叔父の特攻の最後宴会場(今の台北紀州庵・当時は台電クラブ)に飛び入り参加していた14歳の台湾生まれの少女の記憶と叔父と最後の晩餐を共にした特攻隊員候補と戦後に縁があって結婚した話で生き残った特攻隊員の苦悩を知ると複雑な読後感が残る。
生きて帰ると約束し、飛行機に乗って埼玉の自宅上空を旋回し、台湾に向かった時の遺族はどんな気持ちか想像を超える。もし順番がずれ生き残ったら中田芳子さんの御主人と同様の戦友に対して悔いる気持ちが残って一生心の傷となると思える。やはり60年以上の歳月が必要かもしれない。叔父達の特攻で戦死や負傷した米国の軍人たちもネット検索すると戦後60年位は戦友会の活動があったが今はもうほとんど停止しているようだ。最も米軍は日本との戦争後、朝鮮・ベトナム・湾岸戦争・イラク・アフガニスタンと戦争を休んでいる期間が少ない。兵器は戦争によって進化し、かつての特攻のような攻撃は無人化され、兵士の心の痛みは感じないだろう。だから次の戦争は恐ろしい。心の抑止力が消える。
戦争が無くても市場開放という圧力が武器と共にやってきそうだ。