年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

来年夏も築地のところで仕事をしそうで

2017年08月31日 | 築地市場にて

都議会の進展を見ると(アツモノにお懲りてナマスを吹く)と言う感じとなって引越しは来年9月中旬と想定したほうが良いだろう。何があってもおかしくない。行政の下にある築地のスピ-ド観はタ-レ-並の速さ。

 中央卸売市場法が改正されれば、仲卸業務が劇的の変わる。既に地方の卸売市場は得意先が激減し配送センタ-化しつつある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝鬨橋と言えば

2017年08月30日 | 築地市場にて

勝鬨橋が一度開閉する時に出会ったことがある。それしか記憶がない。そもそも勝鬨橋は隅田川上流にある造船所の船の出入りのために開閉式となるように設計された。まだ交通量も少なくのんびりしていた時代だった。佃島の先に石川島造船所があった。今は高層マンション群となっている。そこに江戸時代囚人のための更生施設があった。明治に入って未決犯罪人の収容施設があった。犯罪事件の継続捜査や裁判所に出廷するための一時的な収容施設だった。

 明治の自由民権運動高田事件の被告人赤井が春先の大潮の干潮のとき、石川島監獄から脱走を図った。後に静岡県で逮捕された。この結果、犯罪人の逃亡を防ぐため隅田川の浚渫工事が企画された。浚渫された土は今の勝どきの土地となった。この件は歴史書には書いていない。しかし隅田川浚渫工事の着工時期から考えると逃亡事件との関連が考えることができる。深くなった隅田川で造船所が移転する必要が無くなり、月島の発展をもたらした。橋か作られ町が発展し、勝どきと築地の間に橋が開閉式の橋ができた。

 石川島に造船所が出来た理由は、築地で印刷関係の仕事をしていた平野富二である。平野は幕末長崎通詞の本木昌造の弟子だった。石川島には水戸藩の造船所があった。黒船来航後、水戸藩の洋式船が完成したが海に出ることが出来なかった。隅田川の水深が浅かったためである。水戸藩の造船には浦賀衆と静岡県戸田の人たちの協力があった。幕末の人間関係は複雑で浦賀与力の中島家には長州藩の桂小五郎が中島の漬物小屋に寝泊まりして西洋の情報収集をしていたようだ。のちに桂を頼った山尾庸三に影響を与えたようだ。異国を見てみようと発想する原点は浦賀衆の開放的な考えがあったと思われる。砲術指南だった下曽根金三郎も弟子の多い人だった。

秘術する考えと西洋的な学問・学術という考えが混じっている時代かもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PONTEの中味

2017年08月29日 | 築地市場にて

勝鬨橋をあげる会の情報誌PONTEをよく読むと、毎週木曜日に勝鬨橋見学ツア-をしているようだが国の重要文化財に指定され、さらに橋梁の長寿命化する工事が今年の終わり頃始まりそうで、見学ツア-が開催されないという。イギリスのビックベンと同じなのだろうか。それともテロリストを予防するためなのだろうか。

 今週から臨時都議会で築地市場の豊洲移転論争が始まる。早く日程を明示してもらわないと予定が立たない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PONTE 勝鬨橋を挙げる会

2017年08月28日 | 築地市場にて

久しぶりに中央区の中央図書館地階にある郷土資料室を訪ねる。火付盗賊改の江戸刑事事典の長井五右衛門昌純の経歴を確認した。郷土資料の所にPONTEという会報があった。どう間違えたかポン太という言葉を思い出した。先週金曜日夕方築地の料亭新喜楽の通用門へ芸者さんが出勤するところに出くわした。百人一首の坊主めくりの様な気分が残っていたのだろうか。新橋芸者ポン太という言葉が出た。新川の酒のことを書いてあった本の記憶があったのだろう。鹿島家はどうやら河村瑞賢の江戸屋敷の跡地付近らしいことが記憶に残るが確かでない。

 ポン太の子孫の話がネットで出てくるが伝えられている話と事実は異なるようだ。ここで再び長谷川伸が出てきて全集11巻を借り出すこととなった。長谷川伸の小説材料はどこで仕入れるのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食中毒の季節で

