年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

高橋太華のこと

2010年10月31日 | 福神漬
明治20年代の人気少年雑誌「少年園」編集主任・
高橋太華(1863-1947)は、文久3年8月12日、(福島県)二本松藩の剣術指南である根来正緩の二男として生まれる。明治14年に上京し、岡鹿門の塾に入り、翌年には塾頭となる。
 本来は根来姓であるが多くの彼に関する経歴でも徴兵忌避の問題があって高橋太華で通している。それは戊辰戦争時の混乱を二本松藩士の子として観ていて明治の軍隊に対して納得がいかないものがあったと思われる。高橋太華は根岸党の一員であって、幸田露伴との交友があり、酒の友として福神漬を食べていたと思われる。
 石井研堂は高橋太華の後を追って福島県から上京したが石井は商人の子であったため、戊辰戦争・福島事件・自由民権運動とは少し距離を置いた目で見ていたような気がする。
 それにしても戊辰戦争は福島県人の心の内部に複雑な影響を残している。
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御一新の嵐 鶴見俊輔著

2010年10月30日 | 福神漬
石井研堂の経歴から、この本を読むこととなった。季節はずれの台風が日本の東海岸を北上しているが、江戸時代の漂流民として海外へ行ってしまった人達の大部分は11月・12月に遭難したという。またこの季節は正月の江戸の物価高騰があるのでギャンブル的に無理して出航したと思われる。鎖国していた日本は意図しない日本人達の海外渡航で少しずつ日本の内情を世界に知らせていた。
 このことに気がついた石井研堂という人物は『異国漂流奇譚集』を著している。幕末、アメリカ商人等は日本を開国させようとする口実に漂流民を人道的措置で送り届け、交渉の糸口としようとした。日本ではモリソン号事件といわれる。14歳で浦賀与力見習いとして出仕した中島三郎助は16歳の時、この事件と関わりをもつこととなった。
 ペリーはモリソン号事件等の異国船に対する江戸幕府の対応を研究して日本にやって来た。また浦賀では中島三郎助の所属する浦賀与力たちも異国船の対応の準備をしていたが幕府の方針とは違った考えを持っていた。弘化4年に日光奉行から浦賀奉行になった戸田伊豆守氏栄に浦賀与力達が国防の現実を教えたと思われる。
 江戸湾にある全ての砲撃力より、黒船一船の砲撃力があることを知った浦賀衆は殺到する見物人を上手くさばき、平和裏に米国国書を受け取ることになり、日本の近代の始まりとなった。国防の最前線にいる人達が予算不足で対応しなければならない事態は今も昔もある。
 中島三郎助と西浦賀の塩問屋との関係も国防予算不足を補うものであったという。
 
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行きつ戻りつ

2010年10月29日 | キムチ
日韓併合100年の今年は色々な史料が出版されている。この原点を探らないとキムチの歴史にたどり着けないと思う。この結果明治の日本史の中で自由民権運動の場で活躍した人達が韓半島で暗躍していた歴史がある。どちらかというと明治政府は日本自体を強化することに集中していて、対韓半島には大久保利通の路線を継承していて消極的であったと思われる。明治中期の韓半島の食物に関しての記録はこれから徐々に出てくると思われるが日本人が書いたものは自由民権運動関連の人達のものが比較的多い。
 残念ながら、韓半島が日本の植民地であったため、民俗食の記録は日本内地より少ないようでさらに朝鮮戦争の影響で文献が少ない。最近韓国国内で民俗の研究が進んできたようであるが自国の歴史と共に、中国、日本とアメリカの文献を調べなければならない韓国の学者は大変である。
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冷えすぎて

2010年10月28日 | 築地市場にて
冬のような天気にも関わらず、月末に台風がやって来るようで、今年の冬野菜に影響が無い事を祈るしかない。築地の話題も三日過ぎると過去の話となって、株式市場や中央区の姿勢に新しい展開が始まったようである。実に変わり身の早い事だ。ある民主党都議会議員の話もどうやら跡地に小さな市場を作る事を考え出したようだ。この事はかなり前からの私の主張でもある。今の中央卸売市場の仕組みは大正時代の日本の状態を基にしているので自由とスピード感がない。築地市場内にはガソリンスタンドやコンビニが無いように原則として全ての施設の東京都の許認可がいる。一度はいると不祥事を起こさない限り安泰であるのでブランド維持のためだけ店舗を構えることも可能である。
 中央区で作る新しい市場は渋谷にある109のように成績の悪い店舗を外し、新しい業態開発の店舗を取り入れてゆくなら、多分築地と豊洲は両立することも可能である。
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アンパンにラムネ

2010年10月27日 | 趣味としての漬物
アンパンは明治時代に銀座木村屋総本店が創製したパンですが隠語で『シンナー』を意味しています。ラムネは同じく隠語で『月賦』を表しています。ラムネを飲むとゲップが出るので昔は良く言いました。今では消費者ローンがあるのであまり聞かれなくなりました。アンパンのへそともいう所に桜の花の塩漬がのっているのがあります。八重桜を梅酢で漬け込んだものです。産地として神奈川県秦野市が有名です。結婚式で桜の花の塩茶が出るのは香煎の一種だったからです。
仏式で吉事を取り行う時に桜の花の塩茶を出すそうです。

さて、商品のクレームでシンナー臭いというのがある。これは食用アルコールで殺菌消毒していて、過剰に噴霧した時、食品のある一部分の物質と反応して、シンナーと類似の臭いがする。しかし、揮発性のため確認の時には、消えていることが多いので他の検体を開封して確認する。その時臭っていた時、製造の時の状態を調べる事となる。大抵過剰に噴霧した場合が多い。
 
昔、アンパンの甘い臭いがシンナーの臭いと似ているから隠語となったと言われるが本当なのだろうか?本物のアンパンはシンナーの様な臭いはしない。
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おせんにキャラメル

2010年10月26日 | 築地市場にて
売り子の言葉で『おせんにキャラメル、アンパンにラムネはいかがですか?』というのが昔にあった。おせんはどうしても『汚染』と聞こえ、『キャラメル』は飴をしゃぶらすを思い起こせる〔甘い言葉でだます〕。
 昨年都民をだました結果となった民主党の現築地再建案も都の豊洲移転案もどちらのキャラメルには『飴』が入って入るよう思えて、隠し味がいつ出てくるのだろうか。これから築地場外市場業者のための、豊洲新市場前の千客万来館出店の問題となるだろう。これは豊洲市場における場外市場という位置付けになるので、人気が出るか高騰した家賃で空き家が出るかまだわからない。今の雰囲気だと築地場外市場に出店している業者にキャラメルをしゃぶらすために優先的に与える気がする。最近ではキノコの見分け方が解る人が少なくなったように甘いキャラメルだと思ったら、毒キャラメルになるかもしれない。
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惺々暁斎(せいせいきょうさい)

2010年10月25日 | 福神漬
石井研堂は大正4年3月13日の夜、河鍋暁斎の遺児であった暁翠(きょうすい)女史より、親しく暁斎の経歴を聞いた。梅亭金鵞(瓜生政和)の編集した『暁斎画談』で猩々暁斎というのは誤りで、暁斎自身は一度も猩々暁斎といったことはないという。猩々(しょうしょう)という言葉は酒飲みという意味がある。石井研堂は梅亭が戯作者の出で惺と猩の文字の差が解らなかったと思われると書いている。暁斎は幼いころ病弱で母親が惺々星に願を掛けていたという。狂斎から暁斎に改名したが読み方はキョウサイである。
 石井は晩年下谷根岸に住んでいて、河鍋暁斎も根岸で死去した。また石井研堂は福島二本松出身の友人であった高橋太華の少年雑誌に協力し、名声を得る。高橋は根岸党の一員でもあった。ただ石井は酒を好まず、根岸党の一員とみなされない理由と思われる。ここに根岸党の人々の酒のつまみであった福神漬の缶詰が接点として浮かんでくる。石井研堂が明治事物起源という書物に缶詰の始まりという項目があって、少なくとも2回山田箕之助という名前が出てきて、池の端の某店と書いてある部分が『酒悦』と思われる記述がある。石井も福神漬を食べていたと思われるが福神漬の命名の奥にある福島事件の事や幕末における,河野広中の三春藩の仕打ち等から具体的に記述したくなかったと思われる。彼が明治事物起源の中で自由民権運動の福島事件は扱わず、加波山事件を記述しているが同郷の割に実に冷たい書き方であった。
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都知事からの手紙

2010年10月24日 | 築地市場にて
築地市場の事業者様へと都知事から文書が届いた。知事は決断し、豊洲へ移転するための歯車を回すという。これは4月の予算が付帯決議付きで可決された時から予想されたことである。豊洲移転のプランも数年かかって作り上げた妥協の産物であるのに、現市場再建案が数カ月で築地市場関係者の全員が納得できる案を民主党が短時間で作り上げるのは無理ということである。
 汚染した土地の購入の経緯もまだ話せない事が数々あるだろうが豊洲案が消えれば、新木場の貯木場を埋め立てるしかないだろう。そうなれば単なる物流センターとなり食文化の発信地となることはないだろう。庶民の食文化は安い市場使用料でこそ生まれるものである。吉野家の牛丼も築地の人達によって鍛えられたと言って良い。安い・うまい・早いということである。
 
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資本主義の普通の状態で

2010年10月23日 | 築地市場にて
競争が通常に行われている市場に於いて、自己に都合のよい事は競合他社には必ずしも都合のよい事とはならないことが多い。諺でも『隣の芝生は青く見える』等がある。日頃セリという談合の少ない取引を行っている築地市場では時には需給のバランスを超えて行き過ぎた価格が成立することもある。
 この様な社会で他の日本の競争社会に例えると、競輪の世界が思い浮かべる。テレビ観戦の解説から理解すると、競輪学校の同期とか、同じ練習仲間と談合して、風あたりの強い、又は負担の重い位置を勝たせたい仲間を譲る事をしているようだ。また開催者やファンはそのことを推理して,車券を購入しているようである。(間違っていたら訂正してください。)
 築地市場の移転問題で現有地再開発を取り上げているが総論で賛成してもイザ工程表ができればライバルが有利となる工程は絶対まとまらないだろう。なぜなら数年の工事期間中に得意先が奪われることになり、従業員が同業他社に移動する事も十分予想される。また工事が始まっても、地下には色々な文化財、汚染物資、アスベスト等があり、1工程毎の時間がかかることが予想され、さらに不明な工事工程によって話し合いが纏まらなくなる。また同業で纏まっても、他の業態に人達のクレームも生じる事も予想される。例えば築地市場内の飲食街は中で働く人のためにあるのだが工事となって辺鄙な所に仮移転したらどうなるのだろう。さらに移転が無いので立ち退きの慰謝料等が入らない。等々どちらに転んでも大変である。

 昭和10年2月に日本橋や京橋から楽団を先頭にして築地に移転行進したが、皆前途不安の気持ちであったという。都知事は決断した以上、築地の人達の不安を取り除くことが必要だろう。
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石原知事VS民主党都連

2010年10月22日 | 築地市場にて
先週金曜日夕方、築地市場の情報通から都知事が決断するそうですが『どう思いますか?』と問いがあった。色々なところに電話して取材しても反応が無いという。もう既に話題となって十数年以上の問題であるのに移転賛成派が2割、反対派が2割で後の残りはどうでも良い人だろう。何しろこの不景気で移転費用も出ないし、いまさら現築地再建でも、何回もの転居が必要だし、費用も掛かる。都や議会が立ち退き費用の問題が出ていない以上、賛成も反対も出せないと思われる。
 特に水産仲卸のまとめ役が不在のため、話し合いだけで数年単位の時間がかかるだろう。現に民主党の対案というものを見たという人が話が聞こえない。どうなっているのだろうか。いくら議会の人達がいい案といっても現場の人達が納得のいかない案は進まないだろう。前の築地再建案でも一部の人達の反対で中断した前例がある。商売というのは数年の中断で得意先が消えてしまう。その工事中の人の流れが変わって、得意先が喪失する危険の保障が見えない以上、簡単にアンケートに答えることはできない。
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砂払 江戸小百科

2010年10月21日 | 築地市場にて
旧幕臣で和宮のお庭番で、維新後静岡で英学を学び、キリスト教徒となり、牧師となった。甲府・下谷での交流から、日本の民俗学の柳田に大きな影響を与えた。彼が下谷教会で牧師となって布教していた頃、樋口一葉は下谷竜泉寺にすむようになったころである。庶民の読み物であった遊郭の事を書いてあった洒落本は「こんにゃく本=こんにゃくの色と大きさが似ていた。」と言われていて、こんにゃくは胃腸の中をきれいにするので『砂払い』と言われていた。
砂払
江戸小百科
山中共古
女衒女を見るに法あり。一に目、二に鼻筋、三に口、四にはへぎは、膚はこごれるあぶらのごとし、歯はヒサゴのごとし、家々の風、好々の顔、尻の見よう、親指の口伝、刃豆臭橘(からたち)の秘術あり。云々。
 ナタ豆を食わせるてんかんの有無を知る方法なりと聞けど、他はしらず。

女衒 遊女屋に女性を斡旋する仕事。
『はへぎは』は髪の生え際か?
ヒサゴとはヒョウタンの形。歯並びが瓢箪の形をしていて、ひょうたん型は原因不明の偏頭痛や重い肩こりなどに悩まされているケースも多いという。
親指の口伝とは「病気を診たい時、親指が動くのは遺伝病、脊髄の病気、神経系統の病気、老人や親を疎かにした罰の業病である。」

