都内のガソリン価格が116円ほどになっている。沖縄では100円-以下という。大田区の第二京浜国道の水素スタンドも来年開業に向けて最終工事のようだ。都内の水素スタンドも増えそうで来るべき水素時代は早くなるのだろうか。
豊洲への移転問題も新聞報道が増えてきた。あと一年を切るとそれなりに気ぜわしいとなりそうだが年末のことで忙しく移転問題は先送りとなる。
三菱東京ufj銀行の人と日本郵船常陸丸のことを話す。最初の常陸丸は日本郵船新造の輸入客船であった。この船が日露戦争初期に玄界灘で近衛師団を大陸に輸送途中、ロシア戦艦に攻撃され沈没した。大陸に安全に兵士や物資を送るため、旅順港封鎖を導き、203高地の戦闘を招いた。靖国神社の鳥居に近いところに常陸丸の巨大な殉難碑がある。日本海海戦も常陸丸の遭難があって当時の悲壮感を感じる。
常陸丸2世は長崎の三菱造船所で最初に造船した日本郵船の客船であった。この客船は第一次大戦中インド洋で行方不明となった。郵船の捜索隊が常陸丸の残骸を発見した。その残骸の中に酒悦の福神漬の木箱があった。このことで常陸丸の遭難が確実になった。その後常陸丸の船客が無事であることを知った。ただ常陸丸の船長は一部の乗客の死去と船体を爆破された責任を取って、自殺したという。この事件は神戸大学の図書館の新聞記事から発見した。記事分類では海上保険の問題であった。実際常陸丸の戦時海上保険の問題で日本郵船、東京海上保険、日本政府の間でこじれた。素直に保険金を支払わないことで郵船はイライラしたようだ。(東京海上の社史より)第一次大戦で海上保険が興隆したが東京海上だけが停滞した。その後三菱海上と東京海上が合併し、東京海上が三菱の系列となった。第一次大戦の日本の戦時海上保険金の大部分を日本郵船が受け取り、受け取った保険金の半分ほどは常陸丸の保険金だった。福神漬の資料を探ってゆくとこのようなことを知ることとなる。