2017年08月27日 | 築地市場にて

O-157の食中毒報道で数年前の白菜漬物事件を思い出す。高齢者の多い施設に浅漬け白菜の汚染で多数の死者が出た。この後野菜の白菜が暴落し、漬物を漂白剤で洗浄するように指導する報道も出た。漂白剤は有害細菌もなくすが有用細菌も殺してしまう。つまり漬物が調味料味となってしまうことになる。今はこのような無茶な報道が消えたと真実しかない。容器洗浄時には漂白剤を使用するが野菜の洗浄には安全な洗浄をする方法が開発されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島事件の浮世絵

2017年08月25日 | 福神漬

小林カズさんの(清親考)に花香恭次郎の照会文が会った。福島事件の被告人の浮世絵は6枚発行計画されたが3枚だけで中止となった。

 多くの福島事件浮世絵配布事件で原胤昭の文が紹介されているが殆ど田母野英顕だけである。花香と平島松尾の浮世絵の文が出てこない。

 花香恭次郎の浮世絵に描いてあった原の本文。

『君は東京深川伊勢崎町の士族花香恭法の次男にて、自由の説を主張、福島に在って河野君等と共に縛につき、福島警察にて数日間靴をもって衝き倒される等の苛きめに逢い、東京に護送され、高等法院の裁庭に活々発の雄弁に無罪の状を陳述られたども有罪のがれたく軽禁固6年。齢26歳』と小林カズさんの文の中にあった。

 ここでも深川伊勢崎町士族しかなく、花香恭次郎の出自の記録が出てこない。花香恭次郎は明治中頃にコレラで死去しているので、明治末期に小林清親と会ったのは平島松尾だろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林清親本から

2017年08月24日 | 福神漬

中央区に所蔵されている小林清親関連本から気になるところ。小林清親の娘カヅさんの文から、明治14年東京両国の大火のあと、鶯亭金升の紹介で漫画風刺雑誌団団珍聞に入社したと言う。清親34歳、金升14歳。14歳の少年とも言える人が就職を世話することが出来たのだろうか。団団珍聞投書家だった鶯亭金升はいかに早熟とはいえなぜと言う疑問が残る。数年後のあと、小林清親が仲人をして、鶯亭金升は花柳流の縁者の女性を妻とした。

 鶯亭金升の生年日が間違っているのだろうか。横浜の戸田欽堂・築地・銀座のキリスト教関係もあるのだろうか。この辺の文献がまだ見つからない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神栖市息栖

2017年08月23日 | 福神漬

明治の自由民権運動福島事件で唯一の福島県人以外の被告人花香恭次郎の経歴を再度確認している。

 明治6年に花香恭次郎を支援していた鉄道関係に仕事を得ていた旧幕臣長井昌言が新橋横浜の鉄道開業を見届けて死去した。この時期花香も横浜で仕事をしていた。多分庇護者の長井が不在となったあと茨城県神栖市息栖で農業に従事したと言う。しかし都会の生活になじみ、文明開化の先端とも言える横浜の空気を吸ったものはまだ江戸の名残を残している茨城に満足しなかったようで、東京で新聞記者となった。この仕事を得たのは旧大垣戸田藩の親族の支援があったと思われる。特に横浜高島嘉右衛門の親族でもある戸田欽堂の支援があったとことが想像できる。

 明治東京の繁華街であった神田須田町で絵草子屋だった原胤昭が福島事件の浮世絵を無料配布したため、投獄された。絵は小林清親で文案は原胤昭だった。原と戸田欽堂は築地居留地にあったキリスト教会仲間だった。

 多くの小林清親本には団団珍聞のことを書いているのに長井昌言が早く死去しているので文献が無く、福島事件浮世絵は単なる憤りとしか描いていない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長沢鼎(かなえ)のこと

2017年08月21日 | 宅老のグチ

幕末に長州からイギリスへ密航した5人のことを調べていたら同時期に薩摩からイギリスに12人が行っていた。その中に長沢鼎という人がいた。後にアメリカ・カルフォルニアでブドウ栽培に成功した人物だった。長沢の経歴で慶応2年に広島の村田文夫とイギリスで会ったことを書いてあった。当時のイギリスでの日本人による日本のことをどう考えていたかもう少し記録を探りたい。

 欧米との文明格差の中で途中立ち寄った上海・エジプトでの経験が彼等の危機感にどう影響したか。戦後の平和ボケの中で今の危機はどのように向かえばよいのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争が起きそうな日に

2017年08月21日 | 築地市場にて

米韓の軍事演習が始まる日にのんびり調べごと。やはり食料確保が問題となる。食の輸入が多い日本で一時的に途絶したらどうなるのだろうか。戦後の食料不足を経験していない人達は耐えられるのだろうか。