カラタチの秘術とはカラタチの実を生薬として使った枳実芍薬散 (キジツシャクヤクサン)のことだろうか。婦人病の薬である。
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三井造船の工事

2010年10月20日 | 築地市場にて
築地市場前の歩道橋の上から見ると昨年から工事していた三井造船の新築工事がようやく基礎工事が終わり、地下の工事も終わったようで、タワークレーンの組み立てが始まった。首都高速の汐留交差点のかさ上げ工事もさかんとなって、市場の周囲の工事状況をみると、どこに不景気があるのだろうか。
 浜離宮越しに見える新築ビル工事もどんどん背が高くなって、何階建てになるのだろう。
この前,都の職員の方がみえて、地デジの調査をしていった。何時の間に社内の14インチテレビだ地デジ対応の回線に繋がっていた。
 世間はそれなりに動いているが日々の相場は青果に於いては前例のない秋の相場で数字が良いのが気にかかる。
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院内感染から

2010年10月19日 | 築地市場にて
昨年の今頃は新型インフルエンザの話題でもちきりだった。今では話題にもならず、野菜の高騰が記事となっている。この話題でも来月になれば本格的に出回った冬野菜の価格低下が話題を消し去るだろう。
 昨年は病院に行くのも他の患者に伝染させないために対策を取っていた。実際効果があったかなかったかは今となっては不明である。ある産院では新生児に感染させないため,夫妻の両親のみ見舞いを許されていた。表向きの理由は他の妊婦に感染被害を起こさないという理由だった。今ではこの自主規制はどの様に変化したのだろうか。
 豊洲の土壌汚染も当然のように食品に汚染が浸透すると思われているが実際築地市場で食品が滞留している時間は短く、または箱が開封されない状態で流通しているのが多いので汚染の危険性は少ないと思われる。しかし、豊洲で働く人達は長時間滞在し、また累積した汚染物質の影響は体内に蓄積する。この様な危険性は今の築地市場のターレーの排気ガス汚染も同様である。
 昨年の新型インフルエンザの感染でも医療関係者の感染被害がおおく、病院で一般患者が感染したという事例は少なかった気がする。豊洲の土壌汚染が食品に汚染するが当然のように思われている事は今の築地市場の状態から見て、豊洲でもあると思われているのだろう。しかし、これを院内感染に例えると訪れた患者に他の患者の病気が移りますと思われている病院となる。その様な病院は病気を治そうとする顧客である新規患者が来るのだろうか。

築地のブランドイメージも一度食品事故が起きれば、宮崎県で起きた口蹄疫の時のように『この店では築地市場経由の商品は取り扱っていません』という広告が出る事もありうるのだ。
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飲酒運転被害者に対する酒類提供者の責任

2010年10月18日 | 築地市場にて
日頃郵送される情報洪水の中で興味のある保険会社の記事があった。アメリカのある郡の裁判所が交通事故の被害者への賠償金として、飲酒運転をしていた運転手だけでなく、酒を運転手に提供した料理店から多額の賠償金(6億円)を得たという。この判例が定着すると今後アメリカのある州に於いては客に酒類を提供するには厳密な判断が要求されるという。この様な時のための保険があって『酒類賠償責任保険』とか『主催者酒類提供保険』とかがあるそうである。前者は酒の提供者の保険で後者は会社や家庭でパーティ後の飲酒事故の保険である。
 アメリカの法令判例を後追いする日本はいずれ飲食店提供の酒で交通事故を起こしたら、刑罰だけでなく、賠償金の高額化で日本の飲食文化が変化するだろう。既に通夜の席では運転する人達のためにノンアルコール飲料が当前のように用意されている。
 古来、日本では神仏の前で『酒』を飲むことは酔うことで神仏と一体化する事を意味している。酔わない飲料はこの風習を形骸化することを意味している。
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高齢労働者の築地

2010年10月17日 | 築地市場にて

築地市場ほど高齢者の活躍している職場が無いと思われる。この間在職の表彰を受けた人の中で80歳を超えて働いていた人がかなりあった。定年後再雇用の制度は築地では若年層の雇用を阻止し、安価になった業界の長い経験者を再雇用することで不景気と売上減少に対応しているように思える。この再雇用制度も団塊の世代が65歳を過ぎた時、どの様な事になるのだろうか。多くの職場では若い人達が同世代の人達と職を争っているのでなく、定年後再雇用の人と争っている気がする。OAの普及が進んでいない築地は高齢者の経験と安定性で若者より勝っている。不透明な築地の移転は透明になったとたん、退職者の増大と新規雇用が大幅に増えるような気がする。広くなった市場は大八車では対応できないだろう。どの国でも若い人達の不満は良い職が無いことから始まる。
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