雑のため他の市場等に客が逃げた。)ところが築地市場が最近の外国人観光客の人気スポットとなり、日本人も加わり活性化しました。その結果迷惑施設から産業観光施設に変化したのです。この様な事は明治の鹿鳴館の時代にもあって、日本橋のたもとにあった魚河岸は迷惑施設でした。明治20年代の都市計画でも移転計画あった。何度も日本橋から移転させようと計画したが失敗し、関東大震災時に戒厳令を発動して強引に明治以来の課題を成し遂げた。
 今の築地には東京都もマスコミ知らない裏事情があって、移転賛成派も移転反対派も固定で決まっているわけではない。豊洲に行って不安なとところは反対派が多く、豊洲に行っても何とかなるところは賛成派が多い。大震災でなく、どんなパワーが動くのだろうか。今の築地市場の建物は古いため小さな地震でも崩落する。
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東京マラソンも慣れると

2011年02月27日 | 築地市場にて
5年目になった東京マラソンも慣れると何処を通っていけば目的地にたどり着くか解かる。35k位が築地本願寺前なので一番苦しいところかもしれない。一年前の記憶では早朝雨が降っていて築地のあたりを一般のランナーが通り抜ける頃には雨が上がっていた気がする。今年の天気は上々だろう。
築地の観光バスも今日だけは少ないようである。マグロが不漁でかつ魚体も小さいのに価格が上がらないという。金融関係の人達が借金の延納措置が切れればかなり築地で倒産が増えるだろうと言っていた。
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日本近代文学館へ

2011年02月26日 | 築地市場にて
京王線駒場東大前駅から歩いて日本近代文学館にゆく。目的は鶯亭金升『明治のおもかげ』のあとがきに文芸倶楽部明治28年2月3月6月号に梅亭金鵞のことが詳しく書いてあるという。受付で手続きをシテ入る。閑散。直ぐに出てきた本は100年以上の前の雑誌とは思えないくらい新しく見えた。パラパラと乱読みすると築地活版所とか博文社とか思軒居士とかの固有名詞が現れて、昔なら読み流していた名称に引っかかり中々進まない。雑誌の後半部分に『梅亭金駕翁』の文があった。
 この雑誌の中に鶯亭金升の雑俳の撰だと思うが『カレーライス』という言葉があった。この雑誌の明治28年6月号の発売当時は日清戦争が日本の勝利となっていたころで戦勝気分が文芸に現れていた。
 帰路駒場公園内の旧前田公爵邸を見学する。地方と東京の差を感じる。東京なら好きな時間に基本史料を見に行くことが出来る。3月になれば原宿の太田美術館で小林清親に遭える。
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梅に鶯

2011年02月25日 | 福神漬
今年和歌山県みなべ町の梅まつりの会場で各種の梅酒を飲んでいたところ、会場の外の紅梅に鶯が止まっていた。がけ地にある紅梅で普通なら見上げる位置に鶯が止まっているのが眼下の紅梅に止まっていた。梅に鶯は取り合わせのよい二つのものの例えとなっているが実際にみると驚く。
 福神漬の命名で師匠にあたる梅亭金鵞の弟子となった長井総太郎少年が自身のペンネームを鶯亭金升としたのは「梅に鶯」と長井少年が住んでいた根岸の里は鶯の里とも呼ばれていて、JR山手線の駅名にも「鶯谷(うぐいすだに)」となっている。これは上野寛永寺に京都からやってきた貴人が江戸の鶯には訛りがあるということから、わざわざ京都から鶯をつれて来て根岸で放したという言い伝えもある。
 みなべの里の梅資料館にも大きな鶯が訪れる観光客を待ち構えている。
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箔が付く

2011年02月24日 | 築地市場にて
辞書によると値打ちが上がる事となっている。金箔等の薄い金属を上辺に貼って、物の価値を上げる事から由来しているようである。デフレの今ではコストカットということで余分なものはそぎ落としている。
箔が付くと言えば板垣退助の遭難事件も内藤魯一の「板垣死すとも自由は死せず。」言葉の創作で板垣の箔が付いた。明治の壮士は官憲の過酷な取り調べに対して抵抗し、出所したら宴会を開くなどをしていた。今とは法治感覚が異なっていて、戦前は清涼飲料水が白濁していただけで前科が付く時代で食品業者の中には前科数十犯の人があって、縁談の際に身上調査されると説明する必要があったという。今でもその影響があって、果実のカケラの入っている飲料水や濁っている飲み物の種類は少ない。

 海外に逃亡し、堂々としているのは箔を付けるためだろうか。
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じゅんさいの効能

2011年02月23日 | 築地市場にて
秋田の取引先よりメールが届いた。秋田の地元紙に「ジュンサイ」に抗酸化物質ポリフェノールが緑茶に匹敵する位多いという。日本各地の食品効能検査が行政の力を借りて行われている気がする。つぎから次へ現れる食の効能で効能効果の持続力は短くなった気がする。
 中東の不安定で物価が高騰しそうである。食に関して原油ガソリンの高騰はいずれ影響が出るだろう。今年の夏が暑ければ梅干しの需要が喚起されるが在庫が少なく苦労しそう。塩分を摂取するキャンペーンが昨年戦後初めて行われた。市販漬物の塩分量は今では少なくなったので意外と塩分は取れない。昔の梅干しの塩分は20%程が当たり前だったが今では3%の塩分の梅干しがある。
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マグロの話題も減って

2011年02月22日 | 築地市場にて
初セリのマグロの話題も減って随分静かとなった。食品速報という情報誌によると初物で報道される商材は店舗等の宣伝費と考えれば安いかもしれないが何年か継続して高価格でセリ落としていると初物商戦から降りたとたん信用問題が発生する事を心配し中々降りられないという。
 マグロの量が減ってもそれでも築地の高価格が品物を東京に来させる。コンプライアンスの問題で昔は解っていた産地偽装の問題も今では告発しないと同罪扱いされそうで氷見ブリの件も一昔前なら築地市場のセリ人が告発しないだろう。食の表示は歴史を理解し表示しないと偽表示を促進するようになる。ノロウィルスは昔からあったのに遺伝子解析によって伝播経路が解るようになってきた。この様な事から今では医者判断によって出勤を止めるか、勤務状態を変化させる必要を生じた。時代の変化は激しい。
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春節後

2011年02月21日 | 築地市場にて
築地市場は都知事の選挙があるとは思えないくらい静かで市場の中も観光客の引率規則が出来たようで5人以上団体して行動しては行けないとセリの終わった築地市場内の場内放送がうるさい。入場料のかからない施設で異空間を感じる施設はそう多くないだろう。しかしここは昔から女子供の出入りは危険な施設である。
 そろそろ中国春節明けの労働者の移動の情報が届く頃である。昨年と同じように欠品案内がどれほど届くのだろうか。給与が毎年2割から3割上昇していて統計には表れない隠れた物価上昇は労働者の移動として現れる。昔の日本も人手不足の時はこの様な事があって、地方に工場移転する事から台湾タイ中国と工場を移転させた。多分次はベトナムかバングラで安い漬物を作るのだろうか?
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花香恭次郎の浮世絵

2011年02月20日 | 福神漬
長い間所在を探していた、最後の浮世絵画家といわれる小林清親絵原胤昭文の福島事件を揶揄した『天福六歌仙』が見つかりそうである。多くのの福島事件の浮世絵で田母野は見かけるが頒布されたという平島松尾と花香恭次郎の浮世絵の所在が町田の自由民権資料館の人たちの協力で福島県にありそうとわかった。
 この浮世絵は原が福島事件の高等法院の判決に憤慨して発行したもので、原が南町奉行与力だったので以前処理した『天保六歌仙』の話を知っていたので天福としたのだろう。これには花香恭次郎が専制政府転覆と唱えていたし、福島の福も掛詞として入っている。この様なことから団団珍聞主筆だった梅亭金鵞は政府の弾圧を避け、寓意を入れた食品名として『ふくじんつけ』として命名したとしてもおかしくない。
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再び福島県立博物館紀要を

2011年02月19日 | 築地市場にて
会津若松城付近にある福島県立博物館の紀要を再び都立多摩図書館で借りて読む。紀要には石井研堂の事が書いてあるのだが前回何も予備知識もなく、郡山市にある石井研堂の菩提寺の中にあるある墓についての文章を読んだ。『如宝寺の切支丹遺碑文について』この文は大正15年2月の事だった。
 あまり福神漬調査に関係ないと思いつつ何か気になっていて読んでしまった。数日たって、なぜ気になったか考えると明治事物起源『缶詰の始まり』に幕府出入りの漬物商人の先祖が島原の乱の時から幕府との付き合いだと記述があった。これを『缶詰の始まり』に石井研堂が島原の乱の事をなぜ付け加えたのだろうかと考えだした。石井研堂が編集人だった『集古』に集まった人達は旧幕臣でキリスト教信者が多かったと思われる。
石井研堂の著書一覧を見ると、明治事物起源を除くと一貫性がないように思える。小学生の向けの本は明治事物起源には役に立つと思われるがその他浮世絵・漂流記・釣り・古銭・安積艮斎や中村正直等の人物伝がある。釣りは根岸党の一員でもあった幸田露伴との付き合いから想像される。これから石井研堂を調べるために郡山へ行くことになるのだろうか。
 
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和歌山県みなべ町立図書館で

2011年02月18日 | 梅干
和歌山県みなべ町立図書館で
梅まつりでみなべ町に行く機会があったので例によって、南部駅から200Mほどの所にあるみなべ町立図書館に行き、郷土資料を探す。
 梅に関する本は多いがどれも類似していていた。その中で『日本の課長』という本があった。みなべ町は最近(2004年)合併した町で正式には和歌山県日高郡みなべ町で以前は南部町と南部川村だった気がする。山田五良(やまだごろう) - 旧南部川村長が初代のみなべ町町長となった。これは梅の力で村長が町長となった例である。この山田町長が梅まつりの席で東京の業者のアドバイスによって今日の紀州梅産地があると話していた。挨拶の時に実名で挙げられていた人は既に故人となり、大きくなった紀州の梅業界は過当競争となり、今では価格が高騰期の半値以下となってしまった。今年の挨拶でも不景気による後継者問題が浮上しているがここで基本に帰って地場産業を育成努力した人達の歴史を振り返っても良いころである。
 山田村長時代に南部川村で『うめ課』が作られたと思うが現在のH課長に梅まつりの会場であって色々な資料をもらう約束を取り付けた。不景気は品質競争をするよりは価格競争をする方が結果は早く出る。しかし過度の価格競争は不正競争を招き、品質低下した商品を提供するようになり消費者の購入意欲を低下させる。
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新宮に行って