 北朝鮮の報道を見ていると太目の人は見かけない。20年以上前の中国が太目の人は見かけ無かった。中国の今は車社会で歩くことも少なくなり、肉体労働も減り、カロリ-の高い中国料理を食べれば結果は見える。太目の割合が加速しているようだ。

 飢餓の国と太目の国との格差が激しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山尾庸三伝

2017年08月20日 | 福神漬

山尾庸三伝

山尾庸三は天保8年(1837)今の山口県山口市に生まれる。村田蔵六の近所であった。下級であったが才能を認められ、安政3年江戸麹町三番町の斉藤弥九郎道場に入門する。桂小五郎を頼ったという。当時、桂は三浦浦賀警備で不在だったが辛うじて斉藤道場に入門できた。その当時の斉藤道場は政事道場と言われ諸藩の志士のたまり場であったという。山尾の剣術は不得手であった。江川太郎左衛門、勝海舟にも学んだという。ロシアに船が出るとき北岡健三郎(斉藤弥九郎の弟)に頼み込み、亀田丸に乗りロシアへ行った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なた豆の効能

2017年08月20日 | 福神漬

牧野和漢薬草大図鑑より

なた豆はウレア-ゼ、カナバリン、カナバリアジベレンⅠ,Ⅱ、でんぷん、タンパク質、脂肪などを含む。

薬効、薬理  薬理は未祥

種子は食用、なた豆、なた豆殻は中を温め、腎を益するなどの効能あり、咽頭結核、腰痛を治す。

 

今の時代ではこれだけしか効能の記述がないようだ。幕末明治初期にはどの様な効能があったのだろうか。少なくともなた豆に関して効能があると信じる必要性はないのではないか。なた豆を英文表示にするとSWORD

 BEENSとなる。団団珍聞社主野村文夫は英国密留学をしていて英語の知識があったかもしれない。団団珍聞には初めから英語の欄があった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

答えのない謎解きを

2017年08月19日 | 築地市場にて

村田文夫と山尾庸三の関係を調べるため、唯一山尾の自伝を所蔵している都立中央図書館へ向かうしかないだろう。山尾は幕末長州藩のイギリス留学生で最近では長州ファイブの一員と知られ漫画化されている。マンガも見たいものだ。

 夕刻から雨の予報で早々と帰宅。花火大会に参加する人を見る。夜雷雨で花火大会が中止となる。天候不順の8月である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軍隊納品と漬物業

2017年08月18日 | 築地市場にて

漬物はあまり漬物の自体の歴史というものが知られていない。戦前は漬物業は軍需産業の一部だった。多くの国民は漬物を金を出して購入するものでなく自家製造、自家消費が基本だった。都市住民が漬物を購入していたがごく一部だった。江戸時代にさかのぼっていても江戸在住の大名も自家で作っていたようだ。旗本御家人が練馬の農家の製造した漬物を提供していたようだ。しかしこれは武家の排泄物を肥料とするためで農家は得意先と提携していた。

 軍隊に入れば白米を十分食べることができるということが農家の次三男にとって魅力だったと思われる。日本陸軍が精白米の支給にこだわったため、脚気の蔓延が続き、ビタミンB1の欠乏が脚気の原因とわかっても中々解消できなかった。白米と梅干沢庵が軍隊の標準食料だった。戦前から続いている漬物業者は軍隊納品から始まっているところが多く聞かれる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長雨・低温で在庫の偏り

2017年08月17日 | 築地市場にて

40年ぶりとかの8月の長雨と低温で盆休みの在庫が盆前より増えている。熱中症対策の梅干が売れゆき不調。ただ梅干業界はあわてていない。今年が三年連続の不作と中国の梅産地の物価上昇、環境対策で安価に日本に輸出する余力がないようだ。さらに中国国内で自家消費から購入または外食へ消費が移動しているようだ。後数年すれば単純名目人件費で日本の東京と北京との差は無くなる。既に不動産価格ではほぼ同等となっているが1戸の広さを考えると日本のほうが安い。既に梅干業界は来年の猛暑に期待をかけている。8月が暑かったら来年は在庫不足で中元商戦が見送りとなる懸念があった。今年の7月の通販梅干は扱いが押さえ気味と感じた。

 原産地表示がこれから全加工食品に表示義務が生じる。先行している業界では他の加工食品業界の苦労するだろう。やれば早くやったほうが良いと思うだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする