年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

雑誌印刷界を読んで

2012年01月31日 | 築地市場にて
停電の築地から電源復旧まで京橋図書館で時間つぶしを行う。週刊誌をパラパラ見ていたのだが『印刷界』という雑誌が目に付いた。中央区はあまり知られていないのだが明治の初めから出版業の先進地で今でも印刷関係の業界・会社/団体が中央区に多くある。
 内容を読んでいたらデジタル化の波がやってきて大変なようである。日本語という特殊性が今まで中々印刷業までやってこなく、ようやくここ数年で酷い状態になったようだ。
 デジタル本に関しては比較的楽観しているように思えるが教科書等がデジタル本になると大変であるという。オンデマンドの本を印刷する機械が安く小さくなって来て少量出版が今後の印刷業の希望であるという。読んでいると漬物業界と分野は違うのだが個別の消費者対応が今後伸びてゆく事かもしれない。
 福神漬の歴史を調べていると、明治初期の東京中央区は文明開化の先進地で築地市場の周辺に数多く案内板がある。今明治以来の施設が徐々に中央区から消えてゆく。築地市場も間もなく移転する。
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倒産の特異日

2012年01月30日 | 築地市場にて

毎年1月末は夜逃げが多い。12月の売り上げを支払わないで逃げる。ここ最近はいきなり弁護士から手紙がやって来る。
 食品情報誌から小田原のスーパーが倒産したとFAXが来た。今年も何軒かの倒産があるだろう。売上の少ない月に倒産してくれば良いのに決まって売上の多い月の後に倒産する。弁護士費用を出すためとしか思えない。綺麗な廃業をする人は後々付き合うこともできて、仕事人間でも大手を振って町を歩ける。
 何年か前築地で倒産した人が人目を気にして今でも場内を歩けないという。儲けた事も忘れないが大損させた人も忘れない。
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真っ暗な築地市場

2012年01月29日 | 築地市場にて
29日は朝8時より築地市場は真っ暗。いつもの通り仕事を処理しないといけないので打ち合わせを行う。マニュアルが出来ているので予行演習はなし。
寒い
普段の業務なら2~3日で仕事のやり方を完全に伝えることが出来るが停電だけは中々上手くゆかない。年年少しづつパソコンが変わっていて今年は珍しく変化がない。それでも非常連絡先の電話番号が担当者が退職していたり変化している。昨年震災時に比較的に冷静に対処できたのは停電訓練かもしれない。
 どうやら豊洲へ行っても停電はあるので今から対策投資をしてもムダにはならないだろう。
夕方築地に戻って、明日のために再設定の作業をする。どうやら4時過ぎには点いたのだろうか。明るい築地市場に戻った。また来週停電がある。
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みなべ町の開花情報

2012年01月28日 | 梅干
例年この時期に和歌山県みなべ町から梅まつりの案内が来る。今年も建国記念日に南部梅林でイベントがある。今年は近来になく寒く開花が遅れているようである。ミツバチの行動が盛んになる時期と開花時期のタイミングのずれは梅の作柄に影響があるという。ここ何年かの不作の言い訳は結実後に寒波がやってきて凍傷になったこと季節はずれの台風で落果したこともある。南部の梅まつりには和歌山県知事が余程の要がない限り、代理でなく出席してくる。農業地場産業としてウメボシは貴重な職場である。
 今年の関西は節電で暑い夏となりそうでウメボシで塩分補給となり、大いに売れてほしい。
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絶滅寸前の渥美沢庵

2012年01月27日 | タクワン
昭和40年代に全国一の生産量を誇った愛知県の「渥美沢庵」は、当時4斗樽に(70kg)で60万から70万タル生産され、日本の漬物業界を席巻した。
 愛知県の渥美半島で生産されていた最高級の「一丁漬」は人気も抜群で、漬物専門店をはじめ、高級料亭、寿司屋向けに良く売れたものである。現在ではその高級沢庵の一丁漬などの渥美沢庵を生産するメーカーもわずか2社程度となってしまった。かつては40社余りあった事を考えると、時代の移り変わりに愕然とする思いである。
 一丁漬は幻の渥美沢庵といっても過言ではない。手間暇かけて漬け込み、乳酸発酵した半年後にようやく製品になって販売される。 
 干し大根原料は前年12月初め頃から漬け込みが始まる。一丁漬の下漬は昔からの方法で、米ぬか、塩、茄子の葉、柿の皮、唐辛子を入れて漬ける。この他、ウコン(黄色く着色する)を混ぜた物も注文で生産している。
 現在、干燥は2週間。生大根を干すと歩留まりは27~28%になる。大根の品種は「漬け誉」を使用しており、大根の長さも揃うので、昔の阿波晩生と違い生産性も良い。製品も今日では消費者の低塩嗜好にマッチさせ塩分は4~4.5%、風味もよくミネラル分豊富なヘルシー漬物に仕上げている。
 大根の干し場は、潮風が吹く最高の場所として昔から知られる田原市・伊川津から江比間海岸に面した地区でハザ掛けしている。なお、漬け込みは1月いっぱいで終了する。
渥美沢庵の歴史
 昭和30年代から沢庵の生産が本格化し、伊勢沢庵につぐ干燥大根の加工産地となり、渥美沢庵ブランドが全国に広まった。生産された沢庵はふすま漬沢庵、昆布沢庵、うめず沢庵、一丁漬沢庵など。タル詰の時代から包装沢庵の時代に移った。昭和50年頃になり、九州本干沢庵が全盛を迎え、それと同時に渥美沢庵が急速に落ち込み廃業が続出した。
 大根産地だった渥美半島は、収入の良いキャベツ、白菜、メロン、電照菊などに転作していったことも産地崩壊につながった。
 また原料大根も九州の干燥大根原料の3倍の価格でも農家は作らなくなった。その理由は競合作物の方が割が良いことが一番の原因である。また近隣にトヨタ自動車工場が出来たことも大いに影響がある。
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明治初期の物産一覧