2011年02月17日 | キムチ
 鶯亭金升の情歌の仲間であった、禄亭大石誠之助の土地をワザワザ訪ねた。漬物では紀州高菜の『めばり鮨』があるので行く口実ともなる。
 この町はまだ大逆事件の清算が済んでいないようで、佐藤春夫記念館で時間が止まっている。大石誠之助が天皇の暗殺計画に参加したとされ、新宮の人達は暗殺計画をする人物を生んだ町の出身者として,戦前ではいじめを受けていたという。今では大石はある程度名誉回復を為されているがまだすっきりとしないようである。観光資源として大石誠之助を利用するまでは至っていない。
大逆事件は漬物の歴史と関係ないようであるが関東大震災時に東京の社会主義者、朝鮮人惨殺が行われ、日本橋魚河岸が戒厳令によって封鎖され、二度と日本橋では市場の再建が認められなかった。またその時の朝鮮人を撲殺した一般市民の心の中にある差別観が最近まで残っていて、朝鮮人の食べ物として軽蔑していたキムチが日本のスーパーに急にならんだのが在日朝鮮人の人でもなぜか理解していない。それほど昭和末期まで日本人の心の中に同和問題とか朝鮮人問題が残っていたのである。新宮ではまだ差別問題が今でも残っていて大石問題の清算が出来ない理由と感じたが地元の人達はどう思っているのだろうか。
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許されざる者  辻原登著から1

2011年02月16日 | 築地市場にて
新宮から帰って、大石誠之助の事を調べていたら最近の小説で新宮に於ける大石をモデルとした小説があった。まだ全部読んでいないのだが、駅弁のサンマ鮨がお勧め品と言われた由来が小説の中で書かれていた。サンマ寿司には、主に和歌山県熊野灘で獲れるさんまを使っていて、三陸沖から寒流にのって熊野灘に南下してきたさんまは、長い間潮にもまれるため身が引き締まり、脂も適度に落ち、寿司魚としてつかっているという。サンマの脂身が取れ、コハダのような食感がしました。本当は本場の目張り鮨(青高菜のおにぎり)を買う予定でしたがこれはみなべ町の梅干し館にあったので次回購入となりました。
新宮の青高菜は漬物業界では紀州高菜と言っていて九州の高菜の古漬と違って浅漬でえある。青臭い高菜が食欲を誘う。大きいオニギリである。

 この小説は虚構の話とは言え時代の全体像を巧みに入れているので当時の情勢を知らないと理解できない事が多い小説と見た。
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梅まつり

2011年02月15日 | 梅干
内中源蔵翁頌徳慰霊祭
2月11日は毎年一目百万本の梅花をめでる事ができるという和歌山県日高郡みなべ町で梅まつりが開催される。余程突発的な出来事がなければ和歌山県知事の挨拶がある。和歌山県の地域農産物として梅とミカンが東京では知られている。あまり築地以外では知られていないのだがアユも和歌山県産が築地にはかなり入荷していて県知事自らキャンペーンを築地市場内で催していた。東国原効果で漬物の行事に各県知事が昔は代理出席であったのがどうも絵になる報道のためか、最近は代理でなく知事が出席する事が目立ってきた。後で和歌山県新宮市の人に聞いたら、昼のローカルニュースで梅まつりが放映されていたという。海外に逃げないと思われる地場産業を強化しないと過疎地かますます仕事が無くなり、活気が消えてゆく。みなべ町は最近の大規模な市町村統合を拒否し、地域ブランドを残すため、ちいさな町としたようである。2月11日現在5分咲きという。
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三週連続で日曜日通夜

2011年02月14日 | 築地市場にて
1月末の日曜日から三週連続日曜日夕方通夜となってしまった。13日夕方勝どき門から場内に入って、待ち合わせの車に乗って出発。日曜夕方4時過ぎは築地市場には観光客も不在で納品する車もなく築地の広さを感じる。駐車する車もなく、カラスも不在で実に静か。
 漬物業界は割と人間関係で商品の紹介が進むので、冠婚葬祭は重要視される。その中で冬場は比較的葬儀が多いのだが今年の出だしは例年になく多い。死者の数が生まれる人を上回って加速している。通夜の席で故人をしのび、ノンアルコールの飲み物を飲んで築地で解散する。夜の8時は築地に到着する大型トラックの荷降ろしで込み始める時間となる。
 日本各地の葬儀の習慣は地域によって異なり、通夜の席で出る食材は地域の食文化が現れる。
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