2012年01月26日 | 福神漬
「東京府志料」にみる明治初期の物産一覧
東京都江戸東京博物館 編 1999年
明治政府が明治5年陸軍省布告によって、全国の府県に対して地勢調査を命じた。明治7年に完成した「東京府志料」に当時の農産物のデータが有る。この時期は維新の混乱がようやく落ち着いた頃であるが江戸時代末期の東京の農産物とも推測できる。
刀豆 30荷 出荷額 9円
上木下村(今の墨田区押上1~3丁目、墨田4丁目、京島1~3丁目、文化1~3丁目、八広1~6丁目、立花1~6丁目、東墨田1~3丁目、葛飾区東四つ木1~3丁目)
武江産物志(1824, 文政7年)の中の記述で江東方面のどこでも栽培されていたと言うが明治の初めの頃には1か所しか栽培の記録は無い。明治10年代に創製された福神漬に入れたナタ豆の塩漬は前記の地域で栽培されたと思われる。

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初夢うり

2012年01月25日 | 築地市場にて
旧暦の元日が今年は1月23日に当たるので初夢は24日になるのだろうか。幕末から明治初期に画家にとって、年末年始にお金を稼ぐ手段として縁起のよい七福神の絵を頼まれることが多かった。河鍋暁斎の七福神の絵が多い。年末の書画会でリクエストに応じた結果ともいえる。今は音楽家の年越し資金稼ぎのためのベートーベン第九コンサートのようなものである。
 初詣に行く人達の願いを福の神はどこまで聞いてくれるのだろうか。築地の波除神社の音とカラスの鳴き声がしみる、築地市場のいつもの正月風景。
 市場内でフォークリフトの音がするので見ると山のような発砲スチロール。休市とはいえ人は動いている。今年は家族の絆とかで家で食事をすることが多いという。
 江戸時代には初夢売りという商売があった。宝舟に乗った七福神の絵が多かった。
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何年ぶりかの築地の雪

2012年01月24日 | 築地市場にて
夜中から降り出した雪で築地も白くなったが夜中の交通量が多いため通路の積雪は少ない。しかし歩道は白い。旧正月・春節の観光客の状況を場外の業者に聞く。少し増えたという。地道な努力が築地を救う。震災後の日本食品の中国向け輸出が放射能の書類で止まっている。昔の中国の農楽問題のの時の日本の対応に対しての『返り討ち』と見た。

 明日の休市だがスーパーの棚変え商談が盛んになる時期である。
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築地市場・点検停電のための準備

2012年01月23日 | 築地市場にて
1月29日と2月5日の日曜日は築地市場で停電となります。朝8時きっかりと全面的に築地市場が真っ暗となります。夕方5時までの停電なので暖房なしなので一時的にどこかに避難して休市業務をこなすことになる。都内各地から集まった電気業者が停電時間に老朽化した電源設備の点検を行っています。築地市場は漏電が多く、一年に一度は漏電テストしないと危険です。
 数年前からインバータ発電機でパソコンを起動して停電対応をしています。今はガソリン発電機900Wも10万円以下になったようですが震災後一時は15万円(中古)になったようです。豊洲市場でも点検停電があるのでこの発電機は転売できません。豊洲市場の細かい仕様がようやく出てきて今年は本格的に移転の用意をする年になる。
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塩麹が売れていて

2012年01月22日 | 築地市場にて
新潟の特産品のメーカーが店を閉めたらしい。東京ではあまり知られていないが唐辛子を味噌にいれた「南蛮味噌」を作っていた。観光地のみやげ品として地道に売れていたのだが。
 いま塩麹が売れているので味噌・酒等の麹を作っているところでも全国的に生産が間に合わない状態が続いている。健康に良く、昔からある食品は実績があるためブームが長続きする。食品会社の強引とも言える宣伝で健康によいとかで販売してもすぐに効果が出ることはなく、次の商材によって商品棚から消えてゆく。今回の塩麹ブームはもう一年以上続いている。
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食料自給率の別の見方

2012年01月21日 | 築地市場にて
統計から
食料自給率という言葉がある。日本では40%程ということになっている。この自給率と言う言葉の捉え方も問題であるが都市と農水産物の生産者に近いところでは国産農水産物摂取の率も異なると思われる。自家で栽培しているところではどの様な数字となるのだろうか。
 食物により病気となった水俣病などは同一地域の産物を恒常的に摂取していたため発病に至ったと思われる。都市において同一地域の農産物を恒常的に摂取するにはブランド指定を行わなければ中々難しい。「茶のしずく事件」のようなものはブランド指定のもたらす事件かもしれない。築地市場のように各国各地からどんどん商材が変わってゆく市場において同一地域の商材を指定することは中々難しい。
 何日か前の朝日新聞報道によると福島県の人のセシウム摂取量が国の規制値の40分の1という。多いか少ないかを感じるのは人それぞれだろう。ただ食料自給率が少ない日本では放射能汚染されていない外国から来ている食品が多いからと感じたのは私だけではないだろう。
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お湿りがあって

2012年01月20日 | タクワン
昨年12月初めより東京では雨が降っていなかった。この様な天気の時は干し大根にとっては良い気候となる。近来にない天気続きで産地の人達は喜んでいるだろう。雨が振りそうになると雨よけシートを掛ける作業がある。
 今の都会人は硬いものが嫌っているようだが昔の人はスルメイカの固いものを火で炙って醤油をつけて食べていた。硬いものを食べると口の周囲の筋肉が発達し運動機能に良いと聞いたことがある。今は柔らかい物が多く、顎が発達しないので細長い顔が増えているという。硬いものを食べていない徳川将軍の遺骨分析では顔は長いという。
 今年の干しタクワン品質が良くは期待できる。

この程度の雪では畑に入る事が出来ない日数は少ないだろう。
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樋口樋口一葉がいた頃の竜泉寺町の産物

2012年01月19日 | 福神漬
東京の町を読む 下谷・根岸の歴史的生活環境 東京のまち研究会著から
東京府志料は明治5年頃の東京府の産物記録である。江戸の外れにあった遊郭吉原の隣にあった竜泉寺村(一葉が住んでいた頃は町)の産物の記録が府志料にある。人口364人、コメ120石、シソ1万把、金魚4万匹、赤鯉2万匹、清酒百石、焼酎30石、元結1万2千把となっている。(元結とは髪の髻(もとどり)を結び束ねる紐(ひも)・糸の類。遊女が使用)
 竜泉寺町は遊郭の隣でその産物から影響が見られる。福神漬にシソが入っていたのは下谷区内で生産していた事もあるだろう。当時の下谷で栽培されていたのは赤紫蘇か青紫蘇か不明だが、梅干し着色から考えると赤紫蘇のほうが食品着色用として用途が多い。
福神漬の七種の野菜を七福神に例えると「シソ」はシワから寿老人と見なせる。
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延寿芸談

2012年01月18日 | 福神漬
延寿芸談 井口政治著 44頁
横浜富貴楼は洋行する人達の土産の買い物を世話していた。ある程度西洋の事情がわかってくる時期となると夏目漱石のようにイギリスへ持っていかなければならない物のリストに福神漬の缶詰が載るようになった。
 当時の洋行には多大な経費がかかる中で漬物の中で福神漬が記憶にあるのは缶詰の中にある日本だったと思われる。今では洋行と言う言葉は死語となってしまったが少し前までは海外に行くと食生活が激変し、実力を発揮できない人が多かった。
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18日築地市場青果部休市

2012年01月17日 | 築地市場にて
昨年初めて築地市場青果部と水産部の同時休市とならない日があった。今年も同様な休市となるのが1月18日である。築地市場青果門と城北信金築地市場支店のあるところの門は昼まで閉鎖となるだろう。(昨年は閉じていた)
 2年目ともなると分裂休市でもヒマなので問い合わせが昨年より少ない。漏れ聞くところの話だとそれでなくとも売り上げの減っている東京市場水産部は休市を増やすことで売り上げを減らすことを避けたいと思っている。青果部は休市を増やすことで優秀な労働者を少しでも市場に入れたい思いがある。最近地域振興の業種として青果に優秀な社員がふえて来て、時代が変わりつつある。特に男の職場と見られる青果部セリの記録者に若い女性が参加しているのは驚きである。
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